第15話 変わるかな
浪人していた頃、予備校に妙に人の集まる女がいた。
別に派手な女ではなく、顔も和也の記憶では普通だった。ただ、スタイルはいい方で、胸もそれなりにあった。
大人しそうな雰囲気で、自分から輪の中心へ入っていくというより、気づけば男女問わず人が周りに集まっていた。
話しかけられれば笑って答える。頼まれると断れなさそうな雰囲気もあり、男から連絡先を聞かれても、和也が見た範囲ではあまり断っていないように見えた。
――人気あるんだな。
当時の和也は、その程度にしか思っていなかった。
和也自身はミナと特別仲がよかったわけではない。共通の知り合いを通して一、二度話した程度で、連絡先すら知らなかった。
ある日の授業後。
自習室の近くで、数人がその後どうするか話していた。
「自習室残る?」
「いや、もう飲み行かね?」
「飲むならもうちょい人数欲しくない?」
そんな話をしているすぐ近くに、たまたま和也がいた。
知り合いの一人が和也を見つけた。
「あ、和也いるじゃん。こいつも連れてこうぜ。こいつ面白いから」
「いや、俺帰るけど」
「いいじゃん。飲もうよ」
和也はあまり乗り気ではなかった。酒が嫌いというわけではない。ただ、その日は家に帰ってゲームをしたかった。
――帰ってゲームしてえ。
断ろうかと思いながら話を聞いていると、視界の端にミナがいた。
「私はいいよ」
「じゃあ決まりじゃん」
いつも通り笑って普通に会話にも入っていて、嫌そうな顔もしていない。なのに、何となく引っかかった。何が、とは説明できない。ただ、笑っているのにあまり行きたそうに見えなかった。
和也はミナを見た。
「体調悪い?」
「え?」
「いや。なんかそんな感じしたから」
「全然悪くないよ?」
「あ、そう」
それだけだった。ミナとは、その後も特別仲良くなることはなかった。
*
それから二年ほど経った頃。
和也は大学へ通いながら、ゲームをしたりバイトをしたりしていた。たまにパチンコやスロットにも行った。
その日は珍しくスロットで出していて、機嫌よく景品交換へ向かうと、カウンターの向こうにいた女を見て足を止めた。
金髪で、化粧も濃い。予備校にいた頃とはかなり雰囲気が違ったが、それでもどこか面影がある。
和也は少し迷ってから声をかけた。
「すみません、もしかして……ミナさんですか?」
ミナは和也を見ると、ものすごく驚いた顔をした。
「え?」
「予備校一緒だったんですけど。俺、あんまり絡んでなかったんですけど」
「あー! 覚えてるよー」
「マジで? 今ここで働いてんの?」
「うん」
「大学は?」
「辞めた。今はここでバイトしてる」
そこで別の客が来た。
「あ、ごめん。仕事中だよね」
「うん。またね」
「また」
その日はそれだけだった。
*
それから一か月ほど、和也は週に二、三回その店へ通った。景品交換へ行ってミナが暇そうなら少し話し、客が来ればそのまま帰る。そんなことを繰り返すうち、予備校時代よりずっと話すようになった。それでも、連絡先を交換することはなかった。
ある日、仕事が何時に終わるかという話になった。
「今日もうすぐ終わるんだ」
「そうなんだ。じゃあ、せっかくだし飲みに行く?」
ミナは少し考えてから笑った。
「いいよ」
*
その日の仕事終わり、二人で近くの居酒屋へ入った。
最初は予備校の頃の知り合いや、大学を辞めた話などをしていた。酒が進んだところで、和也は前から引っかかっていたことを聞いた。
「予備校行ってる時さ、すげー無理してた?」
ミナの表情が止まった。
「……何で?」
「いや、何となく。なんか引っかかってたんだよね」
ミナはしばらく和也を見ていた。
「あー……私、演技できてなかった?」
「演技だったかどうかは知らないよ。普通に笑ってるし、普通に喋ってるんだけど、なんか違うなって」
「……怖。そんなの誰にも言われなかったもん」
ミナはグラスを見ながら少し黙った。
「あの時はさ、自分なんかって思ってたんだよね。別に私が全部受け止めて、私が我慢すればいいって思ってた」
和也は口を挟まず聞いていた。
「自分出してさ、周りが嫌な気持ちになったり、傷ついたりしたら嫌だったし。それで怒られたり、こっちにぶつけられたりするのが怖かったんだよね。親がそんな感じだったから。すぐ癇癪起こして、ぶたれたこともあるし」
「そっか」
「だから、そうならないようにしてた。ずっと。大学行ったら変わろうと思ったんだけど、ダメだった。親のところにいたら結局変わんないなって思って、家出たの。今は一人暮らし」
「それで金髪?」
「それもある。化粧も変えたし、キャバとかもやった。ホストも行ったし、男にも抱かれた」
「色々やったね」
「でしょ? 何かすれば自分が変わるかなって思ったんだよね。でも結局、いい顔してる自分は変わってない気がする」
少し間を置いて、ミナは続けた。
「今日もさ、和也相手に今までと同じでいいやって思ってた。でもさっき、『予備校の時、すげー無理してた?』って聞かれて、最初から見抜かれてたみたいで」
「いや、見抜いてねえって」
「でも私、あの時のこと覚えてたんだよ。『体調悪い?』って聞いたじゃん。私、多分あの時も行きたくなかったんだと思う」
「やっぱり」
「でも断れなかった。だから、何で分かったんだろうってずっと思ってた」
「だから分かってなかったって。体調悪いのかなって思っただけだし」
「それでも」
ミナは息を吐いた。
「なんか、心のモヤモヤが取れた気がする」
「そう?」
「うん」
しばらくして、ミナが言った。
「結局さ、ただ寂しくて、誰かに構ってほしかっただけなのを、色々言い訳してたのかもね」
「抱かれても変わらないだろ。人の性格なんて、そんな簡単には変えられないし」
和也は少し考えた。
「でもまあ、変わろうとして色々やってんのは、誰か見てるだろ」
「誰かって?」
「知らんよ。でも少なくとも俺は今知ったからね」
そこで和也は肩をすくめた。
「だから別に、今まで通り自分がしたいことすればいいんじゃない?」
ミナは何も言わず、しばらく和也を見ていた。
その後も二人でかなり飲んだ。
*
店を出た頃にはミナもかなり酔っていた。家が近いというので、和也はアパートまで送った。
「ここ?」
「うん」
「じゃあ俺帰るわ」
ミナが玄関の前で黙った。
「……一人になりたくない」
和也はミナを見た。
「それ俺に言ったら、襲われるぞ」
ミナは黙ったまま鍵を開けた。部屋へ入ると、和也はミナの前に立った。
「ほんとにいいの?」
ミナは少し和也を見てから、小さく頷いた。
和也が顔を近づけると、ミナは目を閉じた。
その夜、二人は初めて一線を越えた。
*
翌朝。
目を覚ました和也は、隣で眠るミナを見た。布団の隙間から裸の肩が見えていて、それを見ているうちにまたその気になった。
「……もう一回いい?」
ミナは眠そうな顔で和也を見て、少し笑った。
昼近くになった頃、ミナが言った。
「私さ、今まで中でイったことなかったんだよね」
「そうなの?」
「うん。こんなに自分を全部出せたの、初めてかも」
「まあ俺、分析するの得意だからね」
「何それ。意味分かんない」
二人で笑った。
そのあと初めて連絡先を交換し、昼頃に和也はミナの部屋を出た。
別れ際、後ろから、
「ありがと」
と聞こえた気がした。
*
それからもたまに連絡を取り、パチンコ屋へ行けばミナがいる時は普通に話した。
一か月も経たない頃、和也は暇を持て余してメールした。
『暇だから襲いに行っていい?』
しばらくして返事が来た。
『いいよ』
その日は一緒に飯を食い、酒を飲んでからミナの部屋へ行った。
その夜、ミナが言った。
「私、ちゃんと就職しようと思うんだ」
「そっか。応援するよ」
ミナは笑った。
「うん」
*
その後も一週間ほどは普通に連絡を取っていたが、ある日を境に返事が来なくなった。ミナの家には何度か行っていたので、場所は知っていたが、連絡もないのに家まで押しかければ、ストーカーと変わらない。
それなら、また向こうから連絡が来るかもしれないし、気長に待てばいい。
和也もゲームやバイトで忙しく、しばらくそのまま時間が過ぎた。
久しぶりにあのパチンコ屋へ行った時には、ミナの姿はなかった。その後も時間ができるたび何度か顔を出してみたが、一向に会えなかった。
――就活して、全部リセットしたのかもな。
それ以降も、ミナから連絡が来ることはなかった。




