第三十八話:静寂の食卓、あるいは毒の回廊
回廊
手術まで、あと七日。
三月は第十二層の奥深く、酸性の霧が渦巻く場所で、深く呼吸を繰り返していた。
かつての彼女は、魔獣を狩るたびに能力を求めていた。だが、それは破滅への近道だと知った。器の小さい今の自分が、強すぎる能力を喰らえば、内なる獣にその理性を食い尽くされる。
(……焦らない。まずは、この器を満たすこと)
三月は、迷宮に充満する毒素を『精密魔力循環』で吸い込み、濾過し、純粋な魔力へと変換していく。
第二層の主を喰らって得た『魔力許容量の拡張』。それにより、今の彼女の体は、限界を設けていた壁が取り払われ、際限なく魔力を溜め込めるようになっていた。
膨大な魔力を体内に満たす。
それは彼女にとって、獣の渇望を押し留めるための「重石」だった。
体内の魔力が溢れ出すほど、彼女の意識は冴え渡り、心は氷のように冷徹になる。魔力を高めれば高めるほど、獣は静まり、理性が研ぎ澄まされるのだ。
(これだけの魔力があれば……回路を埋め込まれたとしても、毒の魔力で内側から制御してやれる)
彼女は、ただ闇雲に能力を増やそうとはしない。
今の彼女の戦いは、魔力を「蓄える」こと。器を広げ、地力を底上げし、次に手に入れるべき能力を「飲み込まれずに扱える段階」まで、自分自身を鍛え上げる時間だった。
突如、通路の奥から気配を感じた。ヴォルグだ。
三月は素早く『精密魔力循環』を切り替え、わざと自分の魔力値を「低下」させた。
冷や汗を流し、毒に侵されたように咳き込みながら、蛇の死体の残骸に寄りかかる。
「……ッ、げほっ……!」
角を曲がって現れたヴォルグが、苦悶の表情を浮かべる三月を見下ろす。
その目は、慈悲ではなく、獲物を観察する捕食者のそれだ。
「おや、またここで死にかけているのか。……三月、君にはまだ早すぎる階層だよ」
ヴォルグは無造作に三月の肩に手を置く。
三月は魔力の流れを完全に遮断し、恐怖に引きつる少女を演じきった。
「……すいませ、ん……。強くなりたくて、でも……」
ヴォルグはステータスカードを確認する。そこには、鉄山の偽装工作と、三月が意図的に下げた魔力ログが表示されている。
彼は小さく鼻を鳴らした。
「ふん。やはり、君の成長限界はここまでか。期待していたんだがな」
(……そう、それでいい。私の真の器なんて、あんたたちには一生分からない)
ヴォルグが去った後、三月は地面に崩れ落ちるふりをしながら、唇を歪めた。
彼らは確信している。彼女は「使い捨ての駒」として、限界に達したと。
(高橋、ガラン、ヴォルグ。あんたたちが私を油断した瞬間に、一番鋭い牙を突き立ててあげる)
彼女は、自分の中に住まう「怪物」が、その時を待ち侘びて喉を鳴らすのを感じる。
魔力を高めれば高めるほど、獣は静まり、理性が研ぎ澄まされる。彼女は、最強の捕食者であると同時に、誰よりも強固な人間としての精神を、その魔力の器の中に築き上げていた。
あと七日。
彼女は、迷宮の毒素を魔力に変えながら、牙を研ぎ澄まし続ける。
第三十八話をお読みいただき、ありがとうございました!
「強くなること」と「飲み込まれないこと」のバランス。
魔力を蓄えることこそが、彼女にとっての理性を守る盾であるという成長軸を明確にしました。
地道な努力が、一ヶ月後の対決でどう実を結ぶのか。
高橋たちが用意した「回路」の手術の日まで、あと一週間。
彼女は、どのようにしてこの「偽りの檻」を破るのか。
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それでは、第三十九話でお会いしましょう!




