第237話:初めての『正常な』クエスト報告と、Cランク迷宮からのSOS
「はぁ……っ、はぁ……っ。……よ、よし。これで十個目だ」
東京郊外のFランク残滓迷宮『若葉の迷宮』。
その森の奥深くで、如月拓也は、額の汗を拭いながら、地面に転がった青く透き通る『スライムの魔核』を拾い上げた。
「拓也、お疲れ様!! すっごくカッコよかったよ! ほら、冷たいお水と、スポーツドリンクと、塩分補給のタブレットと、お姉ちゃん特製の手作りクッキー!」
背後から、淡いグリーンのワンピース姿の姉、如月三月が、過保護すぎるほどの差し入れを両手に抱えて駆け寄ってくる。
「ありがとう、ねえさん……。でも、一匹倒すたびにフルコースの休憩を挟んでたら、日が暮れちゃうよ」
拓也は、受け取ったスポーツドリンクを一気に飲み干し、深く息を吐き出した。
彼が羽織っているのは、昨日銀座で手に入れたばかりの、始源の迷宮の深層素材『虚無蜘蛛』で編まれた絶対防衛のコートだ。
このコートのおかげで、スライムの体当たりや酸の攻撃は一切通さず、無傷で戦うことができた。
しかし、拓也自身は魔力を一切持たない、身体能力もごく普通の十四歳の中学生である。
いくら防御力が無限大でも、動き回るスライムを追いかけ、コンバットナイフで正確に核を突くという作業は、彼にとってかなりの重労働だった。
(でも……不思議と、嫌な疲れじゃないな)
拓也は、リュックの中に十個の魔核をしまいながら、小さく微笑んだ。
かつて、南米のジャングルや成層圏の『天空の冥城』で指揮を執っていた時は、右眼の『深層言語・限定解析』を極限まで酷使し、脳の血管が焼き切れるような激痛と、仲間を失うかもしれないという絶望的なプレッシャーの中で戦っていた。
それに比べれば、ナイフを握って走り回り、息を切らしながらスライムの素材を集めるというこの泥臭い作業は、実に『健全な疲労』だった。
「よし。依頼達成だ。協会本部に報告しに行こう」
「うんっ! 初めてのクエストクリア、おめでとう拓也! 今夜はお祝いに、最高級のすき焼きにするね!」
こうして、Fランク(書類上)姉弟による初のクエストは、二時間半という長い時間をかけて、無事に幕を閉じたのであった。
――一時間後。東京・霞が関、探索者協会本部。
「ひぃっ……!」
協会本部の自動ドアが開き、拓也と三月がロビーに姿を現した瞬間。
受付カウンターに座っていた受付嬢の佐藤結衣は、ビクゥッと肩を震わせ、手元の緊急通報ボタン(対・災害級魔獣用)に手を伸ばしかけた。
「こんにちは、結衣さん。依頼、完了しました」
拓也が、疲れた笑顔でカウンターへと歩み寄る。
「た、拓也さま……三月さま……。お、お帰りなさいませ。あの……今回は、その……」
結衣は、恐る恐る二人の背後を確認した。
巨大なドラゴンの首を引きずっていないか。あるいは、未知の魔王の核などを持ち帰ってきていないか。
「はい、これ。Fランク依頼の『ブルースライムの魔核・十個』です。確認をお願いします」
拓也が、リュックから青い魔核をカウンターの上に並べる。
それを見た結衣の瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あ、ああ……っ! す、スライムの魔核……っ! 本物の、スライムの魔核ですぅぅっ!!」
「えっ、ちょ、結衣さん? なんで泣いてるんですか!?」
結衣は、ハンカチで涙を拭いながら、感動に打ち震えていた。
これまでこの規格外の姉弟に関わるたびに、Aランク迷宮が数分で更地になったり、Sランク探索者が全滅したり、協会本部が殺気で崩壊しかけたりと、寿命が縮む思いばかりをしてきたのだ。
それが今、規定通りの『Fランク依頼』を、規定通りの『報酬』として持ち帰ってきてくれた。
そのあまりにも正常な、探索者としての当たり前の姿に、結衣は心からの安堵を覚えたのである。
「す、素晴らしいです拓也さま……っ。これぞまさに探索者の鑑……。すぐに報酬の五千円と、貢献度ポイントを付与いたし――」
結衣が端末を操作し、笑顔で処理を終えようとした、その時だった。
『緊急報告!! 観測ドローンより、郊外のFランク指定『若葉の迷宮』にて異常事態発生!!』
結衣のインカムから、本部のオペレーターの切羽詰まった声が響き渡った。
『迷宮の第4セクターにおいて、何らかの【極大物理衝撃】が発生した模様! 半径三百メートルにわたって木々がなぎ倒され、岩壁が円形にえぐり取られて、巨大なクレーターが形成されています! 未知の特級魔獣が出現した可能性があります!』
「…………」
ロビーに、気まずい沈黙が流れた。
結衣は、ゆっくりと、ギギギ……と錆びた機械のように首を回し、目の前の姉弟を見た。
拓也は、スッと目を逸らし、天井の模様を数え始めた。
三月は「あはは〜」と可愛らしく笑いながら、後頭部をかいている。
「あの……。三月、さま……?」
結衣が、震える声で尋ねる。
「う、うん! ちょっとね、最初の一匹目のスライムを倒す時に、指先が滑っちゃって、デコピンの力が入りすぎちゃったみたいで……」
「デコピンでクレーターができたんですかぁぁぁっ!?」
結衣の悲痛な叫び声が、ロビーに響き渡った。
結局のところ、この二人が動く以上、何らかの『災害』は免れない運命にあるらしい。
「す、すみません結衣さん……。一応、あれでも姉さん、極限まで手加減した結果なんです……」
拓也が胃のあたりを押さえながら謝罪していると。
バンッ!!!!
突然、協会本部の入り口の扉が、乱暴に蹴り開けられた。
「た、頼むっ!! 誰か、手の空いている高ランク探索者はいないかッ!!」
ロビーに駆け込んできたのは、ボロボロの防具を身に纏い、全身に擦り傷や打撲を負った三人の探索者だった。
彼らの胸には、『Cランク』のバッジが光っている。
「どうされました!? 怪我の治療なら、すぐに応急処置班を――」
結衣が慌てて立ち上がるが、先頭の男は首を横に振った。
「俺たちの怪我はどうでもいい! ……頼む、仲間が、まだ迷宮に取り残されてるんだ!!」
男の悲痛な叫びに、ロビーの空気が一気に張り詰めた。
「落ち着いてください。場所はどこですか? 状況は?」
騒ぎを聞きつけ、奥のオフィスから監察局長のセバスチャンが姿を現した。
「場所は、ここから車で三十分ほどの『轟音の洞窟』です。本来はCランクの安定した迷宮のはずでした。……ですが、中層に差し掛かった時、あり得ないものが出現したんです」
男は、恐怖に顔を歪めながら言葉を絞り出した。
「『変異種』です。……体長八メートルを超える、四つの腕を持った『暴虐のトロール』。Cランク迷宮に出現するはずのない、Bランク……いや、Aランク相当の化け物でした。俺たちの魔法も剣も、奴の硬い皮膚には傷一つ付けられなかった」
迷宮探索において、最も恐ろしい事態の一つ。
それが、迷宮の魔力濃度が局所的に高まることで発生する、生息域を無視した強力な『変異種』の出現である。
「俺たちは全滅を覚悟しました。……ですが、パーティに加入したばかりの、まだ十代の新人が……俺たちを逃がすために、自ら囮になって洞窟の奥深くへと走ったんです!」
男は、床に膝をつき、拳から血が滲むほど強く握りしめた。
「俺たちじゃ、助けに行っても返り討ちにされるだけだ! 頼む、Aランク以上の……あの化け物を倒せる実力者を派遣してくれ!! 早くしないと、あいつが殺されちまう!!」
悲痛な懇願。
しかし、セバスチャンの顔色は暗かった。
「……申し訳ありません。現在、特異点消滅の余波による各地の残滓迷宮の対応で、日本支部に所属するAランク以上の探索者は、全員が地方へ出払っております。到着まで、最短でも数時間はかかってしまう……」
「そんな……っ。それじゃあ、あいつは……」
Cランクの男たちが、絶望に打ちひしがれ、その場に崩れ落ちそうになった。
その時だった。
「……ねえさん」
拓也が、静かに口を開いた。
「どうする、拓也?」
三月が、弟の顔を見つめて、コテッと首を傾げる。
「俺は、指揮官だからね。……目の前で味方(探索者)がピンチになってるのに、見捨てるような戦術は選べないよ」
拓也は、結衣から受け取ったばかりの『Fランクの報酬』である五千円札をポケットに突っ込むと、Cランクの男たちの前へと歩み出た。
「顔を上げてください。……数時間も待つ必要はありません」
拓也の言葉に、男たちがハッと顔を上げる。
そこには、自分たちよりも一回りも小さな、無地のパーカーの上に漆黒のコートを羽織った少年の姿があった。
胸元には、最底辺を示す『Fランク』のバッジ。
「な、なんだお前は……。Fランクのガキが、同情でしゃしゃり出てくるんじゃねえ! 相手はAランク相当の化け物なんだぞ!」
男が苛立ち交じりに怒鳴る。
だが、拓也は一切動じることなく、ただ真っ直ぐに男を見据えた。
「俺は戦いませんよ。……戦うのは、世界最強の『手札』です」
拓也が背後を振り返ると、三月が嬉しそうに前に進み出てきた。
「あはっ! 拓也からGOサインが出た! ってことは、今度は手加減しないで、思いっきりぶっ飛ばしていいってことだね!」
三月は、自身の両手でバキボキと指の関節を鳴らした。
スライム相手の繊細な作業で鬱憤が溜まっていた彼女にとって、強大な魔獣を相手に気兼ねなく暴れられるというのは、最高のストレス発散の機会であった。
「な……っ、なんだあの女……。Fランクのバッジを付けてるのに、背筋が凍るようなプレッシャーが……」
Cランクの男たちが、三月の放つかすかな闘気に当てられ、息を呑む。
「セバスチャン局長。……至急、あの迷宮までのヘリを出してください」
拓也が、振り返らずに指示を飛ばす。
その声は、かつて極星のSランクたちを震え上がらせた、冷徹にして完璧な『少年指揮官』のそれであった。
「はっ! ただちに手配いたします!!」
セバスチャンが、軍人のような敬礼で応える。
「よし、行こうか、ねえさん。……人を助けるついでに、思う存分、迷宮を更地にしていいからさ」
「やったぁ!! 拓也、大好き!!」
魔力を持たない少年指揮官と、かつて三十五階層の深淵に到達した最強のブラコン姉。
二人のFランクによる、初めての『救出任務』が、今始まろうとしていた。
が楽しみ!」と思っていただけましたら、
ぜひページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の大きな励みになります。
次回、Cランク迷宮での無双劇をお楽しみに!




