第248話:無傷の迷宮素材と、大恩人たる鉄山厳の工房
「ふぅ……。昨日のアーマー・タウロスのステーキ、本当に美味しかったね、ねえさん」
日曜日の朝。
如月家のリビングには、コーヒーの香ばしい匂いと、穏やかな朝の光が差し込んでいた。
「うんっ! まだお肉は冷蔵庫に半分残ってるから、今夜はタウロスのビーフシチューにするね!」
エプロン姿の姉、如月三月(きさらぎ Mutsuki)が、機嫌よく鼻歌を歌いながらキッチンで食器を片付けている。
「それは楽しみだ。三月が昨日買って……いや、狩ってきてくれたお肉、本当に絶品だったからね」
ダイニングテーブルで新聞を広げていた父親が、コーヒーカップを片手に目を細めて笑った。
「ええ、本当に。拓也も、中間テストお疲れ様だったわね。これでようやくゆっくり休めるんじゃない?」
向かいの席に座る母親が、拓也のマグカップに温かい紅茶を注ぎ足しながら、優しく微笑みかけてくる。
「ありがとう、母さん。……うん、ようやく肩の荷が下りたよ」
拓也は、紅茶を一口飲みながら、両親の穏やかな笑顔を見つめて密かに安堵の息を吐いた。
十年前、突如として世界に出現した迷宮。
そこから得られる資源は人類の生活を大きく変えたが、その中でも「迷宮グルメ」と呼ばれる一部の魔獣の肉は、絶品の高級食材として知られている。
昨日、拓也と三月が狩ったCランク魔獣『アーマー・タウロス』もその一つだ。
両親は、子どもたちが探索者として迷宮に出入りしていることを知っている。
それどころか、かつて三月が探索者として危険な迷宮の深層に挑み、その果てに魂の崩壊を引き起こして長期間にわたり意識を失い、鉄山の病院で眠り続けていたその壮絶な経緯を、両親はすべて知っていた。
一時は二度と目覚めないかもしれないと絶望に暮れ、鉄山の病院に泊まり込んでずっと看病を続けた日々の記憶は、今も彼らの胸に深く刻まれている。
だからこそ、三月が奇跡的に目を覚まし、こうして再び家族揃って平穏な朝を迎えられていることが、両親にとってどれほどかけがえのない奇跡であるかは言うまでもなかった。
拓也が特異点の死闘で極星を率いた少年指揮官であることや、三月が世界最強の探索者であるという現在進行形の秘密こそ伏せられているものの、彼らが並外れた危険と隣り合わせで生きていることについて、両親は一定の理解と覚悟を持っていたのである。
「……それにしても、この素材の山、どうしようか」
朝食を終えた拓也の視線の先には、リビングの隅に置かれた巨大な『鋼鉄の角』と、分厚い『装甲皮』、そして淡く発光するソフトボール大の『魔核』が転がっていた。
どれもアーマー・タウロスから剥ぎ取った(正確には、肉を取り出した後に余った)ドロップアイテムである。
「売ったら結構なお小遣いになるんじゃない? 拓也の新しいゲームソフトとか買えちゃうかも!」
三月が、鋼鉄の角を指先でヒョイッと持ち上げながら言う。
「そうだね。でも、これをそのまま探索者協会の公式買取所に持っていくのはマズい」
拓也は、綺麗なままの装甲皮を撫でながら、困ったように眉を下げた。
「これ、傷一つない『完全無傷』なんだよ。ねえさんの固有能力『魂喰い(ソウル・イーター)』で、外傷を一切つけずに魂と魔力だけを吸い出して倒したからね」
「うん! お肉を傷つけないための完璧な作戦だったよね!」
「そうなんだけど……普通、Cランクの重装甲魔獣を倒す時って、魔法で焦げ跡がついたり、剣で斬り裂いたりして、素材が少なからず損傷するんだ。こんなに綺麗な状態のタウロス素材なんて、逆に目立ちすぎる」
特異点での戦いを隠匿し、あくまで「Fランクの一般探索者」として平和に過ごしたい拓也にとって、目立つことは最大の胃痛の種である。
「だから、この異常な素材を見ても騒がず、俺たちの事情をすべて分かってくれている『鉄山さん』のところに持ち込もうと思うんだ」
拓也の言葉に、三月はポンッと手を叩いてパァッと顔を輝かせた。
「ああっ! 鉄山のおじいちゃんのところだね! 賛成!」
鉄山厳。
かつて南極や成層圏での決戦において、魔力を持たない拓也が戦場で指揮を執るための特装スーツ『天照』を組み上げた、世界最高峰の天才魔導技術者である。
しかし、彼と如月家との繋がりは、それだけではない。
三月がまだ一人で危険な迷宮の深層に潜っていた頃から、鉄山は彼女の規格外の力に耐えうる専用装備を打ち続けてきた。
そして何より、三月が魂の崩壊で眠り続けていた時、鉄山は自身の系列の病院で彼女を手厚くかくまい、両親がその看病を続けられるように環境を整え、さらには家族が裏社会や海外組織から狙われないよう組織の力で守り抜いてくれた、命の恩人だった。
「気をつけて行ってきなさい。鉄山さんには、いつも面倒をかけてばかりだから、くれぐれも失礼のないようにね」
母親が温かい笑みを浮かべて送り出してくれる。
「ああ、素材の買い取りよろしく頼むぞ」
父親もコーヒーを飲みながらうなずいた。
拓也と三月は、無傷の素材を詰め込んだ巨大なリュックを抱えて自宅を出発した。
――数時間後。東京郊外、人気のない工業地帯の一角。
シャッターの閉まった町工場の地下に、鉄山厳の広大な秘密工房は隠されていた。
「……ほう。こいつは驚いたな」
電子顕微鏡や魔力測定器、そして巨大な溶鉱炉が並ぶ無骨な工房内。
油と鉄の匂いが染み付いた作業着姿の鉄山厳は、拓也たちが持ち込んだアーマー・タウロスの装甲皮を撫でながら、低く唸り声を上げた。
「刀傷一つ、魔法の焦げ跡一つねえ。……細胞の劣化もゼロだ。完全に無傷のまま『命だけを引っこ抜かれた』ような状態じゃねえか。……なるほど、これが三月の嬢ちゃんの『魂喰い』の力ってわけか」
鉄山は、鋭い眼光を三月に向けた。
「お久しぶりです、鉄山さん。父も母も、いつもお世話になっています」
拓也が深く頭を下げる。
「えへへ! おじいちゃん、元気だった? 今日はお肉を美味しく食べるために、拓也と一緒に頑張ったんです!」
三月がピースサインを掲げる。
「相変わらず、お前ら姉弟は規格外のデタラメばかりやりやがる。両親は相変わらず平和に暮らしてるか?」
鉄山が、呆れたようにため息を吐きながらも、目元を優しく和ませて尋ねてきた。
「はい。あの時、鉄山さんが病院を用意してくれて、母さんたちにずっと寄り添う時間をくれたおかげで……今の家族の日常があります。本当に、感謝してもしきれません」
「フン、気にするな。嬢ちゃんが意識を失って眠ってた頃は、俺も色々と思い出させてもらったからな。その恩返しと、極星の指揮官殿への敬意ってやつだ」
鉄山は照れ隠しのように鼻を鳴らすと、カウンターの上の素材をポンと叩いた。
「で、こいつを持て余して俺のところに持ってきたわけだな。市場に出せば騒ぎになる代物だ。……いいだろう、俺が引き取ってやる。これほど完璧な状態の装甲皮なら、Bランク以上の防具のベースとして最高品質だ。魔核の純度も申し分ねえ。全部まとめて五十万でどうだ?」
「五十万!?」
拓也は思わず声を上げた。数万円になればいい方だと思っていたが、完全無傷の素材の価値は彼の想像を遥かに超えていたようだ。
「やったね、拓也! これで美味しいケーキがいっぱい買えるよ!」
鉄山が金庫へ向かおうとした、その時だった。
バチバチバチッ!!
工房の奥に設置された特殊な作業台から、不吉な魔力のスパーク音が鳴り響いた。
「チィッ! またか!」
鉄山は舌打ちをし、慌てて作業台へと駆け寄って制御レバーを引いた。
拓也が不思議に思って覗き込むと、そこには一本の美しい『魔導剣』が固定されていた。
刀身には青白い輝きを放つミスリルが使われ、柄の部分には赤い魔核が埋め込まれている。しかし、その剣から発せられる魔力の波動が、ひどく不安定に明滅し、周囲の空間を焦がしていた。
「……鉄山さん、それは?」
拓也が尋ねると、鉄山は額の汗を拭いながら重いため息を吐いた。
「日本のトップランカーの一人から依頼された、特注品の魔導剣だ。『攻撃力上昇』と『炎属性付与』の二つのステータスを、この剣に同時に定着させようとしてるんだが……どうやっても魔力伝導率が低下して、反発を起こしちまう」
迷宮から得られる素材を使った現代の武具作りは、特定の素材の組み合わせによって「ステータス補正」や「属性付与」を行うことができる。
しかし、素材同士の相性や魔力波長を間違えると、ステータスが相殺されたり、最悪の場合は武器が自壊してしまうのだ。
「ミスリルの刀身に、ファイア・サラマンダーの魔核。王道の組み合わせの定石通りに組んでるはずなのに、なんで魔力反発が起きるんだ……。これじゃあ、いつまで経っても完成しねえ」
当代随一の技術者である鉄山でさえも、頭を抱えて唸っている。
「……鉄山さん。ちょっとだけ、見せてもらってもいいですか?」
拓也は、作業台の前に静かに歩み寄ると、自身の右眼の眼帯をスッと上にずらした。
そして、極限の並列思考を可能にする異能『深層言語・限定解析』を起動し、魔導剣をジッと見つめた。
拓也の右眼には、剣を構成する魔力の流れ、素材の分子構造、そしてそれらが引き起こす『隠しステータス』の数値が、まるで精密な設計図のように明確な情報として浮かび上がっていた。
特異点の死闘において、数多の魔王の能力を丸裸にしてきたその戦術眼は、装備品のステータス構造をも一瞬にして暴き出す。
「……鉄山さん。このファイア・サラマンダーの魔核ですが、ただの炎属性じゃありませんね」
「あ? どういうことだ、拓也坊主」
拓也は、解析によって得られた「装備のステータス改変の理屈」を、淡々と説明し始めた。
「この魔核は、火山地帯の深い場所で採れた変異種のものです。表面上は【炎属性付与】のステータスを持っていますが、内部のコアに強力な【地属性の親和性】という隠しパラメーター(属性値)が混ざっています」
「地属性の親和性だと……?」
「はい。そして、刀身に使われているミスリルは、純度が高ければ高いほど【風属性】に傾く性質がある。……つまり、鉄山さんが炎の魔力を流し込もうとするたびに、内部で風と地という相反する属性が衝突を起こし、ステータスの低下と伝導率の阻害を引き起こしているんです」
拓也の言葉に、鉄山は目を見開いて息を呑んだ。
「魔核の産地による隠れステータスの干渉だと……!? 確かに、この魔核は特殊なルートで仕入れた極上品だが……まさか、魔力を持たねえお前が、一目見ただけでそんなミクロの魔力構造を読み解くとはな」
鉄山は、かつて自分が天照のスーツを作ったこの少年が、戦術指揮だけでなく、解析能力においてどれほど常軌を逸したバケモノであるかを思い出し、武者震いするように笑った。
「さすがは、極星を束ねた指揮官殿だ。……で、解決策はあるのか?」
「簡単です。柄と刀身を繋ぐ魔力伝導線の間に、無属性の緩衝材……例えば『ブルースライムの魔核の抽出液』を極薄くコーティングして挟み込んでください」
「スライムだと……?」
「はい。先日、俺と姉さんでFランク迷宮の依頼を受けた時に採ってきたスライムの魔核が、まだリュックの底に残っているはずです。あれは完全に無属性で、魔力の親和性が高い。それで属性の衝突は完全に中和され、本来のステータス補正が完璧に同期するはずです」
拓也の指示を受け、鉄山はすぐに拓也のリュックから青いスライムの魔核を取り出した。
それを専用の機械で急速抽出し、粘液状になった液体を伝導線へと薄く塗り込み、再び魔力を流し込んだ。
シュイィィィィィンッ……!!
その瞬間。
先ほどまで不安定に明滅していた魔導剣が、燃え盛るような美しい真紅の輝きを放ち、ピタリと安定した。
刀身から伝わってくる魔力の圧力は、先ほどとは比べ物にならないほど力強く、そして澄み切っている。
「す、すげえ……!! 魔力反発が完全に消えたどころか、攻撃力のステータス補正値が想定の1.5倍にまで跳ね上がってやがる……!! 間違いなく、俺の鍛冶屋人生でも最高傑作の一つだ!!」
鉄山は、完成した魔導剣を震える手で掲げ、歓喜の声を上げた。
「やったね、拓也! おじいちゃんのお手伝い、大成功だね!」
三月が、パチパチと拍手をして喜ぶ。
「うん。……俺たちのスライム討伐が、こんなところで役に立つとは思わなかったけどね」
拓也がホッと息を吐くと、鉄山は血相を変えて拓也の肩をガシッと掴んだ。
「拓也坊主!! お前、うちの工房の専属アナライザー(解析士)にならねえか!? お前のその眼があれば、俺は世界中のどんな装備でも作り出せる!! 給料は言い値で払うぞ!!」
「えっ!? い、いや、俺はただのFランクの中学生なんで、そういうのは結構です! ねえさん、帰るよ!」
「あはは! 拓也、おじいちゃんにも大人気だね!」
凄まじい勢いで迫ってくる恩人から逃れるように、拓也はカウンターに置かれていた五十万円の入った封筒をひったくり、三月の手を引いて全速力で地下工房を飛び出した。
「はぁっ……はぁっ……。びっくりした……」
地上に出た拓也は、膝に手をついて荒い息を吐いた。
「ふふっ。でも、拓也のおかげで無事に素材も売れたし、鉄山さんも助かったんだから、大成功だね!」
三月が、五十万円の入った封筒をヒラヒラと揺らして笑う。
「……まあ、そうだね。まさかあんな風にスカウトされるとは思わなかったけど」
拓也は苦笑しながら、自身の右眼にそっと触れた。
戦闘の指揮だけでなく、装備品のステータス構造すらも丸裸にしてしまう『限定解析』。
これがあれば、大恩人である鉄山の仕事の助けにもなれるかもしれない。
「よーし! それじゃあ拓也、このお金で父さんと母さんに美味しいケーキをたくさん買って、夜はみんなでタウロスのビーフシチューでお祝いの続きをしよっか!」
「うん。……あ、でもねえさん。ケーキは一人二個までだからね。食べ過ぎは駄目だよ」
「えー!? 私、世界最強だからカロリーは全部消費できるのにー!」
夕暮れの工業地帯を背に。
書類上はFランクの少年と、Fランクの絶世の美女は、平和な日常の幸せな悩みを分かち合いながら、待っている家族の元へと家路を急ぐ。
彼らの紡ぐ「日常」は、どこまでも規格外で、少し胃が痛くて、けれど何よりも温かい。
如月デュオの平穏な生活は、これからも賑やかに続いていくのであった。
お読みいただきありがとうございます!
ぜひページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の大きな励みになります。
次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




