第245話:迷宮融合の解析と、最強姉弟の週末お弁当デート
「……なるほど。そういうことか」
金曜日の深夜。
如月家の自室で、如月拓也は、探索者協会から借り受けた専用タブレットの画面を食い入るように見つめていた。
画面に表示されているのは、Dランク迷宮『木霊の廃坑』の3D構造マップと、過去数日間の魔力濃度の推移データである。
特異点での死闘で極星の大人たちを導いた彼の右眼――『深層言語・限定解析』。
バエル戦のように脳を焼き切るほどのフル稼働は必要ない。拓也は右眼の眼帯を少しだけずらし、ほんの数パーセントの出力で、データの海に隠された「魔力の脈動」を視覚化して読み解いていた。
「大吾さんたちが遭遇した、Bランク相当のジェネラル・ゴブリンと軍隊。あいつらが陣形を組んで待機していた第三セクターの奥に、本来存在しないはずの『空間の歪み』がある」
拓也は、マップの一点に指を置いた。
特異点が消滅した影響で、行き場を失った地球上の残留魔力が、既存の迷宮と結びついて新たな巨大ダンジョンを生み出そうとしている。それが『迷宮融合』だ。
もしこのまま放置すれば、Dランクの廃坑はAランク相当の凶悪なダンジョンへと変貌し、無数の魔獣が近隣の住宅街へと溢れ出す(スタンピード)危険性があった。
「融合の核となっているのは、この最深部に巣食っている『上位の魔獣』……ダンジョン・マスターだ。空間が完全に定着する前に、こいつをピンポイントで排除すれば、迷宮は元のDランクに戻る」
カチッ、とタブレットの電源を落とし、拓也は右眼の眼帯を元に戻して深く息を吐いた。
「拓也ー! 起きてるー?」
コンコン、と控えめなノックの音と共に、ドアの隙間から姉の如月三月がひょっこりと顔を出した。
淡いピンク色のパジャマ姿の彼女は、両手に可愛らしいウサギのぬいぐるみ(以前ゲームセンターで不正に乱獲したもの)を抱えている。
「ねえさん。起きてるよ、解析もたった今終わったところだ」
「ほんと!? お疲れ様、拓也! はい、温かいホットミルク淹れてきたよ!」
三月は満面の笑みで部屋に入り、机の上にマグカップを置いた。
「ありがとう。……明日のルートは完全に頭に入れたよ。最短距離で最深部まで行って、マスターを叩く。被害は最小限に抑えられそうだ」
「やったぁ! じゃあ、明日は予定通り『お弁当付きの迷宮デート』だね!」
三月は、ウサギのぬいぐるみをギュッと抱きしめながら、嬉しそうに飛び跳ねた。
「お弁当って……。一応、Aランク相当の未踏破エリアに行くんだから、ピクニック気分は危ないよ?」
「大丈夫だよ! だって、拓也にはお姉ちゃん特製の『絶対防衛のコート』があるし、私には拓也の『完璧なナビゲート』があるんだもん。世界中どこを探したって、私たちより安全な場所なんてないよ!」
屈託のない姉の笑顔を見て、拓也も自然と口元を緩ませた。
確かにその通りだ。
銀座で手に入れた、始源の迷宮の深層素材『虚無蜘蛛』のコート。そして、三十五階層という前人未到の深淵に至った姉の圧倒的な武力と、自身の戦術眼。
この二人が揃って、敗北する図など想像もつかなかった。
「……そうだね。じゃあ、明日は美味しいお弁当、期待してるよ」
「うんっ! 早起きして、拓也の大好きな唐揚げいっぱい作るからね!」
翌朝。土曜日の午前九時。
『木霊の廃坑』の入り口周辺は、探索者協会の手によって厳重な封鎖線が張られていた。
「内部の魔力異常による一時立ち入り禁止」という看板が立てられ、一般の探索者たちは誰もいない。
「――お待ちしておりました、指揮官殿、三月殿」
規制線の内側に停められた黒塗りの公用車から、監察局長のセバスチャンが姿を現した。
「ご苦労様です、局長。人払いは完璧ですね」
拓也は、無地のパーカーの上に漆黒のコートを羽織り、静かに頷いた。
「はい。現在、この迷宮内にはお二人以外、誰一人としておりません。……本当に、お二人だけでよろしいのですか? 相手は融合しかけのAランク迷宮です。もし万が一のことがあれば……」
「心配には及びませんよ」
拓也が答える前に、背中に巨大なピクニック用のリュック(お弁当やお菓子がぎっしり詰まっている)を背負った三月が、ニコニコと笑いながら前に出た。
「局長さん、ここで待っててね! お昼すぎには終わらせて帰ってくるから!」
「は、はあ……。どうか、ご武運を……」
セバスチャンが胃薬を取り出しながら見送る中、Fランクのバッジを付けた姉弟は、全く緊張感のない足取りで、薄暗い廃坑の中へと足を踏み入れた。
迷宮の内部は、数日前にポーターとして訪れた時とは、完全に別物へと変貌していた。
「……空間が歪んでる。ヒカリゴケの色も青から赤黒く変色してるし、壁の鉱石がまるで生き物の内臓みたいに脈打ってるな」
拓也は、周囲の異様な光景を冷静に観察しながら歩を進めた。
大気中には、一般の探索者であれば吸い込むだけで肺を焼かれるような、高濃度の有害な魔力が充満している。
しかし、拓也の身体には何の影響もなかった。
チィィィィン……。
拓也が羽織る漆黒のコートが、周囲の毒気を感知して自動的に白銀の微光を放ち、一切の魔力的干渉を完璧に浄化・弾き返していたのである。
防毒マスクも魔法の結界も必要としない、まさに『絶対防衛』の力だった。
「すごいね、このコート。本当に空気が美味しいまま歩けるよ」
「ふふん! だって私が、銀座のお店が揺れるくらい本気で魔力を注いで『チューニング』したんだもん! どんな環境でも拓也を完璧に守ってくれるよ!」
三月が自慢げに胸を張りながら、拓也の隣を歩く。
彼女自身も、これほどの毒気の中を普段着のワンピース姿で平然と歩いているのだから、もはや常識の枠に収まる生命体ではない。
「止まって、ねえさん」
第三セクターの手前。拓也がピタリと足を止め、小声で指示を出した。
「この先の通路、昨日リクさんが見つけたようなゴブリンの巡回部隊が三つ、交差するように歩いてる。戦ってもいいけど、血の匂いを出すと奥のマスターに警戒される」
「じゃあ、こっそり通り抜ける?」
「うん。俺がタイミングを数えるから、姉さんは俺の手を引いて、一息で駆け抜けて」
拓也は右眼の限定解析を起動させ、壁越しにゴブリン部隊の魔力の動き、歩調、視線の交差するタイミングを完璧に計算した。
「……三、二、一、今だ!」
「いくよ、拓也!」
三月が拓也の手を優しく、しかし絶対に離さない強さで握りしめた。
そして、床の石を蹴る音すら立てない絶超的な体術――始源の迷宮で培われた『完全な隠密歩法』で、一陣の風となって暗闇を駆け抜けた。
ゴブリンたちが「ん?」と振り返った時には、すでに二人の姿は通路の遥か彼方へと消え去っていた。
一切の戦闘を避け、文字通り最短距離で迷宮の奥深くへと侵入していく。
「見事だよ、ねえさん。この調子なら、すぐにお弁当にできそうだ」
「えへへ! 拓也の指示が完璧だから、迷路の正解を走ってるみたいで楽しいね!」
そして、侵入からわずか三十分後。
二人は、迷宮の最深部――異様に開けた、巨大な地下神殿のような『ボス部屋』へと辿り着いた。
「……あれが、今回の元凶か」
拓也が岩陰から身を潜めて覗き込むと、神殿の中央に、禍々しい玉座が鎮座していた。
そこに座っていたのは、ボロ布を纏い、手には人間の頭蓋骨で作られた杖を持つ、骸骨の魔術師だった。
空っぽの眼窩には青白い炎が宿り、周囲の空間から絶え間なく魔力を吸い上げて、この迷宮を自身の領地(Aランク)へと作り変えようとしている。
上位アンデッド、『幻影の死霊術師』。
「ねえさん、聞いて。あいつは強力な魔力障壁を常時展開している。しかも、物理攻撃をすり抜ける『幻影化』の能力持ちだ。普通に殴ってもダメージが通らないか、あるいは神殿ごと吹き飛ばすくらいの本気を出さなきゃいけなくなる」
拓也は、右眼でリッチの魔力構造を完全に解析し、三月の耳元で囁いた。
「神殿ごと吹き飛ばしたら、お弁当食べる場所がなくなっちゃうね。どうすればいいの?」
「姉さんの固有能力『魂喰い(ソウル・イーター)』で、あいつの魔力コアだけを吸い出す。……でも、『魂喰い』は相手が弱っていないと、魂の抵抗に遭って発動できないんだったよね?」
「うん。ピンピンしてる状態だと弾かれちゃうの」
先日のスーパーでのボア戦と同じだ。
周囲を更地にしないためには、衝撃波を出さずに敵を『ギリギリまで弱らせる』という極めて繊細な作業が必要になる。
「だから、俺が囮になる。あいつが俺に魔法を撃とうとして、魔力障壁に隙間ができた一瞬を狙って、姉さんが『急所』を圧迫して無力化するんだ。……急所は、あいつの首の裏側から三番目の骨の継ぎ目。そこを、絶対に打撃じゃなくて、指で『そっと押し込む』ように外して」
「分かった! 拓也が囮なんて心配だけど……コートがあるから大丈夫だよね!」
「ああ。信じてくれ」
作戦は決まった。
拓也は、一つ深呼吸をすると、岩陰から堂々と神殿の中央へと歩み出た。
「――おい、そこの骨。迷宮の改装工事中みたいだけど、不法占拠はそこまでだ」
拓也の挑発的な声に、玉座のファントム・リッチが青白い炎の目を向けた。
魔力を持たない、ひ弱な人間の子供。
リッチは嘲笑うかのように杖を掲げ、不可視の魔力の刃を無数に生み出し、拓也に向けて一斉に解き放った。
ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!
Aランク魔獣の放つ、致死の魔法連弾。
しかし、拓也は一歩も動かない。
チィィィィンッ!!!!
拓也の羽織る虚無蜘蛛のコートが、強烈な白銀の光を放った。
飛来したすべての魔法の刃は、コートの表面に展開された絶対防衛の障壁に触れた瞬間、パリンッとガラスのように砕け散り、完全に無効化されたのである。
「……オ、オォォ……!?」
リッチが、自身の魔法が全く通用しなかったことに驚愕し、杖を両手で構え直してさらなる大魔法の詠唱に入ろうとした。
(今だ!)
魔法を放つ瞬間、リッチの周囲を覆っていた常時展開のバリアが、ほんのわずかに薄らぐ。
そのコンマ一秒の隙を、世界最強の姉が見逃すはずがなかった。
「お待たせ!」
いつの間にか、リッチの真後ろの空間に、三月が音もなくフワリと舞い降りていた。
「ギ……ッ!?」
リッチが振り返ろうとするよりも早く。
三月の左右の指先が、拓也の指示した『首の裏側から三番目の骨の継ぎ目』に、そっと、極めて優しく差し込まれた。
コキッ。
それは、整体師がツボを押すような、ごくごく小さな音だった。
しかし、その一撃はファントム・リッチの魔力回路の根幹を正確に切断し、全身の骨格を繋ぐ魔力結合を完全にショートさせた。
「ガ、アァァァァッ……!?」
衝撃波も爆風も起きない。
ただ、リッチの身体は完全にコントロールを失い、ガラガラと音を立ててその場に崩れ落ちた。
完全に無力化され、抵抗する力を失って弱り果てた状態。
「よし! これでいただきまーす!」
三月は、崩れ落ちたリッチの頭蓋骨に左手をかざし、深緑色の瞳を怪しく輝かせた。
「――『魂喰い(ソウル・イーター)』」
シュガァァァァァァァァァッ……!!
三月の手のひらから放たれた漆黒の波動が、リッチのコアに宿る魂と、迷宮を融合させようとしていた莫大なエネルギーを、一瞬にして吸い尽くした。
ボロボロと砂のように崩れ去る骸骨。
迷宮の最深部に満ちていた有害なミアズマが晴れ、空間の歪みが急速に元に戻っていく。
「ふぅ……! 美味しい魔力だったよ、拓也! これで迷宮も元通りだね!」
三月が、パァッと明るい笑顔で振り返る。
「……完璧な連携だったよ。ありがとう、ねえさん。無事に山を更地にせずに済んだね」
拓也は、ペラペラのコートの襟を直し、完全に正常化したDランク迷宮の空気を深く吸い込んだ。
最強の絶対防衛で敵の魔法を引きつけ、最強の体術で無力化し、最強の能力で魂を刈り取る。
誰一人として血を流すことなく、誰にも知られることなく、東京郊外の脅威は静かに消え去った。
「よーし! それじゃあ、待ちに待ったお弁当の時間にしよっか! あっちの綺麗な岩の上がいいな!」
三月は、巨大なリュックを下ろし、楽しそうにレジャーシートを広げ始めた。
「うん。……なんだか、本当にピクニックに来たみたいだな」
世界を救った少年指揮官と、世界最強のブラコン姉。
最深部のボス部屋に敷かれたレジャーシートの上で、二人は唐揚げと卵焼きを頬張りながら、平和で穏やかな(そして少しだけ狂った)週末のデートを満喫するのであった。
お読みいただきありがとうございます!
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




