第327話:第二十六階層『運命の遊技場』。封じられた暴力と、絶望のルーレット(前編)
第二十五階層のSランクボス魔獣が、「睡眠妨害へのクレーム(物理遮断)」によってスリープモードに強制移行し、完全に沈黙した。
戦士としてのアイデンティティを完全に喪失した銀狼のザイオンは、ただ無心で背中に三月とルルを乗せ、次なる階層へのゲートを潜った。
しかし、その先に広がっていたのは、これまでの「迷宮」という概念を根本から覆すような、ひどく人工的で、狂騒的な空間であった。
「わぁ……! 目がチカチカするね。おもちゃ箱みたい!」
ゲートを抜けた三月が、目を丸くして感嘆の声を上げた。
第二十六階層――そこは【運命の遊技場】。
見渡す限りの空間に、極彩色のネオンサインがギラギラと輝き、無数のスロットマシンや巨大なルーレット台がズラリと並ぶ、魔界の『超巨大カジノ』であった。
「ふにゃ……。ピカピカしてて、なんだかうるさいのにゃ……」
ルルが、ザイオンの背中で耳を伏せる。
『お姉様! 第二十六階層への到達、確認いたしましたッ!』
インカムから、クロエ・アーヴィングのひどく緊張した声が響いた。
『そこは【運命の遊技場】! アビスゲートにおいて、最も理不尽で悪辣とされる「特殊ルール階層」です! ここでは、探索者のレベルやステータスは一切無意味! すべての勝敗は「運命」のみによって決まる――』
クロエが警告を言い終わるよりも早く。
「ようこそ、VIPルームへ。血生臭い野蛮なお客様方」
カツン、カツン。
優雅な足音と共に、巨大なルーレット台の奥から『一人の男』が姿を現した。
燕尾服をパリッと着こなし、顔の上半分を道化師の仮面で隠した、人間型のSランク魔獣。
第二十六階層の真の主――『アビス・ディーラー』である。
「……ッ! 三月殿、ルル、背中から降りて下がっていろ! こいつからは、妙な気配がする!」
ザイオンが、瞬時に獣の直感で『死の危険』を察知し、二人を背中から下ろして前に出た。
「お客様。当カジノでは、そのような野蛮な殺気はご法度ですよ」
アビス・ディーラーが、パチン、と指を鳴らした。
その瞬間。
第二十六階層の空間全体が、カァァァァッ! と眩い光に包まれた。
【絶対ルール:当カジノ内での一切の暴力行為・およびステータスによる物理的干渉を禁ずる】
空間の空中に、不気味なシステム文字が浮かび上がった。
「させんッ!」
ザイオンは、ルールが適用される前にケリをつけるべく、Sランクの超音速の踏み込みでディーラーの懐へと潜り込み、必殺の真空刃(爪)をその首筋へと振り抜いた。
シュパァァァァァァッ!!
しかし。
鋼鉄をも両断するはずのザイオンの凶爪は、ディーラーの首を『ただの幻影のようにすり抜けて』しまったのだ。
「なっ……!? 実体がないだと!?」
「いいえ、実体はありますよ。ただ……あなたは『ルール違反』を犯した。それだけのことです」
ディーラーが冷酷に微笑んだ直後。
ザイオンの頭上に、突如として『巨大なスロットマシン』が出現し、猛スピードで回転を始めた。
ガシャガシャガシャッ! ピタッ。
揃った図柄は、【力の没収】。
「ガ、アァァァァァァァァァッ!!?」
ザイオンが、喉をかきむしりながら絶叫した。
彼の中にあったSランク魔獣としての絶大な魔力と筋力が、システムによって強制的に吸い上げられていく。
光が収まった後。
そこにいたのは、屈強な銀狼の戦士ではなく……手のひらサイズの、プルプルと震える『小さな銀色の仔犬』であった。
「ふにゃ!? ザイオンお兄ちゃんが、ちっちゃいワンちゃんになっちゃったのにゃ!?」
ルルが悲鳴を上げる。
「キャンッ!? キャインッ!?(な、なんだこれは!? 力が……俺の力が……ッ!)」
ザイオン(仔犬)が、自身の小さな肉球を見つめてパニックに陥る。
「ザイオンお兄ちゃんをいじめるなー!」
三月が、激怒して自身の身の丈ほどもある大剣『魔鉄の塊剣』を抜き放った。
そして、神域へと覚醒した【怪力(極)】を全開にし、ディーラーごとルーレット台を叩き割ろうとフルスイングで大剣を振り下ろした。
ガキィィィィィィィィンッ!!!!
しかし。
三月の振るった、山をも吹き飛ばすはずのデタラメな物理の一撃は。
ディーラーの鼻先わずか1ミリの空間に展開された『透明なバリア』によって、完全に無効化され、弾き返されてしまったのだ。
「……えっ?」
三月が、初めて自身の物理攻撃が通じなかったことに、目を丸くする。
「無駄ですよ、お嬢さん」
ディーラーが、仮面の奥で嘲笑う。
「ここは、迷宮のシステムそのものが管理する『絶対ルール領域』。神であろうと、この空間内では暴力によって私を傷つけることはできません」
「そんなの、力いっぱい叩けば壊れるもん!」
三月が、さらに魔力を圧縮し、空間そのものを破壊しようと大剣を構え直した。
しかし、ディーラーは全く慌てることなく、手元のステッキで『ルル』を指差した。
「おや、壊しますか? 構いませんよ。しかし……次にあなたが『暴力』というルール違反を犯せば、今度はその猫耳の少女の頭上でペナルティ・スロットが回ります。……出目はもちろん、【死】に設定してありますがね」
「っ……!!」
三月の動きが、ピタリと止まった。
彼女自身は【堅牢(極)】によってどんなペナルティも弾き返せるかもしれない。しかし、ルルには無理だ。
自分の力任せの行動が、愛する妹の命を奪うことになってしまう。
(……三月殿! ダメだ、剣を収めろ! こいつの言う通り、ここはシステムが絶対の空間だ! 物理攻撃は逆効果になる!)
足元で仔犬になったザイオンが、必死にキャンキャンと吠えて制止する。
「……ルルちゃんには、指一本触れさせない」
三月は、ギリッと奥歯を噛み締め、大剣をスッと亜空間収納へとしまった。
これまでの階層で、すべてを物理とゴリ押しで蹂躙してきた最強の姉の『暴力』が、ここで初めて完全に封じじられてしまったのだ。
「賢明な判断です。……さぁ、お嬢さん。ルールに従い、席にお着きなさい」
ディーラーが恭しく一礼し、巨大なルーレット台の前の椅子を勧める。
三月は、震えるルルと仔犬のザイオンをしっかりと抱き抱えながら、ルーレット台の前に座った。
そこは、完全にディーラーの土俵。ステータスの一切通用しない、悪魔の遊戯盤。
「ルールは簡単です。『運命のルーレット』。あなたが勝てば、銀狼の力をお返しし、上の階層への扉を開けましょう。……しかし、あなたが負ければ、あなたたち全員の【命】を、当カジノが頂戴いたします」
ディーラーが、カチリ、と指を鳴らす。
目の前の巨大なルーレットの盤面が、まばゆい光を放ち始めた。
「ひどいよ……。こんなの、絶対にイカサマしてるにゃ!」
ルルが、三月の腕の中で泣きそうに叫ぶ。
「イカサマ? 人聞きの悪い。……ただ、少しばかり『ハウス側』が有利なだけですよ」
ディーラーが邪悪な笑みを浮かべ、盤面の確率を公開した。
ルーレットの盤面には、何千ものマスが存在している。
そのうち、三月たちが助かる『大当たりのマス(SSR)』は、針の穴ほどもない、わずか【0.01パーセント】の極小の1マスのみ。
残りの99.99パーセントは、すべて即死確定の『死のドクロマーク』で埋め尽くされていたのだ。
「さぁ! ゲームスタートです! 運命の女神は、果たしてどちらに微笑むか!」
カランッ……!
ディーラーが、無慈悲に銀色のボールをルーレットの中に投げ入れた。
ボールが、カラカラと絶望的な音を立てて、99パーセント死が確定している盤面の上を回り始める。
「っ……! 止まれ! ドクロ以外で止まれぇぇっ!」
三月が、祈るように盤面を見つめる。
しかし、ボールの勢いは徐々に落ち、無数のドクロマークが描かれたエリアへと、無情にも吸い込まれようとしていた。
『お、お姉様ァァァッ!!』
インカムの向こうで、クロエが絶望の悲鳴を上げる。
物理が無効化され、人質を取られ、勝率0.01パーセントの理不尽なゲームを強制される。
最強の姉とて、運命のシステムそのものを覆すことは不可能なのか。
ボールが『死』のマスに落ちるまで、あとわずか数秒。
パーティーが真の全滅の危機に瀕した、まさにその絶対絶命の瞬間だった。
どんな物理の化物でも、「暴力禁止(破ればルルちゃん即死)」というシステムルールと、ステータス無効の土俵に引きずり込まれれば、絶体絶命のピンチに陥ります。
ザイオンお兄ちゃんはペナルティで可愛い仔犬にされてしまいました(笑)。
勝率0.01パーセントの絶望のルーレット。ボールは今まさに「死」のマスに落ちようとしています。
果たして、この完全に詰んだ状況から、爆睡中の少年指揮官・拓也はどのような「寝言」で逆転の目をもたらすのでしょうか!?
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次回(第328話)もどうぞよろしくお願いいたします!




