第242話:木霊の廃坑と歴戦の重戦士、最強ポーターの誕生
翌朝。
東京郊外の山中にあるDランク指定迷宮『木霊の廃坑』の入り口には、探索者のための仮設テントや小規模なプレハブ小屋が並んでいた。
「おう、来たな坊主。時間ぴったりだ」
入り口のゲート前で腕を組んで待っていたのは、昨日協会でポーターの面接をしてくれたCランクの重戦士、大吾だった。
彼の背後には、同じパーティ『鋼の斧』のメンバーである二人の探索者が控えている。
「おはようございます、大吾さん。本日はよろしくお願いします」
如月拓也は、無地のパーカーの上に『虚無蜘蛛』の絶対防衛コートを羽織り、丁寧にお辞儀をした。
その後ろでは、いつも通りの淡いグリーンのワンピースに身を包んだ姉の如月三月が、「よろしくお願いしまーす!」とニコニコ手を振っている。
「……おいおい大吾さん、マジかよ。こんなヒョロい中学生と、ピクニック気分のお姉さんがポーターなのか?」
そう言って呆れたようにため息をついたのは、身軽な革鎧を着た斥候の青年、リクだった。彼の胸にはDランクのバッジが光っている。
「リクの言う通りですよ。いくら募集かけても人が来なかったからって、この二人は迷宮を舐めすぎです。戦うのは私たちなんですよ?」
長い杖を持った魔術師の女性、ミキも不満げに眉をひそめた。彼女もまたDランクだ。
「まあ待て、お前ら。この坊主は昨日、俺の『突き』を正面から受けてビクともしなかったんだ。見た目以上に芯が太い。……それに、いざとなったら俺が守ってやるさ」
大吾が、ガハハと豪快に笑いながら二人の背中を叩く。
「大吾さんがそこまで言うなら……。俺はリク。先行して罠を解除するスカウトだ。よろしくな」
「私は後衛の魔術師のミキ。あなたたち、絶対に私たちの前に出ないでよね。足手まといになったら置いていくから」
「はい。俺たちは荷物持ち(ポーター)ですから、お三方の指示には絶対に従います」
拓也は、二人の忠告を素直に受け入れた。
(……Dランクのスカウトに、Dランクの魔術師。そしてCランクの重戦士がリーダー。バランスは悪くないけど、全体の火力が少し不安だな……)
拓也は、自然と『指揮官』としての目でパーティの戦力分析を終えていたが、もちろんそれを口に出すような野暮な真似はしない。
今日、自分はあくまで『ただのFランクの荷物持ち』なのだ。
「よし、挨拶も済んだことだし、さっそく荷物を持ってもらうぜ。今回の探索は二泊三日の予定だ。食料とポーション、予備の武器、それに帰りの魔石を入れるための特大リュックだ。重量は一人三十キロってところだな」
大吾が指差した先には、人間が一人入りそうなほど巨大なリュックサックが二つ置かれていた。
「三十キロ……」
拓也は少しだけ顔を引き攣らせた。
彼が羽織っている虚無蜘蛛のコートは『絶対防衛』の機能こそあるが、着用者の筋力を上げるようなパワーアシスト機能はない。
魔力を持たない十四歳の少年にとって、三十キロの行軍はまさに地獄の特訓である。
「うっ……! お、重い……」
拓也は、歯を食いしばりながらリュックを背負い、膝を震わせながらもなんとか立ち上がった。
「おっ、根性あるじゃねえか。だが無理すんなよ、キツかったらすぐに言え。俺が半分持ってやるからな」
大吾が感心したように頷く。
「いえ、大丈夫です。……ねえさんも、無理しないでね。重かったら俺が少し……」
拓也が隣を振り返ると。
「えっ? 全然重くないよ? むしろ中身空っぽみたい!」
三月は、三十キロの巨大リュックを『右手の人差し指一本』で軽々と引っ掛け、クルクルと振り回して遊んでいた。
「なっ……!?」
大吾、リク、ミキの三人が、目玉が飛び出んばかりに驚愕して絶句する。
「お、おいネエチャン……それ、三十キロあるんだぞ!? なんで指一本で振り回せるんだ!?」
リクが震える声で突っ込む。
「えへへ、私、ジムに通ってるから! 腕力にはちょっと自信があるんです!」
三月が、極上の笑顔でとんでもない嘘をつく。
かつて始源の迷宮の三十五階層まで至り、何万トンもの巨岩を素手で粉砕してきた彼女の筋力にとって、三十キロのリュックなど、文字通りティッシュペーパーを持っているのと変わらないのだ。
「……ねえさん。目立たないようにって言ったよね」
拓也が小声で注意する。
「あっ、ごめんごめん! よいしょっと」
三月は慌ててリュックを両肩に背負い直し、「ふぅ〜、重いなぁ〜」と棒読みで演技を始めた。
「……大吾さん。あのネエチャン、実はゴリラの化身か何かですか?」
「俺に聞くな。……まあいい、とにかく出発するぞ! 気を引き締めろ!」
こうして、大吾の力強い号令と共に、五人は薄暗い『木霊の廃坑』へと足を踏み入れた。
廃坑の内部は、むき出しの岩肌にヒカリゴケが群生しており、不気味な青白い光に照らされていた。
リクが先頭を歩き、大吾が中央で警戒、ミキが後方から魔法の光源を展開し、その最後尾を拓也と三月が歩くというフォーメーションだ。
「……前方から足音。魔獣だ、数は三!」
リクが短剣を構え、声を潜める。
暗闇の奥から姿を現したのは、体長一メートルほどの巨大なカマキリの魔獣『ケイブマンティス』だった。
両腕の鋭いカマは、鉄の鎧すら切り裂くと言われているDランク魔獣の定番である。
「よし、俺が前に出る! ミキ、援護しろ!」
大吾が背中の戦斧を引き抜き、地響きを立てながら突進していく。
「ファイア・ボルト!」
ミキが杖を振りかざし、炎の矢を放つ。
(……詠唱から発動まで二・五秒。遅い。魔力収束の無駄が多いな。それに、大吾さんの斧の振りは威力が高いけど、振り抜いた後の硬直が〇・八秒もある。あれじゃあ、敏捷な敵にカウンターをもらう)
最後尾から戦況を観察していた拓也の右眼の奥で、戦術計算のロジックが自動的に組み上がっていく。
特異点で、レオンや神宮寺といった人類最高峰のSランクたちの、コンマ一秒の無駄もない完璧な動きを見続けてきた拓也にとって、彼らの動きはあまりにも隙だらけで、スローモーションのように見えてしまった。
「シッ!」
リクが死角から短剣でマンティスの脚を斬りつける。
しかし、踏み込みが浅く、マンティスはすぐに体勢を立て直して反撃のカマを振り下ろした。
「あぶない!」
ミキが悲鳴を上げる。
(右斜め前方に回避して、大吾さんの盾の陰に入ればノーダメージだ。リクさん、右へ――)
拓也は、思わず指揮官としての声を出しかけたが、ギリギリのところで唇を噛んで飲み込んだ。
自分はポーターだ。部外者が勝手な指示を出せば、パーティの連携を乱すことになってしまう。
ガキンッ!!
間一髪、大吾が戦斧の柄でマンティスのカマを受け止め、リクは事なきを得た。
その後、数分の乱戦の末、なんとか三匹のケイブマンティスを討伐することに成功した。
「はぁ……はぁ……。どうだ坊主、これが本物の探索者の戦い方だ」
大吾が、肩で息をしながら、得意げに親指を立てる。
「はい。見事な連携でした。さすがです、大吾さん」
拓也は、三十キロのリュックの重さに耐えながら、愛想笑いで頷いた。
しかし、拓也の隣にいた三月は、拓也の耳元に顔を寄せて、ヒソヒソと囁いた。
「ねえ拓也……。あの人たち、なんであんなにモタモタ戦ってるの? 私が前に出れば、一秒で三匹とも『更地』にできるのに」
「シッ。ねえさん、声が大きい。……これが『普通』なんだよ。俺たちの感覚が麻痺してるだけだから、絶対に手を出さないでね」
拓也が必死に姉をなだめていると、大吾がこちらを振り返った。
「よし、ポーターの出番だ。あいつらの胸の中にある『魔石』を解体して取り出してくれ」
「わかりました」
拓也は、リュックを下ろし、腰のナイフを抜いてマンティスの死骸へと近づいた。
甲殻の隙間にナイフを差し込み、慎重に魔石を傷つけないように抉り出していく。
魔力を持たない拓也の体力では、固い甲殻をこじ開けるだけでも一苦労だ。
「よし、俺がもう一匹やるから、ねえさんも……って」
拓也が隣を見ると。
「はいっ! 取れたよ!」
三月は、ナイフも使わず、マンティスの硬い胸部装甲を『素手の指先だけで』ベリッと引き裂き、中から無傷の魔石をポンッと取り出していた。
まるで、カニの殻でも剥くかのような手軽さである。
「…………」
リクとミキが、再び白目を剥いて絶句している。
「あ、あのネエチャン……やっぱりゴリラの……」
「リク、聞こえるわよ。あの人に逆らったら、私たち確実に殺されるわ……」
「ね、ねえさん! だから目立たないようにって……!」
「だって、ナイフ使うより手でむしった方が早いし……」
三月がシュンと肩を落とすのを見て、拓也は再び深い溜め息を吐いた。
(……この三日間、俺の胃は無事に持つんだろうか)
圧倒的な武力と非常識なステータスを持つ姉を隠しながら、普通のポーターとして振る舞うという苦行。
だが、そんな拓也の戦術的直感は、この時すでに、迷宮内の『ある違和感』を正確に捉え始めていた。
(おかしい……。Dランク迷宮の入り口付近にしては、魔獣の動きが統率されすぎている。それに、奥から流れてくるこの魔力の風……)
拓也は、右眼を覆う前髪越しに、廃坑のさらに奥深くへと視線を向けた。
平和なポーター任務で終わるはずだったこの依頼は、静かに、そして確実に『異常事態』へと足を踏み入れようとしていたのである。
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次回、木霊の廃坑の奥で待ち受ける異常事態とは……? ご期待ください!




