第368話:魔獣管理課の受付と、絶対のFランク擬態命令
チュン、チュン、チュン……。
昨夜の至高のすき焼きパーティーの余韻が心地よく残る、月曜日の朝七時。
秋晴れの爽やかな青空の下、如月家のダイニングには、炊きたての白米と熱々のワカメのお味噌汁、そして香ばしい焼き海苔の匂いが漂っていた。
食卓の椅子に座り、制服のネクタイを緩めた如月拓也が、お茶をすすりながら通学カバンの中から一枚のプリントを取り出した。
それは、先日の探索者協会での騒動の後、郵便受けに放り込まれていた『愛玩魔獣・公的適性測定検査の実施について』という公的な通知書であった。
「……んー。そういえばさ、三月」
「ん? どうしたの、拓也?」
エプロン姿の如月三月が、お弁当用の卵焼きをお皿に移しながら振り返る。
拓也はプリントを指先で弾きながら、食卓の脇で姿勢正しく控えている銀髪の青年狼獣人・ザイオンへと視線を向けた。
首元には、昨日の区役所で授与された純プラチナ製の鑑札プレートと、拓也の赤ドット柄バンダナが眩しく輝いている。
その隣には、三月のお下がりである黄色いダッフルコートを着た猫耳少女・ルルと、換気扇の枠から降りてきてテーブルの端にちょこんとお座りするミニドラゴン・ポチの姿があった。
「昨日、役所の鑑札は無事に貰ってきたけどさ。
このプリント見たら、今度は探索者協会の【魔獣管理課】にも鑑札の番号を届けて、ついでに『魔力ランク適性測定』を受けなきゃいけないらしいんだよな」
ヒュオオオオオオオッ……!!
その瞬間、ザイオンの狼の耳がピクリと跳ね上がり、全身の神経が張り詰めた。
(ま……魔獣管理課……!? そして『魔力ランク適性測定』……だとォッ!?)
ザイオンの人工頭脳に、けたたましいアラートが鳴り響く。
その横で、ルルの猫耳がビクッと伏せられ、ポチがミニマフラーを両前足でギュッと握りしめて息を呑んだ。
拓也はお味噌汁をズズッとすすると、至極気だるそうに、しかし釘を刺すように言葉を続けた。
「お前らさ……見た目はちょっと珍しいかもしれないけど、中身はただの犬と猫とトカゲだろ?
協会に行くと、なんか『Aランク魔獣』だの『危険指定』だの、大げさに騒ぎ立てる戦闘狂の連中がいっぱいいるらしいけどさ。
そんなの認定されたら、税金も高くなるし、近所から危ない目で見られて迷惑なんだよ。
だから今日の放課後、三月と一緒に協会の窓口へ行ったらさ……。
一番下の【Fランク(無害愛玩生物)】で登録してもらえるように、大人しくしてろよ。
絶対にカッコつけて変な魔力を出したり、測定器を壊したりすんなよ? 一発で弁償だからな……むにゃ」
拓也はご飯を綺麗に平らげると、立ち上がって通学カバンを手に取った。
「じゃ、学校行ってくるわ。Fランクで無事にハンコ貰ってこいよ」
ガララッ、と玄関の引き戸が閉まる音。
しかし――残されたリビングの空気は、再び絶対零度の極限状態へと凍りついていた。
(……聞いたか、ルル、ポチ……ッ!?)
美青年の姿のザイオンが、額から滝のような汗を流しながら、悲壮な面持ちで二匹へ思念波を飛ばした。
(我が主より、新たなる絶対神託が下された……!
『一番下のFランクに擬態せよ』! そして『測定器を絶対に壊すな(一発で弁償=追放)』と……ッ!!)
「にゃぅ……! ルル、壊しちゃダメなのにゃ!? こないだ病院のピカピカした機械、ルルが触ったら煙吹いて壊れちゃったのにゃ……!」
ルルが涙目で小さな両手を引っ込める。
(ソ、ソウデス……! 我ラノ体内ニハ、拓也様ノ無自覚ナル神聖調律ニヨリ、惑星ヲ粉砕スル神代ノ魔力カ凝縮サレテイマス!
ソレヲ……「無害ナFランク愛玩動物」ノ極微小領域マデ抑エ込マねばナリマセンッ!
コンマ一ミリデモ出力ヲ誤レバ、測定器ハ分子レベルデ消滅シ、拓也様ヘ巨額ノ損害賠償カ請求サレテシマイマスッ……!!)
ポチが翼を震わせて絶叫する。
「ふふっ、みんな! 拓也に言われた通り、放課後に協会本部へ行こうね! 先生たちにもいい子でお返事しようね!」
三月が無邪気な笑顔でお弁当箱を包む中、神獣たちは「全宇宙で最も困難なFランク偽装ミッション」へ向けて、決死の脱力トレーニングを開始したのであった。
一方――その頃、新宿の日本探索者協会本部・最上階作戦統括室。
『――光学衛星、並びに高周波盗聴回線より超特大エマージェンシー入電ッッッ!!!!』
オペレーターのクロエ・アーヴィングが、ヘッドセットを両手で強く押さえ、椅子を蹴り倒して立ち上がった。
フロア中の巨大モニターが、一斉に真っ赤な警告色に染まり上がる。
『た、拓也様より……本日放課後を指定した、前代未聞の超特大神託が発令されました!
【至高神獣の現世階級擬態】、並びに【協会測定器の絶対耐久審判】ですッ!!』
「な、何だとォッ!?」
神宮寺蒼太が、氷の長刀を床に突き立てて身を乗り出した。
その横で、アメリカ最強のSランク探索者「雷帝」レオン・カーターが、顎をガクガクと震わせて咆哮する。
「クロエ殿! 指揮官様は、一体何を仰せられたのだ!?」
「音声ログを再生します!」
スピーカーから、拓也の冷徹な呟きが響き渡った。
『……一番下のFランクで登録してもらえるように、大人しくしてろよ。絶対にカッコつけて変な魔力を出したり、測定器を壊したりすんなよ? 一発で弁償だからな……』
「…………ッ!!」
神宮寺とレオンが、息を呑んで顔を見合わせた。
「『Fランクで登録せよ』……『測定器を壊すな、一発で弁償だ』……だと……!?」
レオンが額に青筋を浮かべて唸る。
「ええ、そうです!」
クロエが、狂信の炎をその瞳に宿して高らかに解き明かした。
「拓也様は仰せなのです!
神獣たちの力は、すでに世界を滅ぼす神話の領域。しかし、現世の低俗なる権力や階級制度など、あのお方にとっては無意味な戯れ言に過ぎぬ!
『あえて最底辺たるFランクを名乗り、下界の愚民どもの目を欺け』と!
そして……『測定器を壊すな』! これはすなわち、我ら探索者協会に対する痛烈なる試練!
『貴様らの用意した測定器が、神獣たちの極微小な吐息一つで爆散するようなナマクラであった場合……協会ごとこの地上から弁償(消去)する』という、明白なる最後通牒ですッ!!」
「な、なんという峻厳なる審判……ッ!!」
神宮寺の背中に、冷たい汗が滝のように流れ落ちた。
「魔獣管理課、並びに極星の全工兵部隊へ超厳命!!
本日午後、三月様と神獣眷属様方がお越しになる地下三階【特級魔獣測定室】を、直ちに全方位オリハルコン三重装甲で補強しろ!
米国ペンタゴン、並びにスイスの素粒子研究所から、核爆発の衝撃波すら吸収する最新鋭の【特級魔力衝撃吸収ダンパー】を空輸せよ!
さらに……測定針が振り切れて壊れぬよう、測定上限値を従来の五億倍に設定した【神話級生体測定アナライザー・プロトタイプ】を搬入しろッ!!
針一本、ヒューズ一つ飛ばすな! 指揮官様に『弁償』の言葉を口にさせた瞬間……我らは全員、南極の氷河へ永久追放だァァァッ!!」
「「「「了解ッッッ!!!!」」」」
世界最強の特務機関が、男子高校生の「壊したら弁償だぞ」という何気ない一言を受け、国家予算数百億円を投じた前代未聞の「測定器防衛オペレーション」へと突入した瞬間であった。
午後四時――新宿・日本探索者協会本部、地下二階【魔獣管理課】。
普段であれば、世界中から集まった屈強な探索者たちが、自慢の使役魔獣を連れて登録やランク査定を行う、荒くれ者たちの社交場である。
フロアには、鋭い牙を持つAランク魔獣『ヘルハウンド』や、体長四メートルを超える凶暴な巨虎『メガロタイガー』、巨大な甲殻を持つ剛竜などが鎖で繋がれ、殺気立った唸り声を響かせていた。
「おい見ろよ、あいつの連れてるバジリスク、魔力値三万超えらしいぜ」
「へっ、俺のワイバーンだって負けちゃいねぇよ。今日の適性検査で特級ライセンスを――」
探索者たちが武勇を誇り合っていた、その時であった。
ウィーーン。
エレベーターの扉が静かに開き、フロアに足を踏み入れた一組の姿に、その場の空気が一瞬で凍りついた。
「はーい、みんな! ここが魔獣管理課の窓口だって!」
明るい笑顔で先頭を歩くのは、黄色いダッフルコートの如月三月。
そのすぐ後ろを、静かに追従していたのは――。
グレーのパーカーを着こなし、首元に純プラチナの鑑札プレートと赤ドット柄バンダナを巻いた、息を呑むほど端正な顔立ちの銀髪狼獣人・ザイオン。
その隣には、三月の手をしっかりと握り、クリクリとした大きな瞳で周囲を見渡す猫耳少女・ルル。
そしてザイオンの肩の上には、毛糸のミニマフラーを巻いた白銀のミニドラゴン・ポチがちょこんと鎮座していた。
「な……何だ、あの連中は……?」
「モデルか……? いや、あの銀髪の男、狼の耳が生えてるぞ……! 獣人型ホムンクルスか……!?」
探索者たちがざわめき、その連れていた獰猛な魔獣たちが、ふとザイオンの姿を視界に捉えた――その刹那。
ピシィッ……!!
見えない覇気が、フロア全体を薙ぎ払った。
ザイオン自身は、拓也の「大人しくしてろ」という言いつけを守り、魔力を極限のゼロまで絞り込んでいた。
しかし、かつて深淵の門を消滅させ、拓也の調律を受けた神話の神獣フェンリルの【存在格】そのものは、隠し切れるものではなかったのだ。
ヒュオオオオオオオッ……!!
ギャフンッッ!?
クゥ〜ン……クゥ〜ン……!
「おい!? ヘルハウンド、どうしたんだ急に!?」
「メガロタイガー!? なんでお腹見せてプルプル震えてんだよ!?」
先ほどまで凶暴に唸り声を上げていた百戦錬磨の魔獣たちが、一瞬にして失禁し、四肢を投げ出して床に平伏したのだ。
巨大なワイバーンは翼で頭を抱え込み、バジリスクは石化の瞳を固く閉ざして泡を吹いている。
本能が、DNAの全細胞が告げていたのだ。
――あのお方の前で息をすることすら、分不相応なる万死に値する、と。
「あ、あれ……? みんな、床でペッタンコになってお昼寝してるのかな?」
三月が無邪気に首をかしげる。
「キャン……(我が主の命に従い、一般魔獣との無用な摩擦は避けるべし)」
ザイオンは冷ややかに周囲を一瞥すると、三月のエスコートを崩さず、受付カウンターへと優雅に進み出た。
受付カウンターの奥から、青ざめた顔の受付チーフが、震える足で飛び出してきた。
「よ、ようこそお越しくださいましたッ!! 如月三月様、並びに尊き神獣眷属様方ッ!!
本日の適性測定、最深部の【特級第一測定室】へご案内いたしますッ!!」
案内された地下最深部の測定室。
そこは、厚さ三メートルのオリハルコン防壁で四方を囲まれ、天井には数十台の衝撃吸収ダンパーが唸りを上げていた。
中央に据え付けられているのは、スイスから今朝空輸されたばかりの、世界に一台しか存在しない神話級生体測定器『アポロン・オメガ』。
巨大なクリスタルの測定盤と、極太の針が中央で静止している。
防護ガラスの向こうの管制室では、神宮寺蒼太とレオン・カーターが、額に脂汗を浮かべながら固唾を呑んでモニターを凝視していた。
「……来たぞ。あのお方の眷属たちが……!」
神宮寺の声が震える。
測定室の中で、白衣を着た特務測定員が、直立不動で頭を下げた。
「それでは……魔力適性測定を開始いたします。
まずは、ザイオン様……こちらの測定盤の上へ、前足……いえ、お手を乗せていただけますでしょうか」
「キャン……(我が番か)」
ザイオンが一歩、測定台の前へと進み出た。
グレーのパーカーの袖を少し捲り上げ、すらりとした白銀の指先を露わにする。
その脳裏には、今朝の拓也の厳しい言葉が木霊していた。
『一番下のFランクで登録してもらえるように、大人しくしてろよ。絶対に測定器を壊すなよ? 一発で弁償だからな』
(……集中せよ、我が全回路……!)
ザイオンは奥歯を噛み締め、体内の神聖魔力を極限まで圧縮した。
(拓也様に教わった【至高の脱力】の極意……!
我が魔力を、一匹の野良犬、道端の小石、アリの吐息よりも微細な【〇・〇〇〇〇〇〇〇〇一パーセント】へと絞り込むのだ!
目指すは……完全無欠の【Fランク】!
絶対に……絶対にこのガラス一枚、針一本すら揺らしてはならんッ!!)
ザイオンは、静かに目を閉じた。
そして――羽毛よりも軽く、朝露よりも柔らかく、白銀の掌を測定盤のクリスタルへと、そっと触れさせた。
ぽふっ。
愛らしい、極上のソフトタッチ。
しかし――。
ギギギギギギギギギギギギッッッッッ!!!!
「――ぶ、ひっ!?」
管制室のレオンが、間の抜けた悲鳴を上げた。
測定台のクリスタルが触れられた瞬間、核爆発にも耐えうるはずの『アポロン・オメガ』の針が、物理法則を完全に無視して垂直に跳ね上がったのだ!
F、E、D、C、B、A、S――目盛りの概念など存在しないかのように、針は光速の回転を始め、測定盤のガラスの内側で摩擦熱によるプラズマ放電を撒き散らした!
ピピピピピピピピピピピピッ!!
『警告! 測定限界超過! 計測不能! エネルギー流入速度、無限大ッ!!』
メキメキメキッ……パキパキパキッ……!
「せ、測定針が……! 特注のミスリル針が、超遠心力に耐えきれずに悲鳴を上げていますッ!!」
測定員が絶叫する。
ザイオンは青ざめ、必死でさらに魔力を絞り込もうとした。
(し、しまっ……!? 抜け! 力を抜けェェッ! 壊れるな、壊れたら弁償になってしまうのだァァァッ!!)
しかし、神獣の必死の「脱力」すらも、現世の機械にとってはあまりにも重すぎる神威であった。
測定室全体が、激しい重力波の軋みによって、不気味に鳴動し始めていた――!
(第369話へ続く)
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