第318話:第二十二階層『獣たちの処刑場』。運命の破壊と、新たなる家族(後編)
パキッ……。パラパラパラ……。
第二十二階層の広大な闘技場に、乾いた音が響き渡った。
銀狼の獣人・ザイオンの首にガッチリと食い込み、彼の自我を封じ込め、永遠の殺戮を強要していた神造の金属『隷属の呪縛環』。
どんな物理的衝撃を与えても破壊できず、無理に外そうとすれば内蔵された起爆装置によって対象者の首ごと吹き飛ぶという、古代魔導文明が残した最悪の洗脳具。
それが、如月三月の指先から放たれた【0.1ミリの浸透破壊】という、神をも恐れさせる究極の精密制御によって、内部構造だけを完璧に粉砕された。
自爆装置を作動させる暇すら与えられず。
忌まわしき首輪は、ただのサラサラとした金属の粉となって、足元の赤黒い砂の上へと崩れ落ちていった。
「……あ……?」
ザイオンは、呆然と自らの首元に手を当てた。
物心ついてからずっと、彼の首を冷たく締め付け続けていた重い金属の感触がない。
そして何より、彼の脳内を絶え間なく支配し、「目の前の命を奪え」と強制し続けていた無機質な機械音声が、完全に消え去っていた。
「……首輪、とれたよ。もう、誰も殺さなくていいんだよ」
三月が、完全に沈黙した金属の粉を払い落とすと。
太陽のように温かく、慈愛に満ちた笑顔で、呆然と立ち尽くすザイオンの頭を、ポンポンと優しく撫でた。
「あ……あぁ……っ」
ザイオンは、その場に崩れ落ちるように、ガクンと両膝をついた。
強靭な狼の戦士の黄金色の瞳から、今まで流し続けていた血の涙ではなく、澄み切った透明な大粒の涙が、ボロボロと溢れ出した。
「俺は……もう、殺さなくて、いいのか……っ。……ルルを、傷つけなくて……っ」
己の意志で、己の肉体を動かせる。
誰かを守りたいという本当の心を、もう二度とシステムに書き換えられることはない。
その当たり前で、しかし彼が一生手に入れることはできないと諦めていた『自由』が、今、彼の手の中にあった。
「お兄ちゃんっ!!」
ルルが、涙を散らしながら駆け寄り、ザイオンの大きな体に正面から飛びついた。
「よかった……! よかったよぉ、ザイオンお兄ちゃん……っ!!」
「ルル……ああ……ルルっ……!!」
ザイオンもまた、己の太い腕で、もう二度と自分の爪で傷つける心配のない妹(同胞)を、強く、強く抱きしめ返した。
血生臭い蠱毒の処刑場に、初めて、命の温もりと、真の解放の泣き声が響き渡った。
『おおおおおおおおッ!!! す、素晴らしいッ!! 素晴らしすぎます、三月お姉様ァァァッ!!!』
インカムの向こうで、クロエ・アーヴィングがメガホンを叩き割りながら、またしても文字通りの号泣をしていた。
『呪われた運命を強いられた戦士を、力でねじ伏せるのではなく、その元凶たる鎖のみを【究極の精密制御】で完璧に粉砕されるとは! 拓也様(爆睡中)の掲げる「一切の犠牲を出さない完全無欠の救済」を、お姉様はまたしても完璧な物理力で体現なさいましたわッ!! このクロエ、如月家の底なしの慈愛に、もう涙が枯れ果てそうですわぁぁっ!!』
一方その頃。
アビスゲートの外、東京・新宿の上空で防衛戦を死守していたSランク探索者たちの間では、戦場の空気を一変させる『究極のバフ』が展開されていた。
「ハァ……ハァ……ッ! クソッ、キリがねえぞ……!」
レオン・カーターが、肩で息をしながら、焦燥に駆られた目で空を睨みつけた。
彼らの目の前には、無数の「アビス・シャドウ・ナイト」と呼ばれる、実体を持たない影の騎士たちが無限に湧き出し、Sランク探索者たちのスタミナを確実に削りにかかっていた。
どれほど強力な雷撃や斬撃を放っても、すり抜けてしまう。
影である彼らには物理的・魔法的なダメージを一切与えられないという『無敵のルール』が存在していたのだ。
戦況は完全に膠着し、じわじわと探索者たちの疲労が蓄積していく、重く苦しい時間帯であった。
その、絶望的な消耗戦の最中だった。
上空のアビスゲートから、三月が第二十二階層の『絶対に破壊不可能なザイオンの首輪』を強引に粉砕し、獣人の戦士を悲しき運命から完全に解放した際に生じた、莫大な【運命への反逆と、絶対的な自由のエネルギー】が逆流してきたのだ。
それが、戦場全体に広域の【絶対因果律の破壊と、運命の解放】のパルスとなって降り注いだのである。
パァァァァァァァァァンッ……!!!!
新宿の空を覆っていた重い暗雲が、一瞬にして黄金色の光に切り裂かれた。
その光の波紋を浴びた瞬間、レオンや神宮寺の全身から、これまで彼らを縛っていた「疲労」や「物理法則の限界」、さらには「敵は無敵である」という理不尽な因果律そのものが、完全に吹き飛ばされたのだ。
「……な、なんだ!? 影の騎士たちの輪郭が……実体化していくぞ!?」
神宮寺が、驚愕に目を見開いた。
彼らがどんなに斬っても死ななかった無敵の影の魔獣たちが、光のパルスを受けた瞬間、「ただの物理的な鎧を着た魔獣」へと強制的にルールを書き換えられ、ボトボトと重力に従って地上へと落ち始めたのだ。
「ハッハァァァァッ!! 冗談だろオイ!? 今度は【敵の無敵設定そのものを破壊する】究極の因果律ブレイカーだとォ!?」
レオンが、実体化して慌てふためく騎士たちに向かって、もはやただの作業のように雷撃を連打し、次々と消し炭に変えていく。
「なんという……なんという恐るべき盤面の支配力……!」
神宮寺は、愛刀で実体化した敵の鎧をあっさりと両断しながら、空のゲートに向かって深い畏敬の念を込めて叫んだ。
「彼は、我々が『倒せない敵』に苦戦していると見るや否や、迷宮のルールそのものを破壊し、敵を我々と同じ土俵へと引きずり下ろしたのだ! ただ戦力を与えるだけでなく、この世界の『理』すらも自在に書き換えるとは! 如月拓也……! 君はもはや、運命を紡ぐ神そのものだ!!」
「ハッハァ! 俺たちを縛るものはもう何一つねえ! 俺たちの指揮官が、世界のルールごと全部の鎖をぶち壊してくれたんだからな!! 一生ついていくぜ、コンダクター!!」
Sランクの猛者たちが、世界のルールすら味方につけた絶対的な力で、空のゲートに向かって熱狂的な信仰を叫び、蹂躙を開始する。
もちろん、彼らは知らない。
この究極の因果律破壊のバフが、「妹の家族を苦しめる自爆首輪を、0.1ミリの隙間を狙って指先の力だけでへし折った」という、理不尽極まりない『お姉ちゃんのゴリ押し精密制御』の余波に過ぎないという事実を。
そして、彼らが運命を紡ぐ神と崇め奉る指揮官が、現在自室の机でよだれを垂らし、
「……むにゃ……ネクタイ……きつくて、苦しい……。もっと、ゆるくして……」
と、単に自分が夢の中で「首元のネクタイ」を苦しがっているだけの寝言を呟きながら、深い深い眠りについているという事実も。
かくして。
外の空域が狂乱の宴と化している頃、第二十二階層の闘技場では、涙の再会を果たした獣人の兄妹が、三月の前に深く跪いていた。
「三月殿。……いや、三月様。この命、そして俺の魂は、あなたに救われました」
ザイオンが、血と砂にまみれた床に頭を擦りつけるようにして、深く頭を下げた。
「俺のこの力は、これより永遠に、あなたとルルを守る盾として、そして敵を討つ剣として振るうことを、ここに誓います。どうか、俺をあなた方の従者として――」
「ううん、違うよ、ザイオンお兄ちゃん」
三月は、畏まったザイオンの肩を優しく持ち上げ、ニッコリと微笑んだ。
「従者なんかじゃないよ。ザイオンお兄ちゃんは、ルルちゃんの大事なお兄ちゃんなんだから、今日から【如月家の新しい家族】だよ!」
「か、家族……?」
「うん! ザイオンお兄ちゃんは、モフモフしててすっごくあったかそうだし! お家に帰ったら、拓也のパンケーキ、三人で一緒に食べようね!」
三月の底抜けの明るさと、打算の一切ない純粋な歓迎に、ザイオンは再びポロポロと涙をこぼし、そして今度は、力強く頷いた。
「……あぁ! 感謝する、三月……お姉ちゃん!」
「にゃははっ! ザイオンお兄ちゃんも、三月お姉ちゃんの妹(弟?)になったのにゃ!」
ルルが嬉しそうにザイオンの銀色の尻尾に抱きつく。
獣人の悲しき成功作を呪縛から解き放ち、新たな家族(モフモフの兄)を迎えた最強の姉。
そして、狂信者の実況を子守唄に深い眠りにつく魔力ゼロの指揮官。
残る28階層。彼らの果てしなきアビスゲート攻略戦は、重い過去を完全に断ち切り、新たな絆と共に、さらなる理不尽な爆走へと突き進んでいくのであった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
絶対に壊せない(壊すと自爆する)はずの首輪を、「0.1ミリの浸透破壊」で見事に粉砕した三月お姉ちゃん。
そのデタラメな精密制御のおかげで、ザイオンは無事に洗脳から解放され、ルルちゃんと涙の再会を果たすことができました。
これからは「如月家のモフモフのお兄ちゃん」として、二人と一緒にダンジョンを攻略していくことになります!
そして外のSランクたちは、首輪の破壊による運命解放の余波を「敵の無敵設定すら破壊するルールブレイカー」と勘違いし、爆睡中でただネクタイを苦しがっているだけの拓也を、いよいよ『運命の神』として崇め奉っています(笑)。
しばらく続いた獣人たちの重いドラマも、三月お姉ちゃんの底抜けの優しさと物理力によって、見事なハッピーエンドを迎えました。ここからは新メンバーのザイオンも加わり、さらに賑やかなダンジョン攻略が始まります!
よろしければ、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、今後の執筆の大きな励みになります!
次回(第318話)もどうぞよろしくお願いいたします!




