第253話:平和な薬草採取と、過保護なSランクのストーカーたち
「――というわけで、今日はこの『月光草の採取』クエストをお願いします」
週末の午後。
東京・霞が関の探索者協会本部にて、如月拓也は受付カウンター越しに一枚の依頼書を提出した。
受付嬢の佐藤結衣は、提出された依頼書と、その前に立つ漆黒のコートを着た眼帯の少年、そして後ろでニコニコと手を振っている絶世の美女を交互に見比べた。
「Eランク迷宮『囁きの森』での、月光草の採取……ですね。討伐ではなく、純粋な採取のみのクエストです」
「はい。今回は本当に、ただ草をむしって帰ってくるだけの安全なピクニックですから。絶対に迷宮を更地にしたりしません」
拓也が真剣な顔で約束すると、結衣は深々と安堵の溜め息を吐いた。
「よ、よかったです……。拓也さまと三月さまのことですから、またどこかのBランク変異種をワンパンで消し飛ばしてくるのかと、胃薬を握りしめて待機しておりました」
「あはは、結衣さん心配性だなぁ。今日は拓也のハーブティー用の茶葉を摘みに行くだけだよ!」
三月が可愛らしく笑う。
結衣は素早く手続きを済ませ、「どうか、本当にただの草むしりで終わりますように」と祈るような目で二人を送り出した。
(……結衣さんの胃痛、俺のせいで悪化してるな。申し訳ない)
拓也は心の中で謝罪しつつ、三月と共に協会を後にした。
特異点での死闘を終えた彼が今一番求めているのは、こうした「魔力を持たないただの中学生」としての等身大の日常だ。
Eランクの安全な森で、姉と一緒に薬草を摘んで、帰りにクレープでも食べて帰る。
それこそが、彼が思い描く理想の休日であった。
――一時間後。東京郊外、Eランク指定迷宮『囁きの森』。
木漏れ日が差し込む美しい森のダンジョンに足を踏み入れた拓也は、リュックを下ろして周囲を見渡した。
「空気が澄んでて気持ちいい場所だね、拓也!」
「うん。月光草は、大きな樹の根元に群生しているはずだから、手分けして探そうか」
平和な薬草採取のスタート。
しかし、歩き始めてわずか数分後。拓也の戦術指揮官としての直感が、かすかな『違和感』を警鐘として鳴らし始めた。
(……おかしい。いくらEランク迷宮とはいえ、魔獣の気配が完全に『ゼロ』すぎる)
本来であれば、この森にはゴブリンやスライム、フォレスト・ウルフといった低級の魔獣がうろついているはずだ。
だが、拓也たちの周囲半径一キロ圏内には、生きた魔獣の反応が全く存在しなかった。
その代わりに、拓也の視界の端に「不自然な痕跡」が映り込んだ。
地面に黒々と焼け焦げた、直径十メートルの完全な円形のクレーター。
そして、その隣には、見えない巨大な壁で押し潰されたかのように、物理的に平たく圧縮された大木の残骸。
拓也は、嫌な予感に冷や汗を流しながら、右眼の眼帯をスッと上にずらした。
極限の並列思考を可能にする異能『深層言語・限定解析』を起動し、その痕跡に残された残留魔力を読み解く。
(この焦げ跡の魔力波長……九階梯の炎熱魔法『灰燼』。そして、大木を押し潰したこの高密度の魔力障壁の跡は、『絶対防衛盾』……!!)
十年前のダンジョン発生以降、人類最高峰に至った一握りのバケモノたち。
日米南米合同遠征軍『極星』の主力であり、拓也の部下であった二人のSランク探索者の顔が、拓也の脳裏にハッキリと浮かび上がった。
(神宮寺さんと、九条さん……ッ! あの人たち、俺たちの先回りをして、森の魔獣を片っ端から『殲滅』して回ってるのか!?)
――その頃。拓也たちから約百メートル離れた茂みの中。
「目標(若大将)、現在地点より北北東へ十メートルを進行中。……月光草の群生地まで、残存する脅威はゼロ。完璧な護衛任務だ」
迷彩柄のポンチョをすっぽりと被り、頭に木の枝を突き刺した不審極まりない姿の男――日本のトップランカーにして最強の盾使い(タンク)、Sランク探索者の神宮寺蒼太が、双眼鏡を覗き込みながら真面目な顔で呟いた。
「チッ、なんで俺までこんなコソコソ隠れなきゃならねえんだ。直接出向いて、若大将の周りに炎の結界を張って歩けば済む話だろ」
その隣で、同じく迷彩ネットを被らされた赤い髪の男――日本最強の魔術師である九条炎樹が、不満げに舌打ちをする。
「馬鹿を言うな九条くん。拓也くんは『普通のFランク探索者としての日常』を望んでいるんだ。我々のようなSランクが表立って護衛すれば、彼の求める平穏は壊れてしまうだろう」
「だからって、Eランクの雑魚ゴブリン一匹見つけるたびに、先回りして俺の『灰燼』やあんたの『アイギス』で消し飛ばす必要はねえだろ。魔力の無駄遣いにも程があるぜ」
「大人の責任というやつだ。あんなひ弱な彼に、ゴブリンの爪の先一つ触れさせるわけにはいかないからな」
過保護すぎるSランクの大人たちは、拓也の「普通の日常」を守るため(という名目で)、迷宮の生態系を徹底的に破壊し尽くしていたのである。
彼らの頭の中では、拓也は「魔力を持たないか弱き少年指揮官」のままであり、その隣にいる三月が『Bランク変異種の骨を指二本で粉砕するバケモノ』であるという事実が、都合よく抜け落ちていた。
「おっ、九条くん。目標の五十メートル上空、巨大な樹の枝に、Cランクの変異種『ポイズン・スパイダー』が潜んでいるぞ。どうやらEランク迷宮の残党のようだ」
神宮寺が、双眼鏡越しに毒蜘蛛の姿を捉えた。
「ハッ、虫ケラが。若大将の視界に入る前に、俺の魔法でチリ一つ残さず焼き尽くしてやる」
九条が、ニヤリと笑って右手に莫大な炎の魔力を集束させ始めた。
「――『第九階梯・灰燼――」
九条が、戦略級の超破壊魔法の詠唱を完了させようとした、まさにその時だった。
「九条さん!! 詠唱を破棄しろ!! 神宮寺さんは上空十時の方向へアイギスを展開! 対象を殺さずに空中で拘束してください!!」
森中に響き渡る、鋭く冷徹な『指揮官』の声。
「なっ……若大将!?」
「拓也くん!?」
茂みに隠れていた二人のSランクは、心臓が飛び出るほど驚愕した。
しかし。
特異点の死闘において、何百回と死線を潜り抜け、常に絶対的な正解(生存ルート)を提示し続けてきた拓也の声。
その声による指示は、彼らの肉体と魂に、条件反射レベルで深く刻み込まれていたのだ。
「ぐふぅッ!?」
九条は、発動寸前だった自身の強大な魔法を、強制的に体内で霧散させた。
凄まじい魔力の逆流に襲われ、口から盛大に血を吐きながら地面に倒れ伏す。
「アイギス・展開ッ!!」
神宮寺は、思考するよりも早く両手を天に掲げた。
黄金に輝く絶対防衛の障壁が、上空のポイズン・スパイダーの周囲を四角く囲い込み、空中に完璧に固定(拘束)した。
一切の爆風も、延焼も起きない。ただ、一匹の蜘蛛が空中の透明な箱に閉じ込められただけだ。
「よし……! ギリギリ間に合った……」
百メートル離れた場所から、漆黒のコートを羽織った拓也が、深い深い溜め息を吐きながら歩いてきた。
その後ろには、笑顔のまま完全に目が笑っていない三月が続いている。
「た、拓也くん……! なぜ我々の位置が……」
頭に木の枝を刺したままの神宮寺が、冷や汗を流しながら立ち上がる。
「限定解析で、魔力の痕跡を辿れば一発ですよ。……っていうか、なんであなたたちまで学校の先生みたいな見守り方をしてるんですか。過保護にも程があります」
拓也は、血を吐いて倒れている九条と、不審者スタイルの神宮寺を見下ろして頭を抱えた。
「ゼェ、ゼェ……。お、俺は……若大将が……雑魚に怪我させられねえように……」
九条が、地面を這いながら強がって口の端を拭う。
「九条さん。もしあなたがここで第九階梯の炎魔法を撃っていたら、あそこの大樹の根元にある『月光草』の群生地まで、全部灰になってましたよ。俺たちのハーブティーが一瞬で消え去るところでした」
「……あ」
九条は、自分が拓也の目的そのものを焼き尽くそうとしていた事実に気づき、気まずそうに目を泳がせた。
「それに……」
拓也の背後から、三月がスッと前に出た。
「あの蜘蛛が上から降ってきたら、私がお弁当箱の角で優し〜く頭蓋骨を叩き割って処理するつもりだったのに。……私の拓也とのピクニックを邪魔する人は、お仕置きが必要かな?」
三月の放つ、魔力を伴わない純粋な物理的プレッシャー。
かつて世界に一つしか存在しなかった『始源の迷宮』の三十五階層という前人未到の深淵を単独で歩き抜き、無数の強大な魔獣を素手で粉砕してきた、世界最強の『純粋な暴力』の気配。
その圧倒的な重圧に、神宮寺と九条はビクゥッと肩を震わせ、直立不動の姿勢を取った。
「も、申し訳ない、三月殿……! 決して邪魔をするつもりは……!」
神宮寺が、Sランクの威厳など微塵もなく、深々と頭を下げる。
「はぁ……。もういいです。とりあえず、あそこで拘束してる蜘蛛の毒腺だけ抜いて、素材としてギルドに売りましょう。手伝ってくださいね、二人とも」
拓也は、胃薬を飲むような仕草で胸元を押さえながら、二人のトップランカーに指示を出した。
「は、はいッ! 喜んで手伝わせていただきます、指揮官殿!」
「チッ……草むしりの手伝いとはな。まあ、お前が言うならやってやるよ」
かくして。
Fランク姉弟による平和な薬草採取クエストは、日本のトップランカー二人を無償の労働力(草むしり要員)としてこき使うという、前代未聞の超豪華なピクニックへと変貌を遂げたのであった。
「ねえさん、月光草いっぱい採れたね!」
「うんっ! 神宮寺さんが綺麗に根っこから掘り起こしてくれたから、最高品質だよ!」
夕暮れの森に響く姉弟の笑い声と、泥だらけになって草をむしるSランクたちの姿。
魔力を持たない拓也の胃痛は、過保護な大人たちの愛によって、今日も順調に悪化していくのだった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




