第258話:究極のタウロス・ハンバーグと、噂の初心者パーティ
Fランク初心者たちの無謀な迷宮探索を、完全な裏方として無傷でクリアさせた月曜日の夕暮れ。
心身共に深い疲労を抱えた如月拓也は、姉の三月と共に、ようやく自宅の玄関ドアを開けた。
「ただいま……」
「ただいまーっ! お父さん、お母さん、帰ったよ!」
靴を脱ぐのももどかしいほどに疲れ切った拓也とは対照的に、三月はウサギのぬいぐるみを抱きしめたまま元気いっぱいにリビングへと駆け込んでいく。
「おかえりなさい、二人とも。……あら拓也、なんだかすごく疲れた顔をしてるわね。迷宮で何かあったの?」
キッチンで夕食の準備を始めていた母親が、拓也の顔を見るなり心配そうに眉を寄せた。
「いや、魔獣との戦いが大変だったわけじゃないんだ。……ただ、ちょっと『人間関係の引率』で神経をすり減らしたというか」
拓也は、ソファーにドサリと倒れ込みながら苦笑した。
彼が今日同行したリョウタたち三人組は、書類上のFランクである拓也たちを完全に「足手まといの荷物持ち」と見下していたが、実際には彼らの命は拓也の投げたリュックや三月の小石キックによって首の皮一枚で繋ぎ止められていたのだ。
事実を話せば両親を無駄に心配させるだけなので、拓也は適当に言葉を濁した。
「ふふっ、拓也ったら、初心者さんたちの面倒をずっと見てあげてたんだよ! すごく立派なポーターだったんだから!」
三月が、エプロンを身につけながら拓也の頭を優しく撫でる。
「そうかそうか。偉いぞ拓也。お前たちが無理をせず、自分の身の丈に合った安全な仕事を選んでくれているのが、父さんたちは一番嬉しいよ」
ダイニングテーブルで新聞を読んでいた父親が、温かい眼差しで頷いた。
かつて、三月が単独で迷宮の深層に挑み、『魂の崩壊』を引き起こして鉄山厳の病院で長期間の昏睡状態に陥ったあの日々。
二度と目を覚まさないかもしれないという絶望の中で看病を続けた両親にとって、子どもたちがこうして「安全第一」で迷宮に関わり、笑顔で帰ってきてくれることこそが何よりの幸せなのだ。
(実際には、先日Cランクのアーマー・タウロスを狩り、今日はEランクの中ボスを裏から討伐しているのだが、そこは優しい嘘である)
「さあ拓也! 今日は拓也がいーっぱい頑張ったから、お姉ちゃんが特大のハンバーグを作ってあげるね!」
三月は、冷蔵庫から分厚い『アーマー・タウロス』のブロック肉を取り出した。
先日、鉄山工房に完全無傷の装甲皮を売却した際に残しておいた、極上の迷宮グルメの半分である。
「手伝うよ、ねえさん。タウロスの肉は筋繊維が異常に強靭だから、普通の包丁じゃミンチにするのも一苦労だろ?」
拓也がソファーから起き上がろうとすると、三月は「大丈夫大丈夫!」と満面の笑みで制止した。
「拓也はそこでゆっくり休んでて! お姉ちゃんに任せなさーい!」
三月は、まな板の上にタウロスの巨大なブロック肉をドンと置くと、一般的な家庭用のステンレス包丁を右手で軽く握った。
Cランクの重装甲魔獣であるアーマー・タウロスの肉は、いくら柔らかい霜降り部位とはいえ、魔力を帯びた専用の包丁か、業務用の魔導ミンサーを使わなければ刃がこぼれてしまうほど硬い。
しかし。
タタタタタタタタタタタタタタタッ!!!!
キッチンから、まるで機関銃の掃射音のような凄まじい連撃音が鳴り響いた。
「えっ……!?」
母親が目を丸くして振り返る。
三月は、一切の魔力を使うことなく、ただ純粋な『手首のスナップ』と『腕の筋肉の超絶的な収縮』のみで、包丁を音速の領域で振るっていた。
刃の重さと遠心力を完璧にコントロールし、肉の繊維(分子構造レベル)の隙間を的確に断ち切っていく。
それはもはや料理というよりも、始源の迷宮で無数の魔獣を解体してきた世界最強の探索者による、極めて精密な「刃物を使った暴力」であった。
わずか数十秒後。
強靭なアーマー・タウロスのブロック肉は、見事なまでに均一で美しいピンク色の挽肉へと変貌を遂げていた。
「よしっ! これで玉ねぎと卵を混ぜて……」
「ねえさん、包丁の刃が摩擦熱で真っ赤に発光してるけど、水で冷やした方がいいよ……」
拓也は、右眼の『限定解析』で包丁の耐久値がギリギリ限界を迎えているのを見抜き、呆れたようにツッコミを入れた。
それから三十分後。
如月家のダイニングテーブルには、香ばしい肉の焼ける匂いと、濃厚なデミグラスソースの香りが立ち込めていた。
「わぁ……! これがアーマー・タウロスのハンバーグ……!」
拓也の目の前に置かれたのは、彼の手のひらよりも一回り以上大きな、厚さ五センチはあろうかという巨大なハンバーグだった。
「さあ、みんなで食べましょう! いただきます!」
母親の合図と共に、四人は一斉にフォークとナイフを手にした。
拓也がナイフを入れた瞬間。
プシュッ、と音を立てて、中から滝のような肉汁が溢れ出し、お皿の上のソースと黄金色に混ざり合った。
一口、口に運ぶ。
「……ッ!!」
美味い。あまりにも美味すぎる。
外側は三月の絶妙な火加減(強引な火力)によってカリッと香ばしく焼き上げられ、内側はとろけるように柔らかい。ステーキで食べた時よりもさらに脂の甘みが引き立ち、玉ねぎの食感と見事に調和している。
噛めば噛むほど、Cランク魔獣の強靭な生命力(魔力)が栄養となって全身に染み渡り、今日一日の精神的疲労を嘘のように洗い流していく。
「美味しいっ! お肉が口の中で溶けちゃうね!」
三月も、自分の顔ほどある特大ハンバーグを幸せそうに頬張っている。
「本当に絶品だな。三月の料理の腕がまた上がったんじゃないか?」
「ええ、こんなに美味しいハンバーグ、高級レストランでも食べられないわよ」
両親も、その規格外の美味しさに目を細めて絶賛していた。
(……ああ。やっぱり、俺にはこの平穏な日常が一番だ)
拓也は、美味しいハンバーグを噛み締めながら、心からそう思った。
極星の指揮官としての重圧も、初心者パーティの引率という胃痛も、すべてはこの温かい家族の食卓を守るためのもの。
ギルドで受け取った「五千円」という小銭の重みも、この至福の時間の前では、良いスパイスのように思えた。
翌日の朝。火曜日。
完全に体力を回復した拓也は、いつものように中学校へと登校し、教室の自分の席に鞄を置いた。
「おはよう如月! お前、昨日のギルドの掲示板の噂、聞いたか!?」
登校してくるなり、クラスメイトの健太が興奮気味に拓也の席へと駆け寄ってきた。
「おはよう健太。ギルドの噂?」
拓也は、嫌な予感を覚えながらも、平静を装って聞き返した。
「ああ! なんかさ、昨日登録したばっかりのFランク三人組のパーティが、Eランク迷宮の『ゴブリンの洞窟』で、中ボスのゴブリン・シャーマンを討伐したらしいんだよ!!」
健太が、身振り手振りを交えて熱く語り始めた。
「……へえ、それはすごいね」
拓也の額に、ツッと冷や汗が流れる。
「だろ!? ギルドでも『大型新人現る!』ってちょっとした騒ぎになってるらしくてさ。俺たちと同じくらいの歳らしいぜ。大剣使いのリーダーが、魔法を掻き消しながら突っ込んでいって一刀両断したって噂だ!」
(……魔法を掻き消したんじゃなくて、俺が足を滑らせるように誘導して魔法を避けさせたんだよ。しかもトドメの前に、ねえさんが石を投げて取り巻きを気絶させたし……)
拓也は、事実とあまりにもかけ離れた「武勇伝」として噂が広まっていることに、頭痛を覚えそうになった。
「でもさ、そのパーティ、荷物持ち(ポーター)として雇った奴らが全然使えなくて、足手まといだったって愚痴ってたらしいぜ。やっぱり迷宮探索は実力がすべてだよなぁ」
健太が、少し呆れたように肩をすくめる。
「……そうなんだ。そのポーターの人たちも、無事に帰れてよかったね」
拓也は、表面上は苦笑いを浮かべながらも、机の下でガッツポーズを握りしめていた。
(よし!! 彼らの中で、俺と姉さんは完全に『ただの使えない素人』として記憶されている! これで、俺たちの実力がバレる心配は完全にゼロだ!!)
自分たちが無能なポーターとして愚痴られているという事実は、拓也の完璧なカモフラージュが成功した何よりの証拠であった。
プライドなど、平穏な日常の前には安いものである。
「俺も早く探索者のライセンス取って、迷宮で無双してみたいぜー!」
「ははは、健太ならきっとすぐ取れるよ。でも、最初はスライムからにしなよ」
拓也は、健太との他愛のない会話を心底楽しみながら、平和な朝のホームルームのチャイムを聞いた。
過酷な迷宮の最前線で指揮を執っていた彼にとって、この「誰にも期待されず、ただの中学生として過ごせる時間」は、何よりも得難い宝物なのだ。
世界最強の姉が作ってくれた極上のハンバーグと、完全に成功した隠蔽工作。
魔力を持たない少年指揮官の平穏な日常は、こうしてまた一つ、確固たる平和へと近づいていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




