第三十九話:揺らぐ天秤、忍び寄る毒牙
手術まで、あと五日。
第十二層の奥深く、三月は静かに毒の霧の中に座り込んでいた。
かつては、ただ獲物を狩ることに必死だった。しかし今の彼女は違う。溢れんばかりの魔力を細い糸のように紡ぎ出し、体内の奥深く――これから回路が埋め込まれる心臓付近の血管へと、毒の魔力を網目状に張り巡らせていく。
(……もし、手術中に強制的な魔力干渉があったら、この『毒の檻』がすべてを中和する)
それは、鉄山の技術でも成し得なかった「肉体内部からの防衛網」だ。
魔力容量を拡張した今だからこそ可能な、無茶な魔力制御。だが、失敗すればその毒が自身の心臓を停止させる。
まさに、死と隣り合わせの精密作業だった。
ふと、彼女の手が止まる。
『気配察知』が、第十二層の入り口付近に、今までとは違う「重たい気配」を捉えた。
(……ガラン?)
ヴォルグとは違う、静かで粘り強い気配。計算高い調査員、ガランだ。
彼は、先日のヴォルグの報告を受けて、自身の目で三月の「真の限界」を見極めにきたのだ。
三月は瞬時に毒の魔力網を隠し、呼吸を荒くした。
わざと毒による皮膚の爛れを装い、震える手で保存食を口へ運ぶ。
「……三月、いるだろう?」
声の主が、毒の霧を切り裂いて姿を現した。ガランだ。
彼は三月の周囲に散らばる魔獣の残骸を、冷徹な目で検分する。
「ここへ来るまでに、第十一層の番犬たちも排除してきたようだな。君のデータログの乖離が、これでは説明つかない」
ガランは三月の前まで歩み寄ると、その顎を強引に掴み上げた。
「君は、何を見つけたんだ? この『死の淀み』で、何を喰らっている?」
三月の瞳が、恐怖に怯えるように揺れる。
(……この男、ヴォルグより遥かに厄介だ。私の演技を、データという物差しで測ろうとしている)
「……何も、見つけてないわ。ただ、必死に……逃げて、戦って、食べてるだけで……」
「嘘だ。君の体内の魔力反応、さっきから不自然に波打っている。……まるで、内側から何かを押し込めているみたいだ」
ガランの指先が、三月の心臓付近――回路埋め込み予定箇所へと近づく。
彼は、三月の隠している「何か」を突き止めようと、魔力探査の波長を強めた。
(……ッ、危ない!)
三月の心臓が跳ねる。
ここで魔力反応を隠せば、回路の細工が露呈する。逆に、魔力を解放すれば、彼女の「隠し持った魔力」がバレる。
彼女は、極限の選択を迫られた。
「……ガランさん、痛い……!」
三月はあえて、蓄えていた『魔力許容量』の扉をほんのわずかに開放した。
「強くなりたいだけなの……家族を、守れるくらいに……!」
魔力の圧力で、ガランの指を弾き飛ばす。
ガランは驚愕に目を見開き、数歩後ずさった。
少女の身体から放たれた、Fランクとは到底思えない純粋な魔力の奔流。
「……なるほど。これが君の『隠し球』か」
ガランは冷たく微笑む。
「面白い。君のその『器』、協会がじっくりと時間をかけて使い潰してやるよ」
彼が去った後、三月は泥の中にうずくまり、深く息を吐いた。
(バレた……。でも、あれくらいの反応なら『魔力許容量の拡張』という特殊ステータスで誤魔化せる)
彼女の心臓は、毒の魔力網によって守られている。
協会が彼女を「器」として見てくれるなら、それでいい。
彼女は、その「器」を彼らの想像を絶する怪物へと仕立て上げ、手術台という名の食卓で、彼ら自身を食い尽くす準備を整えるのだ。
あと五日。
三月の牙は、今、確実に噛み付く準備を終えた。
第三十九話をお読みいただき、ありがとうございました!
ガランという観察者との遭遇。
三月の「演技」と「魔力制御」のギリギリの戦いを描きました。
彼女を「器」として利用しようとする協会に対し、彼女はさらに深層の怪物として、自らの牙を鋭く研ぎ澄ましていきます。
手術の日まで、あと五日。
彼女は、どのようにしてこの「偽りの檻」を破るのか。
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それでは、第四十話でお会いしましょう!




