第273話:進路希望調査と、過保護なSランクの進路指導
「――よし、今日はお前らに『進路希望調査票』を配る。二年になったばかりで早いと思うかもしれないが、探索者の専門高校に進学する奴は、秋から実技試験の準備が始まるからな。家で親としっかり相談して書くように」
木曜日のホームルーム。
担任の教師が教壇からそう告げ、プリントが前から順番に回ってきた。
如月拓也は、回ってきた『進路希望調査票』のわら半紙を受け取り、ホッと安堵の息を吐いた。
(……ようやく、この紙に堂々と『普通の高校』って書ける日が来たんだな)
先日の体育館でのギルド適性検査。
鉄山厳が開発した『流体金属ナノマシン内蔵の最強ステルスパーカー』のおかげで、拓也は魔力値「ゼロ」、打撃力「2」という、これ以上ないほどの「才能のない一般人」であることを学校中に証明することに成功した。
これで、教師から「お前は魔力が高いから探索者高校に行ってみないか?」などと面倒なスカウトを受ける心配は完全にゼロになったのだ。
拓也は、シャープペンシルを手に取り、迷いなくプリントに記入した。
『第一希望:都立の普通科高校』
『将来の夢:市役所職員』
特異点で世界の命運を懸けたバエルとの死闘を指揮し、日常的にSランク探索者や世界最強の姉の規格外な暴力に胃を痛めている彼にとって、「安全で平和な公務員」という響きは、もはや聖杯にも等しい究極の夢であった。
「おーい如月、お前何書いた?」
隣の席の健太が、自分のプリントを見せながら覗き込んでくる。
健太のプリントには、第一希望の欄にデカデカと『国立探索者育成エリート校!』、将来の夢に『Aランク探索者!』と、はみ出さんばかりの勢いで書かれていた。
「俺は普通科の高校だよ。将来は市役所で、安全に書類の整理とかをしたいなって」
「えーっ!? お前、せっかくお姉さんがすげえ探索者(※健太は三月が指一本でDランク魔獣を止めたのを『ギルドの機械のおかげ』だと信じている)なのに、勿体ねえなあ! 一緒に迷宮行こうぜ!」
「ははは。俺には才能がないからね。この間の測定でも魔力ゼロだったし」
拓也が完璧な愛想笑いで躱していると、担任の教師が教室の入り口から声をかけてきた。
「如月。お前、ちょっと応接室まで来い。お客様がお見えだ」
「……お客様?」
拓也の右眼の奥で、かすかに嫌な予感が警鐘を鳴らした。
指定された一階の応接室のドアを開けると、そこには担任の教師と、ソファーに座る『二人の不審極まりない男』がいた。
一人は、はち切れんばかりの筋肉を無理やり窮屈なビジネススーツに押し込み、度の入っていない黒縁メガネをかけた巨漢。
もう一人は、真っ赤な髪を七三分けに整髪料でガチガチに固め、やたらと派手なストライプのスーツを着た男。
「…………ッ!!」
拓也は、ドアを閉めてそのまま全力で引き返そうとしたが、巨漢の男が超音速のステップで背後に回り込み、ガシッと肩を掴んだ。
「おっと! 逃げないでくださいよ、如月『クン』!」
「な、なんであんたたちが、ここにいるんですか……ッ!」
拓也が小声で凄むと、巨漢の男――日本のトップランカーにして最強の盾使い(タンク)である神宮寺蒼太と、日本最強の魔術師である九条炎樹が、暑苦しい顔を近づけてきた。
「ええっと、如月。こちらのお二人は、あの『国立探索者育成アカデミー』の特別スカウトマンの方々だそうだ。お前に話があるとおっしゃって……」
担任の教師が、胡散臭い二人組を前に冷や汗を流しながら紹介する。
「スカウト……?」
拓也は、二人のSランク探索者をジロリと睨んだ。
「ええ! 我々は、如月クンの隠された『戦術的才能』を高く評価しておりましてね! 是非とも我がアカデミーに特待生として入学していただきたいのです!!」
神宮寺が、わざとらしい営業スマイルで言い放つ。
「おい、ちょっと待てよ神宮寺……いや、スカウトさん。こいつ、この間の適性検査で魔力値『ゼロ』、打撃力『2』だったんだぞ? ギルドの測定器が壊れる(※三月が物理的に粉砕した)直前に、俺もこの目で確かに見たんだ。いくらなんでも、エリート校のスカウトが来るようなタマじゃないだろう」
教師が、至極真っ当な疑問を口にする。
すると、九条がバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「馬鹿野郎! あんたは若大将の本当の恐ろしさを分かっちゃいねえ! 魔力がゼロ? 打撃力が2? それがどうした! このお方はな、戦場全体を俯瞰し、俺たちSランクの手足を完璧にコントロールする『軍神』なんだよ!! その気になれば、ペン一本でAランク魔獣の群れを壊滅させられるんだぜ!!」
「わ、若大将? 軍神? ……如月、お前、この人たちに何か変な嘘でもついたのか?」
教師が、完全に九条の言葉を「頭のおかしいスカウトマンの妄言」と受け取り、拓也を哀れむような目で見つめる。
「ち、違います先生! 俺は何も言ってません! この人たちが勝手に言ってるだけです!」
拓也は必死に否定しながら、机の下で神宮寺のすねを思い切り蹴り飛ばした。
「グフゥッ!!(さ、流石は指揮官殿……ステルスパーカーで魔力を消していても、この完璧な急所への蹴り……! 腕は全く鈍っていない……!!)」
神宮寺は、悶絶しながらも何故か嬉しそうに涙を流している。
(こいつら、俺が適性検査で『ゼロ』を叩き出したって聞いて、俺が本気で探索者の道を諦めてカタギ(一般人)になろうとしてるって勘違いして、慌てて連れ戻しに来たんだな……ッ!!)
拓也は、過保護すぎる部下たちの思考回路を完全に読み切り、深い絶望の溜め息を吐いた。
「あのですね、スカウトのお二人。俺は、第一希望は普通の高校で、将来は『市役所の職員』になりたいんです。安全で、平和で、定時に帰れるデスクワークが俺の夢なんです。だから、探索者になる気は一切ありません。お引き取りください」
拓也は、教師の前でキッパリと断言した。
「し、市役所の職員だとォォォッ!?」
九条が、この世の終わりのような絶叫を上げる。
「日本の……いや、世界の防衛の要であるあんたが、市役所で住民票の発行なんてしててどうするんだ!! あんたの右眼の『限定解析』があれば、ハンコを押すスピードは世界一だろうが、そんな次元の話じゃねえ!! 世界の損失だ!!」
「黙れ九条さん! あんたの方がよっぽど社会の損失だよ!!」
拓也が小声で怒鳴り返す。
「如月クン! どうか考え直してください! あなたが前線から離れてしまえば、我々は誰の指示で迷宮を攻略すればいいのですか!」
神宮寺が、本気で泣きそうな顔で拓也の手にすがりついてくる。
教師は、大の大人が中学生に泣きついている地獄のような光景を前に、完全に処理能力を超えて白目を剥きかけていた。
その時だった。
「――たーくやっ! 傘持ってきたよー!」
応接室のドアがガチャリと開き、淡いグリーンのワンピースを着た絶世の美女――姉の三月が、花が咲いたような笑顔で入ってきた。
「あっ、ねえさん!?」
「午後から雨が降るかもしれないって天気予報で言ってたから、お姉ちゃんがお迎えに来てあげたの!」
三月は、拓也の頭をポンポンと撫でた後、彼の手を握りしめて泣きついている神宮寺と九条の存在に気がついた。
「……あれ? 神宮寺さんと、九条さんじゃない。どうしたの、こんな変なスーツ着て」
三月が、小首を傾げて不思議そうに尋ねる。
「ヒッ!?」
「み、三月殿……ッ!!」
特異点において、Bランク変異種の骨を指先で粉砕し、迷宮の生態系を更地にして回る『世界最強の厄災』。
その本物のプレッシャーを前に、二人のトップランカーは瞬時に直立不動の姿勢を取り、冷や汗を滝のように流した。
「ねえ、お二人さん。私の可愛い拓也の手を、そんなに強く握って……。もしかして、拓也が嫌がってるのに、また危険な場所に連れて行こうとしてるの?」
三月の深緑色の瞳から、スゥッと温かい光が消え去り、底なしの暗淵のような冷ややかさが宿った。
彼女は、持っていたビニール傘の先端を、応接室の『頑丈な鋼鉄製のローテーブル』にコツン、と軽く当てた。
ピキィッ……。
一切の魔力を伴わない、ただの純粋な物理的衝撃。
しかし、その『ほんの僅かなベクトル』が鋼鉄の分子結合を完全に破壊し、数万円はするであろうローテーブルが、音もなくサラサラと砂のように崩れ落ちてしまったのだ。
「…………」
教師は、目の前で起きた物理法則を無視した光景に、ついに白目を剥いてソファーに気絶した。
「ヒィィィィィィィッ!!!」
「ち、違います三月殿ォォォッ!! 我々は決して、指揮官殿に危険な真似をさせようなどとはッ!!」
神宮寺と九条が、崩れ落ちたテーブルの砂に額を擦りつける勢いで土下座をした。
「拓也はね、将来は市役所のお兄さんになって、毎日定時に帰ってきて、お姉ちゃんと一緒に夕ご飯を食べるの。……それが拓也の夢なんだから、邪魔する人は許さないよ?」
三月が、ニコリと完璧な笑顔で宣告する。
「お、おっしゃる通りでございますゥゥッ!!」
「市役所最高!! デスクワークこそ国家の礎!! 我々極星は、指揮官殿の公務員試験を全力でバックアップさせていただきますゥゥッ!!」
二人のSランク探索者は、プライドも何もなく、ただひたすらに「安全な一般人(公務員)」という拓也の夢を肯定し、涙と鼻水を流しながら撤退していった。
「ふふっ、二人とも物分かりが良くてよかったね、拓也!」
三月が、崩れたテーブルの砂を足でササッと誤魔化しながら笑う。
「……ねえさん。本当にありがとう。でも、このテーブルの弁償、また俺のお小遣いから引かれるのかな……」
拓也は、気絶した担任の教師に心の中で謝罪しながら、胃薬を水なしで飲み込んだ。
最強のステルスパーカーを着ていても、魔力ゼロを証明しても。
この過保護な部下たちと、最強のブラコン姉がいる限り、少年指揮官の平穏な公務員への道は、まだまだ前途多難なようである。
「さあ、帰ろっか拓也! 今日の夕飯は、ハンバーグだよ!」
「……うん。定時に帰れるって、本当に幸せなことだね」
雨雲が近づく放課後の学校。
魔力を持たない十四歳は、いつか手に入れる平和な未来を夢見ながら、姉と一つの傘に入って帰路につくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




