第369話:測定器の完全昇天と、奇跡のFランク認定
ギギギギギギギ……ビキビキビキッ……ドォォォォンッ!!
日本探索者協会本部、地下最深部の特級魔獣測定室。
厚さ三メートルのオリハルコン防壁で遮断された空間に、空間そのものが悲鳴を上げるような重力摩擦音が轟き渡っていた。
中央に鎮座する、スイスの素粒子研究所から今朝空輸されたばかりの神話級生体測定器『アポロン・オメガ』。
その測定台に、銀髪の青年狼獣人ザイオンが、拓也直伝の「至高の脱力」をもって、羽毛のようにそっと右手の掌を乗せていた。
(し、しまっ……!? 抜け! 力を抜けェェッ!!
これ以上回るな! 止まれ! 止まってくれェェェッッッ!!!!)
ザイオンの美貌が、恐怖で土気色に染まっていた。
額からは滝のような脂汗が流れ落ち、全身の銀毛がバチバチと放電している。
その脳裏には、今朝、食卓で拓也が放ったあの冷徹極まる神託が、特大のフォントで焼き付いていた。
『一番下のFランクで登録してもらえるように、大人しくしてろよ。
絶対にカッコつけて変な魔力を出したり、測定器を壊したりすんなよ?
一発で弁償だからな……』
(弁償……ッ! 一発で弁償……!!
この最新鋭の巨大装置……見たところ、国家予算レベルの超高額兵器……!
もしこれを破壊し、拓也様に数億円規模の請求書が届くような事態になれば……!
間違いなく質屋行き……! 如月家からの永久追放、いや、解体処分だァァァッ!!)
ザイオンは、己の全演算ユニットを焼き切らんばかりに酷使し、魔力出力を【〇・〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇一パーセント】まで絞り込もうとした。
呼吸を止め、心拍を落とし、魂の脈動すら凍結させる、極限の死線脱力――。
しかし――。
ビキビキッ……パァァァァァァンッッッ!!!!
無情にも、甲高い炸裂音が室内に響き渡った。
光速で回転し続けていた特注のミスリル製測定針が、超遠心力と神聖因果律の重圧に耐えきれず、ついに根元からポッキリと折れ飛んだのだ。
折れた針は、強化防弾クリスタルの文字盤の内側を弾丸のように跳ね回り、無数の亀裂を刻み込んでいく。
『ピ――ッ! 計測不能! エラーコード:万象崩壊!
内部魔導核の過負荷限界を突破! 安全弁、全系統ブローダウンッ!!』
機械の機械音声が悲鳴を上げた、その刹那――。
ボゴォォォォォォンッッッ!!!!
大爆発が起きた。
数十億円の神話級測定器『アポロン・オメガ』の本体が、内部から眩いばかりの純白の極光を噴き出し、まるで電子レンジで加熱しすぎたマシュマロのように、プシューッと煙を上げながらドロドロの液体となって台座ごと溶解したのである。
オリハルコンの床の上には、測定器であったはずの「虹色に光る銀のペースト」だけが、湯気を立てて残されていた。
「…………。」
完全な静寂が、測定室を支配した。
漂うのは、アビスゲート柔軟剤の甘い香りと、わずかなオゾンの匂いだけ。
ザイオンは、差し出した右手を空中に固定したまま、白目を剥いて固まっていた。
その肩の上で、ポチの顎がカランと外れ、床に落下しかける。
三月の足元では、ルルが両手で口を押さえ、猫耳を完全にぺたんこにして震え上がっていた。
(お……おわ……終わった……ッ!!)
ザイオンの魂が、口から白い煙となって抜け出しかけた。
(壊してしまった……! 跡形もなく……液体にしてしまった……!!
拓也様の言いつけを守れなかった……! 我は……我が浅はかな存在は……如月家を破滅に導く厄災の駄犬であったのだ……ッ!!)
「あ、あれれ……?」
三月が無邪気に目を瞬かせ、溶けて湯気を立てる銀色のペーストを覗き込んだ。
「機械さん、溶けちゃったよ? ザイオンちゃんの手、すっごく温かいから……熱かったのかなぁ?」
「にゃぅぅぅ……! ザイオン、怒られちゃうのにゃ!? 拓也に弁償って言われちゃうのにゃ……!?」
ルルが半泣きになりながら、ザイオンのパーカーの裾をギュッと握りしめた。
「キュピィィ……(我ノ……我ノ全財産、へそくりの黄金鱗ヲ売却シテモ……到底足リマセンッ……!)」
ポチが絶望に羽を打ち震わせる。
神獣たちの目の前には、暗黒の未来――拓也からの絶縁状、路頭に迷う日々の幻影が広がっていた。
しかし――。
防護ガラスの向こうの管制室では、全く正反対の「狂乱」が巻き起こっていた。
『――う……うおおおおおおおおっっっ!!!!』
日本探索者協会本部長・神宮寺蒼太が、氷の長刀を床に放り出し、両手で頭を抱えて咆哮した。
その隣では、アメリカ最強のSランク探索者「雷帝」レオン・カーターが、膝から崩れ落ち、床をバンバンと叩いて咽び泣いている。
「信じられん……! 信じられんぞォォォッ!!」
レオンの目から、大粒の涙が吹き出していた。
「見たか神宮寺!? あの銀狼の青年……ザイオン様の手つきを!!
触れる瞬間、あのお方は魔力を極限まで……それこそ原子核の揺らぎすら下回る【完全虚無のゼロ】へと圧縮していらっしゃったんだぜ!?」
「然り……! 然りだッ!!」
神宮寺が、狂信の炎に瞳を潤ませながら絶叫する。
「あのお方は……指揮官様の『測定器を壊すな』という御言葉を守るため、宇宙のあらゆる物理法則をねじ曲げ、己の神性を極限まで削ぎ落として下さったのだ!
それにもかかわらず……! 我らの用意した機械が! 人類の浅知恵で作られたナマクラが!
神の優しさに触れただけで、自らの器の小ささに耐えきれず、勝手に昇天しおったのだァァァッ!!」
オペレーターのクロエ・アーヴィングが、涙で濡れたコンソールを操作しながら、震える声で叫んだ。
『総員、記録せよッ!
神獣ザイオン様の放たれし波動は、破壊エネルギーではありません!
触れた物質のあらゆる歪み、金属疲労、エントロピーを完全にゼロへと巻き戻す【原初調律波】!
測定器が溶けたのは、熱による融解ではなく……機械そのものが「至高の純白金属」へと超進化を遂げた結果ですッ!!』
「なんと……! 破壊ではなく、機械に永遠の救済を与えられたというのか……ッ!」
神宮寺は胸元で十字を切り、即座に全館通信マイクを引っ掴んだ。
「測定班に告ぐ!! 直ちに査定結果を宣告せよ!
測定器の針は折れ、数値は【ゼロ以下(測定不能)】!
すなわち……指揮官様の仰せられた通り、この宇宙で最も無害にして最も平和なる階級――【絶対愛玩生物・Fランク】の判定を下すのだァァァッ!!」
プシューッ……。
測定室の重厚な防音扉が開き、白衣を着た特務測定チーフが、直立不動の姿勢で滑り込んできた。
その額は脂汗で濡れ、両手には黒漆塗りの豪華な三宝(神具を乗せる台)が捧げ持たれていた。
「ひ、ヒィッ……! 来た……! 請求書を持った取り立て人が……ッ!」
ザイオンが覚悟を決め、三月の前にスッと立ちはだかった。
(三月殿には指一本触れさせん……! 弁償の借金は、我が身を売ってでも……!)
しかし――。
ドサッ!!
測定チーフは、ザイオンの足元へ向けて、突如として五体投地の土下座を繰り出したのだ。
「ぶ、無礼をお許しくださいませッ!! 尊きザイオン様ッッッ!!!!」
額を床に激突させ、チーフが絶叫する。
「……え?」
ザイオンの狼の耳が、パチクリと動いた。
「当協会の用意いたしました測定器が、あまりにも脆弱であったばかりに、ザイオン様の尊き掌にわずかな煤すら残す不手際を演じてしまいました!
弁償などとんでもございません! むしろ、我らの粗末な機械を至高の聖金属へと昇華していただき、感謝の念に堪えませんッ!!」
チーフは震える手で、三宝の上に置かれた一枚のプレートを恭しく掲げた。
それは、純金とミスリルで縁取られ、中央に美しいエメラルドグリーンの文字で刻印された、特注の探索者ライセンスプレートであった。
そこには、誇らしげにこう印字されていた。
【探索者協会公認・使役魔獣適性証】
【個体名:ザイオン】
【認定ランク:特級不可侵Fランク(無害愛玩生物・足温器担当)】
【測定値:測定下限未満(完全無害)】
「な……ッ!?」
ザイオンの銀色の瞳が見開かれた。
「し、指揮官・如月拓也様の神託通り……!
ザイオン様、並びにルル様、ポチ様を、全人類の法体系における【至高のFランク】として正式認可いたしましたッ!!
これにて、測定はすべて終了でございますッ!!」
「わぁぁっ……! すごーい! 拓也の言ってた通りのFランクだーっ!」
三月が手を叩いて満面の笑顔を咲かせた。
「ザイオンちゃん、よかったね! 拓也に言われた通り、カッコつけないで一番下のランク貰えたよ!」
「キャンッ……!(や、やった……! 弁償もなし、追放もなし……!
我が主の仰せられた通りの【Fランク】を、無傷で勝ち取ったのだ……ッ!!)」
ザイオンの目から、安堵の熱い涙がポロポロと零れ落ちた。
ルルが「やったのにゃーっ!」とザイオンの腰に飛びつき、ポチも「(我ラノ完全勝利デスッ!)」と翼を広げて歓喜の舞を踊った。
「ありがとうございましたー!」
三月はプレートを受け取ると、ペコリとお辞儀をし、神獣たちを連れて軽やかな足取りで測定室を後にした。
午後六時――如月家。
ガララッ。
「ただいまーっ!」
「キャンッ!」
「にゃーっ!」
「キュピィ!」
玄関の引き戸が開き、賑やかな声がリビングへと飛び込んできた。
学校から帰ってスウェット姿になり、ソファでゴロゴロしながらテレビを見ていた拓也が、麦茶のコップを片手にひょっこりと顔を出した。
「お、三月。おかえり。
どうだったよ、協会の測定。あいつら、余計なことして変なランク貰ってこなかっただろうな?」
「うんっ! ばっちりだよ、拓也!」
三月が誇らしげに、首元にピカピカのFランクプレートを提げたザイオンを差し出した。
「ほら見て! 拓也の言った通り、一番下の『Fランク』でハンコ貰えたよ!
機械も全然壊さなかったし、弁償もゼロ円だったんだから!」
青年獣人の姿のザイオンは、拓也の前にスッと正座し、背筋を伸ばして深々と頭を下げた。
首元のプラチナ鑑札とFランクプレートが、夕暮れの光を受けてキラキラと輝いている。
「我が主……! 仰せの通り、最も無害なるFランクの称号を拝受してまいりました!」
拓也は、プレートの文字をまじまじと見つめた。
【認定ランク:特級不可侵Fランク(無害愛玩生物・足温器担当)】。
「……へぇ。ちゃんとFランクで通ったのか。偉いじゃん。
なんか『特級不可侵』とか余計な文字が入ってる気もするけど……ま、Fランクなら税金も安いし、近所にも言い訳が立つしな」
拓也の口元が、ふにゃりと優しく緩んだ。
そして、床にあぐらをかくと、銀髪の青年獣人ザイオンの頭を――犬の時と全く変わらない力加減で、ワシャワシャと力いっぱいに撫で回した。
さらに、飛びついてきたルルの頭をくしゃくしゃと撫で、肩の上のポチの顎をコチョコチョと掻いてやる。
「よく言いつけを守ったな、ザイオン。ルルもポチも、お前らは本当にいい子だよ」
「くぅ〜ん……(あぁ……拓也様……!)」
「にゃふぅ……♡」
「キュピィィ……(至高ノ頭撫デ……生キテテ良カッタデスッ……!)」
三匹は、とろけきった至福の表情で拓也の膝にすり寄った。
測定器の爆散も、全宇宙を揺るがす神託も、少年の温かな手のひらの前には、すべてが幸福な日常の思い出へと変わっていく。
「よし、じゃあ晩飯にするか!
三月、今日の晩ごはんは何ー?」
「ふふっ、今日はね! お昼に拓也が『ラーメンの残り汁でご飯炊いたら美味いかな』って言ってたからね!
豚骨醤油のスープに、角切りチャーシューと煮卵をたっぷり入れて炊き上げた……特製豚骨チャーシュー炊き込みご飯と、山盛り野菜炒めだよーっ!」
「うわ、マジで!? あの残り汁で炊いたのか! 最高じゃん!!」
拓也の目がカッと見開かれた。
台所から漂う、濃厚な豚骨醤油と香ばしいチャーシューの湯気。
秋の夕暮れに包まれた如月家には、どこまでも温かで、どこまでも幸福な家族の笑顔が満ち溢れていたのであった。
(第370話へ続く)
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