第377話:午後の電脳対戦と、回線逆流の神聖必殺技
チュルチュルッ、ズズズッ……!
秋の爽やかな青空の下、如月家の居間には、香ばしい揚げ玉と濃厚な温泉卵、そして冷たい和風つゆが絡み合った、心地よい麺をすする音が響いていた。
球技大会の振替休日、木曜日の午後十二時半。
コタツの前に陣取った如月拓也は、大盛りの特製ぶっかけうどんを綺麗に胃袋へ収め、満足そうに冷たい麦茶を飲み干した。
「ぷはーっ! 食った食った! 三月のうどん、コシがあってマジでうめぇわ!」
「えへへー! 拓也、午後もいっぱいゴロゴロしていいからね!」
エプロン姿の如月三月が空になった大きめの丼を回収し、嬉しそうに台所へと戻っていく。
拓也はコタツの背もたれに体重を預けると、テレビ台の下から懐かしい据え置き型ゲーム機のコントローラーを引き寄せた。
画面には、昔懐かしい二次元対戦格闘ゲームのセレクト画面がピコピコと映し出されている。
「よし……腹もいっぱいになったし、予告通りゲームの続きやるか。
……ん? なんだお前ら、そんなに画面見つめて」
拓也がふと視線を落とすと、コタツの横には、グレーのパーカーを着こなした銀髪狼獣人の青年・ザイオンが、正座をして食い入るように液晶テレビを見つめていた。
その隣には、三月のお下がりである黄色いダッフルコートを着た猫耳少女・ルルが、がま口財布を膝の上に乗せて猫耳をピコピコと動かしている。
コタツの天板の上では、首に毛糸のミニマフラーを巻いた白銀のミニドラゴン・ポチが、ちょこんと前足を揃えて画面のキャラクターを観察していた。
「キャン……!(我が主……! この平らなる硝子板の中で繰り広げられる武闘……これは、高次元電脳空間における因果律の模擬戦闘でございますか……!?)」
ザイオンが、畏怖に満ちた凛々しい美声で思念波を漏らす。
「にゃぅ……ピコピコ動いてて、ルルも触ってみたいのにゃ!」
ルルが、ピンク色の肉球を宙でポコポコと握って見せる。
「なんだ、お前らゲームやったことねぇのか?」
拓也は苦笑しながら、テレビ台の引き出しからもう一台のサブコントローラーを取り出した。
「ほら、ザイオン。これ持ってみろよ。
十文字のボタンでキャラクターを動かして、右側の四つのボタンでパンチとキックだ。
ルルも隣で見てろ。対戦モードで一回やってみるか?」
ヒュオオオオオオオッ……!!
その瞬間、ザイオンの人工頭脳に、かつてない超高圧の非常警報が鳴り響いた。
(我が主より……直接の【電脳武闘の挑戦状】……ッ!?)
ザイオンの全身の銀毛が、バチバチッと激しく逆立った。
その脳裏には、拓也から授かった数々の教えがフラッシュバックする。
(このプラスチックの小箱……現世の人間が作った脆弱な電子機器!
我が爪先の魔力を一ミリでも誤れば、コントローラーごと粉々に爆散し、拓也様の大切なゲームデータを永久消滅させてしまう!
思い出せ……拓也様直伝の【至高の脱力】を!
指先の圧力を【〇・〇〇〇〇〇〇一グラム】に固定し、主の拳を完璧に受け止めるのだ……ッ!!)
「ほら、ビビってないで握れって。力抜いてポチポチ押すだけだからさ」
拓也から手渡されたコントローラーを、ザイオンは震える白銀の指先で、まるで薄氷を扱うかのように恭しく受け取った。
「レディ――ファイトッ!」
電子音が鳴り響き、画面上で拓也の操る黒帯の格闘家と、ザイオンが選んだ銀色の人狼キャラクターが激突した。
ガチャガチャガチャッ!
「おっ、ザイオンやるじゃん! ちゃんとガードできてるぞ!」
拓也が楽しそうに親指を滑らせる。
下町のゲームセンターで鍛え上げた拓也のレバー捌きは、並の高校生の領域を遥かに超えていた。
右眼の『深層言語・限定解析』が無意識に働き、フレーム単位の隙を的確に突き、ジャブ、ローキック、投げ技へと淀みなく繋げていく。
しかし――対戦相手であるザイオンの反応は、それをさらに上回る異次元の領域に達していた。
カチ、カチ、カチ……。
ザイオンの指先は、音すら立てずにボタンをミリ単位でタップしていた。
拓也のキャラクターが腕を引いたコンマ〇一秒後、画面内の人狼が寸分の狂いもなく【下段完全ガード】を展開する。
さらに、拓也の隙を狙って反撃を繰り出そうとするが――。
(いかん……! ここで最大コンボを叩き込めば、我が主のキャラクターを秒殺してしまう!
主の御機嫌を損ねてはならぬ! だが、わざとらしく負ければ『手加減すんな、真面目にやれ』と叱責される!
主が『いい勝負だった、楽しかった』と心から満足される【黄金比の敗北ライン】を逆算せよッ!!)
ザイオンの頭脳が超高速回転し、毎秒四億回のシミュレーションを繰り返す。
わざと攻撃を一発だけ食らい、相手の体力をギリギリまで削り、最後の最後で相打ちになるような芸術的プログラミング対戦――。
「にゃはは! ルルも押すのにゃ!」
ルルが、ザイオンの膝の上から小さな肉球を伸ばし、右上の必殺技ボタンを【ぽふっ】と優しく連打した。
ポチも天板の上で「キュピィッ!(我ノ超高速視神経ニヨリ、敵ノフレーム隙間ヲ特定イタシマシタ!)」と翼をパタパタさせる。
「うおっ!? なんだ今のカウンター!? ルル、お前適当に押しただろ!」
拓也が笑いながらコントローラーを握り直す。
コタツを囲む、暖かで平和な休日のゲーム風景。
しかし――その頃、東京・新宿の日本探索者協会本部、最上階作戦統括室。
『――観測班より、極東全域の量子通信網に超特大アラートッッッ!!!!』
オペレーターのクロエ・アーヴィングが、両耳のヘッドセットを強く押さえ、椅子を蹴り倒して立ち上がった。
大スクリーンには、如月邸を中心としたインターネット基幹回線のトラフィックが映し出されている。
そこには、全世界のスーパーコンピューター数万台を束ねた計算量を遥かに凌駕する、超高密度の【因果律演算マトリクス】が渦を巻いていた。
「ク、クロエ殿ッ! 何事だ!?」
神宮寺蒼太が、氷の長刀の柄を握りしめて身を乗り出した。
その横で、アメリカ最強のSランク探索者「雷帝」レオン・カーターが、額に脂汗を浮かべて唸る。
「おいクロエ! 日本列島の海底光ケーブルが、あり得ねぇほどの超伝導発光を起こしてやがるぞ! いったい何が接続されたんだ!?」
「映像を解析します!」
クロエが震える指でコンソールを叩いた。
スクリーンに映し出されたのは――コタツでレトロゲームのコントローラーを握る拓也と、その横で極限の集中を見せる美青年狼獣人ザイオンの姿であった。
「…………ッ!!」
神宮寺とレオンが、息を呑んで絶句した。
「これは……何という深遠なる電脳調律だ……ッ!!」
クロエの瞳から、狂信的な感動の涙がボロボロと零れ落ちた。
「総員、刮目せよッ!
拓也様が執り行われておられるのは、ただの家庭用ゲームではありません!
現世の電脳情報空間を介し、全宇宙の事象の推移をコンマ一フレーム単位で調律する……古代失われし超神聖儀式【全次元因果電脳対局】ですッ!!」
「な……何だとォッ!?」
レオンが頭を抱えて唸り声を上げる。
「ザイオン様がボタンをタップするたびに、地球全体の量子暗号回線がミリ単位で最適化され……!
神獣ルル様が肉球を弾ませるたびに、ネット空間のあらゆる情報ノイズが浄化されております!
如月家のコタツの中こそが……今や全銀河の通信と因果を統括する、至高のメインサーバー中枢なのですッ!!」
「なんという奇跡……!」
神宮寺が、胸の前で深く十字を切った。
だが――。
この「如月邸のネットワーク開放」という絶好のタイミングを、邪悪な牙で見つめていた闇があった。
東京都内の湾岸エリア、巨大なコンテナ船の船底に隠された秘密電脳アジト。
無数のサーバーラックが緑色の冷却液の中で唸りを上げ、壁一面のモニターの前に、黒いサイバーヘッドギアを装着した三十名のハッカーたちが並んでいた。
彼らは、国際生体兵器カルテル【造物主直属派閥】が誇る、世界最強のサイバーテロ組織『ネクロ・ネット』!
「……フハハハ! 見つけたぞ、如月邸の家庭内Wi-Fi回線!」
リーダーの男――カルテルの主席電脳術師・ギガバイトが、醜悪な唇を歪めて嘲笑った。
「午前中の物理暗殺部隊が全滅したようだが、肉体を使うなど前時代の遺物よ。
あの神獣ども……呑気にも、民生用のゲーム機を光回線に繋いでオンライン対戦のサーバーに接続していやがる」
ギガバイトは、手元のキーボードを激しく叩き込んだ。
モニターには、ドス黒い紫色の魔力プログラム――神話生物の脳神経を直接ハッキングして狂暴化させる、最悪の電子生体ウイルス【アビス・マルウェア】のコードが走る。
「ゲームの通信パケットにこのアビス・マルウェアを偽装混入させ、コントローラーを通じてフェンリルとキャットの人工中枢へ直接流し込む!
精神を乗っ取られた神獣どもは、その場で飼い主の人間どもを血祭りに上げ、我が元へと自走してくるのだ!
全回線、最大帯域で注入せよッ!!」
ドス黒い電子ウイルスの濁流が、光ファイバー網を駆け抜け、如月家のゲーム機めがけて一斉に雪崩れ込んだ――!
ピピピッ……。
如月家の居間。
拓也がコントローラーを動かしていると、突如として画面の端に、小さな黄色のアンテナマークが点滅し始めた。
「……あ? なんだこれ」
拓也が眉をひそめた。
画面内のキャラクターの動きが一瞬カクつき、相手のキャラクターが不自然なスライド移動を見せたのだ。
「おいおい……急にめちゃくちゃラグくなってきたぞ。
回線が重いのか? それとも変なチート使ってる荒らしプレイヤーか……?
せっかくいい勝負してたのに、こういうネットのゴミみたいな荒らしが一番腹立つんだよな……」
拓也は、心底うんざりした顔でため息をつくと、コントローラーのボタンを指先でトントンと叩いた。
「ザイオン、ルル。こういうマナーの悪い荒らしはさ……。
必殺技で綺麗に画面外へ吹き飛ばして、二度と回線に繋げないように、サーバーから出禁にしてやりてぇよな……むにゃ」
少年の、ただのオンライン対戦での気だるい愚痴。
しかし――。
ピクッ……!!
その言葉を聞いた瞬間、ザイオンの銀色の瞳に、絶対零度の殺気が宿った。
コントローラーを握る白銀の指先を通じて、電脳回線から流れ込んできたドス黒い電子ウイルスの悪意を、ザイオンの頭脳が瞬時に検知したのだ。
(……我が主の至高の遊戯を汚し……あのお方の画面をカクつかせた、下水の蛆虫どもめ……!)
ザイオンの全身の銀毛が、静寂の怒りに逆立った。
(拓也様は仰せられた……!
『必殺技で画面外へ吹き飛ばし、二度と回線に繋げぬよう出禁にせよ』と……ッ!!)
ザイオンは、コントローラーの十字キーを、拓也直伝の「至高の脱力」をもって、神速の【一回転半入力】へと滑らせた。
さらに――動いたのはルルであった。
「拓也のゲームを邪魔する荒らしは、めっ! なのにゃーーっ!」
ルルは、小さな両手の肉球を揃え、コントローラーの右側にある四つの攻撃ボタンを、同時に【ぽふっ】と全押ししたのだ!
カチリ。
画面内の銀色の人狼キャラクターが、全身から神聖なる白銀のオーラを爆発させた。
【超必殺技:神聖因果律絶滅撃】!
ズドォォォォォォンッッッ!!!!
画面内で放たれた白銀の衝撃波は、ゲームのキャラクターを吹き飛ばすだけに留まらなかった。
ザイオンとルルの指先から放たれた神聖調律エネルギーは、コントローラーのコードを逆流し、如月家のルーターを突き抜け、光ファイバー網を光速で逆流していったのだ!
湾岸エリア・コンテナ船の秘密電脳アジト。
『――警告! 警告! 異常パケットを検知!』
突然、部屋中の警報が狂ったように鳴り響いた。
「な……何だ!? 何が起きてる!?」
ギガバイトが叫ぶ。
『家庭用ゲーム機の回線より……推定百京ペタバイトの超高密度神聖データが逆流してきます!
ファイアウォール、全層が一瞬で消滅!
防壁サーバー、全八百基が物理融解を開始ッ――!!』
バチバチバチッ……ドガァァァァンッッッ!!!!
「ぎゃあああああああああっっっ!?」
壁一面のモニターが一斉に粉々に破裂し、三十名のハッカーたちのサイバーヘッドギアが内側からショートして火を吹いた。
世界最強のスーパーコンピューター群が、白銀の雷光に包まれ、まるで電子レンジに入れられたアルミホイルのようにパチパチと火花を散らして溶けていく。
さらに――コンテナ船の影から、漆黒の忍装束を纏った不知火凛率いる八咫烏の電脳特務部隊が音もなく染み出した。
凛の冷酷な瞳が、床で泡を吹いて気絶するギガバイトたちを見下ろす。
「……回線切断、並びに全ハードウェアの物理破砕完了。
指揮官様のゲーム回線を汚したサイバーテロリストどもを、亜空間の地下牢へ永久投棄せよ」
影が波打ち、溶け落ちたサーバーラックや三十名のハッカーたちは、衣服や配線ごと一秒で影の底へと消去された。
湾岸のコンテナ船には、秋の潮風が静かに吹き抜けるだけ。
世界を震撼させるはずだった大規模サイバーテロは、男子高校生の「荒らしプレイヤーうぜぇな」という一言と、ゲームの必殺技コマンド一つによって、完全無音の更地送りにされたのである。
ピロリロリロリーン♪
如月家の居間。
テレビ画面には、相手のキャラクターが派手に画面外へと吹き飛び、【K.O.】のド派手な文字が表示されていた。
先ほどのカクつきは完全に消え去り、アンテナマークは最高強度の青色でピカピカと輝いている。
「おっ! 治った! 画面外に吹き飛ばしたらラグが完全に消えたぞ!」
拓也が嬉しそうに目を輝かせた。
「すっげぇなザイオン、今の超必殺技、コマンドめちゃくちゃ難しかっただろ!
ルルも、ボタン全押しのタイミング完璧だったじゃん!」
拓也はコントローラーを置くと、床に正座する青年獣人ザイオンの銀髪の頭を、ワシャワシャと力いっぱいに撫で回した。
さらに、飛びついてきたルルの頭をくしゃくしゃと撫で、コタツの上のポチの顎をコチョコチョと掻いてやる。
「くぅ〜ん……(あぁ……我が主の……至高の賞賛……!)」
「にゃふぅ……♡ 拓也に褒められたのにゃ!」
「キュピィィ……(電脳平定完了……生キテテ良カッタデスッ!)」
神獣たちは、とろけきった至福の表情で拓也の膝にすり寄った。
「はーい! お待たせー! おやつの時間だよーっ!」
台所から、三月が湯気の立ち上るお皿を運んできた。
お皿の上には、焼きたてのお餅に、甘辛い醤油タレがツヤツヤと輝く【特製みたらし団子】が山盛りに盛られていた。
香ばしい焦げ目と、甘辛いタレのたまらない匂いが部屋中にふわりと広がる。
「うわ、みたらし団子か! めちゃくちゃうまそう!」
拓也が目を輝かせてお団子に手を伸ばし、三月が嬉しそうにお茶を注ぐ。
世界を揺るがす電脳テロを、ゲームの必殺技一つで粉砕した最強の姉弟と神獣たち。
秋の穏やかな木漏れ日に包まれた如月家には、どこまでも温かで、どこまでも幸福な休日の笑い声が響き渡っていたのであった。
(第378話へ続く)
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