第296話:第五階層『鏡界の水晶』。完璧な複製と、測定不能の姉力(ブラコン)
極寒の氷河を『ただの摩擦熱と爆熱』で沸騰させ、超高温のサウナへと変貌させた第四階層。
その奥底に出現した階段を下りた先で、最強の主人公・如月三月を待ち受けていたのは、息を呑むほどに美しい幻想的な空間であった。
「わぁ……。キラキラしてて、すっごく綺麗!」
三月は、身に纏った漆黒のロングコートの裾を揺らしながら、感嘆の声を漏らした。
第五階層――見渡す限り、天井から足元に至るまで、あらゆる場所が無数の巨大な『水晶』で覆い尽くされた洞窟である。
水晶自体が淡い青白い光を放っており、三月の姿が万華鏡のように無数の鏡面に反射して映し出されていた。
『……気をつけろ、ねえさん。そこはただの綺麗な洞窟じゃない』
三月の耳元のインカムから、弟である拓也の、張り詰めた声が響いた。
拓也のいる自室。
彼は鉄山厳特製の『絶対防御パーカー』を着込み、魔力ゼロのひ弱な肉体を護りながら、右眼のチート能力『深層言語・限定解析』を限界まで酷使し続けていた。
彼の右眼の奥で青い演算陣が回転し、この美しき第五階層に隠された悪意あるギミックを暴き出していく。
『ここは第五階層【鏡界の水晶洞】だ。周囲を覆うその水晶は、ただの石じゃない。迷宮に足を踏み入れた侵入者の魔力、肉体構造、保有スキル、さらには記憶の一部までを強制的にスキャンする【巨大な解析装置】だ』
拓也が警告を発した、まさにその時だった。
ピキィィィィィンッ……!!
三月の正面にあった一際巨大な水晶の柱が、眩い光を放ちながら『融解』し始めた。
溶けた水晶は瞬時に人型へと再構築され、やがて一人の少女の姿を形作る。
漆黒のロングコート。動きやすさを重視したインナースーツ。
右手には、身の丈ほどもある無骨な『魔鉄の塊剣』の精巧なレプリカ。
そして、淡い黄色のサマードレスから着替えてきたばかりの、三月と『全く同じ顔と背格好』をした、水晶の分身であった。
『……最悪だ。俺の右眼の解析データが正しければ、奴は第五階層のボス【アビス・ドッペルゲンガー】。侵入者のステータスを完璧にコピーする、鏡の化け物だ』
拓也は、自室のモニターに映し出された敵のステータスを見て、絶望に顔を歪めた。
『ねえさんの限界突破した【怪力(極)】【俊敏(極)】【堅牢(極)】、さらには【氷結の魔力回路(真)】や【爆熱の魔力回路(真)】まで、完全にトレースされてる。正真正銘、ねえさんと同等の力を持った【最強のコピー】だ』
「えっ? これ、私なの?」
三月は、目の前に立つ無表情な自分のコピーをまじまじと見つめた。
『ねえさん、絶対に正面から打ち合うなよ! もし【極】クラスのステータスを持ったお前たち二人が本気でぶつかり合えば、その衝撃波だけでこの第五階層の空間ごと崩壊して、東京のレイラインに致命的なダメージが入る!』
拓也の脳内で、凄まじい速度で戦術演算が行われる。
同キャラ対決。しかも、相手は感情を持たず、最適な殺戮のみを実行する完璧なマシーンだ。どうすれば、衝撃波を出さずにこのバグみたいなボスを無力化できるか。
『俺が奴の挙動を1ミリ単位で予測して、攻撃をいなすルートをナビする! ねえさんは【精密魔力循環】を使って、自分の出力を極限まで抑えながら――』
「……ねえ、拓也」
拓也の必死の指示を、三月のひどく冷たい、絶対零度すらも凍りつくような声が遮った。
水晶のドッペルゲンガーは、三月と同じ深緑色の瞳を赤黒く濁らせ、明確な殺意と共に『魔鉄の塊剣』を構えていた。
その顔には、一切の感情がない。ただ冷酷に、目の前の敵を排除するためだけの『兵器の顔』をしていた。
「拓也。この可愛くないお人形……私のコピーって言ったよね?」
『あ、ああ。ステータスは完全にねえさんと同等だ。だから――』
「同等なわけないでしょ」
三月の体から、これまでの階層とは比較にならない、怒りに満ちた『絶対者の覇気』が立ち昇った。
「私、拓也の前であんなに怖い顔、絶対にしたことないもん」
彼女の怒りの沸点は、「強敵が現れたこと」でも「自分がコピーされたこと」でもなかった。
「お姉ちゃんはね、どんなに辛い時でも、拓也が心配しないように、いっつも世界で一番可愛い笑顔でいるって決めてるの! なのに、あんな血も涙もない殺人鬼みたいな顔を『私』だなんて……お姉ちゃんとしてのプライドが、絶対に許さないッ!!」
「ターゲット、排除――」
三月の怒りなど意に介さず、ドッペルゲンガーが動いた。
【俊敏(極)】による神速の踏み込み。そして、【怪力(極)】を乗せた魔鉄の塊剣による、絶対的な威力の横薙ぎ。
それは間違いなく、空間すらも断ち割る最強の一撃であった。
『ねえさんッ!! 避けろ!!』
拓也が絶叫する。
しかし、三月は一歩も退かなかった。
彼女は、迫り来る自身の最大火力の剣撃に対し、ただスッと『左手』を前に出しただけだった。
ガキィィィィィィィィィンッ!!!!!!!
凄まじい金属音が洞窟に響き渡った。
ドッペルゲンガーの放った、山をも両断するはずの全力の一撃。
それは、三月の細い左手の『人差し指と中指の二本』によって、ピタリと受け止められていた。
『……は?』
モニター越しの拓也の脳が、理解を拒絶してフリーズする。
衝撃波すら発生していない。三月は【精密魔力循環】を極限まで引き上げ、ドッペルゲンガーの莫大な運動エネルギーを、二本の指先だけで完全に相殺・吸収してしまったのだ。
「エラー。出力、同一。反発、計算外……」
感情を持たないはずのドッペルゲンガーが、信じられないというように機械的な声で呟く。
「あのね、お人形さん」
三月は、自身の剣を指二本で受け止められたドッペルゲンガーに向かって、氷のように冷たい宣告を下した。
「あなたがコピーしたのは、ただお散歩してた時の私の『基本ステータス』でしょ? そんなの、私が大好きな拓也のことを思って怒った時の【姉力】に比べたら、ミジンコみたいな数字なのよ」
愛する弟への想いが、彼女の限界を際限なく引き上げる。
それは、どれほど高性能な迷宮のシステムであろうと、絶対にコピーできない『魂(心)』の領域であった。
「拓也に変な顔見せた罰。……反省しなさい」
パチンッ。
三月が、ドッペルゲンガーの額を指先で軽くデコピンした。
ただそれだけ。魔力すら使っていない、純粋な【怪力(極)】の極小出力。
ピキッ……。
パリンッ、ガシャァァァァァァァァァァァンッ!!!!
その一撃で、最強のステータスを誇ったはずのアビス・ドッペルゲンガーの頭部に亀裂が走り、次の瞬間、全身がガラス細工のように木っ端微塵に砕け散った。
「ふんっ。これに懲りたら、次からはもっと笑顔の練習をしてからコピーすることね」
三月は、キラキラと舞い散る水晶の粉末を見下ろしながら、フイッとそっぽを向いた。
そして、粉末の中からコロンと転がり出た『Sランクの魔核』だけを拾い上げ、コートのポケットに突っ込む。
彼女は拓也との約束(制約)をしっかり守り、ドッペルゲンガーの魂を喰らうことはしなかった。
『…………』
インカムの向こう側では、拓也が虚無の表情で虚空を見つめていた。
『……完璧なステータスのコピーすら、弟への愛(キレた時のバフ)で粉砕するのか……。俺の右眼の計算式に、「姉のブラコン度」っていう変動係数を組み込まないとダメなのか……?』
自室で絶対防御のパーカーに包まれた魔力ゼロの少年指揮官は、自身の持つチート能力の限界(姉の愛がバグすぎて数値化できないこと)を悟り、また一つ胃薬の錠剤を水で流し込んだ。
「拓也様ッ!! おお、なんという気高き愛……! 偽りのステータスなど、お姉様の真実の愛の前では塵芥に等しいという、美しき証明ッ!!」
狂信者のクロエだけが、一人で感動の涙を流している。
一方その頃。
アビスゲートの外、東京・新宿の上空で防衛戦を死守していたSランク探索者たちの頭上で、さらなる奇跡が起きていた。
「おい、見ろ! ゲートの中から、何か光る粉が降ってくるぞ!」
神宮寺が空を指差す。
三月がドッペルゲンガーを粉砕した際に発生した、膨大な『水晶の粉末』。それがゲートの外へと溢れ出し、夜の新宿の空をキラキラと幻想的に照らし出し始めたのだ。
「こ、これは……ッ!」
レオン・カーターが、周囲を見渡して驚愕の声を上げる。
水晶の粉末は、ただ綺麗なだけではなかった。
粉末が空中に漂うことで、それまで暗闇や光学迷彩で姿を隠していた変異種の魔獣たちの輪郭にキラキラと付着し、彼らの位置を完全に『可視化』してしまったのである。
「すげえ……! 敵のステルスを完全に無効化する、広域の【探知・照明バフ】か!」
レオンが、可視化されたワイバーンに向かって正確無比な雷撃を放ち、一撃で撃ち落とす。
「なんという盤面支配力だ……! 聖水の回復、サウナの疲労除去に続き、今度は我々の索敵の負担をゼロにする完璧な支援……! 如月拓也、彼は自室にいながらにして、この戦場を神の視点で見下ろしているに違いない!」
神宮寺が、完全に心酔しきった表情で刀を振るう。
もちろん、彼らは知らない。
この完璧な索敵支援のダイヤモンドダストが、「自分のかわいくないコピーを作られてブチ切れたお姉ちゃんの、ただのデコピンの残骸」に過ぎないという事実を。
かくして。
深淵迷宮の第五階層は、測定不能の姉力によってシステムごと粉砕され、外で戦うSランクたちは、少年指揮官への信仰をさらに深めていく。
「拓也! 悪いお人形さん倒したから、次の階に行くね! 早く帰ってパンケーキ食べよ!」
『……ああ。頼むから、もう俺の計算式を壊さないでくれ……』
パンケーキのために爆走する姉と、計算外のバグに胃痛を募らせる魔力ゼロの指揮官の、長い長いダンジョン攻略は続く。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
自分のかわいくないコピーにブチ切れ、デコピン一発(物理)で粉砕するお姉ちゃんでした。外のSランクたちも、その残骸のダイヤモンドダストを完璧な索敵支援だと勘違いしてさらに心酔を深めています。
よろしければ、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると執筆の励みになります! 次回もよろしくお願いいたします。




