第269話:完璧な偽装パーカーと、体育館の適性検査
月曜日の朝。
東京の閑静な住宅街から中学校へと向かう通学路を歩きながら、如月拓也は、かつてないほどの足取りの軽さを実感していた。
(……すごい。本当にすごいぞ、鉄山さん……!)
拓也が学生服の下に羽織っているのは、週末に鉄山工房で受け取った『流体金属ナノマシン内蔵の偽装パーカー』である。
見た目はデパートの紳士服売り場で二千円で売られている無地の黒パーカーそのもの。しかしその実態は、戦車砲の直撃すら無傷で弾き返す超次元の防御力と、着用者の魔力波長を完全に「ゼロ」に偽装・遮断する最強のステルス防具だ。
これまで拓也が愛用していた『虚無蜘蛛』の特注コートは、姉の三月が規格外の魔力を注ぎ込みすぎたせいで、高ランク探索者や勘の鋭い者の前では「尋常ではないプレッシャー」を放ってしまっていた。
しかし、このパーカーのナノマシンは、外部への情報漏洩を完璧にシャットアウトしてくれる。
今の拓也は、どこからどう見ても、そしてどんな魔力探知機を通しても「魔力を一切持たない、ただのひ弱な中学生」にしか見えないのだ。
「おはよう如月! なんだか今日、すごく機嫌良さそうだな!」
校門前で、クラスメイトの健太が声をかけてきた。先日、Fランクのライセンスを取得したばかりの親友である。
「おはよう健太。うん、今日から新しいパーカーを下ろしたからね。すごく着心地がいいんだ」
「へえ、いいじゃん! ……あっ、そうだ如月。今日の三時間目、体育館でギルドの『探索者適性検査』があるの知ってるか?」
「適性検査?」
拓也が小首を傾げると、健太はワクワクした顔で頷いた。
「おう! ギルドから専用の測定器を持ったプロの探索者が来て、生徒全員の『魔力量』と『基礎筋力』を測ってくれるんだってさ! 俺、この間Fランクになったばっかりだから、自分の正確な数値を知りたくてさ!」
十年前のダンジョン発生以降、こうしたギルド主導の適性検査は、中学生を対象に定期的に行われるようになっている。
優秀な才能を持つ若者を早期に発掘し、スカウトするための制度だ。
(……なるほど。ギルドの測定器か)
拓也は、少しだけ緊張した。
しかし、すぐに自身のパーカーの胸元を軽く叩いて安心する。
鉄山の技術力と、このパーカーの隠蔽性能を信じよう。むしろ、ギルドの公式な測定器で「才能ゼロ」の太鼓判を押してもらえれば、今後の平穏な学校生活において最強の隠れ蓑になるはずだ。
三時間目。二年B組の生徒たちは、体操着に着替えて体育館へと集合していた。
体育館の中央には、魔力量を測るための巨大な『水晶玉』と、打撃力を測定するための『クッション付きの的』が設置されている。
「整列しろ! 今日はお前らの適性を測るために、ギルドからBランク探索者の紫堂さんと、お馴染みのCランク探索者、大吾さんが来てくださった!」
体育教師の号令と共に、二人の探索者が前に出た。
「ふん。Bランクの紫堂だ。俺の眼とこの最新鋭の測定器は誤魔化せない。お前らの中に、俺の背中を追えるような本物の才能が隠れていることを期待しているぞ」
銀縁の眼鏡をかけ、知的なローブを羽織った紫堂という男が、少し見下すような態度で生徒たちを一瞥した。典型的な「数値を絶対視するタイプ」の探索者である。
そして、その後ろに控えていたのは、大吾だった。
(……また大吾さんか。本当にギルドのアルバイトによく駆り出されてるな)
拓也が最後尾から見つめていると、大吾の視線が列の後ろを彷徨い……拓也の姿を捉えた。
「…………ッ!!」
大吾の巨体が、ビクゥッと不自然に跳ね上がった。
(き、来たァァァッ!! なんでまた軍神(バケモノ指揮官)がここにいるんだよォォォッ!!)
大吾は、滝のような冷や汗を流しながら、拓也から放たれるであろう「絶望的なプレッシャー」に備えて全身の筋肉を硬直させた。
……しかし。
(……あれ?)
大吾は、目を白黒させた。
いつもなら、拓也の姿を見ただけで肌を刺すような(虚無蜘蛛のコートによる)重圧を感じるはずなのに、今日の拓也からは『一切の気配』が感じられないのだ。
魔力の波長どころか、生命力すら極限まで薄い。まるで、そこに存在していないかのような完全な無。
(な、なんだこの尋常じゃねえ『気配遮断』は……ッ!? まさか、軍神は暗殺者のスキルまで極めたっていうのか!? 恐ろしすぎる……!! 今日は絶対に逆らわねえようにしよう……!!)
大吾は、ナノマシンの完璧なステルス性能を「指揮官の新たな殺人術」だと盛大に勘違いし、一人で勝手に限界まで怯えきっていた。
「――よし、次! 健太、前へ!」
適性検査が順調に進み、健太の番が回ってきた。
「はいっ!」
健太は、まず魔力測定用の水晶玉に両手をかざした。
ボワッ、と水晶玉が淡い青色に発光する。
「ほう。魔力値『120』か。中学生にしてはなかなか優秀だ。すでにFランク相当の魔力を持っているな」
紫堂が、手元のタブレットに数値を入力しながら偉そうに頷く。
続いて健太がパンチングパッドを思い切り殴ると、数値は『85』を記録した。
「よし、合格ラインだ。将来は立派な探索者になれるかもしれないぞ」
「ありがとうございます!!」
健太が満面の笑みで戻ってくる。
「次、如月拓也!」
ついに、拓也の名前が呼ばれた。
拓也は、体操着(の上にステルスパーカーを羽織り、その上にさらに体操着のジャージを着ているという完全防備)で、水晶玉の前へと進み出た。
「ほら、さっさと手をかざせ」
紫堂が、眼帯をした拓也を胡散臭そうに見ながら促す。
拓也は、静かに両手を水晶玉に置いた。
……シーン。
一秒。三秒。五秒経過しても、水晶玉は一切の光を放たなかった。
それどころか、内部の魔力センサーが「エラー」を吐き出しているかのように、数値のメーターが『0.00』からピクリとも動かない。
「……なんだこりゃ。魔力値、完全に『ゼロ』だぞ。一般人でも微量な魔力は持っているはずだが、お前、本当にすっからかんなんだな」
紫堂が、呆れたように鼻で笑った。
(よっしゃぁぁぁぁぁっ!!)
拓也は、心の中で特大のガッツポーズを決めた。
鉄山のステルスパーカーは、外部からの探知を完全にシャットアウトしている。そして拓也自身もともと魔力を持たないため、結果として「完全なるゼロ」という、これ以上ない無能の証明が完成したのだ。
「は、はい……すみません、才能がないみたいで」
拓也は、わざとらしく肩を落とす演技をした。
大吾だけが、背後でガタガタと震えながら(あ、あの軍神が、測定器の数値を意図的に操作して『ゼロ』に偽装してやがる……! どんだけ底知れないバケモノなんだ……!)と、恐怖のあまりお祈りのポーズを取り始めていた。
「まあいい、次はパンチングパッドだ。思い切り殴ってみろ」
拓也はパッドの前に立ち、右拳を握りしめた。
(ここで変に身体能力の高さを見せる必要はない。適当に弱く殴ろう)
ポフッ。
拓也が軽くパッドを殴った瞬間。
彼の着ているステルスパーカーのナノマシンが、「着用者が物体に衝突した」と判断し、その運動エネルギー(衝撃)を瞬時に吸収して熱に変換してしまったのだ。
結果。パッドに伝わった衝撃値は『2』。
「……ぷっ、はははははっ!! なんだそのへっぴり腰は!! 打撃力『2』!? お前、ハエが止まったくらいの力しかねえぞ!!」
紫堂が、腹を抱えて大爆笑し始めた。
「いやあ、探索者なんて、お前みたいなひ弱なガキが目指すもんじゃないな! 大人しく家で勉強でもしてるんだな!」
紫堂の心無い嘲笑に、クラスメイトたちもクスクスと笑い声を漏らす。
しかし、拓也の心は雲一つない青空のように澄み切っていた。
(完璧だ……! これで俺は、クラス全員から『絶対に探索者に向いていないひ弱な一般人』として認識された! 鉄山さん、最高のパーカーをありがとう!!)
拓也は、満面の笑みで「はい! 勉強頑張ります!」と深く頭を下げた。
「ひぃぃっ……!!」
大吾は、紫堂が軍神を嘲笑したことで「紫堂の命が今日終わる」と確信し、白目を剥いて気絶寸前になっていた。
その時だった。
「――たーくやっ! 体操着の着替え、忘れてたよ!」
体育館の入り口から、パタパタと明るい足音を立てて、淡いグリーンのワンピースを着た絶世の美女――如月三月が駆け込んできた。
「ね、ねえさん!?」
拓也の顔から、一瞬にして歓喜の笑みが消え去り、絶望の蒼白へと染まる。
「おや……? どこのお嬢さんかな?」
紫堂が、三月の圧倒的な美貌を見るなり、先ほどまでの偉そうな態度を一変させ、キザな笑みを浮かべて歩み寄った。
「こんにちは、お嬢さん。弟さんの忘れ物ですか? 弟さんは残念ながら才能ゼロでしたが、あなたのような美しい方なら、私が特別に手取り足取り、探索者のイロハを教えてあげても……」
紫堂が、三月の肩に手を伸ばそうとした瞬間。
三月は、紫堂を完全に無視して、彼の手元にあった『魔力測定用の水晶玉(ギルドの最新鋭機器)』を、ヒョイッと持ち上げた。
「わぁ、これすごく綺麗なガラス玉だね! 拓也、これ欲しーい!」
「あ、こらお嬢さん! それはギルドの精密機器で、ウン千万円はする代物で……ッ!?」
紫堂が止めようとした、次の瞬間。
三月が、水晶玉を両手で包み込むように持ち、「可愛いねー」と、ほんの『0.0001%』の力でギュッと抱きしめた。
ピキッ。
魔力を一切伴わない、純粋な物理的圧力。
Aランク魔獣の攻撃すら耐えうるように設計された高純度の魔力水晶が、三月の『指の力』だけで、まるで卵の殻のようにひび割れたのだ。
パァァァァァァァァァンッ!!!!
次の瞬間。
数千万円の測定用水晶玉は、三月の手の中で微塵に砕け散り、キラキラと輝くただのガラスの粉となって体育館の床に降り注いだ。
「…………え?」
紫堂が、目の前で起きた物理法則を無視した光景に、完全に思考を停止させた。
「あっ、ごめんなさい! ちょっと触ったら割れちゃった!」
三月が、テヘッと可愛らしく舌を出す。
「わ、割れた……? 両手で……Aランク強度の水晶を……?」
紫堂は、ガクガクと震えながら後ずさった。
そして、その後ろでは、ついに大吾が限界を迎えて「もう嫌だァァァッ!!」と叫びながら口から泡を吹いて倒れていた。
「ね、ねえさん!! 帰るよ!! ほら、着替えありがとう!!」
拓也は、パニックに陥る紫堂と気絶した大吾を放置し、光の速さで三月の腕を掴んで体育館の外へと全力疾走した。
(……俺の偽装パーカーは完璧でも、やっぱりこの姉さんがいる限り、俺の胃痛が消える日は絶対に来ないんだ……!!)
最強のステルス機能を手に入れても、最強のブラコン姉の物理的破壊力(トラブル引き寄せ力)は隠しきれない。
魔力を持たない少年指揮官の平穏な日常は、粉々になった数千万円の水晶玉と共に、今日も騒がしく崩れ去っていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




