第262話:中学校の迷宮見学と、再会する超新星(初心者)たち
「――というわけで、来週の水曜日は『迷宮体験学習』だ。行き先は、安全が完全に保証されているFランクの『初心者修練用ダンジョン』。お前ら、同意書を親に書いてもらってこいよ」
火曜日の朝。
二年B組の教室で、担任の教師がプリントを配りながらそう宣言した。
十年前、世界にダンジョンが発生して以来、義務教育の中にも「迷宮との正しい関わり方」を学ぶカリキュラムが組み込まれるようになった。
体育の授業での回避訓練に続き、この『迷宮体験学習』は、実際に魔獣の出ない(あるいは極めて安全なスライムしか出ない)管理区画に入り、ヒカリゴケの観察や魔力濃度の変化を肌で学ぶという、現代の社会科見学である。
(……なるほど。協会が完全に管理している修練用ダンジョンなら、特異点からのイレギュラー魔獣が紛れ込む危険性もない。本物の安全な遠足だな)
自身の席でプリントを受け取った如月拓也は、ホッと安堵の息を吐いた。
彼が日頃から直面しているような「Sランクの過保護な襲来」や「姉の音速の物理攻撃」が発生する余地はない。ただ列に並んで、メモを取りながら歩くだけの平和な行事だ。
「おい如月! 迷宮見学だってよ! 楽しみだな!」
隣の席の健太が、目を輝かせて話しかけてくる。
「そうだね。でも、危ない場所には行かないみたいだし、ピクニックみたいなものだよ」
「お前、やけに落ち着いてるなー。まあ、お姉さんがFランクの探索者なんだっけ? 慣れてるのかもな」
拓也は苦笑しながら頷いた。
書類上はFランクだが、彼の実態はバエル討伐軍の指揮官であり、姉に至っては迷宮の深層を一人で更地にして回る世界最強のバケモノである。
しかし、そんな真実がこの平和な教室で明かされることは永遠にない。
そして迎えた、迷宮体験学習の当日。
学校から手配された大型バスに揺られること一時間。
拓也たち二年B組の生徒は、東京郊外にある『第一初心者修練迷宮』のエントランス前に到着していた。
ここは、ギルドが新人の研修用に買い取った特別なダンジョンであり、内部の魔力濃度は人工的に制御され、危険な罠や魔獣はすべて事前に排除されている。
「よし、全員揃ったな。今日はギルドの厚意で、最近大活躍しているという『若手のホープ』の探索者パーティが、特別に案内役として同行してくれることになった。しっかり挨拶するように!」
担任の教師がそう言うと、エントランスの奥から、三人の若い探索者が得意げな顔で歩いてきた。
「おう! 今日はお前らの護衛と案内を任された、C……いや、いずれDランクに上がる予定のパーティ『流星の刃』のリーダー、リョウタだ! よろしくな!」
背中に微弱な魔力を帯びた大剣(微風の鉄剣)を背負った少年が、胸を張って宣言する。
その隣には、弓を持ったケンと、魔法使いのアオイが「ふふん」と少し上から目線で生徒たちを見渡していた。
「…………ッ!?」
列の最後尾に並んでいた拓也は、心臓が跳ね上がり、咄嗟に配られた見学用のしおりで顔を隠した。
(な、なんでアイツらがここにいるんだよ……ッ!?)
先週、拓也が正体を隠して荷物持ち(ポーター)として同行し、胃に穴を開けながら裏からサポートして生き残らせた「本物のド素人Fランク三人組」である。
どうやら彼らは、あのゴブリン・シャーマンの討伐(実際は拓也たちの工作)によってギルド内で『期待の超新星』として勘違いされ、子供たちの見本となるガイド役に抜擢されてしまったらしい。
「すげえ! あの人たち、この間ギルドで噂になってた中ボスを倒したっていう新人パーティだぜ!」
健太が興奮して囁く。
(マズい、完全にマズい。ここで俺の顔を見られたら……)
拓也は必死に気配を消そうとしたが、戦場を生き抜いた彼の隠密スキルをもってしても、クラスの最後尾という位置取りでは限界があった。
「ん? おい……そこの最後尾の眼帯!」
リョウタの視線が、しおりで顔を隠しきれていない拓也でピタリと止まった。
「あ、げほっ、ごほっ! 人違いです」
「いや、絶対お前だろ! 先週、俺たちのパーティで使えない荷物持ちをしてた、あのビビりの眼帯じゃねえか!」
リョウタが指を差して大声を上げると、クラスメイトたちの視線が一斉に拓也へと集まった。
「えっ、如月、お前あの凄い探索者の人たちと知り合いなのか!?」
「荷物持ちのバイトしてたの!?」
生徒たちがざわめく中、拓也は深い絶望と共にしおりを下ろした。
「……ははは。ええ、ちょっとお小遣い稼ぎで、裏方のバイトをしてたんです」
拓也が愛想笑いを浮かべて答えると、リョウタは腕を組んで鼻を鳴らした。
「まあ、あの時はお前の水筒を落とすドジのせいで罠にかかりそうになったりしたからな! 今日は俺たちが護衛してやるから、大人しく見学してろよ!」
「……はい。頼もしいです、リーダー」
(……罠にかかりそうになったお前を、俺の水筒で助けてやったんだろうが……)
拓也は心の中で血の涙を流しながら、再び胃薬を欲する自分の内臓を宥めた。
見学は、順調に(拓也の胃痛を伴いながら)進んでいった。
「見ろ、これがヒカリゴケだ。魔力に反応して光るんだぜ」
リョウタがドヤ顔で壁の苔を指差し、ケンとアオイも生徒たちからの尊敬の眼差しを浴びてすっかり良い気分になっている。
修練用ダンジョンの第一階層は完全に安全であり、拓也の右眼の『限定解析』でも、脅威となる魔力反応はゼロだった。
(よし。これなら、リョウタたちがどれだけ素人丸出しの動きをしていても、絶対に事故は起きない。俺はただの一般生徒として帰れる)
拓也がそう確信した、まさにその時だった。
ゴゴゴゴゴォォォォォン……ッ!!
突如として、ダンジョンの奥深くから地鳴りのような音が響き、周囲の魔力濃度が急激に跳ね上がった。
「な、なんだ!? 地震か!?」
教師が慌てて生徒たちをしゃがませる。
拓也は瞬時に右眼の眼帯をずらし、壁の奥の魔力の流れを解析した。
(空間の歪み……!? 違う、これは『迷宮の自然拡張』だ! 定期的な魔力の滞留で、この安全地帯の壁の一部が崩落して、未踏破エリアと繋がってしまったんだ!)
ズドォォォンッ!!
拓也たちのいる大空洞の壁が崩れ落ち、そこからもうもうと土煙を上げて『一匹の魔獣』が姿を現した。
全身を硬い岩石の甲殻で覆い、赤い双眸を光らせる巨大な亀。
Dランク魔獣『ロック・トータス』である。
「ひぃぃっ!? ま、魔獣が出たぞ!!」
「なんで安全なはずの修練迷宮に!?」
生徒たちがパニックに陥り、悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ち、落ち着けお前ら!! 俺たちがいるだろ!!」
リョウタが、顔を引き攣らせながらも大剣を抜き放ち、ロック・トータスの前に立ち塞がった。
(馬鹿、逃げろ!! お前らのレベルでDランクの重装甲魔獣に勝てるわけないだろ!!)
拓也は絶叫しそうになるのを必死に堪えた。
しかし、ここで自分が前に出てしまえば、クラスメイトの前で「極星の指揮官」としての正体がバレてしまう。
「ケン! アオイ! 援護しろ!!」
リョウタが、先日手に入れた『微風の鉄剣』を振りかぶり、トータスの岩石の甲羅に向かって渾身の一撃を叩き込んだ。
ガキィィィンッ!!
鈍い金属音が響き、リョウタの手から大剣が弾き飛ばされた。
「いっ……てぇぇっ!?」
リョウタが両手を抑えてうずくまる。普通の鉄剣でDランクの装甲が斬れるはずがない。
「リ、リョウタくん! 『ウォーター・ボール』!!」
アオイが慌てて水球を放つが、トータスの甲羅に当たってバシャッと弾けるだけで、ダメージは皆無だ。
「グルルルルォォォッ!!」
ロック・トータスが怒りの咆哮を上げ、巨大な前足をリョウタに向かって振り上げた。
(マズい……ッ!!)
拓也は、正体露見の覚悟を決めて、絶対防衛のコートを展開しようと足を踏み出した。
その時だった。
「――はいはい、そこまでだよー。子供を虐める悪い亀さんは、お仕置きの時間です」
上空から、のんびりとした、しかし絶対的な『強者』の響きを持った声が降ってきた。
ダンジョンの天井の暗がりから、淡いグリーンのワンピースを着た絶世の美女が、音もなくフワリと舞い降りたのだ。
「ねえ……さん……!?」
拓也は、信じられないものを見る目で足を止めた。
「な、なんだあのお姉さん!?」
「空から降ってきたぞ!?」
クラスメイトたちがどよめく。
三月は、手にお弁当の入った小さな布袋をぶら下げたまま、リョウタを踏み潰そうとしていたロック・トータスの正面にスッと降り立った。
「グォォッ!?」
トータスが、突如現れた邪魔者を排除しようと、数トンの重量を誇る前足を三月の頭上へと振り下ろす。
「危ないッ!! 逃げろネエチャン!!」
リョウタが悲鳴を上げた。
しかし。
三月は、空いた右手の『人差し指一本』を、スッと上に向けて突き出した。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
凄まじい衝撃音がダンジョン内に響き渡った。
数トンの質量と加速を伴ったトータスの踏みつけは、三月の突き出した『指一本』に触れた瞬間、完全に運動エネルギーを相殺され、ピタリと空中で停止したのである。
「…………え?」
リョウタも、ケンも、アオイも、そしてクラスメイトたちも、全員が言葉を失い、時間が止まったかのように硬直した。
「ダメだよ、亀さん。ここは拓也の学校の遠足の場所なんだから。おとなしくしててね?」
三月が、深緑色の瞳を冷たく細め、指先にほんの少しだけ力を込めた。
バキィッ!! という亀裂音が響き、トータスの強固な前足の装甲が、指の接点からクモの巣状に粉砕されていく。
「ギギャァァァッ!?」
トータスは、本能的な恐怖に絶叫を上げ、後ずさろうとした。
「いただきます。――『魂喰い(ソウル・イーター)』」
三月は、動けなくなったトータスの顎の下に左手をかざした。
漆黒の波動が放たれ、一切の外傷をつけることなく、Dランク魔獣の魂と魔核のエネルギーを一瞬にして吸い尽くした。
ドスゥゥン……。
ロック・トータスは、静かに白目を剥いて地面に崩れ落ち、完全に事切れた。
「……え? あ……れ?」
リョウタが、目の前で起きた現実(指一本で魔獣を止めた美女)を処理しきれず、白痴のような声を出している。
「はい、拓也! お弁当忘れてたよ!」
三月は、何事もなかったかのように満面の笑みで振り返り、最後尾にいた拓也に向かってトコトコと歩いてきた。
「ね、ねえさん……なんで、ここに……」
拓也が顔面を蒼白にしながら尋ねる。
「だって、ギルドの結衣さんに聞いたら、拓也の学校がここに遠足に来てるっていうし。心配だから、お姉ちゃんが『保護者ボランティア(非公式)』として天井に張り付いて見守ってたんだよ!」
「天井に……ずっと張り付いて……!?」
拓也は、戦術指揮官としての冷静さを完全に失い、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「お、おい如月……! 今の、お前の姉ちゃんか!? 指一本で魔獣を倒したぞ!?」
健太が、目を丸くして詰め寄ってくる。
「ち、違うんだ健太! これは……そう! あの亀が、たまたま急激な心筋梗塞を起こして倒れたところに、姉さんが指を当ててただけで……!」
拓也の苦しすぎる言い訳が、虚しくダンジョンに響く。
「す、すげえ……!! あのネエチャン、本物の化け物だ……!!」
リョウタたち三人組は、完全に腰を抜かし、三月の姿をまるで神仏でも見るかのような目で拝み始めていた。
かくして、拓也の平穏な「迷宮体験学習」は、世界最強の姉の乱入により、圧倒的な物理的暴力と伝説を残して幕を閉じたのであった。
魔力を持たない少年指揮官の胃痛と秘密の防衛戦は、これからも過酷さを増して続いていく。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




