第293話:第二階層『幻惑の森』と、激怒の一直線除草作業(物理)
ズドォォォォォォォンッ……!!!
東京の空に開いた『深淵の門』の内部。
第一階層の黒曜石の大地を物理的にぶち抜き、その勢いのまま落下してきた最強の主人公・如月三月は、音も立てずに第二階層の地面へとふわりと着地した。
「うーん……。今度はなんだか、ジメジメしてて暗い場所だね」
三月が降り立った第二階層は、見渡す限りの『森』であった。
しかし、ただの森ではない。樹皮が赤黒く変色し、葉の代わりに不気味な紫色の蔦を垂れ流す、巨大な魔樹の群れ。空間全体には乳白色の濃霧が立ち込めており、視界は数メートル先すらおぼつかない。
『……ゲホッ、ハァッ。ねえさん、聞こえるか』
インカムから、ひどく掠れた拓也の声が響く。
「あっ、拓也! 大丈夫? お水飲む?」
『飲んでるよ。アーヴィングさんが横で、致死量の胃薬と一緒に極上の湧き水を流し込んでくれてるからな……。なんとか、ねえさんがぶち抜いた階層のズレ(エラー)を修正して、マッピングを再開したところだ』
拓也のいる自室。
鉄山厳特製の『絶対防御パーカー』を着込み、魔力ゼロのひ弱な肉体(打撃力2)を守りながら、彼は右眼のチート能力『深層言語・限定解析』を限界まで酷使していた。
『いいか、ねえさん。そこは第二階層【幻惑の森】だ。空間が無限にループする迷路になっている上に、その霧は吸い込んだ者の脳に直接干渉し、その人間が持つ【最も恐れるトラウマ】の幻覚を見せて精神を破壊する呪いがかかっている』
拓也の右眼が、瞬時に森の構造とギミックを暴き出す。
『どんな強靭なSランク探索者でも、心の奥底にある恐怖を抉り出されれば隙ができる。俺が右眼で幻覚の波長を相殺しながら、ループを抜ける正しいルートをナビする。絶対に俺の指示通りに――』
「えっ? トラウマの幻覚?」
三月は、拓也の言葉を遮るように首を傾げた。
その瞬間である。
シュゥゥゥゥッ……!
三月の周囲を取り囲んでいた乳白色の霧が、急激に濃さを増し、彼女の視界を完全に奪った。
霧は彼女の脳に侵入し、深層心理にある『最も恐れるもの(トラウマ)』を引きずり出そうと、呪いの魔力をフル稼働させる。
やがて、霧の中から『一つの影』がふらふらと歩み出てきた。
「……ね、ねえさん……」
そこに現れたのは、ボロボロの服を着て、絶望的な表情を浮かべた『拓也の幻影』であった。
「た、拓也……? どうしたの、そんなに悲しい顔をして……」
三月が目を見開く。
幻影の拓也は、ガクリと膝をつき、血の涙を流しながら叫んだ。
「ねえさん……俺、市役所の公務員試験に……落ちたんだ……。おまけに、帰り道で足の小指をタンスの角にぶつけて……すごく、痛いよぉ……ッ!!」
それは、弟の平和と安全を何よりも願う三月にとって、間違いなく『この世の終わり(トラウマ)』とも言える光景であった。
最愛の弟が、夢を絶たれ、あろうことか足の小指まで痛めているのだ。
「ああっ……! た、拓也ぁぁぁっ……!!」
三月は、両手で口を覆い、ワナワナと肩を震わせた。
その姿を見て、幻惑の森の意思は『かかった』とほくそ笑んだに違いない。精神崩壊は間近だ、と。
しかし。
インカムの向こう側にいる『本物の拓也』は、自室のモニターでその映像を見ながら、サァァァッと顔面を蒼白にしていた。
『(……マ、マズいッ!!)』
拓也は完全に理解していた。
特異点の崩壊を経て進化した三月の『魂喰い(ソウルイーター)』には、あらゆる精神干渉を完全に遮断する【精神耐性】が備わっている。
つまり、三月はこの幻覚に『一切操られてなどいない』のだ。
彼女の脳は正常であり、目の前の拓也が『森が見せている偽物である』ということを、完璧に理解している。
理解した上で。
『大好きな弟が悲しんでいる姿を、たとえ偽物であっても見せつけられた』という事実に、最強の主人公は、今まさに――。
「……よくも」
三月の深緑色の瞳から、一切の感情の光が消え失せた。
「……よくも、よくもよくもよくもよくも……ッ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!
三月の細い体から、純粋な『怒り』が物理的な圧力となって噴出する。
魔力ではない。ただ彼女が存在しているだけで発生する、神域の重力異常。
周囲の乳白色の霧が、恐怖に怯えるように悲鳴を上げて散り散りになっていく。
「たとえ幻でも……私の可愛い拓也が、公務員試験に落ちて悲しむ姿を見せるなんて……!! しかも、足の小指までぶつけさせるなんてぇぇぇぇっ!! 万死に値するぅぅぅっ!!!!」
「えっ?」と幻影の拓也が間抜けな声を上げた瞬間。
三月は、右手のひらを『手刀』の形に真っ直ぐに伸ばし、正面の森へ向かって、ただただ無造作に振り抜いた。
【純粋物理・真空断層】
バシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!!!!
手刀から放たれたのは、魔法の風の刃などではない。
三月の極限の腕力とスナップによって強制的に圧縮された大気が、音速を遥かに超える『断層』となって、正面の空間そのものを削り取ったのだ。
「ギィェェェェェェェェェェェッ!?」
無限にループするはずだった『幻惑の森』の魔樹たちが、何千本とまとめて真っ二つにへし折られ、宙を舞う。
三月の放った真空の刃は、第二階層の端から端までの約十キロメートルを、文字通り『一直線に更地』に変えてしまった。
ループ迷路? 精神攻撃の霧?
そんなものは、一直線に切り開かれた『幅百メートルの真っ平らなハゲ山』の前には、何の意味も持たなかった。
「……ふう。びっくりした。変なもの見せられちゃった」
三月は、跡形もなく消し飛んだ幻影の拓也と森の残骸を見つめながら、プイッとそっぽを向いた。
『…………ねえさん。お前、いや、ねえさん……。今、ダンジョンのギミックごと、第二階層の森の半分を物理的に伐採しなかったか……?』
インカムから、完全に魂の抜けたような拓也の掠れ声が聞こえてくる。
「だって、拓也が公務員試験に落ちる幻覚なんて見せるんだもん! お姉ちゃん、絶対に許せなかったの! それに、迷路をチマチマ歩いてたら、お家に置いてあるパンケーキが完全に冷めきっちゃうでしょ?」
『だからって、力業で森を一直線に切り開く奴がいるか!! 俺の右眼のルート解析が、また全部無駄になったじゃないか!! しかも今、あの森を統括してた第二階層のボス(巨大な樹の化け物)が、お前のチョップの余波に巻き込まれて何もしないまま死んだぞ!?』
拓也のモニターには、本来ならば壮絶な死闘を繰り広げるはずだった【幻影の世界樹】が、三月の手刀の風圧だけで木っ端微塵に粉砕され、悲しくアイテム(魔核)をドロップする様子が映し出されていた。
「あ、ホントだ。なんか遠くの方で、次の階層へ行くための【階段】がむき出しになってる! よーし、これでまたショートカットだね!」
三月は、見晴らしが良くなりすぎた(更地になった)一直線の道を、スキップを踏みながら進んでいく。
『……もういい。俺は考えるのをやめる。アーヴィングさん、胃薬のおかわりをくれ……』
「拓也様ッ!! ああ、なんという慈悲深き御力……ッ! お姉様は、神の歩む道に迷いなど不要であると、自らの御手で森を切り拓かれたのですねッ!!」
狂信者のクロエが、モニターに映る無惨な更地に向かって祈りを捧げている。
一方その頃。
アビスゲートの外、東京・新宿の上空で防衛戦を繰り広げていたSランク探索者たちは。
「……おいおいおい、神宮寺。今、空のゲートの中から、凄まじい衝撃波が突き抜けてこなかったか!?」
レオン・カーターが、ゲートの表面が内側からの圧力で激しく波打ったのを見て、顔を引きつらせた。
「ああ……。間違いない。ゲートの内部で、地形が変わるほどの『何か』が起きている。如月くんの指揮と、彼のお姉さんの力……我々の想像を遥かに超えているらしい」
神宮寺もまた、冷や汗を流しながら、空に開いた絶望の大穴を見上げていた。
彼らは知らない。
その凄まじい衝撃波が、世界の危機を救うためのものではなく、「弟が試験に落ちる幻覚を見せられてブチ切れた姉の、ただのチョップの風圧」であるという事実を。
かくして、SSランク相当の深淵迷宮・第二階層は。
パンケーキの冷えを危惧する最強の主人公の『激怒の除草作業(物理)』によって、開始わずか数分で崩壊を迎えるのであった。
もし「幻覚のチョイスが絶妙(笑)!」「お姉ちゃんのブラコンこわい!」「物理チョップで更地は草!」と思っていただけましたら、
ぜひページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
次回、第三階層での新たな(哀れな)敵との遭遇をお楽しみに!




