第302話:第二波襲来と、最凶の刺客『回覧板』
東京を滅亡の危機から救った翌朝。
平和なはずの如月家の庭先――物干し竿と、綺麗に手入れされた花壇の間の空間に、高さ三メートルほどの漆黒の『次元の裂け目』がポッカリと開いていた。
原因は、最強の姉である如月三月が、SSSランク迷宮の最深部から「拓也へのお土産」として持ち帰ってきた『アビス・コアの破片』と『Sランク魔核の山』である。
それらが東京の地脈と共鳴し、自宅の庭に局地的な魔界の裏口を形成してしまったのだ。
『……ハァッ、ハァッ。いいか、ねえさん、アーヴィングさん。絶対に、絶対に周囲の家屋や配管を傷つけるな。少しでも騒ぎになれば、俺の平穏な公務員ライフは終わる……!』
リビングの窓ガラスにへばりつきながら、弟の拓也がインカム越しに血の滲むような声で叫んだ。
彼の右眼のチート能力『深層言語・限定解析』は、昨日の過酷な酷使から全く回復していないにもかかわらず、庭先の重力、風力、水道管とガス管の配置図をフル回転で計算し続けている。
「拓也様ッ! ご安心ください! このクロエ、ホームセンター『コーナン』で調達した資材にて、完璧な迎撃陣地を構築いたしましたわ!」
庭の芝生の上で、メイド服の上にタクティカルベストを着込んだ狂信者、クロエ・アーヴィングが胸を張った。
彼女の足元には、スコップで掘られた無数の落とし穴と、園芸用の緑色のワイヤーで作られた『対魔獣用・不可視トラップ』が張り巡らされている。軍用のC4爆薬が使えないという極限の縛りの中、彼女は日用品だけでSランク魔獣を足止めする罠をDIYで完成させていた。
「わ、私も頑張るよ、拓也! ご近所さんに迷惑がかからないように、すっごく優しく、そーっと倒せばいいんだよね!」
パジャマの上にエプロンをつけた三月が、武器である竹箒をギュッと握りしめる。
『そうだ。ねえさんの覚醒した【怪力(極)】をそのまま振るえば、魔獣はおろか、うちの家も、隣の山田さんの家も風圧で更地になる。出力を【0.0001パーセント】まで絞り込め!』
最強の探索者にとって、これほど不自由で神経をすり減らす戦場はない。
三月は、巨大なブラックホールをホームランした時よりも、次元の壁を引き裂いた時よりも、遥かに大量の冷や汗を流していた。
ブゥンッ……!!
ミニ・ゲートが再び不気味に脈動し、第二波の侵攻が始まった。
這い出してきたのは、体長三メートルを超える巨大なカマキリの魔獣『アビス・マンティス(Aランク)』と、地中を潜る凶悪なモグラ『アビス・モール(Bランク)』の群れである。
「シャァァァァッ!!」
アビス・マンティスが、鋼鉄すら両断する巨大な両腕の鎌を振り上げ、如月家のシーツが干してある物干し竿に向かって飛びかかろうとした。
『マズいッ! ねえさん、あの鎌を振らせるな! シーツが切れるどころか、衝撃波でうちの窓ガラスが割れる!』
「させないよッ!」
三月は、芝生をえぐらないように細心の注意を払った【俊敏(極)】のステップで、アビス・マンティスの懐へと滑り込んだ。
そして、振り下ろされようとしていた巨大な鎌を、両手でそっと包み込むようにキャッチする。
「ギチッ!?」
「静かにしてね。お隣さんが起きちゃうから」
メキッ。
三月は、極小の出力に抑え込んだ【怪力(極)】で、アビス・マンティスの鋼鉄の腕を『折り紙を折るように』ゆっくりと、かつ絶対に逃げられない力で逆方向へとへし折った。
悲鳴を上げる暇すら与えない。そのまま流れるような動作で、三月はカマキリの首を優しくコトリと捻り切り、光の粒子へと変えた。
「ギ、ギギッ!?」
地中から顔を出したアビス・モールたちも、クロエが設置した園芸用ワイヤーの罠に絡まり、動きを止めている。
そこへクロエが音もなく忍び寄り、スコップの裏面でモグラたちの脳天を正確に叩き割り(打撃音を吸収するためのタオルをスコップに巻くという徹底ぶり)、次々と沈黙させていった。
『よし! いいぞ、二人とも! その調子で音を立てずに――』
拓也が安堵の息を吐きかけた、まさにその時だった。
『ピンポーン』
のどかな小鳥のさえずりを模した、如月家の玄関のチャイムが鳴り響いた。
ビクッ!!
庭でカマキリの死骸を片付けていた三月とクロエ、そしてリビングにいた拓也の三人の動きが、完全に凍りついた。
拓也が這うようにしてインターホンのモニターを確認すると、そこには、隣に住む初老の女性――山田さんが、小脇にバインダーを抱えてニコニコと立っていた。
「あら、如月さーん。朝早くからごめんなさいねー。町内会の回覧板、持ってきたわよー。あと、うちの畑で採れたおすそ分けのトマトもねー」
インターホン越しに聞こえてくる、平和そのものの声。
しかし、その背景――山田さんの背後にある如月家の庭先(フェンスの向こう側)では、今まさにミニ・ゲートから、体長五メートル近い巨大な『アビス・オーガ(Sランク)』が、雄叫びを上げようと大きく息を吸い込んでいる地獄のような光景が展開されようとしていた。
「や、山田さんだ……ッ!」
三月が青ざめる。
『ねえさん! アーヴィングさん! オーガに絶対に声を出させるな! 地面も踏ませるな! 俺が玄関に出て回覧板を受け取って、山田さんの気を引く! その間に処理しろ! 制限時間は……十秒だッ!!』
拓也は、極度の胃痛と冷や汗に耐えながら、骨伝導インカムで指示を飛ばし、無理やり愛想のいい笑顔を作って玄関のドアを開けた。
「おはようございます、山田さん! いつもありがとうございます!」
「あらあら、拓也くん。今日はなんだか顔色が悪いわねえ。お勉強のしすぎ?」
山田さんが呑気に笑いながら、回覧板と真っ赤なトマトが入ったビニール袋を差し出してくる。
「ええ、まあ……ちょっと夜更かししてしまいまして! あはは……!」
拓也はトマトを受け取りながら、自身の右眼の『空間把握能力』を背後の庭へと向けていた。
(急げ……! オーガが咆哮を上げるまで、あと三秒……!)
庭先では。
「グオォォォ――」と空気を震わせて咆哮を放とうとしたアビス・オーガの口に、クロエが音もなく跳躍し、丸めたタオル(如月家の粗品)を力任せにねじ込んでいた。
「ンゴォォォッ!?」
声が出ず、むせ返るオーガ。
そこへ、三月が背後からスッと忍び寄る。
「ごめんね。お庭が汚れちゃうから、持ち上げるね」
三月は、体重数トンはあるアビス・オーガの足首を掴み、ドスンドスンと足音を立てられる前に、その巨体を『フワリ』と空中に持ち上げた。
極小出力の【怪力(極)】による、恐るべきバランス感覚。
「あれ? なんだか、お庭の方でウーウーってくぐもった声が聞こえないかしら?」
玄関で、山田さんが不思議そうに小首を傾げた。
「き、気のせいですッ! きっと、野良猫が喧嘩してるんですよ! 最近多いですよね、野良猫!」
拓也が引き攣った笑顔で必死にフォローを入れる。
(ねえさん、今だッ!!)
庭先でオーガを逆さ吊りにした三月は、空いている左手で竹箒を構え、オーガの延髄に向かって、正確無比かつ無音の『突き』を放った。
プスッ。
音を立ててはいけないという極限の制約が生み出した、最強の暗殺剣(竹箒)。
Sランクのアビス・オーガは、悲鳴を上げることも、暴れることも許されず、竹箒の一突きで脳幹を破壊されて光の粒子へと還元された。
「そう? 野良猫ならいいんだけど……。お姉ちゃんにもよろしく言っておいてね。それじゃあね」
「はい! トマト、美味しくいただきます! 失礼します!」
バタン。
拓也は玄関のドアを閉め、そのままズルズルと三和土に崩れ落ちた。
『……ミッション、クリア……。山田さん、帰還した……』
インカム越しに虚ろな声で報告する拓也。
「ふうっ! よかったぁ! 山田さんに怒られずに済んだね!」
「拓也様! 庭先の安全は、このクロエと三月お姉様が完璧に確保いたしましたわ!」
庭からひょっこりと顔を出した二人が、Vサインを作っている。
だが、拓也の右眼は無情にも、ミニ・ゲートの奥からさらに強大な魔力の反応が近づいてきていることを告げていた。
SSSランクの迷宮を制覇した翌日。
如月家の戦いは終わるどころか、「ご近所さんに魔界への裏口がバレてはいけない」という、より身近で、より致命的な日常防衛戦の泥沼へと突入していくのであった。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます!
「如月家・絶対防衛戦」の第302話、いかがでしたでしょうか。
空を飛ぶ敵をUFOキャッチャーのようにゆっくり引き寄せ、巨大なオーガにはタオルを詰めて逆さ吊りにするという、お姉ちゃんの理不尽な(しかしご近所には優しい)戦闘スタイルが炸裂しました。
そして拓也にとって最大のピンチである、隣の山田さんの回覧板襲来。無事に乗り切りましたが、ゲートが閉じる気配はまだまだありません。
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