第259話:米国からの危険な贈り物と、天才技術者の胃痛
木曜日の夕方。
学校から帰宅した如月拓也は、自室の机に向かい、平和な気持ちで数学の宿題をこなしていた。
中間テストの「限定解析によるヤマ張り」という荒技を乗り越え、ギルドでの初心者引率クエスト(胃痛耐久テスト)も無事に完遂した。
今週の残りの日は、絶対に迷宮には近づかず、ただの魔力を持たない十四歳の中学生として、この平穏な日常を噛み締めようと固く心に誓っていたのだ。
「……よし、宿題終わり。あとは夕飯までゲームでもして……」
拓也がシャーペンを置き、大きく伸びをした、その時だった。
「拓也ーっ! なんだかすっごく大きな荷物が届いたよー!」
一階のリビングから、姉の如月三月の弾んだ声が聞こえてきた。
「大きな荷物? 父さんたちが何かネット通販で買ったのかな」
拓也は不思議に思いながら階段を降り、リビングへと向かった。
しかし、そこに置かれていたのは、一般的な段ボール箱などではなかった。
「……ねえさん。これ、なに?」
リビングの床の中央に鎮座していたのは、高さ二メートル、幅一メートルはある、頑丈な『軍用ジュラルミンケース』であった。
表面には物騒な英語の警告文(WARNING)と、幾重もの魔力封印のステッカーがベタベタと貼られている。
「アメリカから国際便で届いたんだよ! 配達員のお兄さん、すごく重そうに台車で運んできたから、お姉ちゃんが玄関から片手で持ってきてあげたの!」
三月が、ウサギのぬいぐるみを抱えながらニコニコと笑う。
「片手で……。いや、それよりアメリカからって……」
拓也の右眼の奥で、嫌な予感という名の警鐘がガンガンと鳴り響き始めた。
彼には、アメリカに一人だけ、とてつもなく厄介で過保護な知り合いがいる。
日米南米合同遠征軍『極星』の主力であり、アメリカ合衆国が誇る最高峰のSランク探索者。
筋骨隆々の巨漢、レオン・カーターである。
ジュラルミンケースの上には、一枚のメッセージカードが貼り付けられていた。
拓也は恐る恐るそのカードを手に取り、裏返した。
『Hey、若大将! 中間テストお疲れさん!
神宮寺の野郎から、お前が最近Fランクの迷宮で草むしりやポーターの真似事をしてると聞いたぜ。
いくら平和になったとはいえ、指揮官たるもの、常に身体を鍛えておかねえと鈍っちまうからな!
そこで、アメリカのギルド本部が開発した最新鋭の【対Sランク用・自律型戦闘訓練用ゴーレム】をプレゼントしてやる!
日本では未承認の兵器だが、「健康器具」って名目で税関はパスしといたぜ! 室内でもガンガン打ち合って、しっかり汗を流してくれよな! HAHAHA!
――レオンより』
「…………」
拓也は、メッセージカードを握りしめたまま、完全に言葉を失った。
(……未承認の軍用兵器を、健康器具として密輸しただと……!? しかも、対Sランク用って、そんなものを一般住宅の室内で起動させたら、家ごと吹き飛ぶに決まってるだろ!!)
過保護にも程がある。
レオンの頭の中では、拓也は「魔力を持たないひ弱な少年」であるにも関わらず、なぜかSランク用のスパーリング相手を送りつけてくるという、思考の矛盾(アメリカン・マッスル脳)を引き起こしていた。
「わぁ! 拓也へのプレゼントだって! 開けてみよっか!」
「待ってねえさん!! 開けちゃ駄目だ!!」
拓也が叫ぶよりも早く、三月がジュラルミンケースの厳重なロックを、指先の物理的な力だけで「パチンッ」と軽快に引き千切ってしまった。
プシュゥゥゥゥッ……!!
白い冷却ガスと共に、ケースの蓋が重々しく開く。
中から現れたのは、全身を漆黒の特殊合金で覆われ、胸部に赤い魔核を輝かせた、身長二メートル近い人型の機械兵器だった。
『――Booting. Target Confirmed: Takuya Kisaragi. Mode: S-Rank Sparring.(起動。対象確認:如月拓也。モード:Sランクスパーリング)』
無機質な電子音声と共に、ゴーレムの双眸が赤く発光した。
「マズい!! 起動しちゃった!!」
拓也は慌てて後退りした。
『――Commencing attack.(攻撃を開始します)』
ゴーレムが、機械的な動作でありながらも、Sランク探索者に匹敵する超音速の踏み込みで拓也へと肉薄した。
その鋼鉄の拳が、拓也の顔面を粉砕せんと容赦なく振り下ろされる。
「きゃっ! 拓也、危ない!」
しかし、拓也は避けない。避ける必要がなかった。
チィィィィンッ!!!!
拓也が羽織っていた『虚無蜘蛛』の絶対防衛コートが、自動的に白銀の魔力障壁を展開した。
ゴーレムの渾身の一撃は、障壁に触れた瞬間に莫大なエネルギーを相殺され、火花を散らして弾き返された。
『――Error. Target defense exceeds expectations. Recalculating...(エラー。対象の防御力が想定をオーバー。再計算中……)』
ゴーレムが数歩後退し、今度は右腕の装甲をスライドさせ、高出力の魔力砲の砲身を出現させた。
銃口に、周囲の空気を焼き焦がすほどの莫大な熱エネルギーが集束し始める。
「……私の可愛い拓也に、物騒なおもちゃを向けるのは誰かな?」
その時。
リビングの空気が、一瞬にして凍りついた。
魔力砲を構えるゴーレムの背後に、いつの間にか三月が回り込んでいた。
彼女の瞳から、普段の穏やかな光が消え去り、深緑色の絶対的な『殺意』が渦巻いている。
「ねえさん!! 待って!! そのまま殴ったら駄目だ!!」
拓也は、戦術指揮官としての思考を限界まで加速させ、絶叫した。
「え? なんで? ワンパンで更地にしてあげるよ?」
「駄目だ!! 相手はSランク相当の魔力炉心を持ってる! ねえさんの力で物理的に破壊したら、その衝撃と魔力の暴走で、ウチの家どころか、この住宅街一帯がクレーターになっちゃう!!」
かつて始源の迷宮で三十五階層を単独踏破した三月の物理的暴力は、兵器を「壊す」ことには長けているが、爆発を防ぎながら「綺麗に止める」ことには不向きだ。
室内でのSランク兵器の暴走。これは、バエル戦にも匹敵する極限の防衛ミッションである。
「ねえさん! 相手の魔核の魔力供給ラインだけを物理的に切断するんだ! 俺が場所を指示する!」
拓也は、右眼の眼帯を上へと弾き飛ばした。
『深層言語・限定解析』がフル稼働し、眼前のゴーレムを構成する無数の魔力回路、装甲の厚さ、そしてエネルギーの奔流が、空間に浮かび上がる青い光の設計図となって視界を埋め尽くす。
(魔力砲の充填率、80%……! 間に合うか……!?)
「ねえさん! ゴーレムの首の後ろ、第三装甲の隙間! そこに人差し指を差し込んで、斜め下45度の角度で『3ミリ』だけ押し込んで!! 絶対にそれ以上力を入れないで!!」
拓也の極めて精緻で、そして常軌を逸したピンポイントの指示。
しかし、三月は一切の躊躇なくそれに従った。
「分かった! 斜め下45度で、3ミリね!」
シュッ。
三月の指先が、空間を滑るようにゴーレムの首の裏側へと伸びた。
魔力障壁も、特殊合金の装甲も、彼女の指先の前には紙切れと同義である。
三月は、拓也の指示通り、寸分違わぬ角度と『絶妙な力加減』で、ゴーレムの魔力中枢の神経束を圧迫した。
プツンッ。
ごく小さな音と共に。
ゴーレムの銃口に集束していた莫大な熱エネルギーが、霧散して消え去った。
双眸の赤い光が明滅し、そのまま完全に沈黙する。
『――System Shutdown...(システム、シャットダウン……)』
ガシャンッ、と。
最新鋭の対Sランク用戦闘ゴーレムは、家財道具一つ傷つけることなく、リビングの床に崩れ落ちた。
「ふぅ……! 止まったね、拓也!」
三月が、指先をフッと吹きながらニッコリと笑う。
「……あ、ああ。完璧だったよ、ねえさん」
拓也は、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、荒い息を吐き出した。
もし数秒でも指示が遅れていれば、もし三月の力加減が数ミリでも狂っていれば、今頃如月家は跡形もなく消え去っていたはずだ。
「レオンさん……。あんたって人は、本当に……!」
拓也は、アメリカの空に向かって、深い絶望と怒りの入り混じった溜め息を吐いた。
――数時間後。東京郊外、鉄山厳の地下工房。
「……おい、拓也坊主。これは一体、どういう冗談だ?」
油まみれの作業着を着た天才技術者、鉄山厳は、自身の工房の床に転がされた漆黒のゴーレムを見下ろし、額に青筋を立てていた。
「どういう冗談も何も、アメリカのレオンさんから『健康器具』として送られてきたんです。家で暴走しそうになったから、ねえさんに急所を突かせて止めました」
拓也が、死んだ魚のような目で経緯を説明する。
「アホかァァァァッ!!」
鉄山が、溶接トーチを放り投げて絶叫した。
「こいつはアメリカのギルド本部が極秘裏に開発してる、最新鋭の『第V世代・対魔獣用自律兵器』じゃねえか!! なんでそんな国際条約違反スレスレの代物が、中学生の家に宅配便で届くんだよ!!」
鉄山は、ゴーレムの装甲を撫で回しながら、技術者としての興奮と、巻き込まれた胃痛の板挟みになって頭を抱えている。
「僕だって聞きたいですよ。……鉄山さん、これ、どうにか処分できませんか? ギルドに持っていったら、それこそ大国際問題になっちゃうし、家には置いておけません」
「処分、ねえ……」
鉄山は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「こんな一級品のブラックボックス、そのまま捨てる手はねえよ。俺が完全に解体して、コアと装甲素材を抜き取ってやる。三月の嬢ちゃんが全く傷をつけずに中枢だけをショートさせてくれたおかげで、パーツは完全に生き生きてるからな。……よし、買取価格は一千万ってところだ」
「い、一千万……!?」
拓也は、予想外の金額に目を丸くした。
「やったね、拓也! これでまた美味しいお肉がいっぱい買えるよ!」
三月が無邪気に喜ぶ。
「ああ。それに、この合金素材を使えば、拓也坊主の『天照』のスーツの装甲もさらにアップグレードできそうだ。レオンの馬鹿野郎には、後で俺からこってり絞ってやるから安心しな」
鉄山が、悪役のような笑みを浮かべてゴーレムの解体作業に取り掛かり始めた。
「……ありがとうございます、鉄山さん。本当に、いつも助かります」
拓也は、深々と頭を下げた。
その日の夜。
如月家のリビングに戻った拓也は、自身のスマートフォンを取り出し、メッセージアプリの『極星シークレットグループ』のチャットルームを開いた。
そして、レオン宛てにたった一文だけ、メッセージを送信した。
『レオンさんへ。健康器具、無事に届きました。とてもいい運動になりましたが、二度と送ってこないでください。次に送ってきたら、姉を連れてアメリカのギルド本部へ直接お礼参りに伺います。』
数秒後。
画面の向こうのアメリカから、『Hiiiiiiiiiッ!?!?』という、文字だけでも伝わるレオンの悲鳴のスタンプが返ってきた。
「……ふぅ。これでしばらくは、変な荷物は届かないだろう」
拓也はスマートフォンを閉じ、ようやく訪れた本当の平穏な夜の空気に、深く息を吐き出すのだった。
平和な日常を守るための少年指揮官の戦いは、海を越えた過保護な大人たちを相手に、これからも続いていく。
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