第359話:庭木剪定の週末と、世界樹木調律サミット
チュン、チュン、チュン……。
抜けるような秋晴れの青空が広がる、土曜日の午前九時。
築三十年の木造二階建て「如月家」の狭い庭先に、ヨレヨレのグレーのスウェットに軍手をはめた如月拓也が、両手を腰に当てて仁王立ちしていた。
「よし……。今日は予告通り、庭の植木をバッサリ切って、家中の窓を全開にして大掃除するぞ」
拓也の視線の先には、ブロック塀の隙間から勝手気ままに枝を伸ばし、隣の路地へとはみ出しかけている庭木の椿と柿の木があった。
夏の間放置していたせいで枝葉が生い茂り、一階のリビングへの日当たりを遮ってしまっているのだ。
「はーい! 拓也、物置からお父さんの脚立と剪定バサミ持ってきたよーっ!」
小走りでやってきたのは、ジャージ姿に頭に手ぬぐいを巻いた気合十分の如月三月である。
その両手には、昭和の匂いが漂う年季の入ったアルミ脚立と、少し刃の錆びついた大きな植木バサミが軽々と握られていた。
「キャンッ!(総員、配置へ! 我が主自らによる【聖域大改修・万象開帳の儀】が開始されたぞッ!)」
赤ドット柄のバンダナをきりりと巻き直したザイオンが、体積三倍の巨大綿飴ボディを揺らしながら庭の隅へスタンバイした。
その足元には、落ちた枝葉を入れるための大きな透明ゴミ袋(四十五リットル)が綺麗に広げられている。
頭の上の白銀ミニドラゴン・ポチも、毛糸のミニマフラーをたなびかせながら換気扇から庭の物干し竿へとポジションを移動させた。
「キュピィッ!(剪定後ノ切断面、雑菌防除ト気脈遮断ノタメノ【極微小とろ火焼灼レーザー】、スタンバイ完了デス!)」
「ルルは、お掃除とゴミ集め係なのにゃ!」
黄色い三角巾を巻いたケットシーの少女・ルルが、小さな竹箒を両手でギュッと構えて尻尾を立てた。
「お前ら、なんか妙に張り切ってんな……。ま、落ちた枝を散らかさないように片付けてくれるなら助かるわ」
拓也は脚立を庭の隅に立てると、植木バサミを手に取り、生い茂る椿の枝を見上げた。
右眼の『深層言語・限定解析』が無意識に働き、大気の流れ、太陽光の入射角、木の葉の密度を瞬時に計算していく。
「ここが混み合ってて邪魔なんだよな。この枝と、あと向こうに伸びてる太いやつ……バッサリ落とすか」
チョキィィンッ! チョキンッ!
小気味よい金属音と共に、太い枝が勢いよく切り落とされた。
庭の地面に落ちた小枝を、ザイオンが大きな口で器用に拾い上げ、ゴミ袋の中へと次々に放り込んでいく。
さらにポチが、切り落とされた枝の切り口へ向けて、鼻先から「プシューッ」と青白い極小レーザーを照射し、樹液が漏れ出さないよう一瞬で炭化コーティングを施していった。
「お、すげぇ。ザイオンもポチも、めちゃくちゃ手際いいじゃん。プロの造園屋みたいだな」
拓也が感心したように笑う。
しかし――。
如月家の庭先でそんな平和な「週末の枝切り」が行われているその瞬間。
ブロック塀の外、如月邸を取り囲む住宅街の四方八方は、人類史上かつてないレベルの『超国家最高機密空間』へと変貌を遂げていた。
「……観測班、角度を記録せよ! 第七枝幹、切断角四十七度! 直ちに因果律の変動をシミュレートしろッ!!」
向かいの民家の陰で、作業着に変装した日本探索者協会本部長・神宮寺蒼太が、通信機を握りしめて鋭く囁いた。
その周囲には、世界中から極秘裏にチャーター便で集められた、最高峰のスペシャリストたち――英国王立樹木調律師連盟の総帥、チベット仏教最高峰の風水大導師、そしてエルフ族の秘術を継ぐ古代植物魔術師たちが、全員這いつくばって手帳に数式を書き殴っていた。
「信じられん……! なんという神業だ……!」
エルフの老魔術師が、眼鏡を震わせて涙を流した。
「あのお方が切断された椿の枝……! あれはただの不要な枝ではない! ユーラシア大陸と太平洋プレートを繋ぐ地下霊脈の歪みを完全に中和し、地球全体の気候変動を調律する【世界樹の黄金比切断】だッ!!」
「さらに見ろ、あの白銀の神獣たちを!」
作業ヘルメットをかぶったレオン・カーターが、双眼鏡を覗き込みながら唸る。
「切り口をレーザーで即座に焼灼し、大気中のエーテル漏出を完全に封殺していやがる! あれだけの巨躯でありながら、踏みしめる土の柔らかさをミリ単位で維持してやがるぜ! まさに全宇宙の調律者に仕える、至高の神使たちだ!」
『――防衛本部より緊急通報ッ!!』
通信インカムから、クロエ・アーヴィングの緊迫した声が響き渡った。
『如月邸の一階および二階の窓が、順次全開放されております!
拓也様の神託【全大気の強制循環再編】が発動されました!
直ちに、事前に手配した「霊峰アルプス最高純度大気カプセル」並びに「チベット高地清純気流」を解放!
微風魔術部隊、如月邸の換気を極上の聖気で満たせッ!!』
「全送風班、起動!!」
神宮寺の合図と共に、路地裏に偽装配置されていた数十台の消音大型ブロアーから、アルプス山脈の雪解けの香りを秘めた極上の純白の風が、ふわりと如月家の開け放たれた窓へと注ぎ込まれていった。
東京の下町の一角が、今や地球上で最も酸素濃度が高く、最も神聖な高山地帯の空気に満たされた超パワースポットと化していたのである。
だが――。
この「如月神殿の全面開帳」という極秘情報を嗅ぎつけたのは、味方陣営だけではなかった。
「……ふふ、見つけたぞ。あそこが、世界を救った最強の少年指揮官の根拠地か」
如月邸から一本入った路地の角。
黒塗りの最高級リムジン三台が音もなく停車し、中から仕立ての良い漆黒のスーツを纏った男たちが降り立った。
彼らは、欧州および中東の裏社会を牛耳る暗黒ギルド連合の最高幹部たち、そして先日の大粛清から辛うじて生き延びた武器密売組織の黒幕たちであった。
彼らは、先日の壊滅劇に怯え果て、最後の生き残りをかけて「神に直接拝謁し、巨額の献金を捧げて許しを請う」ために、極東のこの地へと命懸けでやってきたのだ。
「手土産の準備はいいか?」
首領の男が、部下に確認する。
「はい。アラブの王族から強奪した、樹齢三千年の黄金盆栽『不滅の霊松』……時価五十億ドルです。これほどの神宝を捧げれば、あのお方も我が組織の存続をお許しくださるはず……」
「よし、行くぞ。本日は『オープン・サンクチュアリ』……神殿が開帳されている絶好の機会だ。門を突破し、あの少年の足元へ平伏するのだ!」
黒服の武装集団二十名が、黄金の盆栽を掲げ、足並みを揃えて如月家の庭先へと詰め寄ろうとした。
その、まさに刹那――。
「――あー、喉渇いたーっ!!」
脚立から降りて汗を拭った拓也が、リビングの窓に向かって大きな声を張り上げた。
「三月ー! 冷蔵庫の冷たい麦茶持ってきてー!
……ん? なんだあいつら……?」
拓也が、ふと庭のブロック塀の隙間から路地へと視線を向けた。
そこには、黒塗りの高級車の前で、いかにも怪しい黒スーツの男たちが、金ピカのトゲトゲした巨大な植木鉢を掲げてゾロゾロと歩いてくるところであった。
「……うわぁ……。なんか、近所の不動産屋か怪しいセールスマンが、金ピカの成金趣味の置物売りつけに来たぞ……。マジで目障りだな……」
拓也は、心底うんざりした顔で眉をひそめ、台所から麦茶のピッチャーを持って出てきた三月へと言った。
「三月、悪いけどさ。庭掃除のついでに、外の路地もホウキで掃いといてくれよ。
あんな怪しいセールス共、ホウキでサッサと掃いて追い払っちまえよ……むにゃ」
ただの、「怪しい訪問販売を追い返してくれ」という、少年の気だるい日常の愚痴。
しかし――。
「……拓也のお掃除の邪魔をするセールスマン……?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ!!!!
三月の瞳に、深淵の闇よりも深い『弟防衛スイッチ』がカチリと入った。
彼女は持っていた麦茶のコップをそっとザイオンの背中に置くと、庭の隅に立てかけてあった、何の変哲もない百円ショップの【天然竹箒】を右手一本でスッと引き抜いた。
「拓也の大事なお掃除を邪魔する悪い人たちは……めっ! だよっ!!」
三月は、如月家の木造門扉をガラリと開けると、路地の中央へと仁王立ちした。
そして――手にした竹箒を、庭の落ち葉を掃くような、ごく自然なスイングで、横一文字に【サッ】と振り抜いたのだ。
バチィィィィィィィィンッッッ!!!!
音の壁など、最初から存在しなかった。
竹箒の先端から放たれたのは、アビスゲート最深部の概念神すら真っ二つにした、如月三月の規格外すぎる『絶対物理圧搾衝撃波』であった。
ヒュバババババババッッッ!!!!
「ひ、ぎゃああああああああああっっっ!?」
五十億ドルの黄金盆栽が、竹箒の風圧だけで原子レベルに粉砕され、キラキラとした光の砂となって夜空へと吹き飛んだ。
さらに、黒塗りの最高級防弾リムジン三台と、二十名の屈強な裏社会の幹部たちが、まるで台風の直撃を受けた枯れ葉のように、宙を舞ってグルグルと回転しながら吹き飛ばされていく。
ズドォォォォォォンッ!!
悲鳴を上げながら飛んでいった暗黒ギルドの残党たちは、そのまま五百メートル離れた区立総合運動場の公営コインパーキングの空きスペースへと、車ごと綺麗に『輪留めの位置』にピタリと駐車させられ、全員白目を剥いて失神した。
路地のアスファルトには、小石一つ、落ち葉一枚すら残されていない。
あまりにも完璧な、神速の「お掃除」であった。
「ふぅー! 綺麗にお掃除できたね!」
三月は満足そうに竹箒を立てかけ、にっこりと微笑んだ。
その光景を、電柱の陰から目撃していた神宮寺とレオンは、全身の毛穴から冷や汗を吹き出させながら平伏していた。
「す、凄まじい……! なんという峻厳なる神殿の防衛結界……!」
神宮寺が震える手で眼鏡を直す。
「世界中の裏社会の大物が捧げようとした五十億ドルの神器を『目障りな成金ゴミ』と一蹴し、竹箒の一振りで五百メートル先まで綺麗に掃き清められた……!
あのお方の神殿には、不浄なる金銭や傲慢な権力など、塵芥一つたりとも持ち込むことは許されんのだッ!!」
「オ、オーウ……! まったくだぜ!」
レオンが額を押さえて息を呑む。
「あのお方が求めておられるのは、ただの平和な大掃除と美味い昼飯だけだ!
おいクロエ! 全世界の首脳へ緊急警告電を送れ!
『如月邸への参拝は全面中止! 余計な手土産を持って近づいた者は、竹箒で地球外軌道まで掃き出されるぞ』ってなァッ!!」
世界中の首脳たちが準備していた豪華絢爛な参拝計画は、少女の竹箒一閃によって、一瞬にして全面撤回されたのであった。
正午――如月家・縁側。
「ふぅー! すっげぇ綺麗になったな!」
拓也は、縁側に腰掛け、大きく伸びをした。
椿と柿の木は綺麗に剪定され、庭の隅々まで柔らかな秋の木漏れ日が燦々と降り注いでいる。
開け放たれた窓からは、なぜかアルプスの高原のように澄み切った、ひんやりと心地よい風がスーッと吹き抜けていた。
「拓也、お掃除お疲れ様ー! お昼ごはんできたよーっ!」
三月が、ホットプレートで作った大皿の特製ソース焼きそばを、湯気を立てながら運んできた。
屋台のように香ばしい濃厚ソースの香り、たっぷりの豚肉とキャベツ、そして上には青のりと紅生姜、さらには目玉焼きが贅沢に乗せられている。
「うわ、焼きそばか! 最高じゃん!」
拓也の目が輝いた。
足元には、お掃除の手伝いを完遂したザイオンが、フカフカの毛並みで拓也の足を温めながら満足げに伏せをしている。
その横で、ルルが小さなお皿を配膳し、ポチが紅生姜の香りに鼻をヒクつかせていた。
「お前らも、枝集めよく手伝ってくれたな。ほら、ウインナー分けてやるよ」
拓也が、焼きそばの具のウインナーをちぎって小皿に置いてやる。
「キャンッ……!(あぁ……我が主の……至高の分け前……!)」
「にゃふぅ……お掃除の後のご飯、最高なのにゃ!」
「キュピィィ……(木漏れ日ト共ニ味ワウ神饌……至福デスッ!)」
神獣たちは、美味しそうにウインナーを頬張り、拓也の足元で幸せそうに体を寄せ合った。
「ん、うめぇ! ソースの焦げたとこ、めちゃくちゃ香ばしいわ!」
拓也が焼きそばを豪快にかきこみ、三月が嬉しそうに麦茶を注ぐ。
世界を揺るがす神殿開帳サミットの危機を、竹箒一本で吹き飛ばした最強姉弟。
光り輝く庭先と、心地よい秋風に包まれながら、如月家の平和で温かな週末は、ソースの香ばしい匂いと共に、どこまでも穏やかに流れていくのであった。
(第360話へ続く)
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