第306話:第十五階層『幻影の砂海』。お砂場遊びと、絶対看破(バフ)
第十四階層の『無限増殖の森』を、地殻ごとひっくり返すという規格外の『ちゃぶ台返し(物理)』で更地にした如月三月。
彼女が土の塊となった地面を力業で蹴り抜き、次なる第十五階層へと降り立つと、そこにはこれまでの閉鎖的な空間とは打って変わって、見渡す限りの広大な『砂漠』が広がっていた。
「わぁ……。今度は一面のお砂場だね。なんだか、空気がモワッと乾燥してる」
三月は、漆黒のロングコートの裾を揺らしながら、サラサラとした極小の砂粒を踏みしめた。
第十五階層――そこは【幻影の砂海】と呼ばれる、灼熱の太陽(黒い球体)が照りつける果てなき砂漠。
しかし、この階層の真の恐ろしさは熱や渇きではない。空間全体を満たす特殊な磁場と瘴気が、侵入者の脳に直接干渉し、『最も望む幸せな幻影』を見せて精神を崩壊させるという、極悪非道な精神トラップ階層なのである。
『お姉様ッ!! 状況、確認いたしましたッ!!』
三月の耳元のインカムから、弟の拓也ではなく、狂信者であるクロエ・アーヴィングの元気な声が響き渡る。
魔力ゼロの少年指揮官・拓也は、相変わらず自室の机でよだれを垂らしながら、深い瞑想(完全な気絶・爆睡)の最中である。
『私のデータによれば、そこは第十五階層【幻影の砂海】! 砂に潜むボス魔獣が、お姉様の深層心理から最も望む記憶を引き出し、甘い幻影を見せて魂をすする悪辣なトラップを仕掛けてきます! どうか、何が見えても決して騙されませぬよう――』
クロエの警告が終わるよりも早く。
三月の目の前の空間が、蜃気楼のようにグニャリと歪んだ。
「……あれ?」
見渡す限りの砂漠だったはずの景色が、一瞬にして見慣れた『如月家のリビング』へと変貌したのだ。
ふわりと、バターとハチミツの甘い香りが漂ってくる。
そして、キッチンの方から、見慣れたエプロン姿の少年――最愛の弟である拓也が、黄金色に輝くお皿を持って歩いてきた。
『ねえさん、おかえり。頑張ったね。……さあ、約束のパンケーキ、焼けたよ』
幻影の拓也は、優しく微笑みながら、三月に向かってパンケーキを差し出した。
それは、三月が今一番望んでいる『帰還後のご褒美』の光景、そのものであった。
「あ……拓也……パンケーキ……」
三月の深緑色の瞳から、スッとハイライト(光)が消えた。
彼女は催眠術にかかったようにフラフラと歩み寄り、幻影の拓也へと手を伸ばす。
『お、お姉様ッ!? ダメです、それは幻ですわ! 拓也様は今、私の隣ですやすやと寝息を立てておられますッ!! 目を覚ましてくださいませッ!!』
インカム越しにクロエが悲鳴を上げる。
砂漠の地下深くに潜伏していた第十五階層のボス魔獣『アビス・ミラージュ・ワーム(Sランク)』は、自身の完璧な精神干渉が決まったことを確信し、獲物を丸呑みにすべく砂の中から巨大な顎を開こうとしていた。
しかし。
「……うん、そうだね」
三月は、差し出された幻影のパンケーキと、幻影の拓也の顔をじっと見つめた後。
無表情のまま、覚醒した【怪力(極)】を込めた右ストレートを、幻影の拓也の顔面に容赦なく叩き込んだのである。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!
強烈な物理的衝撃波により、完璧な精神干渉によって作られた『如月家のリビングの幻影』が、まるでガラスが割れるようにパチンッ! と弾け飛んで消滅した。
再び、見渡す限りの砂漠の景色が戻ってくる。
「ギ、ギャァァァァァッ!?」
精神干渉を力業(物理)で破られた反動で、砂の底に隠れていた巨大なボス魔獣が、苦悶の声を上げて地上へと引きずり出された。
『お、おお……ッ!? 幻影を自らの拳で打ち破られるとは! さすがお姉様、幻などには惑わされない強靭な精神力ッ!』
クロエが歓喜の声を上げるが、三月の理由は全く異なるものであった。
「あのね、偽物さん。私の大好きな拓也のパンケーキは、こんな薄っぺらい匂いじゃないの」
三月は、自身の身の丈ほどもある『魔鉄の塊剣』を構え、ブチ切れた表情で巨大な砂虫を睨みつけた。
「本物のパンケーキは、バターの香りがもっとこう、フワッとしてて、ハチミツの隠し味も絶妙なの! それに、拓也がエプロンをつける時は、後ろの結び目がもっと綺麗なんだから! あんな解けそうな結び目にするわけないでしょ!」
三月は、自身のブラコン・フィルターを通してインプットされている『本物の拓也の解像度』と、ボスが見せた幻影の解像度の「致命的な違い(※本人にしかわからないレベル)」に、激しい怒りを覚えていたのである。
「私と拓也の大切なパンケーキの時間を、こんなお粗末な偽物で誤魔化そうとするなんて……万死に値するわ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!
三月の細い体から、神域へと覚醒した凄まじいプレッシャーが噴き出す。
「お砂場遊びは、これでおしまい!!」
三月は、体内の【爆熱の魔力回路(真)】を限界突破の出力で起動し、その莫大な熱エネルギーを右腕の『魔鉄の塊剣』に集中させた。
さらに、【磁力操作(極)】によって周囲数キロメートルに及ぶ広大な砂漠の「重力(圧力)」を、一点に向けて極限まで圧縮する。
数千度を超える超高熱と、数万トンという絶望的な物理圧力。
それが、巨大な砂虫の頭上から、一撃の『叩きつけ』として放たれた。
ズドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!
第十五階層の砂漠全域が、太陽が墜落したかのような閃光と轟音に包み込まれた。
三月が叩き込んだ【超高熱】と【超圧縮】のエネルギーは、砂漠の成分である二酸化ケイ素(砂)を瞬時に融解させ、そして極限の圧力で平らに押しつぶした。
結果として何が起きたか。
見渡す限り続いていた果てなき砂漠は、数千度の熱でドロドロに溶かされた後、圧縮されて急速冷却され――なんと第十五階層全体が、ツルツルに磨き上げられた『巨大な一枚の透明なガラスの板(更地)』へと変貌してしまったのである。
「ギ、ギギギ……ッ!?」
砂に潜ることで回避と奇襲を行っていたボス魔獣は、周囲の砂がすべてカチカチのガラスへと変質したため、完全に身動きが取れなくなり『ガラスの標本』のごとく閉じ込められてしまった。
「トドメッ!」
三月が、ガラスに閉じ込められたボスの頭部に向かって、コンッ、と軽く剣の柄でノックする。
パキィィィィィンッ!!
すでに限界を超えた圧力を受けていたボスの巨体は、周囲のガラスごと木っ端微塵に砕け散り、光の粒子となって消滅した。
後に残されたのは、スケートリンクのように平らで透明な、無機質なガラスの空間だけである。
「ふふっ! 砂漠だと足がズボズボ沈んで歩きにくいから、平らなガラスにしちゃった! これならスケートみたいに滑って、次の階まで早く行けるね!」
三月は、ツルツルのガラスの床をスィーッと滑りながら、上機嫌でVサインを作った。
『おおおおおッ!! なんという発想の転換! 砂を溶かし、圧縮し、踏破のためのガラスの道へと変えてしまうとは! 迷宮のギミックすらも、お姉様にとってはただの舗装工事(DIY)に過ぎないのですね!!』
クロエが、スタンディングオベーションで狂信の言葉を連呼する。
「うんっ! 拓也にも、お姉ちゃんが綺麗にお掃除したって伝えといてねー!」
一方その頃。
アビスゲートの外、東京・新宿の上空で防衛戦を死守していたSランク探索者たちの間では、戦局を決定づける『究極のバフ』が展開されていた。
「チィッ……! どこに消えやがった!!」
レオン・カーターが、空中で周囲を見渡しながら苛立ちの声を上げた。
彼らを包囲していたのは、周囲の景色に完全に溶け込む光学迷彩能力を持った『アビス・カメレオン・ドレイク(Aランク)』の群れであった。
気配すらも偽装する厄介な魔獣たちに対し、いくらスタミナや貫通バフがあろうと「見えない敵」には攻撃が当てられない。
神宮寺もまた、目を閉じて風の音を探っていたが、敵の幻影魔法によって感覚を狂わされ、防戦一方になりかけていた。
その時だった。
上空のアビスゲートから、三月が第十五階層の『幻影の砂海』を物理的にガラス化し、幻影の概念そのものを粉砕した際に生じた、莫大な真実のエネルギーが逆流してきた。
それが、戦場全体に広域の【絶対看破】のパルスとなって降り注いだのである。
「……な、なんだ!? 眼の奥が……熱いッ!!」
神宮寺が、カッと目を見開いた。
その瞬間。彼の視界から、すべての『偽り』が剥がれ落ちた。
完全に透明化していたはずのカメレオン・ドレイクたちの姿が、まるでガラス細工のように透き通ってハッキリと見えるようになったのだ。
それだけではない。敵の体内を流れる魔力の経路、次の攻撃の軌道、そして『急所』の位置が、まるで赤いターゲットマーカーのように脳内に直接表示されている。
「ハッハァァァァッ!! 冗談だろオイ!? 今度は【絶対的な真実の瞳(ステルス看破)】バフだとォ!?」
レオンが、歓喜の咆哮を上げる。
見えさえすれば、Sランク探索者たちの敵ではない。レオンの放つ雷撃は、可視化された敵の急所を百発百中で貫き、次々と魔獣たちを黒焦げにしていく。
「なんという恐るべき支援……! 我々に無限のスタミナを与え、敵の装甲を無効化し、ついには敵の『隠蔽』という最後の希望すらも完全に剥ぎ取ったというのか!」
神宮寺が、可視化された敵の急所を次々と神速の抜刀術で両断し、空のゲートに向かって打ち震える声で叫んだ。
「如月拓也……! 彼は自室にいながらにして、この戦場の『真実』すらも我々に開示している! 彼にとって、この世界に隠し事など何一つ通用しないのだ!!」
「ハッハァ! お前の眼があれば、世界中のどんな暗闇も丸見えだぜ!!」
Sランクの猛者たちが、空のゲートに向かって熱狂的な祈りを捧げ、無双の進撃を続ける。
もちろん、彼らは知らない。
この神がかった絶対看破バフが、「偽物のパンケーキの匂いがおかしい」とブチ切れた三月が、砂漠を丸ごと高熱で溶かしてガラスにした際の、ただの理不尽な環境破壊の残骸に過ぎないという事実を。
そして、彼らが崇め奉る全知全能の指揮官が、現在自室の机でよだれを垂らして深い眠りについているという事実も。
かくして。
深淵迷宮の第十五階層は、覚醒した最強スキルによる『砂漠のガラス化(物理)』によって一瞬でスケートリンクとなり、外で戦うSランクたちは、気絶中の少年指揮官への心酔をいよいよ『絶対神』の領域へと昇華させていく。
「スィーッ、スィーッ! クロエちゃん、ガラスの上滑るのすっごく早いよ! 次のお部屋もすぐだね!」
『ハッ! お姉様の滑らかなる進撃、しかと記録しております! 拓也様(爆睡中)も、きっと夢の中でその美しきステップを讃えておられますわ!』
パンケーキの匂いの違い(ブラコンの極み)で幻影を打ち破る最強の姉と、狂信者の全肯定ナビを子守唄に眠り続ける魔力ゼロの指揮官。
残る35階層。真の深淵(裏ダンジョン)の攻略戦は、ツッコミ不在のまま、さらなる理不尽な蹂躙へと突き進んでいく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
精神干渉で見せられた幻影のパンケーキに対し、「本物の拓也のパンケーキはもっと絶妙な匂いがするし、エプロンの結び目も違う!」という特大のブラコン・フィルター(解像度の違い)で幻影を打ち破る三月お姉ちゃんでした。
「砂漠は歩きにくいから」と、超高熱と圧力で階層丸ごとガラス(更地)にしてスケートリンクにする物理DIYも健在です。
そして外のSランクたちは、幻影粉砕の余波を「完璧なステルス看破(真実の瞳)バフ」と勘違いし、いよいよ拓也を全知の神として崇め奉っています(笑)。
よろしければ、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、今後の執筆の大きな励みになります! 次回もよろしくお願いいたします。




