第251話:体育館の惨劇回避と、最強姉の愛情弁当
東京の閑静な住宅街にある中学校の体育館。
そこは今、文字通り「水を打ったような静けさ」に包まれていた。
「はい、拓也! 大好きな唐揚げ、いっぱい入れといたからね!」
淡いグリーンのワンピースを着た絶世の美女が、満面の笑みでウサギのアップリケがついたお弁当箱を差し出している。
つい数秒前、彼女は高さ五メートルはある二階のギャラリー窓から飛び降り、一切の衝撃音も立てずに体育館の床へと着地したのだ。
魔力を持たない一般の中学生たちにとって、それは映画のワイヤーアクションか何かを見ているような、現実離れした光景だった。
「……ねえさん。ありがとう、お弁当。でも……」
如月拓也は、差し出されたお弁当箱を震える手で受け取りながら、周囲の惨状を見渡した。
クラスメイトたちはポカンと口を開けて固まり、体育教師は目を白黒させている。
そして何より、特別講師として招かれていたCランク探索者の大吾、リク、ミキの三人は、顔面を土気色にして床にへたり込み、ガタガタと歯を鳴らしていた。
(そりゃそうなるよね。大吾さんたちからすれば、Bランク魔獣の骨を指二本で粉砕する『笑顔の悪魔』が、突如として空から降ってきたんだから……)
拓也の右眼の奥が、ズキズキと痛み始める。
特異点の死闘を潜り抜けた彼であっても、この絶望的な社会的ピンチを覆すための「戦術」は、すぐには弾き出せなかった。
「お、おい君!! なんだね急に上から降ってきて!! そもそもここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!!」
いち早く我に返った体育教師が、顔を真っ赤にして三月へと歩み寄ってきた。
不審者の乱入に対する、教師としての極めて真っ当な対応である。
「ひぃっ!!?」
その瞬間、短い悲鳴を上げたのは、床に座り込んでいた大吾だった。
(ば、馬鹿野郎!! そのお方に気安く近づくんじゃねえ!! 機嫌を損ねたら、この体育館ごと『更地』にされちまうぞォォォッ!!)
大吾は、自らの命はおろか、中学校の校舎を守るため、弾かれたように立ち上がり、体育教師と三月の間に両手を広げて立ちはだかった。
「ま、待て先生!! 落ち着いてくれ!!」
「だ、大吾さん? どうしたんですか、そんなに滝のような汗をかいて……」
「こ、このお方は……いや、このお姉さんは! 決して怪しい者じゃない! そう、彼女も立派な探索者なんだ!!」
大吾が、裏返った声で必死に叫ぶ。
「えっ、あのお姉さんもプロの探索者なんですか!?」
クラスメイトの健太が驚きの声を上げる。
「プロ……!? い、いや!! 彼女は……その……」
大吾は言葉に詰まり、拓也の方をチラリと見た。
拓也は胸元で小さく手を振り、右眼の眼帯越しに『目立たないように、Fランクだと言え』という強烈なアイコンタクト(殺気)を送る。
「そ、そう! 彼女はFランクの探索者なんだ! Fランクの!!」
大吾が叫ぶと、体育館の空気が少しだけ緩んだ。
十年前からダンジョンが存在するこの世界において、「Fランク」という響きは、一番下の初心者や、荷物持ち(ポーター)程度の認識である。
「なんだ、Fランクか」
「でも、二階から飛び降りたぞ? すごくないか?」
「探索者って、Fランクでも基礎体力ヤバいらしいからな。毎日ジム通いしてるんでしょ」
生徒たちがヒソヒソと囁き合うのを聞いて、拓也はスッと前に出た。
「先生、すみません。彼女は俺の姉です。……その、Fランク探索者として毎日『パルクール』の特訓をしていて、今日は俺がお弁当を忘れたからって、ちょっと張り切っちゃったみたいで……」
「パルクール……? あの、障害物を飛び越えたりするスポーツの?」
体育教師が怪訝な顔をする。
「うんっ! お姉ちゃん、ジムで毎日腕立て伏せ百回やってるから、五メートルくらい平気だよ!」
三月が、拓也のフォローに乗っかって無邪気にピースサインを作った。
もちろん腕立て伏せなどやっていないが、彼女の規格外の身体能力をごまかすには「筋肉と特訓の成果」という言い訳が一番手っ取り早い。
「だ、そうだ先生!! 探索者の身体能力を舐めないでもらおうか!! ガハハハハッ!!」
大吾が、必死に豪快な笑いを作ってその場を取り繕う。
「は、はあ……。まあ、大吾さんがそういうなら……。しかし如月、いくらお前の姉でも、学校に忍び込むのはルール違反だ。次からはちゃんと正門の受付を通すように言いなさい」
「はい……本当に申し訳ありません……」
拓也は、深々と頭を下げた。
こうして、世界最強の探索者による中学校への不法侵入事件は、大吾の必死のフォローと拓也の胃痛を代償にして、なんとか「極端に運動神経のいいFランク姉の奇行」として処理されたのであった。
「――で、なぜあなたたちは、俺についてきているんですか」
その後。
体育の授業が自習(という名目の休憩時間)に切り替わり、拓也と三月は、校舎裏の木陰にあるベンチへと移動していた。
しかし、彼らの目の前には、Cランク探索者の大吾、リク、ミキの三人が、まるで直立不動の兵士のように並んで立っていた。
「い、いや! 偶然にも如月の兄ちゃん……いや、指揮官殿の学校に呼ばれてしまった無礼を、きっちりとお詫びせねばと思いまして!!」
大吾が、顔を真っ青にしながら深々と頭を下げる。
リクとミキもそれに続く。
「……大吾さん。俺たちは、書類上は『ただのFランク中学生』なんです。どうか、普通に接してください。お願いですから」
拓也は、額に手を当てて深いため息を吐いた。
「そ、そうは言ってもよ……。俺たちはあんたに命を救われた身だ。それに……」
大吾は、チラリと三月の方を見た。
三月は、ベンチに座って膝の上にお弁当箱を広げ、「拓也、あーんして!」と、箸で唐揚げをつまんで拓也の口元へと運んでいた。
「……うん、美味しい。やっぱりねえさんの唐揚げが一番だ」
「えへへー、でしょでしょ!」
(……あのジェネラル・ゴブリンの骨を粉砕した悪魔の指先で、唐揚げを……ッ!?)
大吾たちは、そのあまりにもギャップの激しい光景に、戦慄を覚えてガタガタと震えていた。
彼らには、三月が唐揚げを握り潰して周囲を更地にする幻覚すら見えているようだった。
「あの、大吾さんたちも食べます? 卵焼き、たくさん作ったんですけど」
三月がニコニコと笑いかけると、三人はビクゥッと飛び上がった。
「い、いえ結構です!! 我々のような下々の者が、三月さまの手料理をいただくなど恐れ多い!!」
大吾が全力で首を振って拒否する。
「そう? 美味しいのになぁ」
三月は不思議そうに小首を傾げ、再び拓也の口へと唐揚げを運んだ。
「……はぁ。大吾さん、今日のことは本当に気にしないでください。むしろ、先生の説教から庇ってくれて助かりました」
拓也は、美味しいお弁当で少しだけ回復した胃を押さえながら、大吾たちに向き直った。
「その代わり、今日の『パルクールが得意なFランクの姉』という設定、絶対に学校側に合わせておいてくださいね。俺、ただでさえ目立ちたくないんですから」
「お、おう! 任せておけ! 探索者ってのは身体能力がバグってる奴が多いって、上手く触れ回っておくぜ!」
大吾は、ホッと胸を撫で下ろしながら力強く頷いた。
「ありがとうございます。……それと、この間の『木霊の廃坑』の一件、無事に終わったので安心してください」
「えっ? あの迷宮の奥にいた何かの気配……討伐したのか!?」
「ええ、まあ。ちょっとお弁当を持ってピクニックがてらに」
拓也がサラリと言うと、大吾たちは再び言葉を失った。
Bランクの軍隊を率いるような主が潜むダンジョンを、ピクニック気分で更地(正確には魂喰いによる暗殺だが)にしてきたという事実は、中堅探索者である彼らの常識を完全に破壊していた。
「……や、やっぱりあんたたち、バケモノだぜ……」
リクが遠い目をしながら呟く。
「だから、俺はただの指揮官ですよ。……さあ、授業の終わりのチャイムが鳴ります。戻りましょうか」
拓也はお弁当箱を綺麗に空にし、立ち上がった。
三月は「じゃあね拓也! 今夜はタウロスのビーフシチューの残りだからね!」と手を振り、今度は正門の方へと(一応ルールを守って)歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、拓也は小さく笑みをこぼした。
過保護な極星の大人たち。
過干渉(?)な大恩人の鉄山。
そして、ちょっと規格外すぎる世界最強の姉。
彼を取り巻く環境は決して「普通」ではないが、それでも、この騒がしくも温かい日常は悪くない。
「おい如月! お前の姉ちゃん、すっげえ美人だったな! 今度紹介してくれよ!」
教室に戻るなり、健太が目をキラキラさせて詰め寄ってくる。
「……やめておいた方がいいよ。握手しただけで、手の骨が粉々になるかもしれないからね」
「ははっ、冗談きついぜ如月!」
魔力を持たないFランク少年の胃痛と、平和を守るための秘密の戦いは、こうして賑やかな放課後へと溶け込んでいくのであった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
二階から飛び降りてきた三月姉さんのフォローに奔走する拓也と大吾のお話でした!
大吾さんたちからすれば、あの笑顔の裏にどれほどの暴力が隠されているかを知っているだけに、生きた心地がしなかったでしょうね(笑)。
なんとか「パルクールが得意なFランク」という苦しい言い訳で乗り切り、美味しいお弁当を食べて胃痛を回復させた拓也。
彼の平穏な学生生活は、周囲の勘違いと姉の規格外な愛情に支えられながら続いていきます。
もし「面白かった!」「大吾さんの胃に穴が空きそう(笑)!」と思っていただけましたら、
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




