第286話:キャンプファイヤーと、世界樹の薪
林間学校の二日目、午後。
規格外の天災(数千トンの土石流)が、最強の姉の素手の指鳴らし一つで美しい『虹』へと変換されるという常軌を逸した事件を経て、二年B組の生徒たちは無事に県立ロッジへと帰還していた。
「いやー、沢登り最高だったな! 最後のでっかい虹、マジで奇跡みたいだったぜ!」
ロッジの大部屋で、ジャージに着替えた健太が興奮冷めやらぬ様子で語る。
「う、うん。そうだね……奇跡っていうか、神話っていうか……」
如月拓也は、畳の上に力なく座り込みながら、死んだ魚のような目で愛想笑いを浮かべた。
拓也の精神は、現在進行形で限界を迎えていた。
物理法則を完全に書き換え、天災すらも一瞬で消し飛ばす姉・三月の神域の力。もしあれがギルドのトップランカーたちに露見すれば、自分の夢である『市役所で定時退社する平穏な生活』は完全に消滅し、姉を奉るカルト教団の教皇(手綱役)に祭り上げられてしまう。
「拓也様ッ!! 沢登り、大変お疲れ様でございました!! ささっ、こちらに極上の湧き水で淹れたハーブティーをッ! 拓也様の尊いお体を癒やすため、温度も完璧に調整してございます!」
拓也の隣では、アメリカの特務エージェントから完全に『三月教の熱狂的信者』へとクラスチェンジを果たしたクロエ・アーヴィングが、恭しくティーカップを差し出してきた。
彼女の目は、もはや護衛対象に向けるそれではない。現人神(三月)の弟であり、神の言葉を代弁する『預言者』を崇めるような、狂信的な輝きに満ちていた。
「アーヴィングさん……ありがとう。でも、俺は普通の中学生なんだから、そんな膝をついてお茶を差し出さなくていいよ。健太が変な顔で見てるから」
「何をおっしゃいますか! あの虹(神の奇跡)を前にして、平然と日常を演じきられる拓也様の精神力……! このクロエ、一生ついていくと改めて魂に誓いましたわッ!!」
「だからその信仰心を捨ててって言ってるんだよ……!」
拓也が小声でツッコミを入れていると、大部屋の襖が開き、担任の鈴木先生が疲れた顔で入ってきた。
「えー、全員揃ってるな。夕食の後は、いよいよ林間学校最後のイベント『キャンプファイヤー』だ。……だが、一つ問題が起きた」
鈴木先生の言葉に、生徒たちがざわめく。
「実はな、昼間の急な濃霧(※三月が土石流を気化させた水蒸気)のせいで、外に積んであったキャンプファイヤー用の薪が全部湿ってしまったんだ。これじゃあ火がつかない。だから、悪いが班ごとに少し森の入り口付近を歩いて、乾いた木の枝や落ち葉を拾い集めてきてくれ」
「えーっ、薪拾いかよー。めんどくせー!」
男子生徒たちからブーイングが上がる中、拓也はピクリと嫌な予感を覚えた。
(……マズい。薪拾いなんてイベントが発生したら、絶対に『あの人』が黙ってないぞ……!)
拓也の予想通り、彼の脳裏には、森の奥深くで「拓也のキャンプファイヤーが中止になっちゃうなんて可哀想! お姉ちゃんが最高の薪を用意してあげる!」と張り切る姉の姿が、鮮明な幻覚として浮かび上がっていた。
数十分後。
ロッジの裏手にある安全な森の入り口で、第三班のメンバーたちは枯れ枝を拾い集めていた。
「よっしゃ、俺は細かい枝をいっぱい集めたぜ! 如月はどうだ?」
健太が、抱えきれないほどの小枝を持って戻ってくる。
「俺もそれなりに集めたよ。でも、キャンプファイヤーの中心にするような太い木は、なかなか落ちてないね」
拓也が周囲を見回した、その時だった。
「拓也様ッ!! ご覧ください!!」
少し離れた茂みを探索していたクロエが、興奮した声で拓也を呼んだ。
拓也と健太が駆けつけると、そこには。
どう見ても不自然なほど綺麗に切り揃えられ、しかもピラミッド型に美しく組み上げられた『巨大な丸太の山』が、ドンッ! と鎮座していたのである。
「うおおおっ!? なんだこれ、すっげえ立派な薪の山じゃん! 誰かが組んでおいてくれたのか!?」
健太が無邪気に歓声を上げる。
しかし、拓也の右眼『深層言語・限定解析』は、その丸太の山から発せられる『尋常ではないデータ』を瞬時に読み取り、警告の赤色で視界を埋め尽くした。
(……待て待て待て待て!! これ、ただの木じゃない!! 魔力密度が高すぎて、表面がうっすらと白く発光してるじゃないか!!)
拓也の右眼が解析したその丸太の正体。
それは、人類未踏のSランク迷宮の最深部にのみ自生し、樹液の一滴すらも万病を癒やすとされる伝説の魔法植物――『エンシェント・トレント(世界樹の幼生)』の心材であった。
(ねえさん!! いくら俺のキャンプファイヤーを成功させたいからって、Sランクの超希少素材をただの『薪』として伐採してくるなんてデタラメすぎる!! これ一本で国家予算レベルの価値があるんだぞ!!)
「ああっ……! この甘く清らかな魔力の香り……間違いない、お姉様からの供物ですわ……!! 拓也様の夜を明るく照らすため、神自らが世界樹を切り倒してくださったのですね……ッ!」
クロエが、丸太の山に向かって、森の土に額を擦り付ける勢いで祈り始めた。
「クロエちゃん、なんで丸太に土下座してんの? 外国の儀式?」
健太が首を傾げる。
「アーヴィングさん、祈るのは後にして! 健太、とりあえずこの木を広場に運ぼう。……めちゃくちゃ重そうだけど、俺も手伝うから」
拓也は、絶望的な気分でエンシェント・トレントの巨大な丸太に手を伸ばそうとした。
しかし、その直前でピタリと動きを止める。
(……いや、待てよ。俺が今着ているこの『ナノマシン偽装パーカー』は、ギルドの測定器や他者の探知に対して、常に【魔力ゼロ、打撃力2】という偽装データを垂れ流し続けるシステムになっている)
特異点での死闘を生き抜いた拓也の本当の身体能力がどれほどのものかはさておき、少なくとも『打撃力2』というひ弱な中学生の数値を偽装出力している以上、ここで不用意に重い丸太を持ち上げるわけにはいかなかった。
万が一、周囲の目を欺くために設定された偽装ステータスと、実際の物理的な行動(出力)に大きな矛盾が生じれば、パーカーのステルスシステムにエラーが出かねない。一般人としての完璧なカモフラージュを守るためには、彼はあくまで「ひ弱な男子生徒」として振る舞う必要があった。
拓也が躊躇していると、クロエが弾かれたように立ち上がった。
「お待ちください拓也様ッ!! 拓也様のその尊く、そして『打撃力2』という仮の姿を演じておられるお手を煩わせるわけにはまいりませんッ!!」
クロエは、Sランク級に跳ね上がった身体能力を遺憾なく発揮し、総重量数百キロはあろうかという世界樹の丸太の山を、まるで発泡スチロールの箱でも持つかのように「ひょいっ」と一人で抱え上げてしまった。
「えっ……? クロエちゃん、マジで……?」
健太が目を丸くして硬直する。
「アメリカで習った、テコの原理とバランスのコツですわ! さあ、拓也様はどうか手ぶらで、安全な道を歩いてくださいませ!」
クロエは、丸太の山を抱えたまま、涼しい顔でロッジの広場へと歩き出した。
(……ものすごい言い訳だけど、俺がカモフラージュを解かずに済んだのは助かった)
拓也は、信者の過剰な奉仕に胃を痛めつつも、静かに彼女の後を追った。
夜の帳が完全に下りた、ロッジの広場。
全校生徒が火の周りに集まり、いよいよキャンプファイヤーの点火の儀式が始まった。
「それじゃあ、火の神よ……点火!」
鈴木先生の合図と共に、代表の生徒がトーチの火を、拓也の班が運んできた『薪の山』へと押し当てる。
その瞬間だった。
ボワァァァァァァァンッ……!!
燃え上がった炎は、通常の赤やオレンジ色ではなかった。
それは、夜空に揺らめくオーロラのような、淡い緑と青と黄金色が混じり合った、信じられないほど美しく、そして『神聖な光』であった。
「「「うおおおおぉぉぉっ!!?」」」
生徒たちと教師陣から、どよめきと歓声が上がる。
「すっげえ!! なんだこの火! めちゃくちゃ綺麗だぞ!!」
「なんか、全然熱くない! むしろ、すっごく温かくて気持ちいい……!」
「マイナスイオンとかそういうレベルじゃねえ! 今日一日歩き回って疲れてたのに、なんか一気に体が軽くなったぞ!!」
広場を囲む生徒たちは、その幻想的な炎に目を奪われ、口々に感動を言葉にしていた。
無理もない。
彼らが浴びているのは、ただの熱ではない。世界樹の心材が燃焼することによって放出される、極めて純度の高い『生命力』そのものなのだ。
広場にいる全員の疲労が瞬時に回復し、かすり傷や筋肉痛すらも細胞レベルで完全治癒していく。
(……ああ。もう終わりだ。林間学校のキャンプファイヤーが、完全に『大規模な治癒魔法の儀式』になっちゃってる……)
拓也は、幻想的なオーロラの炎に照らされながら、無表情で空を見上げた。
「拓也様……! ご覧ください、この浄化の炎を……! お姉様の愛が、我々の魂を洗い流してくださっています……!!」
隣では、クロエが両手を胸の前で組み、完全に『聖女』のような恍惚とした表情で炎を見つめている。
「アーヴィングさん……お願いだから、フォークダンスの輪の中で『祈りの舞』みたいなステップを踏むのはやめて。目立つから」
「いいえ! この神聖な炎の前で、手をつないでマイムマイムなど踊るわけにはまいりません! 私は神への奉納の舞を……ッ!」
「いいから手を出して! 健太が待ってるから!!」
拓也は、暴走しそうになる狂信者の手を無理やり引っ張り、普通の中学生のフォークダンスの輪へと引きずり込んだ。
同じ頃。
幻想的なオーロラの炎に包まれた広場を、ロッジの屋根の上から見つめる一つの影があった。
「ふふふーん♪ よかった、拓也たち、お姉ちゃんの薪で楽しんでくれてるみたい!」
淡いグリーンのワンピースを着た三月は、パチパチと拍手をしながら、弟がマイムマイムを踊っている姿を愛おしそうに見つめていた。
「特異点が壊れてから、世界中に変な魔力がいっぱい溢れてるみたいだから、たまにはああやって世界樹の力で浄化してあげないとね! 拓也もいっつも偽装のパーカー着て気を張ってるから、ゆっくり休ませてあげたかったし」
三月にとって、Sランク迷宮から素材を調達してくることなど、近所のスーパーに買い出しに行くのと何ら変わらない。すべては、愛する弟が健康で、楽しく、平和な学校行事を満喫できるようにするための、ささやかな『姉の気遣い』であった。
「……それにしても、クロエちゃんは本当にいい子だなぁ。拓也のお友達として、あんなに熱心に炎に祈ってくれてるなんて」
三月は、フォークダンスの輪の中で一人だけ奇妙な儀式のステップを踏もうとしているクロエを見て、ニコニコと微笑んだ。
彼女の圧倒的な力と愛情が、アメリカの天才エージェントを完全に別の生き物(狂信者)へと作り変えてしまったことなど、三月は微塵も自覚していない。
夜空の下、オーロラの炎がロッジの広場を優しく、そして異常な魔力密度で包み込み続ける。
魔力を持たない少年指揮官の平和な林間学校は、最強の姉の過保護すぎる愛情によって、完全に『神話の1ページ』へと書き換えられながら、最後の夜を賑やかに更けていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




