第352話:神獣たちの公園デビューと、欧州聖獣騎士団の受難
「……ふぁ〜あ……。たまにはさ……外の広いとこ連れてって、犬の散歩でもしてやれよ……。庭だけじゃ……運動不足になんだろ……むにゃ……」
月曜日の放課後。
学校から帰宅し、リビングのソファにバフンと倒れ込んだ如月拓也の、微睡みの中の何気ない呟き。
その言葉を聞いた瞬間、テーブルの下で大人しく伏せをしていたザイオンの耳がピクンと跳ね上がった。
「キャンッ……!(お、散歩……!? 我らの健康維持を……我が主自らが案じてくださったというのか……!)」
「あ、そうだよね! ザイオンちゃん、体が大きいもんね!」
キッチンで夕飯の麦茶を沸かしていた如月三月が、パッと顔を輝かせた。
「よし、じゃあみんなで近所の大きな緑地公園にお散歩に行こっか! 拓也が起きてくる前に、しっかり運動してこようね!」
「にゃはは! お散歩なのにゃ! ルルもお外走りたいのにゃーっ!」
ルルが黄色いダッフルコートの裾を揺らしながらピョンピョンと跳ねる。
頭の上のポチも、ミニマフラーを巻き直して「(公園トハ、人間タチノ野外演習場デスカ! 索敵任務、我ニオ任セ下サイ!)」と翼をパタつかせた。
こうして、三月を先頭に、赤ドット柄のバンダナを巻いた体積三倍の巨大綿飴銀狼ザイオン、猫耳少女ルル、白銀ミニドラゴンポチという、あまりにも目を引く一行が、住宅街を抜けて区立総合緑地公園へと向かったのである。
その頃――。
緑地公園を見下ろす高台の雑木林の中。
「……ふふ、来たわね。哀れな獲物どもが」
豪奢な白銀の毛皮コートに身を包んだ金髪碧眼の美女――欧州最大の魔獣調教組織『聖獣騎士団』の最高幹部、エレーナ・ヴァシュタールが、冷酷な笑みを浮かべて双眼鏡を下ろした。
彼女の背後には、首に極太のスパイク付き魔導制御輪を嵌められた、体長五メートルを超える凶悪な戦闘巨鳥――三頭のアーマード・グリフォンが、喉からグルルと殺気立った唸り声を漏らしている。
「見なさい、あの銀狼の無防備な姿を。リードすらつけず、間抜けな赤ドットの布などを首に巻かれて……。かつてアビスゲートの門番すら屠った神獣フェンリルが、すっかり牙を抜かれた駄犬に成り下がっているわ」
エレーナの細い指先が、懐から取り出した鈍い白銀の鎖――【隷属の聖鎖】を愛撫するように撫でた。
それは古代遺跡から発掘された、神話級の魔獣の脳幹に直接魔力杭を打ち込み、精神を絶対服従の操り人形へと造り替える禁断のアーティファクトである。
「あの無能力者の小僧から奪い、我が騎士団の手で再び調教し直してあげましょう。
作戦開始よ。グリフォン部隊、上空から急降下して周囲の民間人を威圧! 逃げ惑う隙に、私がフェンリルへ聖鎖を撃ち込む! 邪魔をする飼い主の小娘は、グリフォンの鉤爪で八つ裂きにしなさい!」
「「「ギシャアアアアアッッッ!!」」」
グリフォンたちが巨大な翼を広げ、突風を巻き起こしながら木々の間から飛び立った。
欧州裏社会を恐怖で支配してきた調教者による、完璧なる強奪劇――そのはずであった。
一方、緑地公園の芝生広場。
平日の夕方ということもあり、広場には数組の親子連れや犬の散歩客がいる程度で、穏やかな秋風が吹き抜けていた。
「わぁー、広いねーっ! ザイオンちゃん、走っていいよー!」
三月が、笑顔でザイオンの背中をポンポンと叩いた。
「キャン!(ハッ、お気遣い痛み入ります! しかし、一般市民の前で無闇に魔力を解放するわけにはいかん……!)」
ザイオンは、昨日拓也から教わった「至高の脱力」を徹底的に意識し、足音も立てずにトコトコと上品な小走りで芝生を踏みしめていた。
体積三倍のフカフカな毛皮が揺れるたび、アビスゲートのフローラル柔軟剤の甘い香りが芝生広場いっぱいに広がっていく。
「あ、そうだ! 拓也のお部屋にあった、これ投げてみよっか!」
三月が、ポケットから取り出したのは――。
以前、新宿アビスゲートの最深部で回収し、三月が手のひらでギューッと圧縮して作った、超高密度ミスリル合金製の『特製フリスビー(見た目はただの銀色のお皿)』であった。
重量、およそ五百キログラム。
「ほらザイオンちゃん、取ってきてー! えーいっ!」
三月は、手首をスナップさせ、フリスビーを水平に投擲した。
ズドォォォォォォンッッッ!!!!
大気の壁が音を立てて爆砕した。
手首を軽く振っただけのはずが、フリスビーはマッハ五の速度で圧縮空気を纏い、摩擦熱で真っ赤なプラズマの尾を引きながら、地平線の彼方へと一直線に射出されたのだ。
「キャンッ!?(な、何という神速の投擲軌道……! しかもアレは、アビスゲートの残骸から精製された極重合金プレートではないかッ!?)」
ザイオンの生体兵器センサーがけたたましく反応した。
(拓也様は仰せられた……『犬ならボール投げ(取ってこい)くらいやれ』と! ここで拾えねば、我が如月家における名誉は地に堕ちるッ!!)
ザイオンは、四肢に力を込めた。
拓也に教わった「脱力」を維持しながらも、脚力のバネを極限まで圧縮し――地表を蹴った。
シュバッッッ!!
残像すら残さない神速の跳躍。
巨大な銀色の綿飴が、一瞬にして弾丸と化し、赤熱するフリスビーの軌道を追って空中へと飛び出した。
ちょうど、その真上――上空三百メートル。
「ギシャァァッ!」
エレーナの合図を受け、急降下襲撃を仕掛けようとしていた第一の巨大グリフォン。
そのパイロットである騎士団員が、ふと下を見た瞬間――。
「……ん? なんか下から、真っ赤に燃える円盤と……巨大なモフモフが飛んできて――」
ドカァァァァァァンッッッ!!!!
激突、という表現すら生ぬるかった。
三月の投げた五百キロのミスリルフリスビーが、グリフォンの頑丈な装甲翼の先端をミリ単位でかすめ、その衝撃波だけでグリフォンの全身の羽毛が根こそぎ吹き飛んだ。
そしてその直後――。
「キャウ〜ンッ!(邪魔だァァァッ! 今、主の玩具をキャッチする神聖なる遊戯の最中であるぞッ!!)」
フリスビーを追空してきたザイオンの巨大な前足が、じゃれつくような「ぽふっ」の感覚で、空中にいた第二・第三のグリフォンの眉間を【ペチッ】と軽く叩いた。
バチィィィィィィンッッッ!!!!
「ギエエエエエッ!?」
「ギャフンッッ!?」
ザイオンにとっては、拓也に叱られないための「極限の力加減(〇・〇〇〇〇一パーセント)」であった。
しかし、神獣の質量とマッハの速度が掛け合わされたその一撃は、巨大グリフォン二頭の頭骨を瞬時に陥没させ、首の魔導制御輪を粉々に粉砕。
二頭の巨鳥は、回転しながら雑木林の奥深くへと墜落し、そのまま地面に深さ五メートルのクレーターを作って白目を剥いて失神した。
そしてザイオンは、上空五百メートルの頂点において――。
ガチィッ!!
真っ赤に発熱していたミスリルフリスビーを、空中で見事に前歯でパチンとくわえ込んだ。
一分の狂いもない、完璧な空中キャッチであった。
「な……な……な……っ!?」
雑木林の木陰で、エレーナは持っていた【隷属の聖鎖】を地面に取り落としそうになりながら、全身をガタガタと震わせていた。
何が起きたのか、脳が理解を拒絶していた。
欧州最強を誇る聖獣騎士団のグリフォン三頭が。
ただの『フリスビー遊び』の余波で、羽毛をむしり取られ、空中で一瞬にして撃墜されたのだ。
「ば、化け物……! あれが……あれが飼い犬のじゃれ合いだというの……!?」
エレーナがパニックになり、逃げ出そうと踵を返した、その時であった。
スッ……。
背後の闇から、冷酷極まる長身の影が立ちふさがった。
日本探索者協会本部長・神宮寺蒼太。
そしてその横には、腕を組み、青白い雷を纏ったレオン・カーターが、地獄の鬼のような形相で見下ろしていた。
「……欧州の不届き者が、日本の公園で何をしている?」
神宮寺の声は、氷河の底のように冷たかった。
「ひっ……!? じ、神宮寺……それに雷帝レオン……!? なぜ、あなたたちほどのトップ探索者がこんな場所に……!?」
「決まってんだろうがよ」
レオンが、首の骨をゴキリと鳴らした。
「あのお方が……拓也様が、『犬の散歩をしてやれ』と仰せられたんだよ。
それはすなわち、この公園全体が【神聖なる安息区域】に指定されたってことだ。
そこに、てめぇらみたいな密猟のゴミ共が、薄汚い鎖を持って乱入しようだなんてなぁ……」
「た、助けて……! 私は欧州の名門ヴァシュタール家の――」
「知ったことか」
神宮寺が、冷淡に無線機へ向かって告げた。
「クロエ殿。欧州・聖獣騎士団の本部、並びにヴァシュタール家の所有する全領地・調教プラントの位置を特定せよ。
不知火凛殿の八咫烏、および遠征軍遊撃部隊へ通達。
『あのお方の眷属の散歩を妨害した大罪組織』として、本日夕刻までに【完全消去(更地)】にせよ」
『了解いたしましたッ!!』
クロエの冷徹な声が無線から響く。
「あ……あぁ……」
エレーナはその場にへたり込み、絶望のあまり涙を流して失禁した。
欧州の裏社会を牛耳っていた名門組織が、少女のフリスビー投げのわずか数分間で、地球上から跡形もなく消滅することが決定した瞬間であった。
そんな裏での凄惨な制裁劇など、三月たちは露ほども知らない。
タッタッタッ……!
空からふわりと着地したザイオンが、誇らしげにフリスビーを咥えたまま、尻尾をブンブンと振って三月の元へと駆け戻ってきた。
そして、三月の足元にお座りし、フリスビーをポトリと落とすと、前足を【ぽふっ】と三月の膝の上に乗せた。
「キャンッ!(取ってまいりました、三月殿! 拓也様に教わった通り、優しくお渡しいたします!)」
「わぁーっ! すごい、ザイオンちゃん! ナイスキャッチーっ!」
三月が満面の笑顔でザイオンの首元をワシャワシャと撫で回す。
「にゃはは! ザイオン、すっごく高くまで飛んだのにゃ! カッコよかったのにゃ!」
ルルがザイオンのモフモフに飛びつき、ポチも頭の上で「(見事ナ制空権ノ確保デシタ!)」と翼を振った。
「えへへ、楽しかったね! 拓也が起きてお腹空かせる前に、スーパーでお肉買って帰ろっか!」
「キャンッ!」
「にゃーっ!」
「キュピィ!」
夕暮れの穏やかなオレンジ色の光に包まれながら、三月と神獣たちは、仲良く手を繋ぎ、足並みを揃えて公園を後にした。
世界を救った最強の姉と、愛を知った人造の神獣たち。
彼らの歩む帰り道には、ただ温かな家族の団欒と、今夜の夕飯へのささやかな期待だけが、どこまでも優しく満ち溢れていたのである。
(第353話へ続く)
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