第353話:夕暮れのタイムセールと、至高の豚丼防衛戦
茜色に染まる夕暮れの商店街。
公園でのフリスビー遊びと欧州聖獣騎士団の電撃撃墜(?)を終えた如月三月、ザイオン、ルル、ポチの一行は、駅前スーパー『ライフマート』の前に再び姿を現していた。
夕方五時半。
主婦層や仕事帰りの会社員たちが押し寄せる、スーパーマーケットが最も過熱する魔の時間帯である。
店先には黄色い幟がはためき、スピーカーからは陽気な電子音のBGMが鳴り響いていた。
「えへへ、夕飯何にしようかなー! あ、拓也はお肉が好きだから、豚肉と玉ねぎを甘辛いタレで炒めて卵でとじた、あの丼にするのがいいかも! ご飯にタレがじゅわーって染み込んだやつ、拓也が大好きなんだよね!」
三月が、お母さんから預かったエコバッグを手に嬉しそうに目を輝かせた。
その言葉を聞いた瞬間、ザイオンの銀色の耳がピクンと跳ね上がり、背筋がピンと伸びた。
「キャンッ……!(き、聞いたかポチ、ルル! 我が主・拓也様の最愛の神饌メニューが判明したぞ! 豚肉と玉ねぎの甘辛卵とじ丼……!)」
「キュピィ!(タレガご飯ニ染ミ込ンダヤツ! ソレハ我モ想像シタダケデヨダレガ出ル至高ノ御馳走デスッ!)」
ポチが三月のマフラーの隙間から鼻息を荒くする。
「にゃはは! ルル、甘辛いタレ大好きにゃ! 拓也に美味しいお肉いっぱい食べてもらうのにゃーっ!」
ルルががま口財布を揺らしながら小さくガッツポーズを作った。
神獣たちにとって、夕飯の食材確保は如月家の生活家電・ペットとしての誇りをかけた重大任務であった。
三月に連れられ、一行は意気揚々と自動ドアをくぐり抜けた。
しかし――その頃、新宿の防衛本部。
『――観測班より緊急暗号電ッ!!』
オペレーターのクロエ・アーヴィングが、紅潮した顔で立ち上がり、全軍回線を開いた。
『如月三月様、および神獣眷属部隊が、再び民間補給拠点【ライフマート】へ進発!
傍受された御言葉によれば……今夜執り行われる儀式は【大地の霊獣と黄金玉の甘辛神饌典礼】!
しかも、主の霊力を活性化させるため「白米の層に濃密な琥珀タレを完全に浸透させた神聖どんぶり」を創造されるとの仰せですッ!!』
「な、何だとォッ!?」
神宮寺蒼太が、通信卓を拳で叩いて身を乗り出した。
その横では、レオン・カーターが口を開けて唸り声を上げる。
「タレを染み込ませた豚丼だと……!? おい神宮寺、それは日本の家庭料理の皮を被った、全銀河のエネルギーを凝縮する超高密度エーテル濃縮儀式じゃねぇのか!?」
「然り!」
神宮寺の瞳に、狂気じみた使命感の炎が宿った。
「白米という名の純白の触媒に、肉の脂と甘辛いタレを染み渡らせる……! 指揮官様は、過酷な学校生活(実力テスト)で消耗された精神力を、その一杯の神饌によって完全覚醒させようとしておられるのだ!
もし、その儀式に使われる豚肉が、筋張った安物であったり、油の臭みが残る下等品であったならば……あのお方の御舌を汚し、今度こそ東京一帯が味気なさに絶望した神の手で更地にされかねん!」
「総員、直ちに動けッ!!」
レオンがデスクの通信ボタンを叩き割る勢いで叫んだ。
「日本国内の全農林水産ネットワーク、および皇室御用達のブランド豚牧場へ最優先令を発令!
鹿児島産黒豚の最高部位、イベリコ・ベジョータの最高峰ロース、樹齢百年のドングリのみで育った伝説の幻豚……あらゆる極上の豚肉を空輸しろ!
スーパー『ライフマート』の精肉コーナーのバックヤードへ、今すぐ極秘裏に差し入れるんだァァァッ!!」
世界を救った最強の探索者と国家最高司令部が、再び「男子高校生の晩ごはんの豚丼」のために、国家予算規模の流通ルートを力技でねじ曲げ始めたのであった。
そんな国家規模の空輸作戦が水面下で蠢いているとは露知らず、三月たちはスーパーの奥へと進んでいた。
「えーっと、精肉コーナーは……あっちだね!」
三月が指さした先には、赤いランプが灯る精肉のショーケース。
しかし、そこに近づいた瞬間、ザイオンとポチの生体兵器センサーが、空間の異常な熱気を感知してバチバチと火花を散らした。
(……な、何だこの気配は……!?)
ザイオンの毛並みがサッと逆立つ。
精肉コーナーの周囲には、買い物カゴを腕に引っ掛け、獲物を狙う鷹のような鋭い眼光を放つ十数名の主婦や高齢者たちが、殺気立った陣形を組んでひしめき合っていた。
その中心には、店員が手にした『半額シール』のロールカッター。
『ただいまよりタイムセール! 国産豚こま切れ肉、全品半額シールを貼らせていただきまーす!』
店員の声が響いた瞬間、主婦たちの足元から無音の地滑りのような突進が始まった。
バーゲンセールに命をかける庶民の圧倒的な闘志――それはある意味、下位のダンジョンボスすら凌駕する凄まじい生活感のプレッシャーであった。
「きゃっ、すごい人混み……!」
三月が思わず足を止める。
「キュピィッ……!(ヒ、ヒィッ! 人間タチノ殺気ガ渦ヲ巻イテイマス! コレハ、アビスゲートノスタンピードニ匹敵スル突撃陣形デスッ!)」
ポチが三月のマフラーの陰で震え上がる。
「キャンッ……!(ルル、三月殿の足元から離れるな! ここは人間の主婦たちが家庭の家計を守るために命を削る、不可侵の戦場だ! 力を誇示して人間を傷つけることは、拓也様の意に反するぞ!)」
ザイオンは、拓也に教わった「至高の脱力」の精神を保ちながら、三月の脚を自分のモフモフの体毛で優しく包み込み、周囲の押し合いへし合いの圧力から完璧にガードした。
「うにゃにゃ……! でも、あのお肉のパック、残り少ないのにゃ!」
ルルが指さしたショーケースの棚の端。
そこには、赤身と脂身のバランスが完璧に美しくサシの入った、ひときわ上質な大パックの豚こま切れ肉が、最後の一つだけ残されていた。
貼られたシールには――『本日限り・国産黒豚こま切れ・半額(四百八十円)』の文字。
「あ、あれ、すごく美味しそう! 拓也の好きな脂身がちょうどいい感じに入ってる!」
三月が手を伸ばそうとする。
しかし、その瞬間――横から伸びてきた別の買い物カゴが、まるで獲物を横取りする暗殺者のように、素早くそのパックを遮ろうとした。
(しまっ……!? 奪われるッ!?)
ザイオンの人工頭脳が警報を鳴らす。
武力を行使して人間を突き飛ばすことは許されない。
だが、あの上質肉を逃せば、拓也の夕食のクオリティが下がってしまう!
その刹那――動いたのは、ルルであった。
「ルルにお任せなのにゃーーっ!!」
シュタッ!!
ルルは、ザイオンの背中の弾力をスプリングのように利用してふわりと跳躍。
主婦たちの腕の間、カゴの隙間という、人間には絶対に通り抜けられない数センチの空間を、まるで液体のようにするりとすり抜けた。
かつて研究所で魔力伝達と柔軟性を極限まで高められたプロトタイプ・ホムンクルスの敏捷性が、今まさに「タイムセールの隙間縫い」として神懸かり的に発揮されたのだ。
パシッ!
ルルの小さな両手が、誰よりも早く、最後の一パックの豚こま肉を両側から優しく、しっかりと抱きかかえた。
肉のパックには指の跡一つつけず、ラップも破かない、完璧なソフトタッチ。
「とったのにゃーっ!!」
ルルが満面の笑顔で掲げる。
横から手を伸ばしていた主婦が、目を丸くして立ち尽くした。
「あ、あら……? 猫耳の可愛いお嬢ちゃん……上手に取るわねぇ」
「えへへ、お兄ちゃんに美味しいご飯作るのにゃ!」
ルルが無邪気に笑うと、周囲の主婦たちから「まぁ、なんていい子なの!」「お兄ちゃん思いねぇ」と一斉に黄色い歓声が上がり、ピリピリしていた精肉コーナーの空気が一瞬で和やかな春の陽気へと溶けていった。
「キャン……!(み、見事だルル……! 争うことなく、愛嬌と敏捷性のみで獲物を勝ち取るとは……!)」
ザイオンが胸の奥で感涙の咆哮を上げる。
「ルルちゃん、すごーい! ありがとうっ!」
三月がルルを抱きしめ、お肉のパックを丁寧にエコバッグの中へと収めた。
「よしっ! お肉も買えたし、玉ねぎと卵もバッチリ! 急いでお家に帰って、拓也にアツアツの豚丼作ろっか!」
「キャンッ!」
「キュピィ!」
「にゃーっ!」
こうして、夕暮れのスーパーで繰り広げられたタイムセール防衛戦は、神獣たちの完璧なチームワークによって完全勝利で幕を閉じたのであった。
午後六時半――如月家。
「……ん……ふぁ〜あ……」
リビングのソファで目を覚ました拓也は、目をこすりながら体を起こした。
部屋の中には、すでに食欲を激しく刺激する、甘辛い醤油とみりん、そして炒めた玉ねぎと豚肉の香ばしい匂いが充満していた。
ジュウウウウウ……ッ!
キッチンでは、三月がフライパンを器用に揺すりながら、溶き卵を回し入れているところだった。
コンロの真下では、ポチが換気扇の上から極小の青白い温風をミリ単位で送り込み、卵がふんわりと半熟に固まるよう絶妙な火加減をアシストしている。
「あ、拓也! 起きた? ちょうど今できるところだよ!」
三月が笑顔で振り返る。
「お……なんか、めちゃくちゃいい匂いすんな」
拓也が食卓につくと、ザイオンが足元にスッと滑り込み、フカフカの毛並みで冷えた足先を温め始めた。
ルルもまた、テーブルの上に木製のお箸とお茶の入った湯呑みをトントンと並べていく。
「はいっ、お待たせ! 拓也特製・甘辛豚玉丼だよーっ!」
ドンッ、と置かれた大きめのどんぶり。
そこには、ツヤツヤと輝く炊きたて白米の上に、甘辛い特製タレがたっぷりと絡んだ柔らかな豚こま肉とアツアツの玉ねぎ、そしてとろとろの半熟卵が贅沢に乗せられていた。
タレはご飯の奥深くまで黄金色に染み渡り、上には三月がひとつまみ散らした白ごまが香ばしいアクセントを添えている。
「うわ……マジでうまそうじゃん……!」
拓也の喉がゴクリと鳴った。
「いただきます!」
拓也はお箸を割ると、タレの染み込んだご飯ごと、豚肉と半熟卵をごっそりと持ち上げて口の中へと放り込んだ。
「…………。」
ハフハフと熱い湯気を吐き出しながら、拓也の咀嚼が続く。
三月が手を組んで見守り、ザイオンとポチが息を呑み、ルルが目をキラキラさせて見つめる。
そして――。
「…………っっっ、うっっっっっま!!!!」
拓也の目がカッと見開かれた。
その口から、心底からの感嘆の声が爆発した。
「なにこれ、豚肉めちゃくちゃ柔らかい! 脂身の甘みが全然しつこくないし、玉ねぎのシャキシャキ感も完璧じゃん!
何より……この、タレを吸ったご飯がヤバい……! 炒め油を使ってないから、タレの旨味だけでいくらでも米が食える……!」
ガツガツッ、ガツガツガツッ!!
拓也は、無我夢中でどんぶりを抱え込み、猛烈な勢いでかきこみ始めた。
「えへへー! よかったぁ! ザイオンちゃんたちとお買い物行って、一番いいお肉選んできたんだよ!」
三月が誇らしげに胸を張る。
「お前ら、お使いも手伝ってくれたのか。サンキューな」
拓也が、ご飯を頬張りながら、足元のザイオンとルルの頭をガシガシと撫でた。
さらに、小皿に一口大に冷ました豚肉の赤身を乗せ、床にコトッと置いてやる。
「ほら、お前らもこれ食えよ。味付け薄いとこ分けたからさ」
「キャンッ……!(あぁ……我が主の……愛の分け前……!)」
ザイオンとルル、ポチは、その一口の肉を、神聖な聖餐のように涙を流しながらハフハフと味わった。
その頃――新宿・防衛本部。
巨大モニターに映し出された如月邸の生体エーテル波形が、かつてない純白の光で満たされていた。
『――観測成功ッ!!』
クロエが、両手を天に掲げて叫んだ。
『如月邸内において、神饌の完全受肉を確認!
指揮官様の霊力回路が完全に安定化し、東京都全域に降り注いでいた微細な重力圧迫が完全にゼロへと調律されましたッ!!
大地の霊獣と黄金玉の調和は、大成功ですッ!!』
「やった……! やったぞォォォッ!!」
神宮寺が胸に手を当てて天を仰ぎ、レオンが豪快に笑い飛ばす。
「ハッハァ! これで今夜も世界は平和ってわけだな! おい神宮寺、あのスーパーのライフマート、明日から国宝指定にしてやれよ!」
「うむ、検討しよう。あのお方の胃袋を満たす拠点は、国家の最重要防衛ラインと同義であるからな」
新宿の英雄たちが、今夜もまた守られた世界の平穏に胸を撫で下ろしていた。
「ぷはーっ! 食った食った! 最高だったわ!」
米粒一つ、タレ一滴残さず綺麗に空になったどんぶりを置き、拓也は満足そうにお茶を飲み干した。
お腹がいっぱいになり、心も体も満たされた少年の顔には、どこまでも穏やかな笑みが浮かんでいた。
「三月、明日の弁当もこれ入れてよ。冷めてもタレが染みてて絶対うまいからさ」
「うんっ、任せて! お弁当用にもっといっぱい作っちゃうね!」
「よし、じゃあ風呂入って、課題やって寝るか。お前ら、風呂から上がったらまたブラッシングしてやるからな」
「キャンッ!」
「にゃーっ!」
「キュピィ!」
嬉しそうに飛び跳ねるペットたちに囲まれながら、拓也は洗面所へと向かっていった。
世界を救った最強の指揮官と、怪力の姉、そして愛を知った人造の神獣たち。
彼らの紡ぐ温かな日常は、香ばしい甘辛タレの余韻と共に、今夜もどこまでも幸福に更けていくのであった。
(第354話へ続く)
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