第341話:第三十階層『深淵の玉座』。終末の特異点と、掃除のあとの二度寝(後編)
第三十階層【深淵の玉座】。
アビスゲートの最奥にして迷宮の完全なる意志『アビス・コア』は、三月の神域の握力による【如月家秘伝・手動ゴミ圧縮プレス】によって、角のピシッと立った十センチ四方の「四角いお掃除キューブ(SSSランク魔核)」へと成形され、完全なる沈黙を迎えた。
「キャン(……終わったな、ポチ)」
「キュピィ(ハイ、先輩……。世界ヲ滅ボス概念神ガ、インテリア用ノ置物ニサレテシマイマシタ……)」
体積が三倍に膨れ上がったフローラル・モフモフ銀狼と、手のひらサイズのミニドラゴン(ポチ)が、寄り添い合いながら遠い目をしていた。
その背中で、ルルが「お部屋がピカピカにゃー!」と無邪気に拍手をしている。
「よしっ! 拓也に言われた通り、お部屋のお掃除もゴミ捨てもぜんぶ終わったよ!」
三月は、カチコチに圧縮された四角いアビス・コアを満足げに亜空間ポーチへとしまい、満面の笑みを浮かべた。
しかし――物語の結末は、まだ終わっていなかった。
深淵迷宮の最深部で引き起こされた、あの『空間を満たす概念の完全吸引』と『万物をねじ伏せる超高密度圧縮』。
その規格外すぎる超常エネルギーの奔流が、次元の壁を突き破り、アビスゲートの入り口――東京・新宿の上空へと一気に逆流していったのである。
同時刻。
アビスゲートの外、東京・新宿の上空。
そこは、まさに人類史上最大の『絶体絶命の危機』を迎えていた。
「グオオオオオオオオッ!!」
「ギャアアアアアアッ!!」
空を覆い尽くすアビスゲートの裂け目から、最後の悪あがきとばかりに、何百万、何千万という災厄の濁流が溢れ出していた。
黒く濁った終末の瘴気、大気を腐食させる毒の霧、そして空を埋め尽くす異形の軍勢。
東京の空は昼間であるにもかかわらず、太陽光が一切届かない漆黒の闇に飲み込まれていた。
「クソッ……! ゲートの向こうから、底なしの悪意が溢れ出してきやがる……!」
レオン・カーターが、全身の雷撃を振り絞りながら膝を突き、血を吐いた。
すでに装備はボロボロ、魔力も底を突きかけている。
「いかん……。この瘴気の質量は、もはや一つの大陸に匹敵する……! ゲートが完全に崩壊すれば、東京どころか日本列島そのものがこの不浄の泥に沈んでしまうぞ……!」
神宮寺もまた、折れかけた愛刀を地面に突き立て、かろうじて立っている状態であった。
これまでの階層の余波(漂白バフや電源切断バフ)によって幾度も救われてきた彼らだったが、最後にゲートの最奥から吐き出されたこの『深淵の総質量』は、個人の武勇でどうにかなる規模を遥かに超越していたのだ。
街中のサイレンが鳴り響き、防衛本部はパニックに陥り、世界中の監視衛星が新宿の壊滅を予測していた。
人類に残された時間は、あと数分。
誰もが最期の祈りを捧げようとした、まさにその瞬間だった。
ゴウッ!!!!
新宿の上空、アビスゲートの真ん中に、突如として『目に見えるほどの超極大の引力』が顕現した。
「……な、なんだ!? 空間が……歪んで……!?」
レオンが、引き攣った顔で空を見上げる。
迷宮の最深部で三月が放った【超重力掃除機】の余波。
それが、戦場全域を巻き込む『概念完全吸引パルス』となって解き放たれたのだ。
ズドドドドドドドドドッ!!!!!!!!
「ギ、ギャアァァァァァァッ!?」
信じられない光景が、新宿の空で展開された。
東京全域を覆い尽くしていたはずの何百万匹もの魔獣の群れが。
日本を沈めようとしていた何億トンもの不浄なる黒い瘴気と毒霧が。
まるで、巨大な掃除機のノズルを突きつけられた部屋のホコリのように、逃げる間もなく、渦を巻いてその中心点へと猛烈なスピードでズボボボボボッ! と吸い込まれ始めたのである!
「な……吸い込まれていく……!? 敵の軍勢も、大地を腐らせる瘴気も……すべてが、空の一点へ……!?」
神宮寺が、信じられないものを見る目で空を凝視する。
どれほど暴れ回ろうと、あらゆる物理法則をねじ伏せる圧倒的な神の引力の前では、災厄の濁流は文字通り『ハウスダスト』でしかなかった。
わずか数十秒のうちに、空を埋め尽くしていた闇は根こそぎ吸引され、新宿の上空には澄み渡るような青空がぽっかりと広がっていったのだ。
だが、奇跡はそれだけでは終わらなかった。
「吸い取った……だけじゃないぞ!? 見ろ、あの中心を……!!」
レオンが叫ぶ。
空の中心に集められた、大陸一つ分に匹敵する超巨大な災厄の塊。
それに対し、次元を超えて『見えない二つの神の御手』が、左右から容赦なく襲いかかったのだ。
ギチギチギチギチッ……!!
メキメキメキメキッ!!!!
三月が放った【如月家秘伝・手動ゴミ圧縮プレス】の余波であった。
空間ごと、万物の悪意と質量を力任せに押し潰す、神域の腕力。
何万立方メートルという超巨大な絶望の塊が、巨大なプレスマシンに挟まれた空き缶のように、物凄い勢いで圧縮され、体積を縮めていく。
「ア、アバババババッ!?」という魔獣たちの最後の悲鳴が、圧縮の圧力によって押し潰されていく。
十メートル。
五メートル。
一メートル。
そして――。
ピキィィィィィィンッ……!!
清らかな高音の電子音が、静まり返った東京の空に鳴り響いた。
大陸を沈めるはずだった終末の災厄は、信じられないほどの超高密度によって押し固められ……最終的に、縦十センチ、横十センチの『ピカピカに輝く四角いクリスタルキューブ』へと成形されたのである。
ポスッ。
澄み切った青空から、その小さな四角いキューブが、放物線を描いて落下してきた。
そして、呆然と立ち尽くしていた神宮寺の足元のコンクリートの上に、まるでおもちゃのブロックのように、ちょこんと転がって止まったのだ。
「…………。」
「…………。」
新宿を埋め尽くしていた数万人の探索者、自衛隊員、そして防衛本部のモニターを見つめる司令官たち。
その場にいた全員が、呼吸を忘れて完全に硬直していた。
青空が、広がっている。
鳥が、チュンチュンと鳴いている。
悪臭も、瘴気も、魔獣も、塵一つ残っていない。
ただ、神宮寺の足元に、日本を滅ぼすはずだったエネルギーが極限まで四角く圧縮された『燃えないゴミ(魔核)』が、カチコチに固まって落ちているだけであった。
「……ハ……ハハハ……」
神宮寺の喉から、乾いた笑いが漏れ出た。
彼は、震える手でその四角いキューブを拾い上げると、まじまじと見つめ……そして、突然、両目から滝のような涙をボロボロと流し始めた。
「……なんという……なんという御業だ……!!」
神宮寺は、キューブを頭上に掲げ、空に向かって地面に激しく両膝と額を打ち付けた。
「敵を殲滅したのではない……! 世界を滅ぼすほどの終末のエネルギーそのものを、一握りの特異点へと収束させ、無害なる立方体へと『再構築』してみせただと……!? これは魔法でも武術でもない! 宇宙の因果律そのものを掌の上で捏ね繰り回す、神の【超重力特異点収束】だァァァッ!!」
「ウオォォォォォォッ!! 神宮寺の旦那の言う通りだァァッ!!」
レオンもまた、雷のオーラを天に向けて打ち上げ、顔中を涙と鼻水でグシャグチャにしながら絶叫した。
「東京を救っただけじゃねぇ! 街のチリ一つ傷つけず、災厄そのものを『手のひらサイズの宝石』に変えちまいやがった!! 如月拓也……! あんたはやっぱり、世界を統べる本物の神、いや【全宇宙の創造主】だァァァァァッ!!」
「「「「指揮官様ァァァァァッ!!!! 神よォォォォォッ!!!!」」」」
新宿の防衛ラインにいた数千人の屈強な探索者たちが、一斉に地面に平伏し、天に向かって祈りを捧げ始めた。
もはや軍隊の凱旋ではない。
完全に、世界を救った唯一絶対の神を讃える『狂乱の宗教大礼拝』が、新宿のど真ん中で繰り広げられていた。
もちろん、彼らは知らない。
この終末の特異点収束が、「部屋の隅に溜まったホコリを掃除機で吸い込み、紙パックがいっぱいだから手動でゴミを押し固めた」という、理不尽極まりない『如月家の週末の掃除テクニック』の余波に過ぎないという事実を。
そして、彼らが全宇宙の創造主と崇め奉る少年指揮官が、現在自室のベッドで。
「……むにゃ……。ふぅ……」
拓也は、夢の中で綺麗になった自分の部屋を見渡し、満足そうに口元を緩めていた。
「……部屋のホコリも……全部吸い取って……ゴミも、ゴミ箱に捨てたし……。あー……スッキリした……」
拓也は、よだれの染みた枕をギュッと抱きしめ、幸せそうに掛け布団を頭まで被り直した。
「……やっぱり……部屋を掃除したあとの……昼寝(二度寝)が……世界で一番……気持ちいいや……むにゃ……スゥ……」
と、何十万人もの英雄たちが涙を流して自分を崇拝しているその瞬間にも、ただの『掃除後の最高に贅沢な二度寝』を満喫しながら、さらに深い深い眠りへと落ちていったという事実も。
そして。
カツン、カツン、と。
静まり返った新宿の青空の下、空間にぽっかりと開いたゲートの出口から、足音が響いた。
「あ! お空が青い! 新宿に戻ってきたー!」
最初に姿を現したのは、大剣を肩に担ぎ、埃一つついていない体操服のようなジャージ姿の少女――如月三月。
その顔には、世界最高難度の迷宮を踏破した疲労など微塵もなく、まるで近所のスーパーにお使いに行ってきたかのような無邪気な笑顔が咲いていた。
「にゃははー! お外の空気、気持ちいいのにゃ!」
「……キャン(あぁ、本当に長かった……)」
「キュピィ(我ラ、生キテ帰ッテコラレタノデスネ……)」
三月の後ろからは、ルルを背中に乗せ、全身から極上のフローラルな香りを漂わせる『体積三倍の巨大綿飴銀狼』ザイオン。
そして、そのザイオンのフワフワの毛皮に埋もれ、完全にペットのトカゲとして定着した元・神代の古竜ポチが、仲良く肩を並べて歩み出てくる。
「おーい、神宮寺さん! レオンさん! アビスゲートのお掃除、ぜんぶ終わったよー!」
三月が、無邪気にブンブンと手を振る。
その足元に転がっていたのは、綺麗に畳まれたシーツ(第27層ボス)、粗大ゴミの鉄屑(第28層ボス)、そして手のひらの四角いお掃除キューブ(第30層ボス)。
平伏していた数千人のSランク探索者たちが、息を呑んで顔を上げた。
彼女の背後に見えたのは、ただ一人の少女の姿ではない。
その遥か後方、通信機の向こう側で静かに世界を統括していたはずの『見えざる絶対の指揮官・如月拓也』の、計り知れない神の威光であった。
「……あぁ、三月殿……! そして、見えざる指揮官殿……!」
神宮寺が、四角いキューブを胸に抱きしめ、感涙に咽びながら立ち上がった。
「深淵の門……第三十階層、完全踏破……! 人類は……彼らの手によって、救われたのだァァァッ!!」
ワァァァァァァァァァッ!!!!!!
青空の下、新宿の街に割れんばかりの歓声とファンファーレが轟き渡った。
世界を震撼させたアビスゲートの脅威は、こうして幕を閉じた。
覚醒したスキルの死闘でもなく、血で血を洗う戦争でもなく。
ただひたすらに、姉の理不尽な怪力と、弟の怠惰な生活感――そして、狂信者たちの美しすぎる勘違いによって。
最強の姉と、最強のお荷物(指揮官)の伝説は。
この日、世界の歴史に『神話』として、深く、そして永遠に刻まれることとなったのであった。
最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございます!
これにて、長きにわたって連載してまいりました【第四章:深淵の門編】、堂々の完結となります!!(第341話)
最後は、三月お姉ちゃんが第30階層で放った「重力掃除機」と「手動ゴミ圧縮プレス」の余波が、新宿の空に【超重力特異点収束】として炸裂!
日本を沈めるはずだった終末の災厄が、掃除機のホコリのように綺麗さっぱり吸い取られ、カチコチの四角いクリスタルキューブ(燃えないゴミ)として神宮寺の足元にポトッと落ちるという、本作屈指の壮大なアンチクライマックスでお届けいたしました(笑)。
外のSランクおじさんたちは案の定、「宇宙の創造主だァァァッ!」と地面に額を擦りつけて大号泣の礼拝状態。
一方の拓也は、「部屋を掃除したあとの昼寝が一番気持ちいい」と幸せそうに二度寝中。
そして、体積3倍のフローラルモフモフ狼と、すっかりトカゲ化した古竜を連れて、爽やかに青空の下へと凱旋する三月お姉ちゃん!
この圧倒的な日常と非日常のギャップ、そして勘違い(アンジャッシュ)の連鎖を、最後まで駆け抜けることができました。
これもひとえに、いつも温かい応援の声を届けてくださる読者の皆様のおかげです!
次回からは、いよいよ【第五章:新章突入編】へと物語が進みます!
アビスゲートを完全踏破し、世界中の英雄たちから神と崇められることになってしまった如月姉弟に、次は一体どんなトラブル(と拓也の寝言)が待ち受けているのか!?
もし「この第四章のラスト、最高に笑った!」「おじさん達の信仰心が限界突破してて良かった!」「新章も楽しみ!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価していただけると、今後の執筆の大きな、大きな励みになります!
新章(第342話)からも、どうぞよろしくお願いいたします!




