第336話:第二十九階層『創世の神竜峰』。神代の詠唱と、利用規約の物理スワイプ(前編)
第二十八階層『機巧の歯車城』。
冷徹な機械財閥による「記憶喪失(ただのデータ処理落ち)」というメロドラマの悲劇は、三月の「真っ赤なケーブル(キムチ)往復ビンタ」と、「大元の主電源引っこ抜き(強制終了)」という昭和の家電対応によって完全に粉砕された。
主電源を失い、真っ暗闇で完全沈黙した工場エリアを抜け。
三月とルルは、体積が3倍に膨れ上がった極上のフローラル・モフモフ狼の背中に揺られ、いよいよ深淵の門の『第二十九階層』へと足を踏み入れた。
アビスゲートの全階層は、三十層。
すなわちここは、最深部の手前、実質的な『最後の門番』が待ち受ける領域である。
「うわぁ……! お空が真っ赤だよ! 雲の下に、大きな山がいっぱいある!」
三月が、ゲートを抜けた先の光景に感嘆の声を上げた。
第二十九階層――そこは【創世の神竜峰】。
これまでのカジノや工場といった人工的な階層とは打って変わって、そこは『純度100%のハイファンタジー』の世界であった。
天を突くほどの巨大な霊峰が連なり、大気中には目に見えるほどの高密度のマナ(魔力)が黄金色の粒子となって渦巻いている。
「ふにゃ……。空気がビリビリするのにゃ。なんだか、とっても怖いお兄さんがいそうな気がする……」
ルルが、本能的な恐怖を感じてザイオンのフワフワの毛皮に深く潜り込んだ。
『お姉様! 第二十九階層への到達、確認いたしましたッ!』
インカムから、クロエ・アーヴィングのこれまでにないほど張り詰めた声が響く。
『そこは【創世の神竜峰】! アビスゲートの最深部を守護する、神話的魔獣の巣窟です! 観測される魔力反応は、これまでのSランク魔獣の数十倍……! 間違いありません、この階層の主は――』
「……よくぞ辿り着いた、小さき人の子らよ」
クロエの言葉を遮るように。
階層全体を揺るがすほどの、荘厳で、鼓膜ではなく『魂(脳)』に直接響くような重低音の声が轟いた。
ズズズズズズズズズズッ……!!
最も高い霊峰の頂から、巨大な影がゆっくりと翼を広げた。
全長百メートルを優に超える、白銀の鱗に覆われた六枚羽の巨大な竜。
周囲の空間そのものを歪めるほどの神聖なオーラを纏った、第二十九階層の主――『アビス・エンシェント・ドラゴン(Sランク上位)』。
それは、剣と魔法の世界における『最強』の象徴であり、ファンタジーの絶対的な権威(ラスボス格)であった。
「バ、バカな……! 神代の古竜だと……!? 神話の時代に滅びたはずの最強の種族が、なぜ迷宮の門番などに!」
ザイオンが、かつてのSランクの誇りすらも忘れさせるほどの圧倒的な『竜の威圧』を前に、ガタガタと震え上がった。
どれほど毛皮がフワフワに進化しようとも、生物としての絶対的な格付けが違う。
「我ハ、深淵の門番ニシテ、原初ノマナヲ統ベル者……」
白銀の古竜は、三月たちを蟻でも見るかのような冷徹な眼差しで見下ろし、ゆっくりと口を開いた。
「汝ラノ愚行モ、ココデ終ワリダ。……灰燼ニ帰スガイイ」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!
古竜が、天に向かって咆哮を上げた。
その瞬間、空が割れ、階層中の黄金のマナが古竜の周囲へと凄まじい勢いで収束していく。
同時に、古竜の周囲の空中に、何万文字にも及ぶ『黄金に輝く古代ルーン文字(魔法の詠唱)』が、まるでホログラムの滝のようにズラァァァァァッ! と浮かび上がったのだ。
「『我ハ、深淵ヨリ来タリテ……天ノ怒リト、地ノ嘆キヲ束ネル者……』」
「マズいぞ三月殿!! 奴は『超広範囲・神聖殲滅魔法』の詠唱に入った! 完全に発動すれば、この階層ごと俺たちは原子の塵にされるッ!」
ザイオンが血相を変えて叫ぶ。
「なら、発動する前に叩いちゃえばいいんだね!」
三月が大剣を構えて飛び出そうとしたが、ザイオンが前足で必死に引き止める。
「ダメだ! あれほどの大魔法の詠唱中は、術者の周囲に『絶対不可侵の理外の盾(詠唱保護バリア)』が自動展開される! どんな物理攻撃も、詠唱が終わるまでは絶対に届か――」
ザイオンの絶望の叫びの通り、古竜の周囲には幾重もの魔法陣が展開し、三月の行く手を阻む鉄壁のバリアとなっていた。
「『……星ノ瞬キハ絶エ、月ノ光ハ堕チ……無限ノ時ヲ超エテ、今ココニ顕現セヨ……』」
古竜の詠唱は続く。
それは、ハイファンタジーの格式を重んじる、極めて荘厳で、重厚で……そして。
(……長い。)
そう。あまりにも、長すぎたのである。
古代魔法の威力を高めるためとはいえ、空中を流れていくルーン文字はスクロールのテキストのように延々と下から上へと湧き出し続け、一向に終わる気配がない。
「『……七ツノ大罪ヲ浄化シ、九ツノ地獄ヲ焼き尽クス、絶対ナル断罪ノ炎ヨ……』」
「……お話、なっがいねぇ」
三月が、大剣を地面に突き立てて、ポリポリと頬を掻いた。
絶対絶命のピンチであるにも関わらず、あまりにも長すぎる「詠唱(待ち時間)」のせいで、緊迫感が徐々にダレ始めていた。
その時だった。
「……むにゃ。……新しいアプリ……利用規約、長すぎ……」
インカムの向こうから。
これまでずっと自室のベッドで爆睡していた『魔力ゼロの少年指揮官』――如月拓也の、これ以上ないほど現代的で怠惰な寝言が聞こえてきたのである。
『ハッ! 拓也様! お目覚めになられたのですね!』
クロエ・アーヴィングが、聖書(メモ帳)を構えて息を呑む。
「……細かい文字がいっぱい書いてあるけど……どうせ、誰も読まないんだから……むにゃ……」
拓也は、夢の中で「新しくダウンロードしたスマホゲーム」を起動していた。
しかし、ゲームを始める前に画面に表示された、スクロールしてもスクロールしても終わらない『長大な利用規約』に、すっかり辟易していたのだ。
「……こんなの、真面目に読んでたら日が暮れる……。画面、一番下まで……一気にスクロールして……」
拓也は、夢の中でスマホの画面を、指でシュパパパパッ! と猛烈な勢いでスワイプし、一番下までスクロールさせた。
「……『同意する』のチェックボックスに……ポチッ……。よし、これでゲーム開始……むにゃ……スゥ……」
拓也は、利用規約を一切読まずに強制的に同意ボタンを押し、そのままスマホを握りしめて再び深い安眠の世界へと旅立っていった。
『…………ハッ!!』
インカムの向こうで、クロエ・アーヴィングの眼の奥に、狂信的な光がギラギラと灯った。
『承知いたしました、拓也様ッ!! 敵が偉そうに宙に浮かべている古代の詠唱文など、誰も読まない『長ったらしい利用規約』に過ぎない! そんなものに付き合って待機するなど言語道断! 力ずくで一番下までスクロールさせ、強制的に【同意(強制実行)】させてしまえとの仰せですね!!』
クロエの狂信フィルターは、拓也の「単にスマホの利用規約を読み飛ばしただけの寝言」を、神代の古竜の絶対的なファンタジー詠唱を物理的に破壊するための『完璧な神の啓示』として完全に誤認(受信)した。
『お姉様! 拓也様より、神算鬼謀の戦術指示が下りました!』
「ほんと!? 拓也、なんて言ってたの?」
三月が、暇そうに欠伸をしながらインカムに問いかける。
『はい! 空中に浮かぶあの長ったらしい文字列(詠唱)を無視し、お姉様の【怪力】を用いて「一番下まで強制スクロール(物理)」させなさいませ! そして、文末にある『同意』のボタンを物理で叩き、敵の魔法を強制的に暴発させるのです!』
「なるほどー! 新しいゲーム始める時の、下までバーッて飛ばすやつだね! わかったー!」
三月は、ポンッと手を打って納得すると。
大剣を置き、素手のまま、古竜を護る『絶対不可侵の魔法バリア』へとトコトコと歩み寄っていった。
「『……我が名は終焉ノ――』」
「ねぇねぇ、それ長すぎるから、飛ばしていい?」
三月は、荘厳な詠唱を続けている古竜に向かってそう無邪気に言い放つと。
空中にホログラムのようにズラリと浮かび上がっている『古代ルーン文字の文字列』のど真ん中に、自らの両手をガシィィィッ!! と突っ込んだ。
絶対不可侵のバリア?
神域へと達した【怪力(極)】の前では、そんなものは「スマホの画面のガラスフィルム」程度の強度でしかない。
「なっ……!? 貴様、我が詠唱領域ニ何ヲ……ッ!」
古竜が、初めて驚愕に目を見開く。
「ギュイィィィィィィィンッ!!!!」
三月は、空中に浮かぶルーン文字列をガッチリと掴んだまま。
スマホの画面をスワイプするように、ものすごい勢いで両手を『真下』へと振り下ろしたのだ!
ズババババババババババッ!!!!
「ガ、グォォォォォォォッ!?」
それは、ファンタジーの理を根本から破壊する【物理スクロール】。
三月の神域の腕力によって、空中に展開されていた何万文字という古代魔法のルーンが、まるで早送りのビデオのように、強制的に『一番下(文末)』まで一瞬で引きずり下ろされてしまったのだ。
魔力の構築プロセスを物理的に早送りされた古竜の体内では、マナの逆流が起き、凄まじい悲鳴が上がる。
「よしっ、一番下まで飛んだ! あとは……『同意する』に、チェックだね!」
三月は、文字列の一番下、詠唱の核となっている古竜の顔面のド真ん中に向かって。
同意(ドンッ!)という名の、渾身のストレートパンチを放つべく、右拳を大きく後ろへと振り被った。
「マ、待テェェェッ!! ソレヲ押セバ、マナガ暴走シテ我ガ――」
「同意!!!!」
古竜のファンタジー的威厳に満ちた叫びを、現代の「利用規約スキップ(物理)」という身も蓋もない暴力が、無慈悲に粉砕しようとしていた。
次回(第337話・中編)、三月お姉ちゃんの「同意(物理パンチ)」が古竜の顔面に炸裂!
詠唱を強制的に終わらせられた古竜の魔法はどうなってしまうのか!? 契約(同意)の行方は!?
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次回(第337話)もどうぞよろしくお願いいたします!




