第266話:クラスメイトの探索者試験と、審査員(大吾)の胃痛
「――如月! ついに俺、今週末に『探索者ライセンス』の試験を受けることになったぜ!」
木曜日の昼休み。
二年B組の教室で、クラスメイトの健太が、手にした一枚の受験票を誇らしげに掲げてみせた。
「へえ、すごいね健太。ついに迷宮デビューか」
弁当を食べていた如月拓也は、素直な称賛の言葉を返した。
十年前のダンジョン発生以降、探索者という職業は、若者たちにとってスポーツ選手やアイドルのような憧れの的となっている。
義務教育の一環で基礎的な回避訓練や迷宮見学(先日、三月がロック・トータスを指一本で粉砕して結衣がアーティファクトだと言い張ったアレである)が行われていることもあり、中学生から一番下の『Fランク』のライセンスを取得する者は決して珍しくない。
「おう! この間の迷宮見学で、リョウタさんたちみたいなカッコいい同年代の探索者を見て、俺も決心したんだ! ……ただ、実技試験がちょっと不安でさ」
健太が、少しだけ声を潜めて照れくさそうに頭を掻く。
「実技試験って、ギルドの訓練場で模擬戦をやるんだっけ」
「そうそう。それでさ、如月。お前、ポーター(荷物持ち)のバイトで迷宮に入ったことあるし、お姉さんも探索者なんだろ? もしよかったら、今週末の試験、見学席から応援してくれないか? 知ってる顔がいた方が安心できるっていうか……」
「……応援か。まあ、俺で良ければ」
拓也は、少しだけ迷ったものの、頷いた。
書類上は魔力を持たないFランク少年だが、彼の正体は日米南米合同遠征軍『極星』を率いた少年指揮官である。
クラスメイトの初めての挑戦を、陰から(無駄に高すぎる戦術眼で)見守るくらいは、友人としての務めだろうと思ったのだ。
「やった! ありがとう如月! お姉さんにもよろしく言っといてくれよな!」
健太は嬉しそうに笑い、自分の席へと戻っていった。
(……ギルドの試験会場か。まあ、ギルドの敷地内なら危険なイレギュラー魔獣が出ることもないし、平和な見学で終わるだろう)
拓也は、その時の自分がいかに「フラグ」を立てているかに気づかず、呑気にお茶を啜るのであった。
そして迎えた、日曜日の午前。
東京・霞が関の探索者協会本部に隣接する、巨大な屋内訓練場。
「わぁ! すごく広いね拓也! 運動会ができそう!」
「ねえさん、声が大きいよ。試験の邪魔にならないようにね」
見学席の最前列に陣取った拓也と、その隣で水筒と手作りクッキーの入ったバスケットを抱える姉の三月。
周囲には、健太と同じようにライセンス試験を受けに来た若者たちの家族や友人が、緊張した面持ちで見学席に座っている。
訓練場の中央には、頑丈な防護ガラスで覆われた直径二十メートルの円形闘技場が設置されており、そこで実技試験が行われる手はずとなっていた。
「さーて! それじゃあ、今日の実技試験の審査員を務める、Cランクパーティ『鋼の斧』のリーダー、大吾だ! お前ら、怪我だけはしないように全力でかかってこい!」
アリーナの中央に、分厚い鋼鉄の鎧を着込んだ大柄な重戦士が現れ、豪快な笑い声を響かせた。
その声を聞いた瞬間。拓也は、持っていたクッキーを落としそうになった。
(……大吾さん!? なんでCランクのプロが、Fランクの試験官なんかやってるんだ!?)
拓也がギョッとして身を乗り出す。
実は、大吾たち中堅探索者は、ギルドからの依頼で定期的に「後進の育成」として試験官や講師を請け負うことがあるのだ。中学校の特別授業に彼らが来ていたのも、同じ理由である。
「あっ、大吾さんだ! おーい、大吾さーん!」
三月が、無邪気に立ち上がってアリーナに向かって大きく手を振った。
「ば、馬鹿っ、ねえさん!!」
拓也が慌てて三月の腕を引っ張って座らせようとしたが、時すでに遅し。
アリーナの中央で受験生たちを見渡していた大吾の視線が、見学席の最前列にいる「淡いグリーンのワンピースの美女」と「眼帯の少年」でピタリと止まった。
「…………ッ!!?」
大吾の顔から、一瞬にして血の気が引き、土気色へと染まっていく。
(な、なななな、なんで……!! なんであの『軍神(バケモノ指揮官)』と、Bランク魔獣の骨を指先で粉砕する『歩く厄災(三月)』が、こんな初心者用の実技試験の見学席に座ってやがるんだァァァッ!?!?)
大吾の胃壁が、強烈なストレスによってギュルルルッと悲鳴を上げた。
彼にとって、如月姉弟は「絶対に機嫌を損ねてはならない世界のVIP(裏)」である。
もし自分が彼らの関係者を試験で不合格にしようものなら、見学席から音速の小石が飛んできて自分の頭が吹き飛ばされるのではないか――そんな絶望的な妄想が、大吾の脳内を駆け巡った。
「だ、大吾さん? どうかされましたか? 顔色が悪いですが……」
副審査員のギルド職員が、ガタガタと震え始めたCランク探索者を心配そうに覗き込む。
「い、いや!! なんでもねえ!! 今日は素晴らしい受験生が揃っているなと、武者震いがしただけだ!! ガハハハハッ!!」
大吾は、滝のような冷や汗を流しながら、無理やり豪快な笑い声を上げて自分を鼓舞した。
拓也は、見学席から胸元で小さく手を振り、右眼の眼帯越しに『気にするな。普通にやれ』というアイコンタクトを送ったが、それが逆に大吾へのプレッシャー(脅迫)にしか見えていないことに気づいていなかった。
「――次の受験生、前へ!」
数人の受験生が実技を終え、ついに健太の番が回ってきた。
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
健太は、ギルドから貸し出された初心者用の革鎧を着込み、木製の剣を握りしめてアリーナへと足を踏み入れた。
対戦相手としてアリーナの奥から放たれたのは、頭に一本の鋭い角を生やしたウサギ型の魔獣――Fランクの『ホーン・ラビット』である。
戦闘力は低いが、素早い突進とジャンプ力を持つ、初心者にとっての最初の壁となる相手だ。
「ルールは簡単だ! そのホーン・ラビットの攻撃を三回以上回避するか、一撃でもクリーンヒットを当てれば合格だ! 始めッ!!」
大吾が開始の合図を出す。
その声は、どこか「どうかあの少年が受かってくれますように」という祈りに満ちていた。
「キシャァッ!!」
ホーン・ラビットが、鋭い角を突き出して健太に向かって突進してきた。
「うわあっ!?」
健太は極度の緊張で足がすくみ、木剣をデタラメに振り回した。
当然、そんな大振りな攻撃が素早いウサギに当たるはずもなく、健太は突進を躱しきれずに尻餅をついてしまった。
「ああっ! 健太くん、転んじゃった!」
三月がハラハラしたように声を上げる。
(マズい。健太の奴、完全に視野が狭くなってる。あのままじゃ不合格だ)
拓也は、右眼の眼帯をスッと上にずらした。
『深層言語・限定解析』が起動し、アリーナを走り回るホーン・ラビットの筋繊維の収縮、重心の移動、そして「次の攻撃の予備動作」が、完璧なデータとなって拓也の脳内に流れ込む。
(……ホーン・ラビットは、突進の直前に必ず『左耳』がピクッと動く。そして、跳躍の角度は右斜め前だ)
拓也は、見学席から身を乗り出し、アリーナの中にいる健太に向かって、よく通る声で叫んだ。
「健太!! ウサギの『左耳』を見ろ!! 耳が動いたら、半歩だけ右に下がるんだ!!」
「えっ……!?」
健太が、拓也の声にハッとして顔を上げた。
アリーナ内に外部からアドバイスを飛ばすことは、本来であればマナー違反である。
副審査員が注意しようとした瞬間、大吾が「黙ってろ!! あの声は神の託宣(指揮官の指示)だ!!」とばかりに副審査員の口を全力で塞いだ。
アリーナの中央で、再びホーン・ラビットが健太に向かって身構えた。
(左耳……左耳……!)
健太は、拓也の言葉を信じ、ウサギの頭部に視線を集中させた。
ピクッ。
ホーン・ラビットの左耳が、微かに動いた。
(今だ!!)
健太は、突進が来るよりも一瞬早く、拓也に言われた通り「半歩だけ右」へとステップを踏んだ。
その直後、健太が先ほどまでいた空間を、ホーン・ラビットの角が恐ろしいスピードで通過していく。
「おっしゃあ!!」
健太は、完全に体勢を崩して横を通り過ぎていく無防備なウサギの背中に向けて、木剣を勢いよく振り下ろした。
ドスッ!!
「キュゥゥッ……!」
木剣のクリーンヒットを受け、ホーン・ラビットは地面に転がり、気絶して動きを止めた。
「…………」
アリーナが、一瞬の静寂に包まれる。
「す、すばらしィィィィィィッ!!!」
突如として、大吾が両手を天に掲げ、アリーナが震えるほどの絶叫を上げた。
「完璧な見切り! 最小限の回避行動! そして隙を突いた見事な一撃!! 文句なしの満点だ!! 合格!! 君は今日から立派なFランク探索者だァァァッ!!」
大吾は、健太の健闘を称えるというよりも、見学席の拓也たちに向かって「俺はちゃんと仕事(接待)をしましたよ!!」と全力でアピールするかのように、拍手喝采を送った。
「や、やった……! やったぞ如月!!」
健太が、木剣を掲げて見学席に向かって満面の笑みでガッツポーズをする。
「おめでとう、健太! 見事な一撃だったよ!」
拓也も、ホッと胸を撫で下ろして拍手を返した。
「すごいすごい! 健太くんカッコよかったー!」
三月もニコニコと手を叩いている。
(……ふぅ。これで、健太も無事にライセンス取得か。俺の平和な学校生活の友人が、探索者としての一歩を踏み出したんだな)
拓也は、自身の右眼の能力を「世界を救う」ためではなく、ただの友人の背中を少しだけ押すために使えたことに、密やかな満足感と喜びを感じていた。
そして、アリーナの中央では。
「……終わった……俺は、あの姉弟のプレッシャーの中で、無事に試験官をやり遂げたんだ……!!」
大吾が、その場に膝から崩れ落ち、副審査員から差し出された胃薬を涙目でポロポロと飲み込んでいた。
過保護な大人たち、規格外の姉、そして新たな一歩を踏み出した友人。
魔力を持たない少年指揮官の周囲は、決して「普通」ではないが、それでもどこまでも温かく、少しだけ胃の痛い日常が続いていく。
「よし、健太の合格祝いに、帰りにクレープでも奢ってあげようか、ねえさん」
「賛成! お姉ちゃん、イチゴバナナチョコ生クリーム特盛がいい!」
平和な休日。
彼らの紡ぐドタバタな物語は、これからも賑やかに、そして真っ直ぐに続いていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




