第348話:純金の首輪と、質屋売却の危機
ガラガラッ!
「ただいまーっ! 拓也、お昼ごはんの材料買ってきたよー!」
新宿の探索者協会本部で数百億円の最新鋭測定器を木っ端微塵に消し飛ばし、国家最高規格の認可を勝ち取ってきた如月三月が、何事もなかったかのような満面の笑顔で玄関の引き戸を開けた。
その手には、駅前のスーパーで追加購入した卵のパックと、大盛りのチキンライスの具材が入ったレジ袋が提げられている。
「キャンッ!(ふぅ……現世の法的手続きという名の戦場より、無事に生還したぞ……)」
ザイオンは、フローラルな柔軟剤の香りを漂わせながら、ホッと安堵の息を漏らして板張りの廊下に伏せをした。
その首元には、百円ショップの赤ドット柄バンダナに加え、神宮寺から恭しく捧げられた【最高特級神聖使役獣認可証】――二十四金無垢の極厚プレートに、親指大のダイヤモンドが贅沢に埋め込まれた眩いばかりの純金首輪が、ジャラリと鈍く輝いていた。
その頭の上では、手のひらサイズのミニドラゴン・ポチが、三月のお手製ミニマフラーを巻き直しながら、誇らしげに鼻息をフンスと鳴らしている。
「キュピィ!(や、ヤリマシタネ先輩! 我ラハ国家公認ノ完全無欠ナル飼イ犬ト飼イトカゲニナッタノデス! モウ保健所ニ送ラレル心配ハアリマセン!)」
「にゃはは! ルルもお利口に待てできたから、三月お姉ちゃんにプリン買ってもらったのにゃ!」
ルルは、がま口財布を揺らしながら、デザートのプリンを両手で掲げてご機嫌に尻尾を振っていた。
兵器として造られ、常に処分と破壊の恐怖に怯えていた人工生命体たちにとって、首に巻かれた重みのある純金プレートは、まさに「この温かな家の一員である」という何よりの免罪符のように思えたのだ。
……しかし。
「……ん? 三月、帰ってたのか」
二階から、高校の制服のネクタイを緩め、ブレザーを脱ぎ散らかした拓也が階段を降りてきた。
午前中の実力テストと授業を終え、昼休みに一旦帰宅した拓也は、ひどく眠たそうに目をこすりながらリビングへ入ってきた。
「あ、拓也! おかえりー! 午前中の学校、お疲れ様!」
三月がエプロンをキュッと結び直し、フライパンを取り出す。
「拓也のリクエスト通り、お昼はふわとろオムライスにするからね! ポチちゃん、またコンロの弱火お願いできる?」
「キュピィッ!(喜ンデ! 我ガ神罰ノ炎、極上ノ半熟タマゴノタメニ捧ゲマショウ!)」
ポチはビシッと敬礼し、換気扇の定位置へと羽ばたいた。
「おう、頼むわ。今日の実力テスト、数学の計算量が多くて頭痛いんだよ……」
拓也は深いため息をつきながら、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注いだ。
そして、喉を潤しながら、ふと足元で大人しくお座りをしているザイオンへと視線を落とした。
ゴクッ、ゴクッ……ぶふぅッッッ!!!!
拓也は、飲んでいた麦茶を盛大に吹き出した。
「ゲホッ、ゴホッ! ……な、なんだこれぇぇぇぇっ!?」
拓也の目が、皿のように丸くなった。
少年の視線は、ザイオンの首元でギラギラと狂ったように黄金の輝きを放つ、あまりにも場違いで豪奢すぎる「純金とダイヤモンドの首輪プレート」へと完全に釘付けになっていた。
「お、おい三月……! なんだよこれ! なんでこの犬の首に、プロ野球の優勝トロフィーみたいな金塊がぶら下がってんだよ!?」
「え? あ、それね! さっき探索者協会に行って、ペットの登録してきたんだよー! そしたら受付の人が『特級の鑑札です』って言って、タダでくれたの!」
三月は、チキンライスを炒めながら明るく答えた。
「タダでくれるわけねぇだろ、こんなもん!!」
拓也はザイオンの首元にしゃがみ込み、プレートを指先で持ち上げた。
ズシッ……と、腕に伝わる本物の金の圧倒的な質量。
表面には精緻な魔法文字で『国家不可侵特級神聖使役獣』と刻まれており、中央にはどう見ても数千万円は下らない巨大なブリリアントカットのダイヤモンドが燦然と輝いている。
「おまっ……これ、メッキじゃないぞ!? 本物の金無垢だ! しかもこのダイヤ、本物ならこれだけで家が一軒建つぞ……!?」
拓也の右眼の『深層言語・限定解析』が、頼んでもいないのに瞬時に金属の純度と宝石の光屈折率を並列計算し、恐るべき資産価値を脳内に叩き出していた。
「……待てよ。協会がこんな高価なもんを、無名の一般探索者にタダで渡すわけがない……」
拓也の視線が、スッと冷たく細められた。
その瞳の奥に宿る、鋭利な疑念の光。
「おい……ザイオン。お前……まさか、協会の宝物庫かどっかから、これ盗んできたんじゃないだろうな?」
ヒュオオオオオオオッ……!!
その疑惑の一言が放たれた瞬間、リビングの空気が再び絶対零度へと凍りついた。
(ぎゃあああああああああっ!?)
ザイオンの全身の銀毛が、爆発したように逆立った。
(ち、違う! 断じて違う! 俺は落ちていたものを拾ったわけでも、盗みを働いたわけでもない! 神宮寺という白髪の男が、涙を流しながら『どうかお受け取りください神使様!』と押し付けてきたのだァァァッ!!)
ザイオンは必死で首を横に振ろうとしたが、拓也の冷徹な分析は止まらなかった。
「うちみたいな築三十年のボロ家に、こんな純金のプレートなんて置いてあったら、空き巣に狙われて一発で終わりだぞ。第一、分不相応すぎる……」
拓也は顎に手を当て、ブツブツと現実的な計算を呟き始めた。
「……近所の質屋……大黒屋あたりに持ってったら、いくらになるかな……。これ溶かして売れば、三月の大学の学費と、俺の老後資金まで全部賄えるんじゃねぇか……? いや、いっそのこと、この犬ごと珍しい希少魔獣専門のペットショップに引き取ってもらえば、維持費も浮くし一石二鳥なんじゃ……」
「ヒィィィィィィィッッッ!!」
ザイオンとポチの魂が、口からエクトプラズムのように半分抜け出た。
(し、質屋……!? そしてペットショップへの転売処分……ッ!?)
(指揮官様ガ……我ラヲ換金アイテムトシテ換算シテオラレルゥゥゥッ!!)
保健所という処刑場を回避したと思ったら、今度は『質入れ売却』という資本主義のリアルな地獄が口を開けて待っていた。
ザイオンは涙目で前足を合わせ、必死で「違います! 俺はお金に変えないでください! 足温器として一生懸命働きますから!」と懇願するように、拓也の足元へ体を擦り付けた。
「キャン、キャウ〜ン……!(どうか! どうかお慈悲を! 売らないでください指揮官様ァァァッ!)」
「うわ、なんだよ急にすり寄ってきて……。わかった、わかったから! 別に今すぐ売るとは言ってねぇだろ! とりあえず、その悪目立ちする金塊は外して、タンスの奥にしまっとけ!」
拓也が乱暴に頭を撫でると、ザイオンは「命拾いした……!」とばかりに床にへたり込み、四本の足をガクガクと震わせたのであった。
しかし――。
如月家のリビングでそんな「質屋売却パニック」が起きているその裏で、外界では恐るべき闇の陰謀が急速に動き始めていた。
東京都内の某所。
表向きは高級外車ディーラーの地下深くに作られた、強固な防音・防諜シェルター。
薄暗い円卓を囲むように、漆黒のスーツを着た数人の男たちがモニターを見つめていた。
彼らは、国際的な希少魔獣密売ギルド『ウロボロス』の幹部たち、そして先ほど極東拠点を壊滅させられた多国籍生体兵器カルテル『アンダー・キメラ研究所』の生き残り部隊であった。
「……見たか、先ほどの探索者協会本部の異常事態を」
顔に大きな火傷の痕を持つ男――密売ギルドの首領・ヴォルクが、葉巻の煙を吐き出しながら低く唸った。
モニターには、新宿本部ビルの測定室が木っ端微塵に爆発し、黒煙が立ち上る衛星映像が再生されている。
「協会の最新鋭測定器『Type-VIII』を一瞬で過負荷爆発させた、謎の白銀の巨獣……。噂では、体積を自在に変え、神代の魔力を秘めた幻の神獣だという」
「ええ、間違いありません」
キメラ研究所の残党である白衣の研究員が、血走った目でモニターの静止画を指さした。
そこには、三月に連れられてビルを出ていくザイオンの、ドット柄バンダナと純金首輪の姿が鮮明に捉えられていた。
「あれこそは……我が研究所が誇る最高傑作【検体コード:フェンリル】! 何者かによって体内の崩壊因子が解除され、完全体へと限界突破した奇跡の個体です! あの肉体さえ手に入れば、生体兵器の量産化が可能となり、裏社会の軍事バランスは一変する!」
「さらに、あの首に巻かれた純金プレート……あれは協会の【特級神聖認可証】だ」
ヴォルクが獰猛な笑みを浮かべ、机の上にナイフを突き立てた。
「あのプレートさえあれば、世界中のあらゆるダンジョン、あらゆる軍事境界線をフリーパスで通過できる。裏社会のブラックマーケットに流せば、アラブの石油王や海外マフィアが百億ドルを積んで買い取る究極のプラチナチケットだ」
「しかし、連れている飼い主の小娘は……確か、アビスゲートで名を馳せた如月三月とかいう女探索者です。正面から奪うのは危険では?」
「フン、所詮は年端もいかぬガキだ」
ヴォルクは冷酷に鼻を鳴らした。
「正面から戦う必要などない。奴らが住んでいるのは、下町の木造ボロ一軒家だ。防衛結界も警備システムもありはせん。今夜未明、特殊な高濃度睡眠ガスを家全体に散布し、意識を奪ったところで神獣と純金プレート、ついでにあの猫耳の小娘もまとめて攫う。
邪魔立てする家族がいれば、その場で処分しろ。あの家に住む無能力者の弟など、睡眠中に首を掻き切れば一秒で片がつく」
「「「了解!!」」」
裏社会のプロフェッショナルたちによる、如月家急襲作戦――通称【神獣強奪計画】が、完璧なタイムスケジュールと共に決定された。
神の逆鱗に触れれば、組織はおろか己の魂の構造ごと宇宙の塵にされることなど、哀れな悪党たちは夢にも思っていなかったのである。
一方、その頃。
新宿の防衛本部では、クロエ・アーヴィングが凄まじい眼光でキーボードを叩きつけていた。
『――傍受完了いたしましたッ!!』
クロエが立ち上がり、フロア全体に響き渡る声で告げた。
「先ほど、拓也様が純金プレートを目にされた際のご発言を解析いたしました!
拓也様は仰せになられたのです!
『こんな純金のプレートなんて置いてあったら、空き巣に狙われて一発で終わりだぞ』――とッ!!」
「な、何だとォッ!?」
神宮寺蒼太が目を見張り、レオン・カーターが身を乗り出した。
「クロエ殿! 指揮官様は、一体何を予見されたのだ!?」
「拓也様の全知の右眼は、すでに視通しておられたのです!」
クロエは、狂信の笑みを浮かべてスクリーンを指さした。
「純金プレートの放つ強大なる神聖波動に引き寄せられ、下界の害虫ども――裏社会の密売組織やカルテルの残党が、如月邸へと這い寄ってくる未来をッ!
拓也様の『空き巣に狙われる』というお言葉は、単なる懸念などではありません!
これは、『我が神殿を侵さんとする不届きな害虫どもを一箇所に誘き寄せ、一網打尽にすり潰せ』という、絶対の【殲滅トラップ発動命令】なのですッ!!」
「なんという深謀遠慮……ッ!!」
レオンが己の額を叩き、感嘆の唸り声を漏らした。
「あのお方は、自ら純金プレートを餌として晒し上げ、裏社会の膿を根こそぎ炙り出そうとしておられるのか! さすがは全宇宙の調律者だぜ!」
「不知火凛殿、並びに極星の全隠密部隊へ緊急招集!」
神宮寺が、冷徹な声で長刀の柄を握りしめた。
「如月邸の周囲十ブロックを、完全不可視の【絶対包囲殲滅網】で覆え!
今夜、あの家に近づく害虫どもを、一匹残らず神の餌食とするのだ!
ただし、指揮官様の安眠と、三月様の作られたオムライスの余韻を決して乱してはならん! すべて無音で、瞬時に、骨の一片すら残さず異次元へと埋葬しろッ!!」
「「「「了解ッッッ!!!!」」」」
世界最強の探索者軍団が、少年の何気ない「空き巣に狙われる」という一言を受け、裏社会の巨大組織を迎え撃つための完璧な迎撃態勢を敷き終えていた。
そして――如月家の食卓。
「はーい、拓也! 特製ふわとろオムライス、完成だよーっ!」
三月が、湯気の立ち上る大きなお皿をテーブルに置いた。
ポチの命懸けの弱火レーザーによって仕上げられたオムレツは、チキンライスの上でぷるぷると震え、ナイフを入れた瞬間にトロリと黄金の半熟卵が全体を包み込んだ。
その黄色い絨毯の上には、三月がケチャップで大きく、力いっぱいの文字でこう書かれていた。
『たくや だいすき ♡』
「……三月。あのさ、毎回思うんだけど、オムライスにこういう恥ずかしい文字書くのやめてくれない?」
拓也が顔を赤らめながらスプーンを握る。
「えへへ、いいじゃん! 愛情たっぷりなんだから!」
三月は満足そうに微笑み、向かいの席に座った。
テーブルの下では、タンスの奥に純金首輪を隠されたザイオンが、赤ドット柄のバンダナ姿に戻って安心しきった顔で拓也の足元を温めていた。
その横で、ルルが三月から分けてもらった小さなオムライスを「おいしいのにゃ〜!」と頬張り、ポチが満足げに喉を鳴らしている。
「……ん、うまいな。チキンライスの味付け、ちょうどいいわ」
拓也がスプーンを口に運び、美味しそうに頬を緩める。
今夜、自宅の庭先で裏社会の巨大組織が音もなく全滅させられることなど、少年は露ほども知らない。
どこまでも平和で、どこまでも温かな如月家の昼下がりは、甘いケチャップの香りと共に、穏やかに流れていくのであった。
(第349話へ続く)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
お姉ちゃん(三月)の理不尽なまでの弟愛と、
周囲の全力すぎる深読み(アンジャッシュ)に振り回される拓也たちの日常、
少しでもクスッと笑っていただけたり、楽しんでいただけましたら幸いです!
「このテンポ感が好き!」「続きが気になる!」「ペットたちの明日はどっちだ!?」
と少しでも思っていただけましたら、
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