第347話:魔獣管理課の悲劇と、振り切れし測定針
週が明けた月曜日の午後。
秋晴れの青空が広がる中、東京都新宿区にそびえ立つ日本探索者協会本部ビルの前に、一台の……ではなく、一組のあまりにも目立つ集団の姿があった。
「えへへ、みんなお待たせー! 準備できたよー!」
快活な声を上げたのは、白いパーカーにデニムのショートパンツというラフな私服姿の如月三月である。
その手には、近所の百円ショップで買ってきたばかりの真っ赤なドット柄のバンダナと、ピンク色の首輪が握られていた。
「はい、ザイオンちゃん! 首にこれ巻こうねー! お母さんが『男の子だから赤が似合うわよ』って言ってたよ!」
「くぅ〜ん……(あ、有り難き幸せにございます、三月殿……!)」
体積三倍の巨大綿飴銀狼・ザイオンは、その神話級の首元にちょこんと小さなドット柄バンダナを巻かれ、大人しくお座りをした。
柔軟剤の甘いフローラルの香りを全身から漂わせながら、尻尾をパタパタとアスファルトに打ち付けている。
その頭の上では、手のひらサイズの白銀ミニドラゴン・ポチが、三月の手作りである毛糸のミニマフラーを首に巻かれ、誇らしげに胸を張っていた。
「キュピィ!(我ラノ正装デス! コレデ人間ノ役所ニモ怪シマレマセン!)」
「ルルもおめかししたのにゃ!」
ケットシーの少女・ルルは、三月のお下がりである黄色いダッフルコートを着て、首にはあのがま口財布をしっかりと下げ、ご機嫌でピョンピョンと跳ねている。
ことの発端は、今朝の如月家の朝食時であった。
トーストをかじりながら学校へ行く準備をしていた拓也が、ふとリビングの隅で丸まるザイオンたちを見て、ぼそりと呟いたのだ。
『……そういえばさ。犬とか珍しい動物飼うなら、ちゃんと探索者協会の魔獣管理課に行って登録しとけよ? 不法所持で見つかったら罰金取られるし、狂犬病の予防接種も受けさせなきゃいけないんだからな』
その言葉を聞いた瞬間、ザイオンの人工頭脳に激震が走った。
(……罰金……そして注射……ッ!?)
ザイオンにとって、『注射』とは研究施設で筋肉や魔力回路を強制的に改造される際に打たれた、太さ数センチの巨大注射針のトラウマそのものであった。
だが、それ以上に恐ろしいのは『不法所持による罰金』である。
もし自分たちのせいで如月家の家計にダメージを与えれば、今度こそ拓也に「金がかかるから捨てろ」と言われかねない!
そうして三月が「じゃあ、学校に行ってる間に私が登録に行ってくるね!」と引き受け、新宿の探索者協会本部へとやってきたのであった。
「よしっ! じゃあ中に入ろっか!」
三月が自動ドアを押し開け、ルルたちを連れてエントランスホールへと足を踏み入れた。
その瞬間――。
本部ビル最上階の統括作戦室では、けたたましいレッドアラートが鳴り響いていた。
『緊急警報! レベルSSS重要対象・如月三月様、および随伴眷属三体の侵入を確認! 本部正面ゲートより入館されましたッ!!』
通信席のクロエ・アーヴィングが、目を見開いて立ち上がった。
フロアにいた神宮寺蒼太、そして来日中のレオン・カーターが、凄まじい勢いでモニター前へと駆け寄る。
「な、何だと!? 三月様自らが本部に……!? 一体何の用件だ!?」
神宮寺が声を荒らげる。
「し、指揮官様――拓也様より今朝下された神託を傍受しております!」
クロエが、震える手で音声を再生した。
『……不法所持で見つかったら罰金取られるし、狂犬病の予防接種も受けさせなきゃいけないんだからな……』
「…………ッ!!」
神宮寺とレオンが、息を呑んで顔を見合わせた。
「『不法所持』……そして『予防接種』だと……!?」
レオンが額に青筋を立てて唸る。
「ええ、そうです!」
クロエが、狂信の光に目を輝かせながら断言した。
「拓也様は仰せなのです! 現世に顕現した神獣たちを、人類の法体系という名の【現世の秩序】に正式に組み込み、絶対不可侵の盟約を刻印せよ、と!
そして『狂犬病の予防接種』……! これは狂気に侵された下界の理を浄化し、神獣たちの聖なる力を現世に適応させるための【神聖儀式】に他なりません!!
もしこの手続きに不備があれば……『罰金』という名の天罰が下り、日本列島ごと経済崩壊の制裁を受けることになりますッ!!」
「な、なんという重大な儀式だ……ッ!」
神宮寺が戦慄のあまり震え上がった。
「魔獣管理課の全職員へ最優先指令!!
いかなる失礼も許されん! 指揮官様の眷属たちを、国賓……否、全宇宙の最高神の御使徒としてお迎えしろ!
少しでも手続きを滞らせた者は、即刻免職のうえ極北の氷河監獄へ送致するッ!!」
上層部が文字通り命懸けの厳戒態勢を敷いていることなど、一階フロアの三月たちは知る由もなかった。
「すみませーん! ペットの登録に来たんですけどー!」
三月は、総合受付を通り抜け、奥にある『魔獣・使役生物管理課』の窓口へとやってきた。
窓口のカウンター越しに対応したのは、眼鏡をかけた真面目そうな中年男性職員――山田であった。
山田は、突然現れた「美少女、巨大な綿飴のような銀狼、猫耳の少女、肩に乗るトカゲ」という異色の組み合わせに目を丸くした。
「あ、はい……ペットの……使役魔獣登録ですね? こちらの申請用紙に、種族名、危険度ランク、生息地域、主人のライセンス番号をご記入ください」
渡されたクリップボードを手に、三月は迷うことなくスラスラと記入していった。
【申請書】
・個体名①:ザイオン
・種族:ただの大型犬(すっごいモフモフ・柔軟剤のいい匂い)
・危険度:なし(拓也の足温器と安眠枕)
・特技:お座り、お手、床掃除
・個体名②:ポチ
・種族:白いトカゲ
・危険度:なし(目玉焼きの弱火専用コンロ)
・特技:温度調整
・個体名③:ルル
・種族:妹分(猫耳の可愛い女の子)
・特技:お使い、配膳
「はい、書けましたー!」
三月が笑顔で提出した用紙を受け取り、山田は眼鏡をクイッと押し上げた。
そして、用紙を一瞥した瞬間、ピキッと眉間が引き攣った。
「…………あの、如月さん?」
「はいっ!」
「種族欄に『ただの大型犬(柔軟剤のいい匂い)』とか、危険度欄に『足温器』とか書かれても困るのですが……。あと、こちらの白銀の爬虫類、骨格を見る限りどう見てもドラゴンの幼体……それも神代種に見えますし、こちらの狼も、毛並みから漏れ出る魔力密度が尋常ではありません……」
山田は、ため息をつきながら立ち上がった。
公務員としての職務に忠実な彼は、どんな相手であろうと規定の手続きを曲げるわけにはいかなかったのだ。
「規程により、新規登録される使役生物はすべて、奥の測定室にて【総合魔力波形および危険度ランク測定】を受けていただきます。形式的なものですので、あちらの検査室へどうぞ」
「はーい! ほらザイオンちゃん、ポチちゃん、体重測定だって! 行こー!」
三月に促され、ザイオンとポチは大人しく強化ガラスで囲まれた第1測定室へと入っていった。
測定室の中央には、最新鋭の魔力測定器『マグナ・アナライザー Type-VIII』が鎮座していた。
国家予算数百億円を投じて開発された、Sランク魔獣の魔力すら正確に測定可能な、日本探索者協会の最高峰測定システムである。
部屋の壁は厚さ五十センチのミスリル合金と対魔力衝撃フィールドで覆われており、万が一の暴走にも耐えられる設計となっていた。
観察室のガラス越しに、山田がマイクで指示を出す。
「それでは、まずその大きな犬……ザイオンくんから。中央の測定プレートに前足を乗せてください。魔力を流す必要はありません、自然な生体波動を計測します」
「キャン……(前足を乗せるだけでいいのだな?)」
ザイオンは、拓也の言っていた「不法所持で罰金」の恐怖を思い出し、できる限り身体を小さく丸めながら、恐る恐る前足を金属プレートの上へとチョンと置いた。
(極力……極力、魔力を抑えねば……! 拓也様に調律していただいたこの身体、下手に力を解放すれば、この建物ごと消し飛びかねん……!)
ザイオンは、全身の魔力回路を【〇・〇〇〇〇一パーセント】まで絞り込んだ。
ほんのかすかな、子犬がじゃれつく程度の生体波動。
しかし――。
ピッ。
接触センサーが反応した、そのコンマ一秒後であった。
ギュルルルルルルルルルルルッッッ!!!!
「……え?」
山田の喉から、間の抜けた声が漏れた。
コンソールパネルのデジタルメーターが、狂ったように数値を跳ね上げ始めたのだ。
【測定値:5,000…… 12,000…… 80,000…… 350,000……】
【警告:計測上限値(Aランク基準)を突破】
【警告:計測上限値(Sランク基準)を突破】
【警告:未定義領域(ディープ・アビス級)へ突入】
キリキリキリキリッ!! ガガガガガッ!!
アナログ式の補助メーターの頑丈な針が、マッハの速度で右端へと振り切れ、ストッパーの金属ピンに激突した。
激突してもなお針は止まらず、金属ピンをへし折り、文字盤のガラスを内側から粉々に突き破った。
「な、なんだこれは……!? 故障か!? ゼロが六個……いや八個足りないぞ!?」
山田が血相を変えてコンソールを叩く。
だが、異常事態はそれだけにとどまらなかった。
ザイオンの足元から、拓也が無自覚に施した『神聖調律』の純白の余剰魔力が、制御しきれずに微量だけ漏れ出したのだ。
ピシッ……ピキキキキッ!!
「ヒィッ!?」
厚さ五十センチのミスリル防壁に、無数の亀裂が走り始めた。
部屋中の計器類からバチバチと青白い火花が吹き荒れ、天井のスプリンクラーが一斉に破裂する。
さらには、新宿区一帯の送電網が過負荷により悲鳴を上げ、本部ビル全体の照明が激しく明滅を繰り返した。
【システムエラー:魔力飽和限界を超過】
【コア温度:摂氏四千度を突破】
【退避シテクダサ――】
ドカァァァァァァンッッッ!!!!
爆音と共に、数百億円の最新鋭測定器『Type-VIII』が、真っ赤な炎と黒煙を上げて木っ端微塵に爆発四散した。
観察室の耐圧ガラスにヒビが入り、山田は爆風で後方の書類棚へと吹き飛ばされ、紙吹雪の中で白目を剥いてへたり込んだ。
「……あ、あれれ?」
煙が立ち込める測定室の中で、三月がキョトンとした顔で首をかしげていた。
爆風の直撃を受けながらも、三月の服や髪には埃一つついていない。
ザイオンもまた、焦げた測定器の残骸の前で、「わ、我は何もしておらんぞ……!」とばかりに慌てて両前足を引っ込めてプルプルと震えていた。
「山田さん、大丈夫ですかー? 最近の機械って、ずいぶん脆いんですねー!」
三月が、破壊された強化ガラスの穴からひょっこりと顔を出し、無邪気に手を振った。
「ひ、ヒィィィィッ……!!」
腰を抜かした山田の口から、泡混じりの悲鳴が漏れ出る。
「ば、化け物……! ただの大型犬などではない……! あれは……あれは神話の終末巨獣……フェンリルの再来だァァァッ!!」
その時であった。
バァァァァァンッ!! と、検査室の防犯隔壁が外側から力任せに蹴破られた。
「神獣様ッ! 御無礼をお許しくださいッ!!」
砂煙を突き破って飛び込んできたのは、額に青筋を立てた神宮寺蒼太と、レオン・カーター、そして十数名の黒服の精鋭探索者たちであった。
神宮寺は、床に転がる山田を一瞥すると、雷のような一喝を浴びせた。
「貴様ァッ!! あのお方の尊き眷属に対し、何という無礼な鉄クズをあてがったのだッ!!」
「じ、神宮寺本部長!? し、しかし規定の測定を――」
「愚か者がッ!」
神宮寺は山田の胸ぐらを掴み上げ、激昂した。
「指揮官様が調律されし至高の神使たちの器を、人間の作ったチンケなオモチャで測れるはずがなかろうがッ! 神の息吹に耐えきれず機械が自壊したのだ! 貴様の不手際により、神使たちのお手を汚すところであったぞッ!!」
「オーウ! まったくだぜ!」
レオンが呆れたように頭を抱える。
「見ろ、あの白銀の毛並みを! あの極上の柔軟剤の香りを! あれほどの気品と神聖さを放つ存在が、ただの『危険魔獣』なわけねぇだろうが! おい、今すぐ最高特級の鑑札を持ってこいッ!!」
「は、はいッ! ただちにッ!!」
駆けつけた職員たちが、純金で作られた最高格式の『特級神聖使役獣認可証』と、ダイヤモンドが埋め込まれた特製の首輪プレートを恭しくトレイに乗せて運んできた。
神宮寺は、ザイオンの前に膝をつき、両手でその純金プレートを捧げ持った。
「神使ザイオン様……! これにて現世における正式な登録は完了いたしました! 日本国および全世界の探索者協会は、貴方様方を【完全不可侵の特級神使】として認定し、いかなる法規制、検疫、立ち入り制限も免除することをここに誓約いたしますッ!!」
「キャン……?(え……? 登録、これで終わりなのか……?)」
ザイオンが目を丸くする。
「わぁーっ! すごい、金ピカの首輪だー! ありがとう神宮寺さん!」
三月が手を叩いて喜んだ。
「あ、そうだ! 神宮寺さん、狂犬病の注射ってどこで打ってもらえばいいんですか? 拓也が『注射も受けさせろ』って言ってたんですけど!」
「…………ッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、神宮寺、レオン、そして遠隔通信で聞いていたクロエの背筋が凍りついた。
(き、狂犬病の……注射……ッ!?)
(神獣の血肉に……現世の汚れた針を突き立てろというのか……ッ!?)
神宮寺は、脂汗を滝のように流しながら、必死に頭をフル回転させた。
もし神獣に針を刺し、万が一にも傷一つつければ、あの怪力姉の怒りを買い、この新宿本部ビルごと手動プレスでゴミキューブに圧縮されてしまう!
だが、拓也の「神託」を無視するわけにもいかない!
「……み、三月様! そ、その件に関しましてはッ!!」
神宮寺は、決死の覚悟で深々と頭を下げた。
「神獣様方の御力は、すでに現世のいかなる病魔や呪毒をも凌駕しております! ゆえに……当協会が誇る最高純度の聖水と、神聖アンプルによる【無痛・概念投薬】にて、完了したものとさせていただきますッ!! 針などという野蛮なものは一切不要にございますッ!!」
「えっ? そうなんだ! 最近の予防接種って痛くないんだねー! よかったね、ザイオンちゃん!」
三月がザイオンの頭をポンポンと撫でる。
(た、助かったァァァァァッ……!!)
ザイオンとポチは、心の中で抱き合って号泣した。
注射の恐怖からも解放され、合法的な身分証明書まで手に入れたのだ。
「それじゃあ、登録もできたし帰ろっか! 拓也のお昼ごはん、オムライス作らなきゃ!」
三月は純金のプレートを受け取ると、ルルたちを連れて、鼻歌交じりに破壊された検査室を後にした。
残されたのは、粉々に吹き飛んだ数百億円の測定器の残骸と、床に崩れ落ちて放心する山田、そして「また一つ、地球の危機を乗り越えた……」と感涙に咽ぶ神宮寺たちであった。
こうして、神獣たちの「公的手続き」は、新宿を震撼させる大惨事(?)を引き起こしながらも、完全なる超法規的特権を勝ち取って幕を閉じたのである。
(第348話へ続く)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
お姉ちゃん(三月)の理不尽なまでの弟愛と、
周囲の全力すぎる深読み(アンジャッシュ)に振り回される拓也たちの日常、
少しでもクスッと笑っていただけたり、楽しんでいただけましたら幸いです!
「このテンポ感が好き!」「続きが気になる!」「ペットたちの明日はどっちだ!?」
と少しでも思っていただけましたら、
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