第316話【蠱毒こどくの檻】
第二十一階層『生命錬成の研究所』。
そこは、ルルたち獣人が「迷宮の生体バッテリー」として造り出された、忌まわしき工場であった。
しかし、その悲しき揺り籠は、ルルを「不良品」と呼び廃棄しようとしたことに純度100パーセントの怒りを爆発させた如月三月の手によって、跡形もなく粉砕された。
数万の培養カプセルも、冷酷な機械魔獣も、すべてが極大磁力によって『巨大な金属のサイコロ(スクラップ)』へと圧縮され、完全な更地となったのだ。
「ルルちゃんは、私の大事な妹だよ。……だから、自分をゴミだなんて、もう二度と言っちゃダメだよ」
その温かい言葉によって、ルルの心にかけられていた深い呪縛は解き放たれた。
「三月お姉ちゃん」と泣きじゃくりながら抱きついた小さな妹の背中を優しく撫でた後、三月は、崩落した研究所の床に開いた大穴から、次なる第二十二階層へと続く道を降りていった。
これまでは、高いところや暗いところを怖がるルルを、三月がおんぶして進んでいた。
だが、今は違う。
ルルは、自分から三月の大きな手をしっかりと握りしめ、自らの足で、三月と肩を並べて未知の階層へと足を踏み入れていた。
その瞳には、もはや過去への絶望ではなく、「大好きな家族と一緒に帰る」という小さな決意が宿っていた。
しかし。
二人が降り立った第二十二階層は、先ほどの冷たい研究所にも増して、重く、息苦しく、そしてひどく『血生臭い』空間であった。
「……お姉ちゃん。ここ、血の匂いがする……」
ルルが、三月の手を握る力をギュッと強め、銀色の猫耳をピクピクと動かして警戒した。
獣人である彼女の優れた嗅覚が、この空間に染み付いた『死の匂い』を敏感に感じ取っていたのだ。
第二十二階層――そこは【獣たちの処刑場】と呼ばれる、すり鉢状の広大な地下闘技場のようなエリアであった。
周囲を囲むのは、黒光りする硬質な岩壁。
見上げるほど高いその壁には、無数の鋭い爪痕や、強力な魔法が直撃した焼け焦げた痕が、びっしりと刻み込まれている。
床には赤黒く変色した砂が敷き詰められており、歩くたびにジャリッ、ジャリッと嫌な音を立てた。
壁の至る所には、太い鉄の鎖が引きちぎられたまま垂れ下がっており、ここが長年にわたって『凄惨な殺し合い』が行われてきた場所であることを、無言で、しかし強烈に物語っていた。
『お姉様。……ルル殿。第二十二階層への到達、確認いたしました』
インカムの向こうから、深い眠り(気絶)についている魔力ゼロの少年指揮官・拓也に代わり、狂信者クロエ・アーヴィングの、ひどく静かで重々しい声が響く。
『周囲の魔力残滓と、空間の構造データを照会しました。……お姉様。ここは、第二十一階層で造り出された獣人たちの中から、戦闘用に適した個体(成功作)を最終選別するための、過酷なテスト・エリアです』
クロエの冷徹な声が、薄暗い闘技場に響く。
『いえ、テストなどという生易しいものではありません。端的に言えば、ここは【蠱毒の檻】です』
「こどく……?」
三月が小首を傾げる。
『はい。研究所で造られた獣人のうち、魔力や筋力が基準値に達していた「成功作」たちは、この階層へと集められます。そして、最後の一匹になるまで互いに殺し合いをさせられ、生き残った最強の個体だけが、迷宮の防衛兵器として上の階層へと送られるのです』
クロエの残酷な解説に、三月の深緑色の瞳が、スッと細められた。
造り出された命に優劣をつけ、劣る者は下の階層で溶解液の海に沈め、優れる者はこの階層で血を分けた同胞同士で殺し合いをさせる。
それが、アビスゲートを創造した古代魔導文明の、あまりにも外道で狂ったシステムであった。
「じゃあ、この赤黒いお砂は……」
三月が足元を見る。
『ええ。数え切れないほどの獣人たちが流した、血の跡です』
その言葉を聞いた瞬間、ルルが恐怖でガタガタと震え出し、三月のコートの裾に顔を押し付けた。
自分と一緒にカプセル越しに顔を合わせていたかもしれない兄弟たちが、ここで互いの喉を噛みちぎり合わされていたのだ。
その時であった。
「ガァァァァァッ……!! 殺ス……コワス……ッ!!」
突如として、闘技場の最奥にある巨大な鉄格子が、内側からの凄まじい衝撃によってひしゃげ、凄まじい音を立てて吹き飛んだ。
もうもうと舞い上がる赤黒い砂埃。
その中から、ドスッ、ドスッ、と重い足音を立てて姿を現したのは、身の丈二メートルを超える、巨大な『狼の獣人』であった。
月明かりのような美しい銀色の毛並み。
鍛え抜かれた鋼のように逞しい四肢と、鋭い真空の刃を纏った両手の凶爪。
しかし、その屈強な肉体には、過去の戦いで刻まれた無数の癒えない傷跡が深く刻み込まれており、荒い呼吸をするたびに、傷口から赤い血が滲み出していた。
そして何より異様なのは、彼の首元であった。
銀色の毛並みに食い込むように、禍々しい赤い光を明滅させる『極太の金属の首輪』が、ガッチリと嵌められていたのだ。
「……ザイオン、お兄ちゃん……?」
ルルが、その狼の獣人の姿を見るなり、信じられないものを見るように目を丸くし、そして震える声でその名を呼んだ。
「ルルちゃん、知ってるの?」
「うん……! わたしと同じ研究所で造られた、銀狼の獣人……ザイオンお兄ちゃん! わたしが『不良品』っていじめられてた時、いつも庇ってくれて、頭を撫でてくれたの……っ!」
ルルは、恐怖を忘れたように、再会の喜びに顔を輝かせた。
「でも、ザイオンお兄ちゃんは、戦いの才能がある『最高の成功作』だからって、上の階層に連れて行かれて……それっきり、会えなかったのに……どうして、こんなところに……っ」
ルルが、彼のもとへ駆け寄ろうと、三月の手を離して一歩を踏み出した。
「ザイオンお兄ちゃ――」
「来るなァァァァァァァァッ!!!!」
闘技場を震わせるほどの、血を吐くような悲痛な叫び声。
それは、狼の獣人――ザイオンの口から発せられたものであった。
ザイオンは、ルルの姿を認識した瞬間、その場に立ち止まり、自らの頭を両手で激しく掻き毟り始めた。
彼の黄金色の両目からは、赤い血の涙が止めどなく流れ落ちていた。
「逃げろ……ルル……っ! 俺に、近づくな……! 殺したくない……もう、誰のことも、殺したくないんだぁぁぁぁっ!!」
ザイオンは、凄まじい苦悶の表情を浮かべ、自らの両腕を必死に抑え込もうとしていた。
彼の首に嵌められた赤い首輪が、ギリギリと嫌な音を立てて彼の首を締め上げ、強烈な電撃と洗脳のパルスを脳に直接送り込んでいるのだ。
『お姉様ッ! 危険です! ルル殿を下がらせてください!』
インカム越しに、クロエが悲痛な叫び声を上げる。
『彼の首にあるのは、古代魔導文明の遺物【隷属の呪縛環】! 装着者の自我を強制的に封じ込め、肉体の制御を完全に奪い、迷宮の防衛兵器として意のままに操る極悪な洗脳具です!』
クロエの言葉に、三月の表情がスッと消え、静かな冷たさを帯びていく。
『彼は、蠱毒の殺し合いを勝ち抜いた果てに、迷宮のシステムによって【第二十二階層のボス魔獣】として改造されてしまったのです! 自我を残されたまま、侵入者を殺戮するようプログラムされた、悲しき殺人兵器として!』
「ガアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
クロエの叫びと同時に。
首輪の赤い光が極限まで強まり、ザイオンの身体から残された最後の理性が完全に吹き飛んだ。
強制プログラムによって完全に身体の制御を奪われたザイオンが、Sランク魔獣の恐るべき速度で、床の砂を爆発させて跳躍した。
その両手に構えられた、真空の刃を纏った鋭い爪。
それは、これまで迷宮に足を踏み入れた何百人もの探索者たちを無慈悲に引き裂いてきた、完璧な殺人兵器の『殺意』そのものであった。
「逃げろぉぉっ……! ルル……っ!」
ザイオンは、自分の意志とは無関係に、愛する妹分を引き裂こうとする己の体に絶望し、空中で血の涙を散らしながら叫んだ。
成功作として選ばれたがゆえに、自我を残されたまま、同胞や侵入者を永遠に殺し続けなければならない地獄。
それが、この迷宮における『獣人の成功作』に与えられた、あまりにも残酷な末路であった。
「ザイオンお兄ちゃん……っ!」
ルルが、迫り来る死の刃に足がすくみ、悲鳴のような声を上げる。
超音速で振り下ろされる銀狼の凶爪が、ルルの小さな体に届こうとした、まさにその絶体絶命の瞬間。
漆黒のロングコートが、ルルを庇うように、静かに風を斬って舞い上がった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「獣人特集・シリアス編」の3話構成の第1話目となる、第315話をお届けしました。
第二十二階層『獣たちの処刑場』。
そこは、研究所で造られた成功作たちが殺し合いをさせられる「蠱毒の檻」でした。
そして、その奥から現れたのは、かつてルルを庇ってくれた優しい銀狼の獣人・ザイオン。
しかし彼は、成功作として選ばれたがゆえに「洗脳の首輪」を嵌められ、自我を残したまま侵入者を殺戮するボス魔獣へと改造されてしまっていました。
血の涙を流しながら「逃げろ」と叫びつつも、システムの強制力によってルルに襲いかかってしまうザイオン。
この悲劇的な再会に、我らが三月お姉ちゃんはどう立ち向かうのか……?
次回、三月お姉ちゃんの静かで、そして底知れぬ力と慈愛が発揮されます!
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次回(第316話)もどうぞよろしくお願いいたします!




