第378話:夕暮れの神聖巡幸と、公園の枝拾い無双
モグモグ、サクッ、ジュワァァッ……!
秋の夕暮れの柔らかな黄金色の光が差し込む、木曜日の午後四時。
如月家の居間では、香ばしく焼き上げられたお団子に、ツヤツヤの甘辛いみたらしタレがたっぷり絡んだ【特製みたらし団子】の平らげタイムが一段落したところであった。
コタツの横で、お茶をズズッと飲み干した如月拓也が、大きく両腕を天に突き出して伸びをした。
「ふぅー……! ゲームもやったし、団子も食ったし、マジで最高の休日だわ。
……ん? でも、一日中コタツに入ってたら、なんか体が鈍ってきたな」
拓也は立ち上がると、居間の隅に控えていたグレーのパーカー姿の青年狼獣人・ザイオンへと視線を向けた。
ザイオンは背筋をピンと伸ばし、拓也の動向を一瞬たりとも見逃さないよう、銀色の耳を直立させて控えている。
その足元には、お腹をさすりながら満足そうに尻尾を揺らす猫耳少女・ルルと、換気扇の枠から降りてきてテーブルの端でお座りするミニドラゴン・ポチの姿があった。
「なぁ、ザイオン」
「キャンッ……!(は、はいッ! 我が主! 何なりとお申し付けください!)」
ザイオンが凛々しい美声で即座に応じる。
「お前さ……さっき団子五本も食っただろ。
一日中家の中にいて食っちゃ寝してたら、いくらなんでも太るぞ。
夕飯までまだ時間あるし……ちょっと近所の公園まで、散歩行くか」
ヒュオオオオオオオッ……!!
その瞬間、ザイオンの人工頭脳に、落雷のような衝撃波が突き抜けた。
(さ……『散歩』……だとォォォッ!?)
ザイオンの全身の銀毛が、バチバチッと激しく逆立った。
その背後で、ルルの猫耳がビクッと跳ね上がり、ポチの顎がガクンと外れかける。
(ザ、ザイオン先輩……ッ! 『散歩』トハ……現世ノ人類社会ニオイテ、飼育者ト眷属ガ並ンデ歩ミ、領土ノ境界線ヲ誇示スル【絶対領土威圧行進】デハナイデスカッ!?)
ポチが、絶叫に近い思念波を飛ばす。
(あぁ……その通りだ、ポチ!
狂犬病注射、区役所本登録、そして協会のFランク公認を経て……!
ついに我が主は、我らを従えて下界の民へとその威光を知らしめる【神聖巡幸】をお命じになられたのだッ……!!)
ザイオンは胸に手を当て、感涙に打ち震えながら、グレーのパーカーの袖を正そうとした。
しかし――。
「あ、おいザイオン」
拓也が、玄関から百円ショップの赤いリードを手に戻ってきて、呆れたように眉をひそめた。
「お前、なんでその人型の姿のまま玄関行こうとしてんだよ。
銀髪のイケメン青年に赤い首輪とリードつけて下町の住宅街を歩いてたら、どう見てもヤバいプレイの変質者だろ。
一発で警察に通報されて俺が補導されるわ。
散歩の時は、ちゃんとモフモフの犬の姿に戻れよ」
ヒュオオオオオオオッ……!!
(な、なるほどォォォッッッ!!!!)
ザイオンの全回路が、拓也の深謀遠慮に激震した。
(欺瞞だ……! あえて下界の愚民どもの目を欺くため、人型を捨て、ただの『愛玩巨大犬』へと完全獣化せよという、至高の潜入神託ッ……!)
シュウウウウウウウウッ……!
ザイオンが静かに目を閉じると、白銀の光の粒子が全身を包み込んだ。
すらりとした青年の肉体がふわりと膨らみ、体積三倍の巨大綿飴銀狼の姿へと一瞬で変身を遂げる。
首元には、純プラチナの鑑札プレートと、拓也の赤ドット柄バンダナ、そして『特級不可侵Fランク』の金ピカプレートが眩しく輝いていた。
「よしよし、それでいいんだよ」
拓也はザイオンの首輪に赤いリードの金具をパチンと留めた。
「ほら、行くぞ。三月、ちょっと散歩行ってくるわ!」
「はーい! 気をつけてねー! ルルちゃんもポチちゃんも、お散歩楽しんでおいでー!」
台所から三月が笑顔で手を振る。
ルルが「にゃはは! お散歩なのにゃー!」と拓也の足元へ駆け寄り、ポチが空中で翼をパタパタと羽ばたかせ、如月家の一行は夕暮れの街へと出発した。
一方――その頃、新宿の日本探索者協会本部・最上階作戦統括室。
『――光学監視衛星アテナ、並びに練馬区局地センサーより超特大エマージェンシー入電ッッッ!!!!』
オペレーターのクロエ・アーヴィングが、両耳のヘッドセットを強く押さえ、椅子を蹴り倒して立ち上がった。
メインスクリーンには、如月邸の玄関から赤いリードを引いて歩み出る拓也と、その背後に従う巨大銀狼ザイオンの姿が映し出されている。
『た、拓也様による……全宇宙の境界線を再定義する至高の儀礼!
【全次元境界神聖巡幸】が、突如として開始されましたッ!!』
「な、何だとォッ!?」
日本探索者協会本部長・神宮寺蒼太が、氷の長刀を床に突き立てて身を乗り出した。
その横で、アメリカ最強のSランク探索者「雷帝」レオン・カーターが、額に青筋を浮かべて咆哮する。
「クロエ殿! 指揮官様は、一体どのような神託を下されたのだ!?」
「音声記録を再生します!」
スピーカーから、拓也の気だるげな声が厳かに響き渡った。
『……一日中家の中にいて食っちゃ寝してたら、いくらなんでも太るぞ。夕飯までまだ時間あるし、ちょっと近所の公園まで散歩行くか……』
「…………ッ!!」
神宮寺とレオンが、息を呑んで顔を見合わせた。
「『食っちゃ寝してたら太る(因果の澱みが滞留する)』……『近所の公園まで散歩する(下界の全霊脈を巡回浄化する)』……だと……!?」
レオンが顎をガクガクと震わせる。
「ええ、そうです!」
クロエが、狂信の炎を両目に燃え上がらせながら断言した。
「拓也様は仰せなのです!
先の電脳戦、並びに数々の調律を経て、日本列島の表層は浄化された。
しかし、現世の大地、公園の土壌深くに蠢く濁った因果の澱みを放置してはならぬ!
神獣ザイオン様の神聖なる四肢を大地に直接接触させ、歩みを進めるだけで全霊脈を調律する……まさに、この星の生命圏を直接踏破する大巡幸ですッ!!」
「全軍へ最優先非常態勢!!」
神宮寺が、全軍通信マイクを握りしめて叫んだ。
「八咫烏、並びに極星の全地上特務部隊へ緊急指令!
指揮官様が歩まれる練馬区の遊歩道、並びに目的地の【都立光が丘公園】の全域を、直ちに【神聖巡幸ルート】に指定しろ!
ルート上にある小石、段差、落ち葉の吹き溜まりに至るまで、あのお方のスニーカーを汚さぬよう極微小風水魔法でミリ単位で掃き清めよ!
そして……あのお方の巡幸を百メートル圏内から邪魔立てする不審者、裏社会の残党は……視界に入った瞬間に分子分解せよッ!!」
「「「「了解ッッッ!!!!」」」」
男子高校生の「ちょっと公園まで散歩行こうぜ」という一言を受け、国家最高峰の英雄たちが、総力を挙げて路面清掃と防諜シールドの展開に飛び出していった。
しかし――。
この「無防備な少年の夕方の散歩」という絶好の暗殺機を、血眼になって待ち構えていた闇があった。
目的地たる都立光が丘公園の北側、鬱蒼とした雑木林の木陰。
夕闇に紛れ、光学迷彩ステルスフィールドを展開した十二基の生体ポッドが、静かに息を潜めていた。
彼らは、国際生体兵器カルテル【造物主直属派閥】が誇る最終特務暗殺班『ネクロ・ファントム』!
昼間の地下部隊やサイバー部隊の全滅を受け、造物主たる【原初の狂気錬金術師】が、満を持して投入した切り札であった。
全身に古代のキメラ毒素を帯び、手には戦車の装甲をも切り裂く高周波モノフィラメントワイヤーと、神話級の神獣を麻痺させる反魔力ニードルガンを構えている。
(……ターゲットが公園の入り口に侵入した)
リーダーの男が、赤外線暗視スコープ越しに、赤いリードを引いてのんびり歩く拓也を捕捉した。
(バカめが……護衛もつけず、ただの無能力者の高校生が、神獣を連れて夕暮れの無人の雑木林へ入ってくるとはな。
少年が林の遊歩道の中央――あの枯れ枝が散乱する死角に足を踏み入れた瞬間、四方からモノフィラメントワイヤーを一斉射出し、四肢を拘束する。
抵抗する暇を与えずに頸動脈を切断し、フェンリルとキャットを特殊ポッドへ回収するのだ……!)
十二名の暗殺者たちが、静かに指をトリガーへと掛けた。
サワサワサワ……。
そんな殺気渦巻く雑木林の遊歩道を、拓也は秋の冷たい風を心地よく浴びながら、トボトボと歩いていた。
その隣では、体積三倍の巨大綿飴銀狼ザイオンが、拓也直伝の「至高の脱力」を維持しながら、足音一つ立てずに優雅に歩調を合わせている。
拓也の足元ではルルがどんぐりを拾いながらピョコピョコと跳ね、ポチが拓也の肩の上で嬉しそうに首のミニマフラーを揺らしていた。
「ふぅー……やっぱ夕方は涼しくて気持ちいいな。
……ん? なんだこれ」
ふと、拓也の足元に、一本の木の枝が落ちていた。
公園のケヤキの木から落ちたらしい、太さ二センチ、長さ五十センチほどの、ごく普通の乾いた木の枝であった。
男子高校生という生き物は、道端に手頃な長さの棒切れが落ちていると、理由もなく拾い上げて振り回したくなる悲しき習性を持っている。
「お、ちょうどいい棒じゃん」
拓也は屈み込むと、右手の指先でそのケヤキの小枝をヒョイと拾い上げた。
少年の右眼の『深層言語・限定解析』が無意識に発動し、木の枝の重心、空気抵抗、木質繊維の密度を瞬時に解析する。
拓也は枝の太い方をグリップのように握り、手首を軽くスナップさせて、何気なく素振りをしてみせた。
「ふんっ」
少年にとっては、ただの「部活の素振り感覚の軽いスイング」。
しかし――少年の掌から木の枝の導管を通じて流れ込んだのは、全銀河の事象を剪断する【絶対因果律の調律剣圧】であった。
ブゥゥゥゥゥゥンッッッ!!!!
音は、澄み切った風の音であった。
しかし、拓也がケヤキの小枝を横一文字に軽く振るったその瞬間――。
小枝の先端から放たれた極微小の真空刃が、雑木林の木陰に潜んでいた『ネクロ・ファントム』十二名の頭上を、音もなく薙ぎ払ったのだ!
「な……ッ!?」
十二名の暗殺者たちは、声すら出せなかった。
手袋越しに握っていた高周波ワイヤーガンも、反魔力ライフルも、全身を包んでいた光学迷彩装甲も――。
少年の振るった小枝の風圧だけで、分子レベルで綺麗にスライスされ、砂のようにサラサラと崩壊したのだ!
さらに、彼らの足元の空間だけに局所的な重力沈降が発生し、十二名の暗殺者の肉体は、枯れ葉一枚散らすことなく、ギュウゥゥッと十センチ四方の綺麗な「四角い金属キューブ」十二個へと完全圧縮された。
そこへ――。
スッ……。
木の影から、漆黒の忍装束を纏った不知火凛率いる八咫烏の部隊が音もなく染み出した。
凛は、地面に転がった十二個のキューブを一瞥すると、涼やかな声で囁いた。
「……回収。指揮官様の素振りの邪魔をする害虫どもめ、亜空間の地下牢へ永久投棄せよ」
影が波打ち、金属キューブはわずか一秒で影の底へと消去された。
公園の雑木林には、夕暮れの穏やかな秋風がそよぎ、紅葉したケヤキの葉が一枚ハラリと舞い落ちただけ。
世界最強の暗殺部隊は、男子高校生の「手頃な枝の素振り」一つによって、影も形もなく完全消滅させられたのである。
「……うん、悪くない素振りだな」
拓也は満足そうに木の枝を眺めると、足元で大人しくお座りしていた巨大銀狼ザイオンを見下ろした。
「ほら、ザイオン。犬ならこういうの好きだろ?
取ってこい!」
拓也は、ケヤキの小枝を公園の芝生広場の中央へ向けて、山なりにポーンと放り投げた。
ヒュオオオオオオオッ……!!
その瞬間、ザイオンの銀色の瞳がカッと見開かれた。
(し……主より投擲されし……【神聖なる調律の御神木】……ッ!!)
ザイオンの人工頭脳が狂喜に震え上がった。
(あのお方は……我に命じておられる!
あの神聖なる枝を、地面に落下させて泥で汚すことなど、万死に値する!
空間を跳躍し、空中で優雅に咥え取り、主の御手へと無傷で返還せよ、とッ!!)
「ウォォォォォンッ……!!」
ザイオンは、拓也直伝の「至高の脱力」をもって、四肢のバネをしなやかに爆発させた。
巨大な白銀の綿飴ボディが、重力波を滑るように宙へと舞い上がる。
芝生を傷つけることなく、風に乗るように優雅に飛翔したザイオンは、空中でくるりと一回転すると――。
パフッ。
前歯の先端で、ケヤキの小枝の中央を、皮一枚傷つけることなくふわりと咥え取ったのだ!
「にゃはは! ザイオン、ナイスキャッチなのにゃーっ!」
ルルが両手をパチパチと叩いて歓声を上げる。
ポチも「(見事ナル空間跳躍補足デスッ!)」と空中でクルクルと旋回した。
トスッ、と無音で芝生に着地したザイオンは、小枝を咥えたまま拓也の元へと駆け寄り、その足元で綺麗にお座りをして、上目遣いで小枝を差し出した。
「くぅ〜ん……(我が主、御神木を無事回収してまいりました!)」
拓也は、ザイオンの口から小枝を受け取ると、ふにゃりと口元を優しく緩めた。
そして、床にしゃがみ込むと――。
ワシャワシャワシャッ……!
巨大綿飴銀狼ザイオンの頭を、大きな手で力いっぱいに撫で回した。
さらに、駆け寄ってきたルルの頭をくしゃくしゃと撫で、肩の上のポチの顎をコチョコチョと掻いてやる。
「お前、マジで運動神経いいな! ちゃんと取ってこれるじゃん、偉いぞザイオン!」
「くぅ〜ん……(あぁ……我が主の温もり……!)」
「にゃふぅ……♡ ルルもいい子いい子してもらうのにゃ!」
「キュピィィ……(至高ノ頭撫デ……生キテテ良カッタデスッ!)」
神獣たちは、とろけきった至福の表情で拓也の膝にすり寄った。
「よし、いい運動になったし、暗くなる前に帰るか!
三月、今夜は何作って待っててくれてるかなぁ」
「キャンッ!」
「にゃーっ!」
「キュピィ!」
夕焼けに染まる遊歩道を、少年と神獣たちが仲良く並んで家路につく。
世界を揺るがす暗殺部隊の消滅劇など露知らず、秋の静かな夕暮れに包まれた彼らの日常は、どこまでも温かで、どこまでも幸福な光に満ち溢れていたのであった。
(第379話へ続く)
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