第239話:ネットの噂と東京湾の幽霊船、Fランク姉弟の秘密の放課後
週末のCランク迷宮『轟音の洞窟』における、新米探索者の救出劇。
Fランクバッジを付けた謎の男女が、Aランク相当の変異種を迷宮の岩壁ごとワンパンで消し飛ばしたという事実は、救出された大樹やその先輩探索者たちの口から、瞬く間に探索者専用のネット掲示板へと書き込まれていた。
そして月曜日の朝。
東京の閑静な住宅街にある中学校の、二年B組の教室にて。
「おい如月! これ見ろよ、すげえニュースになってるぜ!」
休み時間になるなり、クラスメイトの健太が興奮した様子でスマホの画面を見せつけてきた。
「ん? なにこれ……探索者のネット掲示板?」
如月拓也が嫌な予感と共に画面を覗き込むと、そこには【速報】という文字と共に、驚くべきスレッドが立ち上がっていた。
『【激震】Cランク迷宮の変異種、謎のFランクコンビにワンパンで消し飛ばされる』
『証言者多数。男は眼帯をした黒コートの少年、女は絶世の美女』
『壁ごと一直線に更地になってた。あれ絶対Sランクの隠密部隊だろ』
(……うわぁ。完全に俺たちのことだ。ネットの特定班、仕事早すぎないか?)
拓也は、表面上は平静を装いながらも、机の下で胃のあたりをギュッと押さえた。
特異点を破壊した『極星』の少年指揮官としての情報は、一般には完全に秘匿されている。
しかし、こうして「目立つ風貌のFランク」として噂が広まれば、いずれ身元がバレて、やっと取り戻した平穏な中学生ライフが崩壊するのは時間の問題だった。
「眼帯の少年に、超絶美人のネエチャンだってよ! なあ如月、お前も最近眼帯してるし、この間校門にいたお前の姉ちゃんも超美人だったよな! まさか、この噂のFランクコンビって……!」
健太が、名探偵のような鋭い目を向けてくる。
「……ははは。まさか。俺がそんな強いわけないじゃん」
拓也は、引き攣った笑いを浮かべながら全力で否定した。
「そもそも、中学生で眼帯してる奴なんて、アニメの影響とかでいくらでもいるだろ? 俺はただの結膜炎だし。それに、俺の姉さんは確かに美人だけど、あんな変異種をワンパンで倒せるようなゴリラじゃないよ」
「ゴリラって……まあ、そりゃそうだよな! お前みたいなヒョロガリが探索者なわけないか!」
健太はあっさりと納得し、スマホをポケットにしまった。
拓也はホッと胸を撫で下ろしながら、心の中で(姉さんをゴリラ呼ばわりしたのバレたら、俺、東京湾に沈められるかも……)と冷や汗を流していた。
そして、放課後。
「――というわけで、非常に心苦しいのですが、再びお二人の力を借りたいのです」
拓也が学校から直行したのは、東京湾に面したお台場の人気のない埠頭だった。
潮風が吹き抜ける岸壁には、すでに日本の探索者協会の監察局長であるセバスチャンが、黒塗りの公用車と共に待機していた。
拓也の隣には、どこからともなく合流した姉の如月三月が、相変わらずの淡いグリーンのワンピース姿でニコニコと立っている。
拓也の肩には、銀座のダンジョンショップで手に入れた『虚無蜘蛛』の絶対防衛コートがしっかりと羽織られていた。
「また緊急事態ですか、セバスチャン局長。……俺たち、書類上はFランクなんですけど」
拓也がため息混じりに尋ねる。
「百も承知しております。しかし、現在東京の防衛を担うべき高ランク探索者たちは、昨日のスタンピード処理の事後対応で全員地方へ出払っておりまして……」
セバスチャンは、胃薬を噛み砕きながら、海の方角を指差した。
「あれを見てください。東京湾の沖合五キロの地点です」
拓也と三月が目を凝らすと、夕暮れの海上に、異様な『黒い霧』の塊が漂っているのが見えた。
その霧の中心には、ボロボロの帆を張った巨大な木造の帆船……まるで映画に出てくるような『幽霊船』のシルエットが浮かび上がっている。
「『徘徊型迷宮・亡霊の船』です。……特異点が消滅した影響で、海上の魔力溜まりが実体化したBランク相当の移動式ダンジョン。あの船、まっすぐこのお台場の人工島に向かって進んできています」
「なるほど。あれがこのまま上陸したら、観光客や一般市民に甚大な被害が出るってわけですね」
拓也は、事態の深刻さを瞬時に理解した。
「その通りです。……ご存知の通り、魔力で構成された迷宮や魔獣に対して、自衛隊のミサイルや戦車の砲弾といった『一般の物理兵器』は一切通用しません。ただすり抜けるか、表面の魔力障壁で完全に無効化されてしまいます」
セバスチャンが、苦渋の表情で説明を続ける。
「本来であれば、協会所属のAランク魔術師数十名による一斉魔力砲撃か、莫大な魔力結晶を消費する『巨大魔導砲』を使用して迎撃するのですが……現在はそのどちらも手配が間に合いません。……どうか、秘密裏にあの船を処理していただけないでしょうか」
セバスチャンの懇願に、拓也は少しだけ考え込んだ。
沖合五キロ。
陸地からは遠く、直接乗り込むには船かヘリが必要だ。しかし、用意している時間はないかもしれない。
「ねえさん。あそこまで、何か届く攻撃手段はある?」
拓也が隣の姉を見上げる。
「うーん……そうだね。海の上だから、あんまり派手にやると津波が起きて東京が水浸しになっちゃうし……」
かつて始源の迷宮の深淵に到達し、『魂喰い』の力で世界最強へと至った彼女にとって、沖合五キロの標的など、文字通り「目と鼻の先」でしかない。
問題は、どうやって『周囲に被害を出さずに(手加減して)』処理するかであった。
「あっ、そうだ! いいもの見つけた!」
三月は、足元の岸壁に転がっていた、手のひらサイズの丸い小石を拾い上げた。
「拓也、子供の頃によく川でやった『水切り』って覚えてる?」
「え? うん、石を水面に跳ねさせる遊びだよね。……でもねえさん、相手は魔力で構成された迷宮だよ。一般兵器が効かないのに、ただの石をぶつけたってダメージは通らないよ」
拓也が真っ当なツッコミを入れると、三月は自信満々に胸を張った。
「大丈夫! このただの石の表面に、私の『魔力』を極限まで高密度に圧縮してコーティングすれば、立派な超特級の魔導兵器に早変わりだよ! ちょっと見ててね!」
三月は、小石を右手に握り込み、自身の深淵のような魔力をほんの一瞬だけ石に注ぎ込んだ。
それだけで、ただの石ころが眩い白銀の光を放ち始め、周囲の空間がミシッ、と歪むほどのエネルギーを帯びる。
そして三月は、野球のピッチャーのように大きく振りかぶった。
「えーいっ!」
ピュンッ!!
三月の手から放たれた『魔力コーティングされた小石』は、音速の壁を軽々と突破し、衝撃波を発生させながら海面へと激突した。
ドパァァァァァァァァァァンッ!!!!
小石が海面にバウンドした瞬間、まるで巨大な隕石が落下したかのような水柱が天高く噴き上がった。
しかし、小石の勢いは全く衰えない。
海面を跳ねるたびに、周囲の海水を真っ二つに割り、モーセの十戒のように海に『道』を作りながら、一直線に幽霊船へと突き進んでいく。
ズドォォォォォン!! ズドォォォォォン!! ズドォォォォォン!!
「な、なんだあれ……っ!?」
セバスチャンが、目玉が飛び出んばかりに驚愕して叫ぶ。
「……水切り、っていうか、戦略級の対艦魔導兵器……」
拓也も、引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。
そして、七回目の強烈なバウンドを経た小石は、ついに沖合五キロに浮かぶ『亡霊の船』のど真ん中へと直撃した。
ドッゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
船の船体はおろか、周囲の黒い霧、そして迷宮の核までもが、一瞬にして『物理と魔力の暴力』によって蒸発した。
数千トンの質量を持つはずの幽霊船は、たった一個の小石によって木っ端微塵に粉砕され、海の藻屑と消えたのである。
ザザァァァァァァァァァァッ……!!
遅れてやってきた凄まじい爆風と、小石が巻き起こした大波が、岸壁にいる拓也たちに襲いかかる。
しかし、拓也の羽織る『虚無蜘蛛のコート』が瞬時に白銀の光を放ち、すべての衝撃と水しぶきを完璧に弾き返した。
「ふぅ! どう拓也? 綺麗に七回跳ねたよ!」
三月が、一滴の汗もかかずに、自慢げに胸を張る。
「うん。……見事な水切りだったよ、ねえさん。船ごと更地になったけどね」
拓也は、ペラペラのコートのおかげで無傷のまま、遠くの海上に浮かぶ残骸を見つめて遠い目をした。
「……お、恐るべし、如月デュオ……。これで、東京の平和は守られました。報酬は、後日口座の方へ振り込ませていただきます……」
セバスチャンは、腰を抜かしたまま、ガタガタと震える手でハンカチを取り出し、額の汗を拭った。
「ありがとうございます、局長さん。……それじゃあねえさん、帰ろうか。今日こそ、特売の卵を買いに行かないと」
「うんっ! 今夜はオムライスにしようね!」
世界を救った少年指揮官と、世界最強のブラコン姉。
書類上はFランクの彼らにとって、一般兵器が一切通用しないBランクの幽霊船など、放課後の水切り遊びの的に過ぎなかった。
ネットの掲示板では、今夜もまた『東京湾に光の矢が降り注ぎ、幽霊船を消滅させた』という新たな都市伝説が書き込まれ、探索者たちの間で大騒ぎになることだろう。
魔力を持たない拓也の胃痛と、最強姉弟の秘密の放課後は、これからも騒がしく続いていくのであった。
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次回も引き続き、如月姉弟のドタバタな日常をお楽しみに!




