第252話:氷のSランク襲来と、休日のゲームセンター防衛戦
過酷な中間テストを終え、迎えた土曜日の朝。
東京の閑静な住宅街にある如月家は、久しぶりに目覚まし時計の鳴らない、穏やかで静かな朝の空気に包まれていた。
「……ふぁあ。よく寝た……」
如月拓也は、パジャマ姿のままリビングへと降りてきた。
特異点での死闘から解放され、さらに学生としての責務(赤点回避)も果たした今、彼の心は雲一つない青空のように澄み切っている。
今日と明日は、誰にも邪魔されず、姉の三月と一緒に美味しいものを食べたり、ゲームをしてのんびり過ごそうと決めていた。
「おはよう、拓也! 朝ごはんできてるよ!」
キッチンから、エプロン姿の三月が笑顔で顔を出す。
「おはよう、ねえさん。父さんと母さんは?」
「お父さんとお母さんは、朝早くから日帰り温泉旅行に出かけたよ。だから今日は、お姉ちゃんと二人きりの休日だね!」
三月が嬉しそうにフレンチトーストをテーブルに並べる。
両親が不在となれば、気兼ねなく迷宮素材の話や、これからの探索計画についても語り合える。
最高の休日になりそうだ、と拓也が紅茶のカップに手を伸ばした、その時だった。
ピンポーン!!
玄関のチャイムが、空気を読まないけたたましい音で鳴り響いた。
「あれ? 宅配便かな?」
三月が小首を傾げる。
「俺が出るよ。ねえさんはフレンチトーストのお皿を並べておいて」
拓也は、無防備なパジャマ姿のまま玄関へと向かい、ガチャリとドアを開けた。
「――よう、若大将! 中間テストお疲れさん! 約束通り、息抜きに連れ出しに来てやったぜ!!」
「…………えっ」
ドアの前に立っていたのは、季節外れの分厚いダウンジャケットを着込み、目元を真っ黒なサングラスで隠した、やたらと背の高い二十代の青年だった。
しかし、どれだけ変装していようとも、拓也の右眼がその人物の放つ『桁外れの魔力』を即座に解析し、正体を弾き出してしまう。
周囲の気温を急激に低下させる、絶対零度の魔力波長。
日本のトップランカーにして、日米南米合同遠征軍『極星』の主力メンバー。
Sランク探索者、風間蓮である。
「か、風間さん……!? なんでウチに……」
「なんでって、この間グループチャットで言っただろ! テストが終わったらゲーセンに連れてってやるってよ! ほら、着替えてこい! 男同士の熱い休日を満喫しようぜ!」
風間が、豪快に笑いながら拓也の肩をバンッと叩こうとした。
しかし。
バチィッ!!
パジャマの上に無意識に羽織っていた『虚無蜘蛛』の絶対防衛コートが反応し、風間の手を白銀の魔力障壁で弾き返した。
「おわっ!? なんだこのコート、すげえ反発力だな……俺の魔力を完全にシャットアウトしやがった。さすがは若大将、家の中でも完璧な防御態勢ってわけか」
風間が感心したように口笛を吹く。
「いや、これはただの部屋着代わりというか……じゃなくて! 風間さん、俺はチャットで『絶対に来ないでください』って返信しましたよね!?」
拓也が顔を引き攣らせて抗議する。
「お前なぁ、若大将。遠慮すんなって! 特異点であれだけ俺たちに無理難題を押し付けて指揮したんだ、たまには年上の俺に甘えろ!」
「甘えるも何も、Sランクが住宅街をウロウロしてたら目立って仕方ないんですよ!!」
「誰か来たのー? ……あら」
騒ぎを聞きつけて玄関にやってきた三月が、風間の姿を見てピタリと足を止めた。
深緑色の瞳が、スッと冷たく細められる。
「……私の拓也の休日の邪魔をする不審者さん。氷漬けの更地になりたいのかな?」
一切の魔力を使わない、純粋な『物理的殺意』が玄関の空間を支配した。
「ひぃっ!! 待て待て三月ちゃん! 俺だ、風間だ!! 敵じゃねえ!!」
あのバエル戦で三月のデタラメな破壊力を間近で見ていた風間は、Sランクの誇りも何もかも投げ捨てて、全力で両手を振って弁明した。
「ああ、風間さん。なんだ、遊びに来たのね! びっくりさせないでよー!」
三月は瞬時にいつものニコニコ笑顔に戻り、「お茶淹れるから上がって!」と招き入れた。
(……この人たちに関わると、俺の平和な休日が音を立てて崩れていく……)
拓也は、朝一番から猛烈な胃痛に襲われ、膝から崩れ落ちそうになった。
――一時間後。
拓也と三月は、変装した風間に半ば強引に連れ出され、隣町の巨大なショッピングモールのゲームセンターへとやってきていた。
「さあ若大将! クレーンゲームでも格闘ゲームでも、何でも好きなものをやりな! コインならいくらでも出してやるぜ!」
風間が、一万円札を両替機に突っ込みながら得意げに笑う。
「……風間さん。俺、別にゲームセンターに飢えてるわけじゃないんですけど。それに、ねえさんが一緒なら、クレーンゲームの景品なんてすぐ空になっちゃうし」
拓也は、無地のパーカーの上に漆黒のコートを羽織り、深くため息を吐いた。
実際、隣にいる三月は、すでにクレーンゲームのレバーを「ミリ単位の力加減」で完璧に操作し、景品のウサギのぬいぐるみを三連続で乱獲していた。
彼女の超絶的な反射神経と動体視力にかかれば、アームの揺れや景品の重心など、止まっているも同然なのだ。
「いいじゃねえか。戦場を離れたら、お前はただの十四歳のガキなんだ。……俺たちはな、あの特異点で何十回も死にかけたけど、お前が冷静に指示を出してくれたおかげで、誰も欠けずに生きて帰ってこれたんだ」
風間は、少しだけ真面目な顔になって、拓也の頭をポンと撫でた。
今回はコートも反発しない。敵意のない純粋な好意だからだ。
「だから、これは俺たち大人の責任みたいなもんだ。お前には、普通のガキらしい青春を楽しんでほしいんだよ」
「風間さん……」
Sランク探索者たちの、不器用だが温かい思いやり。
拓也は、その心意気には素直に感謝しようと思った。
彼らがこうして気にかけてくれるからこそ、自分は「普通の中学生」としての平穏を感じることができるのだ。
しかし。
彼らがいる場所には、なぜかトラブルの方から引き寄せられてくるという「探索者あるある」を、拓也は忘れていた。
『――緊急警報! 緊急警報! モール周辺に空間の歪みが発生! 小型迷宮の残党が侵入した模様です! 一般客は直ちに避難してください!』
突如として、ゲームセンター内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、ゲームセンターの入り口のガラスを突き破って、一匹の異形の魔獣が乱入してきた。
全身に燃え盛る炎を纏った、体長二メートルほどの巨大な犬。
Cランク相当の魔獣『フレイム・ハウンド』だ。
ダンジョン発生から十年。特異点が消滅したとはいえ、こうして空間の歪みから小規模な魔獣が漏れ出してくる事態は、いまだに日常茶飯事なのである。
「グルルルルォォォッ!!」
フレイム・ハウンドが、逃げ遅れた子供に狙いを定め、炎の牙を剥き出しにして飛びかかろうとした。
「チィッ……! 休日だってのについてねえな! 若大将、三月ちゃんは下がってろ! 俺が一瞬で氷漬けにしてやる!」
風間が、変装のサングラスを投げ捨て、Sランクとしての圧倒的な魔力を解放しようとした。
周囲の気温が急激に下がり、ゲームセンター内の空気が一瞬にして凍りつき始める。
「待って風間さん!! ストップ!!」
拓也が、慌てて風間の腕を掴んだ。
「なんで止めるんだ若大将! あいつを倒さねえと被害が出るぞ!」
「倒すのはいいんですけど、風間さんがここで『絶対零度』の魔法を使ったら、魔獣だけじゃなくてゲームセンターの機材も、ショッピングモールの建物ごとカチカチに凍結して破壊されちゃいます!! 被害総額が億単位になりますよ!!」
拓也の右眼の『限定解析』が、風間の魔力出力と建物の耐久値を瞬時に計算し、絶望的な損害賠償の未来を弾き出していた。
「うっ……! そ、それはそうだが、じゃあどうすんだよ! 俺は手加減が苦手なんだ!」
「知ってますよ! だから、こういう『周囲を壊しちゃいけない繊細な作業』は、適任がいるんです!」
拓也が振り返ると、そこにはすでに、お気に入りのウサギのぬいぐるみを抱えた三月が立っていた。
「私の可愛い拓也の休日に、火遊びなんて許さないんだから」
三月は、一切の魔力を使わず、ただ純粋な体術の足捌きだけで、フレイム・ハウンドの側面へと音もなく滑り込んだ。
「ガ、アッ!?」
フレイム・ハウンドが反応するよりも早く。
三月は、その燃え盛る首筋の『魔力神経の結節点』を、右手の人差し指と中指の二本だけで、そっと「押し込ん」だ。
打撃ではない。あくまで整体師がツボを押すような、極限の力加減による圧迫。
炎の熱など、三十五階層を潜り抜けた彼女の皮膚には一切通じない。
コキッ。
小さな音と共に、フレイム・ハウンドの魔力回路が完全にショートした。
衝撃波も、爆風も、地響きも起きない。
ただ、燃え盛っていた炎がプシュッと消え、巨犬は白目を剥いて床にヘナヘナと崩れ落ちたのである。
「よしっ! 抵抗できないね!」
完全に無力化され、弱り果てたフレイム・ハウンドに対し、三月は左手をかざした。
彼女の固有能力は、相手が弱っていなければ発動できないという制約がある。だからこそ、この「指二本での無力化」というプロセスが必要なのだ。
「いただきます! ――『魂喰い(ソウル・イーター)』」
シュガァァァァァァァァァッ……!!
三月の手のひらから放たれた漆黒の波動が、魔獣の外傷を一切つけることなく、その魂と魔核のエネルギーだけを吸い尽くした。
フレイム・ハウンドは、ゲーム機のディスプレイ一つ割ることなく、完全に事切れて静かな亡骸へと変わった。
「ふぅ……! 拓也、ゲーム機壊さなかったよ! 私、ちゃんと手加減できたでしょ!」
三月が、パァッと明るい笑顔で振り返る。
「……うん、完璧だよ、ねえさん。ありがとう」
拓也は、ペラペラのコートの襟を直し、深く安堵の息を吐いた。
一方。
その一連の光景を間近で見ていた風間は、顎が外れそうなほど口を開けて硬直していた。
(あ、あの三月ちゃんが……建物を一つも更地にせず、あんなに繊細な力加減でCランク魔獣の神経だけを絶ちやがった……!? Sランクの俺でも、あんな芸当はできねえ……!)
風間は、改めて思い知った。
この『如月デュオ』という存在は、戦場を離れた日常においても、決して常識の枠には収まらないバケモノなのだと。
「……ははっ。俺が若大将を守ってやるなんて、おこがましかったみたいだな」
風間が、降参したように両手を挙げて苦笑する。
「風間さんが本気を出せば、あんなの一秒でしたよ。ただ、場所が悪かっただけで。……それより、警備隊が来る前に帰りましょう。目立つのはごめんですから」
拓也が周囲を警戒しながら言うと、風間は大きく頷いた。
「違えねえ。……よし、若大将。今日のところは退散だ。だがな、俺以外の極星の連中も、お前の『普通の中学生活』ってやつを覗きに行きたがってるから覚悟しとけよ!」
「えっ……!? 勘弁してくださいよ、本当に!!」
絶叫する拓也を尻目に、風間は「じゃあな!」と爽やかに笑い、氷の魔力で自身の姿をカモフラージュしながら、颯爽と去っていった。
「あーあ、帰っちゃったね。もっと一緒にクレーンゲームしたかったのに」
三月が少し残念そうにぬいぐるみを撫でる。
「……ねえさん。もし神宮寺さんやレオンさんまでウチの学校に来たら、俺、間違いなく胃に穴が空くよ」
拓也は、まだ見ぬ未来の惨劇(Sランクたちの過保護な襲来)を想像し、すでに胃薬が欲しくなっていた。
世界を救った少年指揮官の休日は、大人の思いやりと、姉の無双によって、今日も騒がしく終わっていく。
平和な日常を守るための彼の戦いは、これからも途切れることなく続いていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




