第275話:期末テストの満点と、ドッジボールの回避神(ゼロ・アタッカー)
「――如月、すっげええええッ!! お前、五教科全部満点じゃないか!!」
期末テストの答案がすべて返却された火曜日の昼休み。
二年B組の教室で、クラスメイトの健太が、拓也の机の上に広げられた答案用紙の束を見て目を丸くしていた。
国語、数学、理科、社会、英語。
すべての答案用紙の右上に、鮮やかな赤いペンで『100』という数字が躍っている。
「いや、たまたま試験範囲のヤマが当たっただけだよ。……ほら、俺は市役所の職員を目指してるから、内申点はしっかり稼いでおかないと」
如月拓也は、完璧な愛想笑いを浮かべながら答案用紙をそそくさと鞄にしまった。
(……神宮寺さんたちの妨害(家庭教師)のせいで、結局『限定解析』を使って全部暗記しちゃったからな。チートを使った罪悪感はあるけど、これで将来の公務員への道(平穏)が確固たるものになるなら安いもんだ)
拓也は、ズキズキと痛む胃を押さえながらも、静かな満足感に浸っていた。
ギルドの適性検査では魔力値「ゼロ」、打撃力「2」という圧倒的な無能(一般人)を証明し、テストでは満点を取って真面目なガリ勉キャラを確立する。
これこそが、魔力を持たない彼が求めていた「平和な中学生」の完璧なカモフラージュである。
「でも如月、勉強ばっかりしてると運動不足になるぞ? 今日の五時間目は体育でドッジボールだからな! 俺がFランク探索者の力で、ビシッと敵を倒してやるから安心しろ!」
健太が、得意げに自分の細い腕の筋肉を叩いてみせる。
「ははは。俺は打撃力『2』だからね。最初の方にわざと当たって、外野で大人しく見学させてもらうよ」
拓也は、心底平和な午後の授業を思い描きながら、お弁当の卵焼きを口に運んだ。
そして迎えた五時間目。体育の授業。
体育館には、クラスの男子生徒たちが二つのチームに分かれ、熱気に包まれていた。
拓也は、体操着の下に、鉄山厳が開発した『流体金属ナノマシン内蔵の最強ステルスパーカー』をしっかりと着込んでいる。
(鉄山さんは、『ドッジボールくらいなら結界は展開しない親切設計だ』って言っていた。だから、適当にボールが飛んできたら、体に当ててアウトになればいい)
拓也は、コートの最後尾に陣取りながら、誰にも気づかれないようにコッソリと息を吐いた。
ピーッ! と、体育教師のホイッスルが鳴り、試合が開始された。
「いっけえええッ!!」
健太が、迷宮でのスライム討伐で鍛えた(?)身のこなしでボールをキャッチし、相手チームの生徒に向かって投げ返す。
「うわっ!」
見事なコントロールで一人をアウトにする健太。クラスメイトたちから「おーっ! さすが探索者!」と歓声が上がる。
しかし、相手チームにも厄介な生徒がいた。
学年で一番大柄で、柔道部に所属している剛田である。彼もまた、最近Eランクの探索者ライセンスを取得したばかりの、体力自慢の生徒だった。
「ふんっ! お遊びはここまでだぜ健太! 俺の『魔力エンチャント・スロー』を食らいな!!」
剛田が、ドッジボールの球に、微弱な身体強化の魔力を込めて力任せに振りかぶった。
ビュンッ!!
剛田の手から放たれたボールは、中学生のドッジボールとは思えない鋭い風切り音を立てて、健太の横をすり抜け――コートの最後尾でボーッと立っていた拓也の顔面へと真っ直ぐに向かっていった。
「あっ、如月! 危ない!!」
健太が悲鳴を上げる。
その瞬間。
拓也の右眼の奥で、『深層言語・限定解析』が本能的に超高速演算を開始した。
『――飛来物の速度、時速110キロ。質量、規定値。表面に微弱な魔力コーティングを確認。
――警告。パーカーのナノマシン自律AIが、当該物体を【着用者への軽微な脅威(打撲・鼻血のリスク)】と判定。
――迎撃システム(自動防衛結界)の展開シークエンスに移行。接触と同時に、ボールの運動エネルギーを熱変換し、蒸発(消滅)させます』
(……マズいッ!!!!)
拓也の脳内で、戦術指揮官としての警鐘がガンガンと鳴り響いた。
鉄山の言っていた「親切設計」は、あくまで一般の中学生が投げる普通のボールを想定したものだった。剛田の魔力が乗った豪速球は、ナノマシンに「防衛すべき脅威」と誤認されてしまったのだ。
(ここでボールが俺に当たって、ジュワッ! って音と共に一瞬で蒸発でもしたら、俺の一般人カモフラージュが完全に崩壊する! ボールを『絶対に』俺の体に接触させるな!!)
拓也の肉体が、極星を率いていた頃の、極限の戦場における『絶対回避モード』へと強制的に切り替わった。
シュッ。
顔面に直撃するコンマ一秒前。
拓也の首が、まるで風に揺れる柳のように、力みなく、かつ最小限の動きで『数センチ』だけ横にスライドした。
剛田の投げた豪速球は、拓也の頬を掠めるように通過し、背後の体育館の壁にドスゥンッ! と鈍い音を立てて激突した。
「…………え?」
剛田が、目を丸くして立ち尽くした。
「おおっ……!! すげえ如月! 今の、ギリギリで見切ったのか!?」
健太が興奮して叫ぶ。
「い、いや、たまたま足が滑っただけで……」
拓也は冷や汗を流しながら、必死に凡人を装おうとした。
しかし、剛田の闘争心に火がついてしまった。
「たまたま躱しただと……? なら、これならどうだァァッ!!」
剛田は外野からボールを受け取ると、今度はさらに力を込めて、拓也の胸元を狙って連続でボールを放ち始めた。
ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!!
「如月、逃げろ!!」
クラスメイトたちが悲鳴を上げる。
だが、拓也にとって、このボールは『当たればアウトになる遊戯の道具』ではなく、『当たれば自分の平穏な日常が蒸発する爆弾』である。
(右肩、二センチ下。……次は左膝、半歩後退。……三発目は顔面、顎を引いて上体逸らし)
拓也の右眼が、ボールの軌道、剛田の筋肉の収縮、ボールの縫い目の回転までを完全に読み切る。
彼の肉体は、最小限のエネルギー消費で、ミリ単位の回避行動を淡々と実行し続けた。
シュッ。スッ。フワッ。
剛田の放つ豪速球が、ことごとく拓也の体を『紙一重』ですり抜けていく。
まるで、拓也の周囲だけ空間が歪んでいるかのような、あるいは彼が幻影であるかのような、あまりにも異次元な回避の連続。
それは、Sランクの魔法使い(九条など)が放つ音速の魔法弾を、戦場のど真ん中で指揮を執りながら涼しい顔で躱し続けていた、軍神・如月拓也の『日常的な歩法』の片鱗であった。
「な、なんだアイツ……! 当たらねえ!! 全く当たらねえぞ!!」
「魔法みたいに避けてる……!」
体育館にいた生徒全員が、息を呑んでその光景に見入っていた。
(マズいマズいマズい! 目立ちすぎてる!! でも、結界の展開圏内(半径五センチ)に入ったらボールが蒸発しちゃうから、どうしてもギリギリで避けるしかないんだよ……!!)
拓也は、顔は無表情のまま、心の中で血の涙を流していた。
「くそォォッ! なら、これならどうだ!!」
剛田が、フェイントを交えて拓也の足元へボールを叩きつけた。ボールは床でイレギュラーなバウンドをし、拓也の腹部へと跳ね上がる。
(これは……軌道が読みにくい! でも、これくらいの低速なら、ナノマシンの脅威判定は作動しないはず……!)
拓也は、右眼の解析結果から「結界は発動しない」と瞬時に確信し、あえて回避行動を停止した。
ポフッ。
ボールは、勢いを失って拓也のお腹にポフンと当たり、コロコロと床に転がった。
「あ、当たった……。俺、アウトですね」
拓也は、ホッとしたような、心の底から安堵した声で両手を上げ、外野へとトボトボ歩き出した。
「…………」
体育館は、奇妙な静寂に包まれていた。
あんなに神業のような回避を連発していたのに、最後はただのバウンドボールにあっさり当たってアウトになる。
その極端すぎる姿に、生徒たちは完全に混乱していた。
「……お、おい如月。お前、避けるのは神がかってたのに、ボールを捕る(キャッチする)ことはできなかったのか?」
外野にやってきた拓也に、クラスメイトの一人が尋ねる。
「うん。俺、打撃力『2』だから、握力も反射神経も全然ないんだ。たまたま目が良くてボールの軌道が見えたから、必死に避けてただけで……」
拓也は、苦し紛れの言い訳(嘘ではない)を口にした。
「なるほど! 魔力も攻撃力もゼロだけど、『動体視力と回避』だけはカンストしてるってことか!」
「ピーキーすぎるだろお前のステータス! ドッジボールの『回避特化の神』じゃねえか!」
男子生徒たちが、拓也の奇妙な才能(?)に大爆笑し始めた。
(……ふぅ。なんとか『ちょっと避けるのが上手いだけの一般人』という枠組みに収まった……はずだ)
拓也は、冷や汗を拭いながら、外野の隅っこで深く息を吐き出した。
その時である。
ふと、体育館の高い位置にある、換気用の小さな窓に視線を感じた。
(……ん?)
拓也がそっと目を向けると、そこには、淡いグリーンのワンピースを着た姉・三月が、窓枠に逆さまにぶら下がりながら(スパイダーマンのような姿勢で)、『拓也、回避百点満点!』と書かれた手作りの横断幕を振ってニコニコと笑っていた。
(ねえさん!? なんで学校の体育館の壁をよじ登ってるの!? しかも逆さま!?)
拓也の胃壁が、本日最大の痙攣を起こした。
「おっ、如月! 外野からボール回すぞ! 投げてみろ!」
クラスメイトからボールが回ってくる。
「あ、うん……エイッ」
拓也は、三月の奇行から目を逸らしながら、打撃力『2』の腕力で、ぽよーんと山なりのボールを投げた。
当然、誰にも当たらずに相手チームに拾われる。
「ははは! お前、本当に攻撃力はゼロだな!」
クラスメイトたちが笑い合う、平和な体育の授業。
しかし、外から逆さまで見守る世界最強の姉と、戦車砲を弾くパーカーを着た少年指揮官がいる限り、この学校の日常は常に「紙一重の非日常」の上にある。
拓也の胃薬の消費量は、期末テストが終わっても減る気配はないのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




