第16話 しょうがないなあ①
いつものようにベルシードへ出勤し、和也が休憩室で制服に着替えていると、ニヤついた顔のリョウが入ってきた。
「お前さ、最近の店内人気ランキング知ってる?」
「何それ。知らんよ」
「俺が今、調査してんの」
「暇なの?」
「大事な調査だろ」
「何が大事なんだよ」
リョウは気にする様子もなく、近くの椅子に腰を下ろした。
「男のバイトに聞いて回ってんだけどさ、今んとこ一位と二位がほぼ同率なんだよ」
「へえ。誰?」
「カオリとルミちゃん」
「あー、ルミちゃんね」
名前を聞いて、和也もすぐに納得した。
「スタイルいいし、何より誰とでも笑顔で話すもんな」
「分かる! でも俺には高嶺の花すぎるんだよな。あのザ・清楚って感じも、俺には眩しすぎる」
「それ言ったらカオリもじゃん、お前」
「うるせえ」
リョウは少し間を置いて、今度は和也を見る。
「で、お前は誰なんだ?」
「うるせえ。ほら、仕事すんぞ」
和也はロッカーを閉め、そのまま休憩室を出た。
ランキング自体はリョウが勝手に作っているだけだが、ルミが店で人気なのは間違いない。大きな目に整った顔立ちで、スタイルもいい。
清楚という言葉がそのまま似合うような女で、何よりよく笑う。客にもバイト仲間にも態度を変えず、誰に話しかけられても柔らかい声で答えるため、嫌そうな顔をしているところを和也はほとんど見たことがなかった。
ルミは和也より先からベルシードで働いている先輩で、夕方からのシフトが多い。和也とは勤務時間もよく重なった。
「和也くん、おはよー」
「おはよ」
その日も、和也より少しあとに出勤してきたルミは、いつものように笑っていた。
――まあ、人気あるのは分かるよな。
和也から見ても、普通に可愛い女だった。
*
ルミとは帰る方向がある程度同じで、ある日、和也が車で送ることになった。それが二度、三度と続き、気づけばシフトが被った日は一緒に帰ることが増えていた。
途中でコンビニへ寄って飲み物を買い、車の中で話す。内容は大したものではなく、バイトの愚痴だったり、大学の話だったり、テレビや音楽の話だったりした。
「ルミちゃんって、普段何聴くの?」
「私? ドリカム好きだよ」
「へえ」
「いいじゃん、ドリカム。未来予想図Ⅱとか、めっちゃよくない?」
「ああ、あれね」
「ブレーキランプ五回とか、ああいうの一回やられてみたい」
「ベタじゃない?」
「ベタでいいの」
ルミが笑う。
「そういうのって、ベタだからいいんじゃん」
「そんなもん?」
「和也くん、そういうの絶対やらなそうだもんね」
「まあ、やらんだろうね」
「ほら」
ルミはまた笑った。そんな会話をしながら家まで送り、その日はそれで終わった。
*
何度か送るうちに、ルミには彼氏がいることも分かってきた。ある日、コンビニの駐車場で話していると携帯が鳴り、画面を見たルミが小さく息を吐く。
「彼氏?」
「うん」
「出なくていいの?」
「メールだから大丈夫」
そう言いながら、ルミはすぐに返信する。
「何してるか聞かれた?」
「うん。今バイト終わったって」
「今?」
バイトが終わってから、すでに三十分近く経っている。
「今日、一時間遅く終わるって言ってあるの」
「なんで?」
「だって、そのまま言ったらすぐ帰らないといけないじゃん」
「帰らないと怒られんの?」
「怒るっていうか……どこにいるのとか、誰といるのとか、ずっと聞かれる」
「めんどくさ」
「でしょ?」
ルミは笑っていた。口調だけ聞けば大した話にも思えなかったが、送る回数が増えるにつれて、和也が思っていた以上に面倒な彼氏らしいことが分かってくる。
携帯を見られ、どこにいるか細かく聞かれ、連絡はすぐ返すように言われる。そのくせ彼氏の方は連絡を返さないことがあり、自分の携帯も見せない。たまに金まで貸してほしいと言われるらしい。
「それでよく付き合ってるね」
和也が言うと、ルミは少し困ったような顔になる。
「でも、前は優しかったんだよ」
「前は?」
「今だって本当はいい人なんだけどね」
「ふーん」
和也にはよく分からなかった。とはいえ、ルミ自身が別れたいと言っているわけでもないので、それ以上口を挟むこともしなかった。
「でもね」
「ん?」
「バイトしてる時だけは、ちょっと解放されてる感じする」
ルミはシートにもたれながら続けた。
「だから和也くんと一緒の日は、一時間遅く終わるって言ってる」
「俺いない日は?」
「普通に帰るよ」
「なんだそれ」
「いいじゃん」
ルミがいたずらっぽく笑う。
「こうやって何でも話しやすいよね、和也くん」
「そう?」
「うん」
――その顔はちょっとズルいな。
*
一時間しかない以上、行ける場所は限られる。ほとんどの日は車の中で話して終わったが、そればかりではつまらない。
ある日は少し遠回りして、近くの高台まで車を走らせた。
「何ここ?」
「一応、夜景」
車を降りたルミが辺りを見回すと、眼下には街の明かりが広がっている。夜景スポットと呼ぶには少し寂しい場所だが、普段より高いところから街を見渡せた。
「一応って何?」
「いや、そんなすげえ場所じゃないから」
「でも綺麗だよ」
「ならよかった」
二人でしばらく街の明かりを眺め、その後はいつものようにくだらない話をして帰った。
別の日には、公園へ行くこともあった。夜なので人もほとんどおらず、二人で遊具に座って喋っているうちに、いつの間にか運動の話になった。
「私、身体やわらかいんだよ」
「そうなの?」
「うん」
「どれくらい?」
ルミが立ち上がる。
「見てて」
片足を上げ、そのまま身体の横まで持ち上げる。綺麗なY字になるのを見て、和也は思わず声を上げた。
「え、すげえ!」
「でしょ?」
「いや、マジですげえって。それどうなってんの?」
ルミは足を下ろして笑う。
「昔、新体操やってたから」
「新体操やってたの?」
「うん」
「すげえ! もう一回やって」
「なんで?」
「いや、すげえから」
「もう見たじゃん」
「もう一回見たい」
「しょうがないなあ」
そう言いながら、ルミはもう一度Y字バランスをしてみせる。
「すげえなあ」
「さっきからそれしか言ってないじゃん」
「だってすごいじゃん」
和也が本気で感心していると、ルミは少し得意そうに笑った。やがて照れたように視線を逸らし、その表情が妙に可愛く見えた。
*
そんな時間が増えた頃、ルミが彼氏を連れてベルシードに来たことがある。その日ホールに出ていた和也は、ルミの隣にいる男を見てすぐに彼氏だと分かった。見た目は普通だが、どこか肩で風を切るような雰囲気がある。
――あれが彼氏か。
和也とルミがよく一緒に帰っていると知られれば面倒なので、特別な反応はせず普通に接客した。それだけで終わった。
数日後。
「この前、彼氏来てたね」
「うん」
「彼氏、なんか言ってた?」
「和也くんのことは何も言ってなかったよ」
「そりゃよかった」
「でもリョウくん見て、なんか言ってた」
「リョウ?」
「『あんなチャラそうな男に何か言われたら、俺が潰す』って」
和也は一瞬黙る。
「……なんでリョウが潰されるんだよ」
「知らない」
ルミが笑う。
――なんか痛えな。
*
それからしばらくしたある日、ルミから聞かれた。
「和也くん、今度休みいつ?」
「ん? なんで?」
「買い物付き合ってくれない?」
「俺?」
「うん。今度、大学の友達と旅行行くんだけど、服欲しくて」
「俺、服のセンスないよ?」
「知ってる」
「じゃあなんで誘ったんだよ」
「正直に言ってくれそうだから」
「それ褒めてんの?」
「褒めてる褒めてる」
予定を確認してみたが、その日は特に何もなかった。
「いいよ」
「ほんと?」
「うん」
「やった」
*
休みの日、二人は昼頃からアウトレットパークを回った。
「これどう?」
「かわいい」
「じゃあこれは?」
「それもいいんじゃない?」
「適当じゃない?」
「いや、ちゃんと見てるって」
「じゃあこれは?」
ルミが別の服を身体に合わせる。和也は少し考えた。
「……なんか違う」
「何が?」
「尼さんみたい」
「なにそれ!」
ルミが声を上げて笑う。
「どこが尼さんなの?」
「なんか色とか」
「全然違うじゃん」
「だから俺センスないって言っただろ」
そんなやり取りをしながら店を回っているうちに、あっという間に時間が過ぎた。昼に来たはずなのに、外はもう夕方の色になりかけている。途中、ルミは何度か携帯を確認していた。
「彼氏?」
「うん」
「大丈夫なの?」
「今日は家族と買い物行ってるって言ってあるから」
「なるほどね」
ルミは画面を見たまま、少し口を尖らせる。
「でも全然返事来ない」
「忙しいんじゃない?」
「私にはすぐ返せって言うくせにね」
「……もういいや」
ルミは携帯をバッグへ戻し、そのまま次の店へ歩き出す。和也も何も言わず、その後を追った。
*
「あ、あっち見たい」
和也はそう言いながらルミの手を取った。何となく、というほど無意識でもない。
ルミは一瞬和也を見るものの、手を振り払わなかった。そのまま買い物が終わるまで、二人は手を繋いで店を回った。
*
夕飯は家で用意されているというので、帰りにどこかへ寄ることもなく、そのままルミの家へ向かう。車を走らせながら、和也は横目でルミを見た。
「今日、手繋いだね」
「繋いだね」
「嫌じゃなかった?」
「嫌じゃなかったよ」
ルミが少し笑う。
「今日も楽しかったし。久々に手繋いだなって思った」
「そっか」
少しでも自分を意識させるつもりで聞いていたはずが、話しているうちに和也の方が別のことに気づく。
――あれ。
――俺、この子のこと結構好きなんじゃね?
*
ルミの家の近くに車を止めた。
「今日はありがとね」
「うん」
「服も買えたし、楽しかった」
「ならよかった」
「じゃあ、またバイトで」
ルミがドアへ手を伸ばす。
「ルミちゃん」
「ん?」
振り向いたルミの首の後ろに腕を回し、自分の方へ引き寄せてキスをする。ルミもそのキスを受け入れた。
唇が離れると、和也はそのままルミの頭を撫でる。
「何かあったら、俺ができることはするよ」
ルミは何も言わず、しばらく和也を見つめた。今度は自分から顔を近づけ、もう一度唇を重ねる。
*
「じゃあね」
「うん。また」
ルミが車を降り、和也は車を走らせた。少し進んだところで、一度バックミラーを見た。
そして、ブレーキを五回踏んだ。




