第10話 和也くんもでしょ?
サキを初めて見た時、和也は20代後半くらいだと思った。少し茶色く染めた長い髪で、背は160cm半ばほど。特別細身というわけでもない。
ただ、一か所だけどうしても目につくところがあった。
初日に休憩室へ入った時、サキがマキと話していた。
「最近さあ、制服きついんだよね」
「太ったんじゃない?」
「えー、やだ」
サキが自分の制服を見下ろし、近くにいた和也もつられて視線を向けた。
――そりゃ、そこまででかけりゃきついだろ。
口には出さなかった。
後から聞くと、サキは32歳だった。
「え、もっと若いと思ってました」
「ほんと?」
「27、8くらいかと」
「やだ、嬉しい」
サキはマキのように場の中心で喋り続けるタイプではなく、どちらかといえばおっとりしていた。平日の休憩室ではマキやエミと一緒にいることも多いが、下ネタにも自分から入ることはほとんどなく、誰かが話していれば笑うくらいだった。
夫は3歳年上で、仕事柄、2泊3日ほど家を空けることがよくあるらしい。
「旦那いないと私、ほんと何もできなくて」
ある日の休憩中、サキがそんなことを言った。
「何もって何?」
マキが聞いた。
「家のことじゃなくて、機械とか。なんかおかしくなっても全然分かんない」
「旦那さん全部やってくれるんだ?」
「そう。だからいない時に壊れると最悪」
しばらくして、サキが休憩室でまた機械の話をしていた。
「プリンターが印刷できなくなっちゃったんだよね。あとWi-Fiもたまに切れるし」
「Wi-Fiなら、俺んちもよく切れてましたよ」
和也が口を挟んだ。
「直せるの?」
「多分。設定見れば分かると思います」
「ほんと?」
「俺やりましょうか?」
「お願いしていい?」
そうして、平日の勤務が終わった後にサキの家へ行くことになった。二人とも15時頃には仕事を上がり、サキの車に乗る。家は一戸建てで、その日は夫も出張でいなかった。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ。ほんと散らかってるけど気にしないで」
「全然普通じゃないっすか」
和也はパソコンとルーターを確認して設定を少し触り、プリンターもつなぎ直した。
「多分これで大丈夫っすよ」
「え、もう?」
「そんな難しくなかったっす」
「すごいねえ」
「いや、普通っすよ」
「私、こういうのほんと無理だから」
その日はそれで終わった。礼だと言って夕飯をご馳走になり、帰りは和也の家の近くまで送ってもらった。
◇
1か月ほど経った頃、またWi-Fiがつながらなくなった。その日も夫は出張中だった。
「またお願いしてもいい?」
「いいっすよ」
再び勤務後にサキの家へ行き、前回と同じようにパソコンの前に座った。
「どこ触ってるの?」
「ここっすね」
「私も覚えたい」
サキが横から画面を覗き込んできた。制服ではなく、家で着替えた薄手の部屋着だった。
距離が近い。
「ここ開いて、これ確認すればいいんすよ」
「どれ?」
「これ」
「んー?」
サキがさらに顔を近づけた。
――エロいな、この人。
それからは、店でもサキが近くにいると以前より目に入るようになった。
数日後、たまたまリョウと二人でいた時、和也が聞いた。
「昼のシフトの人だったら、誰がいい?」
「エミ」
リョウは間髪入れずに答えた。
「即答かよ」
「いや、エミいいだろ。で、お前は?」
「俺はサキさんかな」
和也が答えると、リョウが大きくうなずいた。
「いやー、それ分かるわ! エミもいいんだけどさ、サキさんも最高だよね」
「だろ?」
「マジでデカいって正義だからな」
「そこしか見てねえじゃん」
「お前もだろー?」
「まあ、否定はしねえけど」
リョウがさらに調子に乗った。
「だよな。あのバインバインのビアンビアンを自由にできる旦那がうらやましいぜ!」
「言い方最低だな」
「でも羨ましいだろ?」
「まあな」
「俺なら毎日家帰るわ」
「旦那、仕事だから仕方ねえだろ」
「仕事とサキさん、どっちが大事なんだよ!」
「知らねえよ」
本人たちが聞けば怒られそうな、くだらない話だった。
◇
それからしばらく経った頃、休憩室で何人かと話していたサキが言った。
「来週さ、旦那ずっといないんだよね」
「珍しくない?」
マキが聞いた。
「今回は1週間」
「長いね」
「ほんと困る」
「何が?」
「何か壊れたら」
サキが笑い、和也もその場では何も言わなかった。
出張が始まって2日目、サキが和也を呼び止めた。
「和也くん」
「はい?」
「またWi-Fi切れた」
「またっすか?」
「なんとかして」
「俺、電気屋じゃないんすけど」
「お願い」
結局、またサキの家へ行った。
「これ前と同じじゃないっすかね」
「ほんと?」
「多分。一回パソコン側も設定し直します」
和也はパソコンの前に座り、いくつか設定を確認して接続をやり直した。最後に接続を確かめるためブラウザを開くと、前に見ていたらしいページがそのまま表示された。
「……あ」
エロ動画のページだった。しかも表示されていたのは、年上の女が年下の男に迫るような動画だ。
後ろにいたサキも画面を見た。
「……」
「サキさんもこういうの見るんすね」
「ちょっと!」
サキが慌てて画面を閉じようとした。
「いや、別にいいじゃないっすか」
「見ないでよ!」
「もう見えましたよ」
振り返ると、サキの顔は真っ赤だった。
「そんな恥ずかしがることじゃないでしょ」
「恥ずかしいよ」
「旦那さんいない時とか見てるんすか?」
少し迷ってから、サキが小さく答えた。
「最近、旦那ともあんまりしてないから……一人でね」
「へえ」
「何、その顔」
「いや、意外だなって」
「悪い?」
「悪くないっすよ」
「旦那さんも、こんな魅力的な奥さん放っとくなんてもったいないっすね」
「何それ」
「いや、普通に」
この日もサキは薄い部屋着で、ブラをしていなかった。気づいて、視線を逸らすのが一瞬遅れた。
「……和也くん」
「はい?」
サキの視線がゆっくり下へ落ち、和也も自分の状態に気づいた。
「いや、これは」
言い訳を考える前に、サキが近づいた。
「和也くんもでしょ?」
「何がっすか」
自分でも何を聞き返しているのか分からなかった。
サキが手を伸ばした。
気づけば、夕飯を食べることすら二人とも忘れていた。時計を見た時には、とっくに夜中になっている。
「……もうこんな時間っすよ」
「ほんとだ」
「飯食ってないじゃないっすか」
「忘れてたね」
その週、もう一度サキの家へ行った。
「今日はWi-Fi大丈夫なんすか?」
「大丈夫」
「プリンターは?」
「大丈夫」
「じゃあ俺、何しに来たんすか」
「分かってるでしょ」
その日は最初からパソコンの電源すら入れなかった。
その後も夫が家を空けるタイミングで何度か声がかかったが、普段の出張は1泊2日や2泊3日程度のことが多く、都合が合わないこともあった。結局、関係を持ったのは全部で3、4回ほどだった。
和也から家へ行きたいと言ったことはなく、サキから連絡が来れば行った。
職場では、それまでと何も変わらなかった。
「これお願いしていい?」
「いいっすよ」
「ありがと」
マキたちが下ネタを話していても、サキは相変わらず自分から入ってこない。和也も何も言わなかった。
2か月ほど経った頃、サキの夫が異動になった。
「今度から出張ほとんどなくなるんだって」
「へえ、よかったじゃないっすか」
「まあね」
それを聞いてからサキに家へ呼ばれることはなくなり、和也も誘わなかった。
しばらくすると、サキがバイトを辞めることになった。
「サキさん辞めるんすか?」
「うん」
「なんで?」
「妊娠したから。そろそろバイトも控えようかなって」
「え、マジっすか」
「マジ」
「おめでとうございます」
「ありがと」
その時の和也は、それ以上何も考えなかった。サキはベルシードを辞め、和也も普通に見送った。
後になって、一度だけ子どもを連れて店へ顔を出したらしいが、その日、和也はシフトに入っていなかった。
◇
それからずっと後になって、和也はふと時期を思い返した。
サキと最後に関係を持ったのはいつだったか。避妊はしていなかったが、中で出したことは一度もない。
その後、夫の出張がなくなり、しばらくしてサキの妊娠を聞いた。
――あれ。
――可能性だけなら、俺の子ってのもあったんじゃね?
そう考えたところで、確かめようもない。サキは夫と普通に暮らしていたし、夫婦の関係もあっただろう。
和也は、その子どもの顔すら知らなかった。




