第249話:帰還のビーフシチューと、家族の食卓の裏で
「ただいま、父さん、母さん。素材の買い取り、無事に終わったよ」
夕暮れ時の如月家。
玄関のドアを開けてリビングに足を踏み入れた如月拓也が、大きな封筒を掲げながら声をかけた。
「おや、おかえり。怪我はなかったかい? 鉄山さんも元気だったか?」
リビングのソファでくつろいでいた父親が、新聞を閉じながら穏やかに微笑みかける。
「うん、鉄山さんは相変わらず元気だったよ。俺たちの顔を見るなり、相変わらずデタラメばかりやってるって呆れてたけどね」
拓也が苦笑いしながら答えると、キッチンからエプロン姿の母親がひょっこりと顔を出した。
「ふふ、鉄山さんには昔から本当に頭が上がらないからね。無事に買い取ってもらえてよかったわ。……で、その封筒の中身は?」
「それがさ、タウロスの装甲皮と魔核が『完全無傷』だったからって、鉄山さんが五十万円も出してくれたんだよ!」
「ええっ!? 五十万円!?」
母親が驚きの声を上げ、ダイニングテーブルの片付けをしていた姉の如月三月も「すごいよね、お小遣い持ちきれないくらいだよ!」とパチパチと手を叩いた。
「すごいな、拓也。お前たち、すっかり一人前の探索者だな。……まあ、危険な仕事はほどほどにしておくんだぞ」
父親が少しだけ真剣な目を向けるが、その表情には我が子を誇らしく思う温かさがあった。
「分かってるよ、父さん。無理はしないさ。……それより母さん、お腹ペコペコなんだけど、今夜のビーフシチューはもうすぐできる?」
拓也が話題を変えると、母親はふっと柔らかく微笑んだ。
「もうすぐ煮込み終わるところよ。ちょうどいい匂いがしてきたでしょう?」
キッチンに戻った母親が蓋を開けると、ふわりと濃厚で芳醇なスパイスの香りがリビングいっぱいに広がった。
昨日、三月が傷をつけずに狩ってきたCランク魔獣『アーマー・タウロス』の極上肉をふんだんに使い、何時間も煮込んだ特製ビーフシチューである。
「わあぁっ! いい匂い! お肉がトロトロになってるよ!」
三月が嬉しそうにキッチンを覗き込み、お皿やフォークの準備をテキパキと手伝い始めた。
やがて、湯気を上げる大きな鍋がテーブルの中央にドンと置かれ、ゴロゴロと贅沢に入った牛肉が黄金色のルーに包まれている食卓が完成した。
「さあ、みんな揃ったわね。いただきますをして食べましょう」
「「「いただきます!」」」
それぞれがスプーンを手に取り、一口運ぶ。
口に入れた瞬間、タウロスの濃厚な旨味が広がり、お肉は噛まなくてもいいほどにとろけて消えていった。
「……美味しい。お肉の旨味がルーに完全に溶け込んでるよ、母さん」
拓也が目を細めて呟く。
「ほんとに美味しいね! お姉ちゃんが昨日狩ったお肉が、こんなに素敵に変身しちゃった!」
三月も両頬を押さえて幸せそうに笑っている。
両親も「うん、絶品だね」「今度またそのタウロスとやらを狩れたら、おすそ分けに実家へ持っていかなくちゃね」と楽しそうに語り合っていた。
特異点の死闘を潜り抜け、世界の命運を背負って戦ってきた少年指揮官と世界最強の探索者。
しかし、この温かな食卓の前では、彼らはごく普通の「如月家の子供たち」に戻ることができた。
命の恩人である鉄山に見守られ、暗い病院で眠り続けていた過去を乗り越えた家族だからこそ、この日常の尊さが痛いほどよく分かっていた。
――同じ頃。東京郊外の地下工房。
「……くっしゅんっ!!」
油まみれの作業着を着た鉄山厳は、突然大きなクシャミを一つし、手元の溶接トーチを思わず止めました。
「おや、大親分が風邪ですか?」
弟子の職人が心配そうに声をかける。
「バカヤロウ、風邪じゃねえよ。誰かが俺の悪口でも言ってやがるんだ……。まったく、あの姉弟め……五十万の端金ですぐに帰りやがって、もっとゆっくりしていけばいいものを……」
鉄山は、先ほど拓也たちに売り渡した魔導剣の仕上がり(スライムの魔核を用いた完璧なステータス同期)を思い出し、不敵な笑みを浮かべた。
「だが、あのガキの『眼』の切れ味は相変わらず化け物じみてやがる。……極星の指揮官殿か。世界を救った隠居の身には、もったいねえお友達を持ったもんだ」
鉄山は呟くと、再びゴォォォッと音を立てる溶鉱炉に向き合い、新たな武具の鍛造へと戻っていった。
夜が更け、如月家のリビングの明かりが消える頃。
拓也は自室のベッドに横たわり、天井を見つめながら静かに息を吐いていた。
右眼の眼帯の下で、微かに脈打つ『深層言語・限定解析』の余韻を感じる。
平和な日常。
美味しいご飯。
そして、何事もなく過ぎ去っていく平穏な時間。
(……明日からは、普通の中学校生活が待ってるな)
中間テストも無事に乗り切り、当面のトラブルの芽はすべて摘み取った。
ふと隣の部屋を見ると、三月がウサギのぬいぐるみを抱きしめながら安らかな寝息を立てているのが感じられた。
明日もきっと、彼女の規格外のパワーに振り回され、胃を痛めながらも、騒がしく温かい一日が始まるのだろう。
拓也は小さく笑うと、心地よい疲労感に包まれながら、静かに目を閉じるのだった。
如月姉弟の日常は、これからも平穏と無双を交えながら、途切れることなく続いていく。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




