第320話:第二十三階層『毒沼の迷宮』。規格外の換気扇と、浄化の神風(中編)
「次は換気扇だよー! みんな、飛んでいけぇぇぇぇっ!!!!」
如月三月の朗らかな掛け声と共に、彼女の細腕から放たれた『魔鉄の塊剣』の超音速フルスイングが、第二十三階層の空気を文字通り「へし折った」。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!
それは、魔法による風などという生易しいものではない。
神域へと至った【怪力(極)】と、巨大な鉄塊である大剣の質量が合わさって生み出された、純粋な『物理的暴風(剣圧)』である。
発生した超巨大な真空の竜巻は、階層全体を荒れ狂う洗濯機のように掻き回した。
「ゲロォォォォッ!?」
「ゲコガァァァッ!?」
毒沼の中に潜み、探索者を引きずり込もうと待ち構えていたAランク魔獣『アビス・ポイズン・トード』の群れが、悲鳴を上げながら次々と泥水ごと空中へと吸い上げられていく。
それだけではない。
広大な空間を埋め尽くしていた数百万トンの紫色の猛毒の泥も、立ち枯れていた巨大な樹木も、岩石も、すべてが竜巻の圧倒的な吸引力によって天高く巻き上げられ、壁に激突しては光の粒子となって消滅していくのだ。
「なっ……!? なんだ、このデタラメな力は……っ!?」
先ほどまで、「俺が道を切り開く」とクールにカエルを切り裂いていた新戦力の銀狼獣人・ザイオンは、あまりの暴風に吹き飛ばされそうになり、自身の鋭い爪を地面の岩盤に深く突き立てて、必死に耐えていた。
彼の隣では、三月の背中から下ろされた猫耳幼女のルルが、ザイオンの太い足にしがみつきながら、キャッキャと笑っている。
「にゃははっ! 三月お姉ちゃん、すごーい! お部屋の泥んこ、全部飛んでいくのにゃー!」
「す、すごい、だと……? ルル、お前はこれがどれほどの異常事態か分かっているのか!?」
ザイオンは、黄金色の目を限界まで見開き、竜巻の中心で涼しい顔をして剣を振り回している「人間の少女」を凝視した。
ザイオンは、迷宮のシステムによって生み出された『最高傑作の戦闘兵器』である。
Sランクの魔獣として、迷宮の法則や魔力の流れを本能で理解できる彼だからこそ、三月の異常性が誰よりも深く理解できてしまった。
(魔力を……一切使っていない、だと!? ただの筋力と剣の風圧だけで、この広大な階層の地形そのものを完全に破壊しているというのか!?)
ザイオンが驚愕に打ち震えている間にも、三月のお掃除(物理)は止まらない。
「よいっ! しょぉぉぉぉっ!!」
バゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
三月が最後の大上段からの唐竹割りを振り下ろした瞬間。
巨大な竜巻が破裂するように四散し、第二十三階層に圧倒的な静寂が戻った。
「……あ……?」
ザイオンが、恐る恐る顔を上げる。
そこには、先ほどまで見渡す限り広がっていた紫色の毒沼の海は、完全に消え去っていた。
毒の泥も、カエルの魔獣も、枯れ木も、すべてが暴風によって壁際へと吹き飛ばされ、チリ一つ残っていない『綺麗な岩盤の更地』だけが広がっていたのだ。
「ふふっ! 換気とお掃除、完了! 空気も綺麗になったし、これならルルちゃんも苦しくないね!」
三月が大剣を肩に担ぎ、満足そうに額の汗を拭った。
「……あ、あぁ。信じられん。……俺の戦う意味とは、一体……」
ザイオンは、自らの両手の爪を見つめ、ガクリと膝をついた。
家族を守るために戦うと誓った直後、その守るべき「最強の姉」が、階層ごとすべての敵を物理的に吹き飛ばしてしまったのだ。
彼の脳内に、ひしひしと『自分はお荷物なのではないか?』という戦士としてのアイデンティティの危機が迫っていた。
しかし、その時だった。
「グルルルルルルルッ……!!!!」
完全に泥が吹き飛ばされ、更地となった岩盤の底。
階層の最深部に空いた巨大なすり鉢状の穴から、地響きを立てて『それ』が這い出してきた。
九つの巨大な蛇の頭を持つ、おぞましき猛毒の化身。
第二十三階層の真の主たるボス魔獣――『アビス・ヴェノム・ヒドラ(Sランク)』である。
自身の住処であった毒沼を一瞬にして吹き飛ばされ、丸裸にされたヒドラは、九つの頭から怒りの咆哮を上げ、三月たちを睨みつけた。
「三月殿、下がってくれ! 奴はSランクのヒドラ! 猛毒だけでなく、驚異的な再生能力を持つ厄介な魔獣だ! 今度こそ、俺が――」
ザイオンが、名誉挽回とばかりに立ち上がり、ヒドラに向かって駆け出そうとした。
しかし。
「あっ! こらーっ! お掃除したばっかりなのに、またお部屋を汚しちゃダメでしょ!」
「……え?」
ザイオンが呆然と立ち止まる横を。
三月が、まるで「泥遊びをして床を汚した犬」を叱るお母さんのような顔で、ずんずんとヒドラに向かって歩いていく。
「シャアァァァァァァッ!!」
激怒したヒドラの九つの頭が、一斉に三月に向かって、鋼鉄すら溶かす超濃度の『溶解毒液』をシャワーのように吐き出した。
だが。
「汚いなぁ、もう!」
三月は、飛来する猛毒のシャワーに対し、ただ右手のひらをスッと前に突き出した。
その瞬間。彼女の体内に極まっている【毒の魔力回路(極)】が猛烈な吸引力を発揮し、ヒドラが放ったSランクの必殺の毒液を、空中で水滴一つ残さず『ズズズッ!』と全て吸収してしまったのだ。
「なっ……!?」
ザイオンだけでなく、毒液を吸われたヒドラの九つの頭すらも、目を丸くして硬直した。
「はいっ! ゴミはちゃんとゴミ箱(亜空間収納)に捨てること!」
三月は、毒を吸収してさらにステータスが底上げされた【怪力(極)】を両腕に込めると、自身の身の丈ほどもある大剣の『平』の部分を、巨大なハエ叩きのように構え。
バチンッ! バチンッ! バチィィィィンッ!!!!
「ギャアアアアッ!?」「ギェェェェッ!?」
ヒドラの九つの頭を、文字通り「巨大ハエ叩き」で次々とビンタするように叩き潰していったのだ。
驚異的な再生能力が発動する暇すらなく、Sランクの巨大な頭部が、ただの物理的な平手打ち(剣圧)によって次々とトマトのように弾け飛んでいく。
わずか数秒後。
頭をすべて物理で粉砕されたアビス・ヴェノム・ヒドラは、悲鳴を上げることもできず、光の粒子となって消滅。
後に残されたのは、Sランクの魔核と、なぜかドロップした『最高級の解毒ハーブティーの茶葉』だけであった。
「ふふっ! これで本当にお掃除終わり! ザイオンお兄ちゃん、待たせちゃってごめんね!」
三月が、茶葉を拾い上げながら、満面の笑みで振り返る。
「……いや。……俺は、この家族の中で、大人しくモフモフ係に徹した方が良いのかもしれん……」
ザイオンは、完全に戦士としての自信をへし折られ、静かに空を見上げて悟りの境地に至っていた。
『おおおおおおおおッ!!! す、素晴らしいッ!! 素晴らしすぎます、三月お姉様ァァァッ!!!』
インカムの向こうで、クロエがまたしても絶叫していた。
『拓也様(爆睡中)の【空間清浄と換気扇】の戦術を、これ以上ない完璧な形で実行なさいました! 毒を吸収して力に変え、さらに物理の暴風で環境そのものを清浄化する! これぞまさに、無慈悲なるお掃除(大虐殺)! 拓也様も、この綺麗になった空間にさぞご満足されていることでしょうッ!!』
一方その頃。
アビスゲートの外、東京・新宿の上空で防衛戦を死守していたSランク探索者たちの間では、戦局を完全に決定づける『神の奇跡』が降り注いでいた。
「がはっ……! ゲホッ、ゲホッ……!!」
レオン・カーターが、空中で膝をつき、血の混じった唾液を吐き出した。
彼らの周囲には、全身から高濃度の『麻痺毒』と『腐敗ガス』を撒き散らす変異種「アビス・ポイズン・ドラゴン」が複数体飛来しており、戦場一帯が紫色の濃霧に包まれていたのだ。
「いかん……。吸い込むだけで、肺が焼ける……。体が、動かん……!」
神宮寺もまた、自身の顔を覆いながら苦悶の表情を浮かべていた。
どれほど強力な攻撃力を持っていようと、呼吸という生命維持を人質に取られては、戦いを続けることは不可能だった。
毒霧によって、Sランク探索者たちの命の灯火が、今まさに消えようとしていた。
その、絶望のどん底の瞬間だった。
上空のアビスゲートから、三月が第二十三階層の『すべての毒を吸収し、巨大な剣圧の換気扇で空気を吹き飛ばした』際に生じた、莫大な【絶対浄化と清浄なる神風】のエネルギーが逆流してきたのだ。
それが、戦場全体に広域の【状態異常の完全無効化と、絶対的追い風】のパルスとなって降り注いだのである。
サァァァァァァァァァッ……!!!!
新宿の空を覆っていた紫色の猛毒の濃霧が。
突如として吹き荒れた、神々しいほどに清らかな『一陣の風』によって、一瞬にして天の彼方へと吹き飛ばされた。
「……な、なんだ!? 毒霧が……晴れた!?」
レオンが目を見開く。
それだけではない。彼らの肺を侵し、体を痺れさせていた麻痺毒が、その清らかな風を吸い込んだ瞬間に完全に浄化され、嘘のように全身の痛みが消え去ったのだ。
さらに、彼らの背中を、見えない巨大な手が優しく押し上げるような『強力な追い風』が吹き続けていた。
「ハッハァァァァッ!! 冗談だろオイ!? 毒を完全に浄化した上に、今度は【全員の素早さを限界突破させる神風(追い風)のバフ】だとォ!?」
限界を超えた軽さを持ったレオンの身体が、雷そのものとなって空を駆け抜け、毒竜の頭部を一撃で粉砕した。
「なんという……なんという慈悲深き神の風だ……!」
神宮寺は、追い風に乗って音速を超える神速の抜刀術を繰り出しながら、空のゲートに向かって歓喜の涙を流して叫んだ。
「彼は、我々が毒の霧に苦しめられていることを瞬時に察知し、我々の肺に『清らかなる生命の息吹』を送り届けてくれたのだ! その上、我々の背中を押す神風まで吹かせてくれるとは! 如月拓也……! 君はもはや、戦場を支配する風の神だ!!」
「ハッハァ! 毒も呪いも関係ねえ! 俺たちの指揮官が、全部綺麗な風で吹き飛ばしてくれたんだからな!! 一生ついていくぜ、コンダクター!!」
Sランクの猛者たちが、限界を突破した神速と無敵の浄化ボディで、空のゲートに向かって熱狂的な信仰を叫び、毒竜の群れを瞬く間に蹂躙していく。
もちろん、彼らは知らない。
この究極の浄化と神風のバフが、「部屋が臭いという寝言を受けた三月が、毒を全部食べてから巨大な剣で物理的な竜巻(換気扇)を起こした」という、理不尽極まりない『お姉ちゃんの大掃除』の余波に過ぎないという事実を。
そして、彼らが風の神と崇め奉る指揮官が、現在自室のベッドで、
「……むにゃ……ファブリーズ……詰め替え用、買ってこなきゃ……」
と、単に日用品のストックを気にするだけの寝言を呟きながら、深い深い二度寝の世界を堪能しているという事実も。
かくして。
深淵迷宮の第二十三階層は、覚醒した最強スキルによる『完全無欠のお掃除(毒吸収&物理換気扇)』によって蹂躙され、外で戦うSランクたちは、爆睡中の少年指揮官への心酔をいよいよ『浄化と風の神』の領域へと昇華させていくのであった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第23階層『毒沼の迷宮』の中編(第319話)でした!
寝ぼけた拓也の「ファブリーズして換気扇を回せ」という適当な寝言を、三月お姉ちゃんが見事に実行してしまいました。
『魂喰い』と『毒の魔力回路(極)』で階層中の猛毒をすべて吸収し、さらに『怪力(極)』による超音速の大剣スイングで巨大な物理竜巻(換気扇)を発生させて、地形ごと完全な更地にしてしまうというデタラメっぷり。
極めつけは、Sランクのヒドラの頭を「巨大ハエ叩き(剣の平打ち)」で次々とビンタして倒してしまうという無慈悲なお掃除。
これには、せっかくカッコよく登場したザイオンお兄ちゃんも「俺はモフモフ係(ペット枠)でいいや……」と悟りを開いてしまいました(笑)。
一方、外のSランクたちは、その余波である「浄化と追い風バフ」を大絶賛。爆睡中の拓也をいよいよ『風の神』として崇め奉っています。
次回(第320話)で、この階層の残りのギミック(あるのか?)と、新たな家族の絆が描かれる後編となります!
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次回(第320話)もどうぞよろしくお願いいたします!




