第三十五話:深淵への回廊、重なる牙
「監視用魔導回路」の埋め込み手術まで、残された時間はあと三週間。
三月は、第八層を拠点とすることに固執していた。ここを「単なる通過点」として消費する攻略パーティの喧騒は、三月にとって最高の隠れ蓑だったからだ。だが、彼女の進化は、もはや第八層の魔獣では満たされない段階に達していた。
(……もっと。もっと高密度の魂を)
彼女は、攻略パーティの集団が通り過ぎるのを見送ると、あえて彼らとは逆のルート、誰もがわざわざ踏み込まない「迷宮の歪み」へと足を向けた。
そこは、第八層から第九層、そしてその先へと繋がる、本来は攻略の必要がない「枝分かれした狭間」だ。
三月は、周囲に気配がないことを確認すると、磁力操作で壁面の岩を穿ち、隠し通路を作り出す。
彼女は、数日かけてこの場所を「食卓」へと改造していた。
(第八層の魔獣を喰らい尽くす。それだけじゃ、回路の監視網をねじ伏せるほどの魔力回路は作れない)
彼女の捕食は、エスカレートしていた。
単なる単体狩りではない。第九層へ続く狭間で、彼女は自ら囮となり、複数の魔獣をこの閉鎖空間へと誘い込む。
『気配察知』が、複数の足音を捉える。
『狂乱の魔鎧兵』が二体、そしてその背後に『ストーン・ゴーレム』。
通常、探索者が遭遇すれば即座に撤退する凶悪な組み合わせだ。だが、今の三月にとって、それは「高効率な栄養源」でしかなかった。
「……全部、まとめて喰らってあげる」
三月は、磁力操作でゴーレムの関節を強引に捻じ切った。
崩れ落ちる巨岩。その隙間に魔鎧兵が飛び込む。
彼女は狂ったような速度で、二体の魔鎧兵の核を同時に突き刺した。
魂の奔流が、彼女の器へ雪崩れ込む。
そのたびに、三月の肉体は軋み、人間としての形を保つのが困難になるほどの膨大なエネルギーが渦巻く。
(……まだ、足りない)
彼女は、日々迷宮の奥へと潜る位置をずらしている。
今日は第八層の端、明日は第九層の入り口付近。
彼女は「八層の探索者」という仮面を被りながら、その足で確実に深層の領域を侵食し始めていた。
突如、通路の奥から聞き慣れない足音が響いた。
それは、攻略パーティの重い足音ではない。もっと静かで、無機質な歩調。
三月は瞬時に魔獣の残骸を磁力操作で壁の裏へ隠し、息を殺した。
通路の角から現れたのは、協会所属の調査員の一人、ヴォルグだった。
彼は、魔獣の死骸を検分するように、鋭い眼光を床に走らせる。
「……魔力の残留反応が濃いな。ここで誰かが、相当な数の魔獣を解体したのか?」
ヴォルグの呟きが、静寂に響く。
三月は、壁の裏で心臓を止めんばかりに耐えた。
もし今、見つかれば――終わる。
(……隠れなきゃ。もっと深くへ。もっと、誰にも見つからない場所へ)
彼女の進化は、協会という籠の中での均衡を崩し始めていた。
手術まで残り三週間。
彼女は、自分が「餌」を狩る捕食者であると同時に、協会から「獲物」として狙われているという現実に、今更ながらに震えた。
それでも、彼女の手は魔獣の核を離さない。
家族への愛が、彼女を怪物としてではなく、強き守護者として完成させていく。
彼女は、ヴォルグが去るのを待ち、ふらつく足で迷宮の出口を目指した。
血に染まった手袋を強く握りしめ、明日もまた、何食わぬ顔でギルドの門をくぐる。
その瞳の奥には、もはや高橋への恐怖などない。
あるのは、いつかこの迷宮の底から、組織そのものを喰い破るための静かなる殺意だけだった。
第三十五話をお読みいただき、ありがとうございました!
「第八層=通過点」という認識を利用しつつ、そこからさらに「攻略外の歪み」へ踏み込み、より危険な魔獣を狩ることで成長を加速させる三月。
しかし、協会側もついに「魔力の残留反応」から三月の異常に気づき始め、追っ手が迫ります。
協会という「追跡者」と、深層へ向かう「捕食者」。
ギリギリの攻防が加速していきます!
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それでは、第三十六話でお会いしましょう!




