第三十一話:偽りの恩恵と、沈黙の契約
翌朝、ギルドの喧騒は相変わらずだった。
三月が足を踏み入れると、昨日までの「新人を見る目」とは明らかに異なる空気が流れる。誰もが彼女の背中に視線を注ぎ、通り過ぎるたびにひそひそと囁き合う。
『第五層を単独踏破した、如月三月』。
その肩書きは、彼女が望まない形で一人歩きを始めていた。
カウンターの前で結衣が待っていた。彼女の顔には、安堵と、それ以上に深い不安が混ざり合っている。
「三月ちゃん。……協会から正式な呼び出しよ。あなたの功績を称えて、特別待遇の面談を行うんですって」
三月は一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに無表情を作り直す。
「……場所は?」
「ギルド本部の特別応接室。ガランとヴォルグが同席するわ。……気をつけて。これはただのお祝いじゃない」
結衣の警告を無言で受け取り、三月は本部の最上階へと向かった。
そこは、迷宮の薄汚れた空気とは無縁の、白く清潔な空間だった。分厚い扉の向こう側、長テーブルの端にガランとヴォルグが座り、その中央には、協会の上層部と思われる壮年の男――協会長・高橋が威圧的な態度で陣取っていた。
「如月三月君だね。第五層のボス討伐、素晴らしい成果だ」
高橋の声は、どこまでも事務的で、冷たかった。
三月は彼らの対面に座り、静かに首を垂れる。
「……ありがとうございます」
「君の戦闘データは興味深い。Fランクでありながら、高い物理耐性と、未確認の磁場干渉能力……。協会は君の将来を高く評価している。つきましては、今後君が迷宮で得た魔石や素材は、全て協会が直々に買い取る契約を結びたい」
それは、建前上は「保護」だが、本質は「独占」だった。
彼女の活動を全て把握し、魔石の持ち出しを厳しく制限する。自由な探索など許されない。
三月は、その契約書の文面を冷ややかな目で追った。
(……分かっているわ。私を籠の鳥にして、その中で育てて、限界まで搾り取るつもりなんでしょう)
「……もし、拒否したら?」
彼女が静かに問うと、部屋の温度が下がったように感じられた。
ガランが眼鏡を押し上げ、冷たく微笑む。
「拒否? それは君の家族にとっても、不利益な選択になるはずだ。療養中の父親、受験生の弟……。我々の支援があれば、彼らの生活は一生涯保証される。だが、もし『自由』を望むなら……我々は、君の素行調査を再開せざるを得ない」
家族の名を出された瞬間、三月の心臓が大きく跳ねた。
殺意が、喉元までせり上がる。
だが、それを必死に飲み込む。
家族を守るための盾だ。今は、この契約を利用してでも、彼らの懐に飛び込まなければならない。
三月は、あえて無垢な、怯えるような少女の演技を重ねた。
「……分かりました。その契約、結びます。その代わり、私の探索は私の自由にしてほしい。それが条件なら、何でもお話しするわ」
高橋が満足そうに頷く。
「よろしい。君のその従順さが、これからも続くといいんだがね」
面談が終わると、三月はふらつく足取りで本部を後にした。
エレベーターの扉が閉まった瞬間、彼女の表情から演技が消え去る。
背後の気配は感じない。だが、監視の目は、もう彼女の生活の隅々にまで張り巡らされたはずだ。
(……笑わせてくれる。私を管理できると思ったら大間違いよ)
彼女の握りしめた手の中で、掌が爪で深く傷つけられていた。
血の匂いが、内なる獣を刺激する。
だが、その傷の痛みこそが、今の彼女にとって唯一の「自分が人間である証」だった。
迷宮の攻略、そして家族の安寧。
全てを守り抜くために、彼女は協会という悪魔に魂を差し出すふりをして、その実、相手の心臓を狙う準備を始めたのだ。
エレベーターが下層階に到着する。
三月は、再び冷徹な仮面を被り、外の世界へと踏み出した。
ここからが、本当の戦いだ。
協会という巨大な怪物の中で、自分自身を怪物にせずに、どれだけ深く潜り込めるか。
彼女は、自らの血で汚れた手袋を強く締め直した。
第三十一話をお読みいただき、ありがとうございました!
ついに協会の上層部と対峙し、監視と独占の「契約」を押し付けられた三月。家族を人質のように盾に取られ、選択肢を失った彼女が、それでも協会を内側から食い破るために歩み始めます。
演技で切り抜ける彼女のしたたかさと、徐々に追い詰められていく人間性のバランス。今後の展開がさらに熱くなっていきます!
この話が面白い、続きが読みたいと感じていただけましたら、ぜひブックマークや**評価(↓の☆☆☆☆☆)**で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
それでは、第三十二話でお会いしましょう!




