第290話:空が割れた日と、最強の主人公の出撃
八月も終わりに近づき、夏休みの終わりが見え始めた頃。
本作の主人公である如月三月は、自宅のキッチンでご機嫌な鼻歌を歌いながら、フライパンでとびきり分厚いホットケーキを焼いていた。
「ふふふーん♪ 拓也、今日もお部屋で一生懸命お勉強してるから、甘いもの食べてリフレッシュしてもらわなきゃ!」
三月は、淡い黄色のエプロンをふわりと揺らしながら、完璧な手首のスナップでホットケーキを宙に舞わせ、綺麗に裏返した。
特異点の崩壊を経て、彼女の固有異能『魂喰い(ソウルイーター)』は果てしない進化を遂げた。
物理干渉を完全にすり抜ける『自動透過の理』。精神干渉を遮断する『精神耐性』。相反する魔力を独立制御する『精密魔力循環』。そして、愛剣『黒月』すら耐えきれずに悲鳴を上げるほどの、圧倒的な魔力密度と身体能力。
今や彼女は、指を鳴らすだけで天災を消し飛ばす次元に到達している。
しかし、三月にとってそんな『神のような力』など、どうでもいいことだった。彼女の行動原理はいつだってシンプルだ。「愛する弟が、平和で幸せな毎日を過ごせること」。そのための障害を取り除く、ただの便利な道具に過ぎない。
「よしっ、ふっくら焼けた! あとは特製のハチミツをたっぷりかけて……」
三月が、お皿にホットケーキを移そうとした、まさにその時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!
東京の街全体を、空間そのものが軋むような重低音が激しく揺らした。
地震ではない。大気と次元が悲鳴を上げている音だ。
「……ん?」
三月がキッチンの窓から空を見上げると、時刻はまだ午後三時だというのに、東京の空が『どす黒い赤色』に染まり上がっていた。
そして、新宿の高層ビル群の遥か上空――空の空間そのものが、まるでガラスが割れるようにバキバキとひび割れ、巨大な『漆黒の穴』を形成し始めたのである。
三月の【絶対知覚】が、その穴から溢れ出す尋常ではない魔力濃度を正確に捉える。
かつて弟と共に破壊した結節点、『特異点』の残滓。世界の魔力リミッターが外れたことで、大気中に溶け込んでいた膨大な星のエネルギーが一点に異常収束し、自然発生してしまったSSランク相当の『深淵の門』であった。
空のヒビ割れからは、Aランク以上の硬さを持つ変異種のワイバーンや、巨大な魔獣たちが次々と東京の空へ這い出そうとしている。
放置すれば、東京はおろか日本全体が数時間で火の海に沈むだろう。世界を揺るがす、未曾有の大災厄の始まり。
しかし。それを見た主人公・三月の深緑色の瞳からは、スッと光が消え失せていた。
「……もう」
三月の口から、ひどく冷たく、そして静かな声が漏れる。
「せっかく拓也が一生懸命、公務員試験のお勉強をしてるのに。あんなうるさい音立てたら、集中できなくなっちゃうじゃない」
彼女にとって、世界が滅びるかどうかなど知ったことではない。
許せないのは、可愛い弟の『平和な夏休みのお勉強タイム』が、あの薄汚い空の穴のせいで邪魔されたこと。ただそれだけだった。
一方その頃、拓也の自室。
「なっ……!? なんだこれ、処理が追いつかない……!?」
拓也は、自室の椅子から立ち上がり、窓の外の『赤い空』を見上げて愕然としていた。
強制起動した右眼の『深層言語・限定解析』が、上空に出現したゲートのデタラメな規模を弾き出し、視界を真っ赤な警告色で染め上げている。
バンッ!!
「拓也様!! ギルド本部、ならびに『極星』のトップランカーたちから、拓也様宛てに緊急の直通通信が繋がっております!!」
私服姿のクロエ・アーヴィングが、血相を変えて部屋に飛び込んできた。その手には、厳重なロックが施された軍用の暗号通信端末が握られている。
拓也は舌打ちをしながら、端末を受け取った。
『――如月拓也くん。急な連絡で申し訳ないが、事態は一刻を争う』
通信機から聞こえてきたのは、日本ギルドの最高峰に君臨するSランク探索者であり、『極星』のリーダー格でもある神宮寺の、焦りを孕んだ声だった。
「神宮寺さん! 空のアレ、あんたたちトップランカーでもどうにもならないんですか!?」
拓也が問うと、通信の向こうから、アメリカのSランク探索者であるレオン・カーターの忌々しそうな舌打ちも聞こえてきた。
『ボーイ、現状を言うぜ。俺たちSランクのアタッカーはすでに新宿に展開して、ゲートから湧き出してきた変異種の魔獣どもを抑え込んでる。だが、敵の数が異常だ』
神宮寺が、重苦しい声で続く。
『我々が街への被害を無視して全火力を出せば、殲滅すること自体は不可能ではない。だが、それをやれば新宿区から千代田区までの首都機能が完全に灰燼に帰す。……我々の力は、市街地で連携なしに放つには強力すぎるんだ』
拓也の右眼も、神宮寺の言葉が事実であることを肯定していた。
Sランク探索者たちがリミッターを外して暴れ回れば、魔獣は倒せても東京は消滅する。
『だからこそ……君が必要だ。特異点の戦場において、我々エゴイストの集まりであるSランクの行動をコンマ一秒の狂いもなく最適化しきった、君の【神の指揮】が』
通信機越しに、神宮寺の真摯な要請が響き渡る。
『そして何より……あの歩く厄災、君の姉である【如月三月】の絶対的な破壊力が必要だ。彼女の力を君の指揮で完全に制御し、街に一切の被害を出さずに一点に集中させる。それができる指揮官は、世界中を探しても君しかいない』
「…………ッ」
拓也は、ギリリと奥歯を噛み締めた。
ここで彼らの要請を受け入れれば、「ひ弱な一般人」というカモフラージュは大きく揺らぐ。
だが、このまま東京が火の海になれば、自分の就職先である『市役所』自体が消滅してしまう。
「……分かりました。俺が指揮を執ります。俺の指示には『絶対に、一秒の遅れもなく』従ってください」
拓也が、冷徹な指揮官の声色に切り替わった、その時だった。
「ねえ、拓也」
ガチャリ、と自室の扉が開き、ふわりと甘い匂いが漂ってきた。
そこに立っていたのは、両手に焼きたてのホットケーキが乗ったお皿を持つ、三月だった。
「お姉ちゃん、お外のうるさいゴミ掃除、してきちゃっていいかな?」
三月の声はいつも通り優しかった。
しかし、その細い体から漏れ出すプレッシャーは、Sランクのクロエですら膝を震わせ、息ができなくなるほどの『絶対者の覇気』であった。主人公としての圧倒的な存在感が、部屋の空気を支配している。
「あいつら、拓也のお勉強の邪魔したから。一匹残らず、綺麗にお掃除してくるね」
ニコリと笑う三月の目には、空を埋め尽くすほどの魔獣の群れも、SSランクのゲートも、ただの『羽虫の群れ』程度にしか映っていない。
拓也は、右眼の眼帯を完全に外し、青い演算陣を激しく発光させながら、最強の姉に向かって不敵に笑いかけた。
「ああ。全部消していいよ、ねえさん。……ただし、街を壊さないように、俺がタイミングと座標を完璧に指定する。俺の指揮に合わせてくれ」
「うんっ! わかった! 拓也と一緒なら、お姉ちゃん百倍頑張れちゃう!」
三月は、ホットケーキのお皿を拓也の机の上にコトリと置いた。
「冷めないうちに帰ってくるから、ちょっと待っててね!」
次の瞬間。
三月の体がブレたかと思うと、音速を遥かに超える神速(物理的な完全無音)で、窓から新宿の上空へと跳躍していた。彼女の踏み込みだけで、眼下の空気が爆発したように弾け飛ぶ。
「アーヴィングさん! お前の端末を俺のモニターに繋げ! 新宿の戦場カメラと、全員の魔力波長を俺の右眼に同期させろ!!」
「は、はっ!! 御意ッ!!」
モニターに、新宿の惨状と、そこへ展開するSランクたちの光点、そして――すべてを凌駕する圧倒的な速度で空を駆ける、最強の主人公(三月)の姿が映し出される。
魔力を持たない少年は、自室の椅子に深く腰掛け、絶対防御のパーカーのフードを目深に被った。
日常は終わりを告げた。
特異点の崩壊が生み出した巨大な脅威を前に、世界最強の主人公・如月三月が、弟の指揮のもと、ついに世界の表舞台(空の上)へとその圧倒的な力を解き放つ。
もし「主人公の貫禄ヤバい!」「こういう展開待ってた!」「ホットケーキ冷める前に世界救えそう(笑)!」と思っていただけましたら、
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次回、新宿を舞台にした最強姉弟の無双をお楽しみに!




