第243話:木霊の廃坑の異変、ただの荷物持ち(ポーター)の戦術指南
『木霊の廃坑』探索、二日目の午後。
ヒカリゴケの青白い光に照らされた坑道の中を、如月拓也は額に大粒の汗を浮かべながら歩いていた。
背中には、昨日よりもさらに重さを増した巨大なリュックサック。
魔力を持たない十四歳の中学生である拓也にとって、総重量三十キロを超える荷物を背負っての長時間の行軍は、まさに地獄のような疲労を伴う。
銀座で手に入れた『虚無蜘蛛』のコートは、外部からの物理的・魔力的ダメージを完全に遮断する絶対防衛の機能を誇るが、着用者の筋力を強化するようなパワーアシスト機能は一切備わっていない。
重いものは重いし、疲れるものは疲れるのだ。
「拓也、大丈夫? 顔が真っ赤だよ。やっぱりお姉ちゃんが半分持ってあげようか?」
隣を歩く姉の如月三月が、心配そうに拓也の顔を覗き込んでくる。
彼女の背中にも同じ重量の特大リュックが背負われているが、かつて始源の迷宮の三十五階層という深淵を単独で歩き抜いた彼女にとっては、綿毛を背負っているのと何ら変わりはない。
息一つ乱さず、汗一滴かいていない涼しい顔だった。
「だ、大丈夫だよ、ねえさん。……俺たちはポーターなんだから、これくらいの仕事は自力でやり遂げないと」
拓也が荒い息を吐きながら答えると、前方を歩いていたリーダーの大吾が振り返り、豪快に笑った。
「ガハハ! 無理すんなよ坊主。だが、初めての迷宮で文句一つ言わずにその荷物を背負い続ける根性は、大したもんだ。うちの若い衆にも見習わせたいくらいだぜ」
「ありがとうございます、大吾さん。……でも」
拓也は、リュックの肩紐を握り直しながら、坑道の奥へと鋭い視線を向けた。
「少し、おかしくないですか? さっきから魔獣の出現頻度が異常に下がっています。それに……奥から流れてくる風から、鉄と血の匂いが混ざったような、嫌な魔力の気配がします」
拓也の言葉に、大吾はピタリと足を止めた。
斥候のリクと、魔術師のミキも、不思議そうに拓也を振り返る。
「……坊主、魔力がないって言ってたよな? なんでそんな気配が分かるんだ?」
「えっと……カン、ですよ。ポーターとして色んな迷宮を回っているうちに、なんとなく肌で感じるようになったというか」
拓也は咄嗟に苦しい言い訳を口にした。
実際には、彼の右眼の奥底に眠る『深層言語・限定解析』の並列思考が、風の微かな温度変化、足音の反響、魔力粒子の漂い方などを総合的に計算し、はっきりとした「警告」を弾き出しているのだ。
大吾は少し眉をひそめたが、すぐに斥候のリクにアゴで合図を送った。
「リク、念のため少し前を見てこい。慎重にな」
「了解。すぐ戻る」
リクは短剣を抜き、音もなく暗闇の奥へと消えていった。
残された四人は、その場で待機することになった。
拓也はリュックを下ろし、壁にもたれかかって小さく息を吐く。
(……嫌な予感がする。Dランク迷宮の魔獣が、まるで統率された軍隊のように『待ち伏せ』をしているような……)
拓也の思考がそこに至った、その直後だった。
「大吾さんッ!! マズい、逃げろッ!!」
坑道の奥から、顔面を蒼白にさせたリクが、弾かれたように全速力で走ってきた。
彼の肩口の革鎧は鋭く切り裂かれ、血が滲んでいる。
「リク! どうした、何があった!?」
大吾が戦斧を構え、ミキも杖を突き出す。
「軍隊だ……っ! ホブゴブリンの群れが、鉄の鎧を着て、陣形を組んで待ち構えてやがった! ざっと三十匹以上いる! しかも、あいつらを率いてるリーダー格は……間違いなくBランク相当の『ジェネラル・ゴブリン(上位変異種)』だ!!」
「なんだと!?」
大吾の顔に、明確な絶望の色が浮かんだ。
Dランク迷宮の木霊の廃坑に、Bランク相当の変異種。しかも、三十匹以上の統率された軍隊。
Cランク戦士が一人とDランク二人のこのパーティでは、絶対に勝てない相手だ。完全なイレギュラー事態である。
ギチッ……、ギチッ……。
リクを追うようにして、暗闇の中から無数の赤い眼光が浮かび上がった。
粗末な革鎧ではなく、迷宮の鉱石で打たれた鉄の鎧と盾を構えた、屈強なホブゴブリンの軍勢。
そしてその中央には、身の丈二メートルを超え、巨大な戦槌を肩に担いだ醜悪な大鬼――ジェネラル・ゴブリンが、残忍な笑みを浮かべて立っていた。
「グルガァァァッ!!」
ジェネラルの咆哮と共に、ゴブリンの兵士たちが見事な陣形を保ったまま、一斉に襲いかかってきた。
「くそっ……! ミキ、炎の壁で時間を稼げ! リクはポーターの二人を連れて全力で後ろへ走れ! 俺が殿を務めるッ!」
大吾は、自らが死ぬことを覚悟の上で、パーティを逃がすために戦斧を構えて前へ出た。
「大吾さんッ! そんなことしたら、あんた死ぬぞ!」
リクが叫ぶ。
「いいから行けェッ!!」
大吾が戦斧を振り回し、先頭のホブゴブリン三匹を吹き飛ばす。
しかし、陣形を組んだゴブリンたちは全く怯むことなく、盾で大吾の攻撃を受け流し、鋭い槍で反撃を繰り出してくる。
「ファイア・ボルト!」
ミキが後方から魔法で援護するが、ジェネラル・ゴブリンはそれを巨大な戦槌でハエでも払うかのように弾き飛ばした。
「ガァッ!」
大吾の太ももを、ゴブリンの槍が深々と掠める。
体勢を崩した大吾に向かって、ジェネラル・ゴブリンが跳躍し、必殺の戦槌を振り下ろそうとした。
「大吾さんッ!!」
リクとミキが絶望の悲鳴を上げる。
(……駄目だ。このままじゃ、全員死ぬ)
その瞬間。
拓也は、背負っていた三十キロのリュックを躊躇なくその場に投げ捨てた。
そして、魔力を持たないただの中学生の身体で、大吾とジェネラルの間に、弾かれたように飛び出した。
「坊主ッ!? 何やってる、逃げろォッ!!」
大吾が血を吐きながら叫ぶ。
ジェネラルの戦槌が、容赦なく拓也の頭上へと振り下ろされた。
数トンの岩すら砕く、Bランク魔獣の全力の一撃。
しかし。
ドッゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!
凄まじい衝撃音が坑道に響き渡った直後。
吹き飛ばされたのは、拓也ではなかった。
「……ッ!?」
拓也の羽織る漆黒のコートが、瞬時に白銀の光を放った。
『虚無蜘蛛』の極薄糸で編まれた絶対防衛の障壁。
それがジェネラルの戦槌の運動エネルギーを完璧に吸収し、そのまま反発力として跳ね返したのだ。
ジェネラルは、自身の全力の一撃を硬いゴムの壁にぶつけたかのように両腕を大きく弾かれ、巨体を揺らして後退した。
「な、なんだと……!?」
大吾は、無傷で立っている拓也の背中を見て、息を呑んだ。
「大吾さん。右へ二歩下がって、大上段の構えを解いてください。次の攻撃が来ます」
拓也の声は、先ほどまでの「気弱なポーターの少年」のそれではなかった。
冷徹で、完璧な計算に裏打ちされた、戦場を支配する絶対的な『指揮官』の声。
特異点において人類最高峰のSランクたちを指揮し、数多の死線を潜り抜けてきた彼の声には、有無を言わせぬ説得力とカリスマが宿っていた。
「な……っ」
大吾は、その声の圧力に無意識に従い、右へ二歩下がった。
その直後、大吾が先ほどまでいた空間を、ゴブリン兵士の投げた三本の投槍が空を切って通り過ぎた。
「ミキさん! 魔法の狙いは敵ではありません! 時計の十時方向、天井にある脆い鍾乳石の根元へ向けて『ファイア・ボルト』を!」
「え、えっ!? はいッ!!」
ミキが、拓也の気迫に押されるままに魔法を放つ。
炎の矢が天井の鍾乳石の根元に直撃し、小さな爆発を起こした。
ガラガラガラッ!!
崩落した数トンの岩石が、密集して陣形を組んでいたゴブリン兵士たちの中央に直撃し、見事に部隊を分断し、十匹以上を一度に無力化した。
「リクさん! 左翼の崩れたゴブリンの足首だけを狙って機動力を削いでください! 倒す必要はありません!」
「お、おうッ!!」
リクが短剣を手に、影のように走り出す。
「坊主……お前、一体……」
大吾が、呆然と拓也を見上げる。
「俺の指示に従ってください。一分で、この陣形を崩します」
拓也は、右眼の眼帯の下で極限の並列思考を走らせ、敵の筋肉の動き、呼吸、視線の先を完全に読み切っていた。
しかし、陣形を崩されたことに激怒したジェネラル・ゴブリンが、再び戦槌を構え、今度は拓也ではなく、魔法を放ったミキへと標的を変えて突進を始めた。
(マズい……! ミキさんへのカバーが間に合わない!)
拓也が舌打ちをした、その時。
「もうっ! 私の可愛い拓也にハンマーなんて振り下ろして、許さないんだから!」
いつの間にか、ジェネラルの突進の軌道上に、淡いグリーンのワンピースを着た三月が立ち塞がっていた。
「ねえさん!! 駄目だ、衝撃波を出したら坑道が崩落する!!」
拓也が慌てて叫ぶ。
「分かってるよ! 周りを更地にしないように、すごぉぉーく優しく、ピンポイントでやるから!」
三月は、突進してくるジェネラルに向かって、そっと右手を差し出した。
ジェネラルが怒り狂って戦槌を振り下ろす。
しかし三月は、その戦槌の柄を『右手の人差し指と親指の二本』で、軽くつまむように受け止めた。
ピタッ。
「……グガ?」
ジェネラルは、自分の渾身の一撃が、か弱い人間の女性の指二本によって完全に停止させられた事実に、脳の処理が追いつかず間の抜けた声を漏らした。
「武器を人に向けちゃ、メッ、だよ!」
三月が、ニコッと笑いながら、指先にほんの少しだけ『物理的な力』を込める。
メキィィィィッ!!!!
ジェネラルの持っていた強固な鋼の戦槌が、三月の指先から伝わる圧倒的な圧縮筋力によって、まるで飴細工のようにひしゃげ、粉々に砕け散った。
さらにその余波はジェネラルの両腕へと伝わり、ドガァッ! という鈍い音と共に、その太い両腕の骨を内部から完全に粉砕したのである。
「ギ、ギィィィッギャァァァァァァッ!?」
両腕を使い物にならなくされ、激痛にのたうち回るジェネラル。
衝撃波も爆風も起こさない、極めて繊細で、極めて理不尽な局所的暴力。
「大吾さん! 今です!!」
拓也の鋭い声が響く。
「お、おおおおおっ!! オラァァァァッ!!」
大吾は、混乱しながらも戦斧を振りかぶり、無防備になったジェネラル・ゴブリンの首を力任せに刎ね飛ばした。
リーダーを失った残りのゴブリン兵士たちは、恐怖にパニックを起こし、蜘蛛の子を散らすように坑道の奥へと逃げ去っていった。
「……お、終わった……のか?」
大吾が戦斧を下ろし、血と汗に塗れた顔でへたり込む。
リクとミキも、腰を抜かしたようにその場に座り込んでいた。
絶体絶命の危機から、わずか数分。
彼らを救ったのは、自分たちが足手まといだと見下していた、Fランクの「荷物持ち(ポーター)」の姉弟だったのだ。
「あの、大吾さん。怪我の具合は大丈夫ですか?」
拓也が、いつもの大人しい中学生の顔に戻り、ポーションの瓶を持って駆け寄ってくる。
「お、おう……。かすり傷だ」
大吾は、ポーションを受け取りながら、拓也の眼帯と、その背後に立つ笑顔の三月を交互に見つめた。
「……坊主。いや、如月の兄ちゃん。お前ら、本当は何者なんだ?」
大吾の問いに、拓也は困ったように頬を掻いた。
「ただのFランクのポーターですよ。……ちょっとだけ、戦術の本を読むのが好きで。姉さんは、ほら、ジムに通ってるから力が強いだけで」
「……どんな本を読めばあんな指揮ができるんだ。それに、どんなジムに通えばBランク魔獣の骨を指二本で粉砕できるんだよ……」
リクが、遠い目をしながらツッコミを入れる。
「あはは……。とりあえず、この階層は危険みたいなので、今日のところは引き返しましょうか。荷物は俺たちが持ちますから」
拓也は、苦笑いしながら三十キロのリュックを背負い直した。
こうして、ただのポーターとして目立たずに終わるはずだったFランク姉弟の初めての合同探索クエストは、またしても彼らの規格外な実力を隠しきれないまま、幕を閉じることになったのであった。
しかし、大吾たちパーティの心には、この謎に満ちた最強の姉弟に対する、深い感謝と畏敬の念がしっかりと刻み込まれることになったのである。
お読みいただきありがとうございます
もし「面白かった!」「最強のポーター爆誕!」と思っていただけましたら、
ぜひページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の大きな励みになります。
次回も引き続き、如月姉弟の物語をお楽しみに!




