第247話:中間テストの終焉と、究極の迷宮グルメ探索
「……数学、六十五点。歴史、六十二点。理科、六十八点……」
数日後。中間テストの答案用紙が返却された二年B組の教室で、クラスメイトの健太が、如月拓也の机に並べられた解答用紙を見て目を丸くしていた。
「おい如月……お前、休学してて授業に全然出てなかったのに、全教科見事に『平均点ちょい上』じゃねえか。どうやって勉強したんだよ?」
「ははは……。まあ、ちょっと出題の傾向を分析して、要点だけをピンポイントで覚えたというか……」
拓也は、乾いた笑いを浮かべながら答案用紙を鞄にしまった。
彼がバエル戦の極限状態で研ぎ澄ませた、右眼の『深層言語・限定解析』。
その極限の並列思考を用いて、過去三年分の過去問から教師の「出題の癖」を完璧に解析し、出題確率九十パーセント以上の箇所のみを徹夜で暗記した結果であった。
結果として、赤点回避どころか、目立ちすぎない完璧な「中の中」の成績を収めることに成功したのである。
(……これで、補習も呼び出しもない。ようやく、本当に肩の荷が下りた)
世界を崩壊の危機から救った少年指揮官にとって、この数日間の精神的プレッシャーは、特異点の死闘にも匹敵するものだった。
放課後のチャイムが鳴ると同時に、拓也は心からの安堵の溜め息を吐き、足早に家路についた。
「拓也、おかえりなさい! テスト、どうだった!?」
自宅の玄関を開けるなり、エプロン姿の姉、如月三月がパタパタと駆け寄ってきた。
「ただいま、ねえさん。……うん、全部平均点以上だったよ。赤点はゼロだ」
「わぁぁっ!! すごいすごい! やっぱりうちの拓也は世界一の天才だね!」
三月は歓声を上げ、拓也を力いっぱい(骨が折れない程度の絶妙な力加減で)抱きしめた。
「えへへ、今日は拓也が絶対にテストを乗り切ってくれるって信じてたから、お祝いの準備をしてたんだよ!」
「お祝い? ねえさんの特製オムライスとか?」
「ううん、今日はもっと特別! 拓也に、最高級の『迷宮グルメ』をご馳走してあげようと思って!」
三月の言葉に、拓也は少しだけ目を丸くした。
今から十年前。この世界に突如としてダンジョンが発生して以来、人々の生活は激変した。
未知の鉱石や魔力資源がもたらされただけでなく、一部の魔獣の肉や迷宮内に自生する植物は、従来の地球の食材とは比較にならないほどの絶品であることが判明したのだ。
今や銀座や六本木の高級レストランでは、AランクやBランクの魔獣の肉が、目玉が飛び出るような価格で取引されている。
「でも、迷宮グルメって……スーパーには売ってないし、通販で買ったら何十万もするんじゃない?」
「買うわけないじゃない! 拓也のお祝いだもん、私が最高に新鮮なお肉を『直接』狩ってくるんだよ!」
三月は、エプロンを外して淡いグリーンのワンピースの裾を翻し、ドンッと胸を張った。
「ターゲットは、Cランク迷宮『豊穣の高原』に生息する魔獣、【アーマー・タウロス】! この牛の霜降り肉は、口の中でとろける究極のステーキになるんだから!」
「……なるほど。自給自足のお祝いクエストってわけだね」
拓也は、苦笑しながらも、自室から『虚無蜘蛛』の絶対防衛コートを取ってきた。
過酷なテスト勉強から解放された今、姉と一緒に美味しいものを探して迷宮を歩くくらいの気晴らしは、悪くない提案だった。
――一時間後。東京郊外、Cランク指定迷宮『豊穣の高原』。
その名の通り、見渡す限りの美しい草原と、澄み切った青空が広がるダンジョンである。
気候は穏やかで、危険度の高い罠もないため、中堅探索者たちの素材集めの場として人気が高い。
「空気が美味しいね、拓也! 絶好のハンティング日和だよ!」
三月が、ピクニックにでも来たかのような足取りで草原を進む。
「うん。でも、油断はしないでね。ターゲットのアーマー・タウロスは、全身が硬い装甲で覆われた強力な突進型の魔獣だ」
拓也は、コートのポケットに手を突っ込みながら、周囲の魔力の流れを慎重に探っていた。
十分ほど歩いたところで、拓也の右眼が、前方の茂みの奥に巨大な熱源と魔力反応を捉えた。
「……いた。三百メートル先の岩陰。間違いない、アーマー・タウロスだ」
拓也の指差す先には、体長三メートルを超える、全身を鋼鉄のような外殻で覆われた巨大な二足歩行の牛型魔獣が、のっしのっしと歩いていた。
「よしっ! それじゃあ、私がいっちょ『更地』にして――」
三月が嬉々として拳を握りしめ、地面を蹴ろうとした瞬間。
「ストップ!! 待って、ねえさん!!」
拓也が慌てて三月の腕を掴んだ。
「え? なんで? ワンパンで倒せばすぐお肉が手に入るよ?」
「駄目だよ。ねえさんのいつものパンチを食らわせたら、アーマー・タウロスの肉体がミンチ……いや、細胞レベルで消し飛んで『赤い霧』になっちゃうでしょ。ステーキどころか、肉片一つ残らなくなるよ」
「…………あっ」
三月は、ハッとして自分の拳を見つめた。
かつて世界に一つしかなかった始源の迷宮で、三十五階層という深淵を単独で歩き抜いた彼女。その規格外の物理的暴力は、敵を『確実に消滅させる』ことにおいては右に出る者はいないが、『素材を綺麗に残す』という繊細な作業においては完全に不向きであった。
「ど、どうしよう拓也! お肉が粉々になったら、ステーキでお祝いできないよぉっ!」
三月が半泣きになる。
「落ち着いて。……だから、今回は『魂喰い(ソウル・イーター)』を使って、外傷を一切つけずに仕留めるんだ」
拓也の提案に、三月は首を横に振った。
「でも拓也、前にも言ったけど、『魂喰い』は相手の魂や肉体が弱ってないと発動できないんだよ? あんなにピンピンしてるタウロスの魂を吸い出そうとしても、弾かれちゃうよ」
「分かってる。だから、俺が囮になって、あいつを『自滅』させて弱らせるんだ」
拓也は、自身が羽織っている漆黒のコートの襟をトントンと叩いた。
「えっ……拓也が囮!? いくらコートがあるって言っても、あんな巨体が突進してくるんだよ!? 危険だよ!」
「平気だよ。この間もCランクのボアの突進を完全に無効化したじゃないか。この虚無蜘蛛のコートは、外部からの物理的・魔力的ダメージを完全に遮断する『絶対防衛』だ。……俺が正面からあいつの突進を受け止めれば、あいつは自分の突進のエネルギーをそのまま跳ね返されて、脳震盪を起こすはずだ」
拓也の冷静な戦術分析に、三月は少し迷ったような表情を見せたが、やがて真剣な顔で頷いた。
「……分かった。でも、少しでも危ないと思ったら、お肉なんか諦めて、私が一瞬で更地にするからね!」
「ああ、頼むよ」
拓也は、岩陰から静かに歩み出ると、草原のど真ん中でアーマー・タウロスの視界に入るように立ち塞がった。
「――こっちだ、図体ばかりの牛」
魔力を持たない十四歳の少年の声。
アーマー・タウロスは、自身の縄張りに侵入してきたひ弱な獲物を認め、赤い目を血走らせて激しい鼻息を噴き出した。
「ブルモォォォォォォッ!!」
大地を揺るがす咆哮と共に、数トンの巨体が猛烈なスピードで拓也へと突進してくる。
戦車すらスクラップにするであろう、Cランク魔獣の必殺のチャージ。
しかし、拓也は一歩も引かず、ただ静かに右眼の限定解析でタウロスの重心と軌道を読み切り、最も衝撃が反発する完璧な角度で立ち尽くした。
ドッゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!
タウロスの巨大な鋼鉄の角が、拓也に激突した。
だが、その瞬間。拓也の羽織る漆黒のコートが白銀の光を放ち、見えない魔力障壁が展開された。
「……モギュッ!?」
凄まじい衝撃音と共に吹き飛んだのは、拓也ではなかった。
タウロスは、自身の全力の突進エネルギーを寸分違わず跳ね返され、まるで硬いゴムの壁に激突したかのように、巨体を宙に浮かせて後方へと弾き飛ばされたのだ。
ズズゥゥンッ! と地響きを立てて地面に転がったタウロスは、自身の放った強烈な衝撃によって深刻な脳震盪を起こし、白目を剥いて痙攣を始めた。
外傷はないが、その肉体と魂は、完全に機能不全(弱体化)に陥っている。
「ねえさん、今だ!!」
拓也の鋭い指示が飛ぶ。
「任せて!!」
完全に無防備となり、弱り果てたタウロスの背後に、三月が音もなく舞い降りた。
彼女は、タウロスの巨体にそっと左手をかざし、深緑色の瞳を怪しく輝かせる。
「いただきますっ。――『魂喰い(ソウル・イーター)』」
シュガァァァァァァァァァッ……!!
三月の手のひらから放たれた漆黒の波動が、タウロスの肉体を一切傷つけることなく透過し、体内に宿る魔核のエネルギーと魂だけを一瞬にして吸い尽くした。
かつて三十五階層の深淵で、壊れかけた魂のまま強大な魂を喰らい、自身の魂が崩壊するまで戦い抜いた恐るべき能力。
それが今、完全に安定した状態で、肉を傷つけずに仕留める究極の「血抜き(暗殺術)」として機能したのである。
「モ……ォ……」
アーマー・タウロスは、外皮に傷一つ、血の一滴すら流すことなく、完全にその命を散らし、極上の肉塊へと姿を変えた。
「ふぅ……! 拓也、大成功だよ! お肉、ぜんぜん傷ついてない!」
三月が、倒れたタウロスの前でピースサインを掲げる。
「お疲れ様、ねえさん。見事な手際だったよ。……これで、最高のステーキが食べられるね」
拓也は、ペラペラのコートの裾を整えながら、深く安堵の息を吐いた。
絶対防衛のコートをカウンターの罠として使い、敵を自滅させて弱らせた後、魂を喰らう能力で綺麗に仕留める。
世界最高峰の戦術と能力の無駄遣いによって、彼らは無事に「究極の迷宮グルメ」を手に入れたのであった。
その日の夕食。
如月家のダイニングテーブルには、高級レストランも顔負けの、分厚いアーマー・タウロスのステーキが並んでいた。
表面は香ばしく焼き上げられ、ナイフを入れると美しいロゼ色の断面から肉汁が溢れ出す。
「さあ拓也、テストお疲れ様! いっぱい食べてね!」
「ありがとう、ねえさん。いただきます」
一口頬張ると、これまでに食べたことのないような濃厚な旨味と、とろけるような脂の甘みが口いっぱいに広がった。
「……すっごく美味しい! ねえさんの焼き加減も最高だよ」
「えへへ、本当!? よかったぁ!」
世界を崩壊の危機から救ったFランク少年と、世界最強のブラコン姉。
数々の修羅場と、絶望の中間テストを乗り越えた彼らを待っていたのは、自分たちの力で手に入れた極上の夕食と、温かい笑顔に包まれた日常の食卓だった。
最強姉弟の平穏な生活は、これからも賑やかに、そして美味しく続いていくのであった。
お読みいただきありがとうございます!
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




