第268話:鉄山工房の狂気と、魔改造された『一般人』のパーカー
週末の土曜日。
東京郊外の地下深くにある、油と金属、そして濃密な魔力の匂いが入り交じる空間――『鉄山工房』。
「おおっ! 待ってたぜ拓也坊主、三月の嬢ちゃん!!」
エレベーターの扉が開くや否や、油まみれの作業着を着た壮年の男が、血走った目と満面の笑みで出迎えてきた。
日本の魔導技術の最高峰にして、日米南米合同遠征軍『極星』の専用装備を一手に担っていた天才技術者、鉄山厳である。
「こんにちは、鉄山さん。相変わらず徹夜明けみたいな顔してますね」
如月拓也が、苦笑しながら挨拶をする。
「おじいちゃん、こんにちは! 今日も元気だね!」
姉の如月三月が、ウサギのぬいぐるみを抱えながら無邪気に手を振る。
「ガハハ! 嬢ちゃんに見せられたあの『完全無傷のゴーレムのパーツ』のおかげで、ここ数日は飯を食うのも忘れて没頭してたからな! ……さあ、これを見てくれ!!」
鉄山は、興奮冷めやらぬ様子で工房の奥へと二人を案内した。
そこには、厳重な魔力結界に守られたガラスケースが置かれており、中には『一着の黒いパーカー』がマネキンに掛けられていた。
「……えっと、鉄山さん。これ、どこからどう見ても、デパートの紳士服売り場で二千円くらいで売ってる普通のパーカーですよね?」
拓也が、小首を傾げて尋ねる。
「見た目はな! だが、こいつはお前が今着てるそのコートの代わりになる、完璧な『日常用偽装防具』だ!!」
鉄山はニヤリと笑い、拓也が現在羽織っているペラペラの黒いコートを指差した。
「いいか坊主。お前が今着てるそのコート……それ自体は、近所のデパートで数千円で買ったただの布切れだ。それに、三月の嬢ちゃんが自身のデタラメな魔力を限界までギュウギュウに込めた(圧縮した)ことで、物理的にも魔法的にも絶対に破壊されない『絶対防衛のコート』として機能しているわけだが……」
鉄山は、呆れたようにため息を吐いた。
「防御力は確かに一級品だがな、嬢ちゃんが込めた魔力の『密度』があまりにも高すぎるんだよ! 一般人にはただのコートに見えても、銀座のエレナのような一流の鑑定士や、高ランクの探索者がすれ違えば、『なぜかただの中学生が、戦略級兵器レベルの魔力波長を放つコートを着ている』って、一発で異常事態だとバレちまうんだ!」
「あっ……」
拓也は、その指摘にハッとした。
確かに、先日の銀座での買い物でも、エレナにコートをジロジロと見られていた記憶がある。三月の込めすぎた愛情(魔力)が、逆にステルス性を損なう原因になっていたのだ。
「そこで、このパーカーだ。先週、アメリカのレオンの馬鹿が送りつけてきた『第V世代・対魔獣用自律兵器』。嬢ちゃんが傷一つつけずにショートさせてくれたおかげで、あいつの装甲に使われていた【自己修復型・流体金属ナノマシン】を完全に抽出できたんだ」
鉄山は、ガラスケースを開け、その黒いパーカーを拓也に手渡した。
受け取った瞬間、拓也は僅かに目を見開いた。見た目は布なのに、手触りは極めて滑らかで、まるで空気のように軽い。
「そのパーカーの繊維には、抽出したナノマシンが編み込まれている。外部への魔力波長を完全に『ゼロ(ただの布)』に偽装しつつ、物理・魔法の両面において、戦車砲の直撃すらノーモーションで弾き返す超次元の防御力を実現したんだよ!!」
「……戦車砲」
拓也は、右眼の眼帯をスッと上にずらし、『深層言語・限定解析』を起動して手元のパーカーの構造を覗き込んだ。
(……布の繊維の隙間に、一万層を超える流体金属のナノバリアが構築されてる。しかも、受けた衝撃を熱エネルギーに変換して空間に逃がす『強制熱放散システム』まで……。これ、下手したらバエルの『崩星の息吹』の余波くらいなら耐えきれるんじゃないか……?)
解析結果から弾き出されたデタラメな防御力に、拓也は激しい頭痛(胃痛)を覚えた。
「……あの、鉄山さん。俺はただの中学生として、平和な学校生活を送りたいだけなんです。もし体育の授業でドッジボールの球が当たって、ボールが熱エネルギーで蒸発したりしたら、どう言い訳すればいいんですか」
「安心しろ! そのナノマシンは、お前の脳波と心拍数に連動している。お前が『これは敵の攻撃だ』と認識した致死レベルの脅威にしか自動展開しねえ。ドッジボールくらいなら普通に当たって痛い思いをする親切設計だ!」
「親切の方向性がおかしいですよ……」
拓也は深いため息を吐きながら、今まで愛用していたデパートのコート(魔力マシマシ)を脱ぎ、新たな最強のパーカーに袖を通した。
着心地は最高だ。温度調節機能も完璧に働いており、まるで羽衣を纏っているかのように快適だった。
「わぁ、拓也似合ってる! カッコいい!」
三月がパチパチと拍手をする。
「これからは、そのコートはお家でお出かけする時用にするね!」
「さて、坊主の日常用装備はこれで完璧だが……今日の本命はこっちだ」
鉄山の表情が、町工場の気のいいオヤジから、世界最高峰の『兵器開発者』の顔へと一変した。
彼は、工房のさらに奥にある分厚いチタン製の防爆扉を開いた。
厳重な冷却ガスが吹き出す中、カプセルの中に収められていたのは、漆黒の装甲に身を包んだ、洗練された戦闘服。
かつて拓也が極星を率いて最前線に立っていた際に着用していた、指揮官専用装備『天照』の最新改修型であった。
「……鉄山さん。俺はもう、最前線に立つつもりはありませんよ。特異点も消滅したんですから」
拓也が、少しだけ声を硬くして言う。
「分かってる。だが、アメリカのギルド本部が、わざわざ未承認のゴーレムを『健康器具』と偽ってまでお前に送りつけてきた意味を考えろ」
鉄山が、葉巻に火を点けながら低く呟いた。
「奴らは、お前の『戦術指揮能力』を恐れると同時に、手に入れたがっている。あるいは、お前というバケモノが牙を抜かれていないか、テスト(探り)を入れてきたんだ。……万が一、奴らが力尽くでお前を拉致しようとした時、身を守るための『本物の牙』は残しておかなきゃならねえ」
大人の、そして裏社会の事情。
平和な日常の裏側で、極星という巨大な力を持っていた拓也を巡る政治的な思惑は、いまだに完全に消え去ってはいないのだ。
「……なるほど。それで、この新型『アマテラス』の性能は?」
拓也の右眼の奥で、冷徹な指揮官としての思考が静かに回転を始める。
「基本性能の向上は当然として、一番の目玉はこれだ」
鉄山は、ゴーレムの魔核を加工して作った、拳大の黒いパーツを取り出した。
「対Sランク用の自律AIを、スーツのサポートシステムとして組み込んだ。これにより、お前の右眼の『限定解析』の演算負荷を、このAIに三割ほど肩代わりさせることができる。……お前の脳が焼き切れるリスクが劇的に減るってことだ」
拓也の異能『限定解析』は、世界のあらゆる事象を並列処理で読み解く神業だが、その代償として脳に凄まじい負荷がかかる。バエル戦の終盤では、拓也の右眼から血の涙が流れ、文字通り命を削って指揮を執っていたのだ。
「……それは、ありがたいですね。でも、これだけの機能、どうやってテストするんですか? 稼働実験なしで実戦投入はできませんよ」
拓也が冷静に指摘する。
「そこなんだよ。この装甲の『衝撃吸収限界値』をテストしたいんだが、俺の工房にあるプレス機じゃ火力が足りねえ。……そこでだ」
鉄山は、ニヤリと笑って、隣でニコニコしている三月を見た。
「嬢ちゃん。この余った装甲板に、嬢ちゃんの『デコピン』を一発、入れてみてくれないか?」
「えっ? 私が?」
三月が不思議そうに指を差す。
「鉄山さん!! 駄目だ、死にますよ!!」
拓也が血相を変えて叫んだ。
「大丈夫だ坊主! 嬢ちゃんには、本気の『1%』……いや、『0.1%』の力でやってもらう! それなら、このゴーレム合金なら耐えきれるはずだ! 耐えて、衝撃を吸収して熱に変換するデータが取れれば完璧なんだよ!」
鉄山は、完全にマッドサイエンティストの目になっていた。
「うーん、0.1%ね。分かった、やってみる!」
三月は、鉄山が作業台の上に固定した分厚い黒色合金のプレートの前に立った。
(マズい……。ねえさんの『0.1%』が、どれだけの物理的ベクトルを生み出すか……ッ!)
拓也は、即座に自身の新しいパーカーの『強制展開モード』を起動し、防爆結界を張って身を屈めた。
「いくよー。えいっ」
三月の右手の親指と中指が弾かれ、可愛らしい掛け声と共に、装甲板に向かって『デコピン』が放たれた。
ゴァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
それは、デコピンの音ではなかった。
隕石が地表に激突したかのような、空間そのものを震わせる絶望的な爆音。
三月の指が触れた瞬間、新型アマテラスの装甲板は、組み込まれたナノマシンが全力で「衝撃の吸収と熱変換」を行おうと、太陽のように真っ赤に発光した。
しかし、流れ込んでくる物理的エネルギー(魔力すら伴わない純粋な暴力)が、ナノマシンの処理限界をコンマ一秒で突破したのだ。
『――ERROR. CAPACITY EXCEEDED.(エラー。許容量を超過)』
機械的な警告音が響いた直後。
エネルギーを吸収しきれなくなった装甲板は、自身の質量を保てなくなり、まるでレールガンから放たれた砲弾のように、工房の奥のチタン製の防爆壁に向かって吹き飛んでいった。
ズドォォォォォォォンッ!!!!
厚さ一メートルのチタンの壁が、ひしゃげた装甲板の直撃を受けて完全に貫通され、巨大な風穴が開いた。
その衝撃波だけで、工房内の機材がガシャンガシャンと吹き飛び、拓也のパーカーの結界が激しく火花を散らして防ぎ切る。
「…………」
土煙が晴れた後。
そこには、貫通した防爆壁の奥から見える地下水脈と、ポカンとしている三月、そして、顔を真っ黒にしてアフロヘアーのようになった鉄山の姿があった。
「あーあ。おじいちゃんの鉄の板、飛んでいっちゃったね」
三月が、不思議そうに自分の指先を見つめている。
「……ハ、ハハハハハハハッ!!!!」
鉄山が、突然腹を抱えて狂ったように笑い出した。
「すげえ!! すげえぞ嬢ちゃん!! お前の0.1%の物理衝撃を受けて、装甲自体は砕け散らずに『形状を保ったまま』運動エネルギーに変換されやがった!! ナノマシンの限界突破時のデータとしては完璧だァァァッ!!」
鉄山は、崩壊した工房の壁など全く気にせず、モニターに表示された膨大な数値をよだれを垂らしそうな顔で見つめている。
「……鉄山さん、壁の修理代、俺は払いませんからね」
拓也は、激しい頭痛と胃痛に耐えながら、煤を払って立ち上がった。
「おう! 気にすんな! こんな極上のデータが取れたんだ、壁の一枚や二枚安いもんだ!! これでアマテラスの最終調整ができるぜ!!」
(……やっぱり、この人たちの周りにいると、平穏な日常なんて夢のまた夢だな)
世界最強の妹(物理)と、狂気の天才技術者(科学)。
彼らに振り回される魔力を持たない少年指揮官の胃痛は、最新鋭の防御パーカーを着ていても、決して防ぐことはできないのであった。
「拓也、帰ったらお姉ちゃんが美味しいハンバーグ作ってあげるからね!」
「……うん。ありがとう、ねえさん。今までのコートも、大事にするからね」
夕暮れの東京。
見た目は二千円、中身は国家防衛レベルのパーカーを羽織った拓也は、少しだけ重くなった足取りで、騒がしくも温かい我が家へと帰っていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




