第235話:銀座ダンジョンショップの攻防、Fランク姉弟と最強のオーダーメイド
週末の東京・銀座。
かつては高級ブランド店や歴史ある百貨店が立ち並ぶ、日本有数のセレブ街として知られたこの場所は、迷宮が世界中に出現して以降、少しだけその姿を変えていた。
メインストリートのショーウィンドウには、最新のハイブランドのドレスやバッグと並んで、美しく装飾された『防魔素材のコート』や『魔力駆動型のアクセサリー』が飾られている。
一流の探索者たちが、自らの命を預ける最高級の武具を求めて集う、日本最高峰の探索者用装備のメッカ。
それが現在の銀座のもう一つの顔であった。
「わぁっ! 拓也、見て見て! あのマネキンが着てるコート、すっごくオシャレだよ!」
春のうららかな陽気の中、淡いグリーンのワンピースに身を包んだ如月三月は、弟の腕にギュッと抱き着きながら、はしゃいだ声を上げていた。
「ねえさん、歩きにくいから……。それに、あのコートの値段、ゼロが多すぎて数えられないんだけど」
如月拓也は、周囲の歩行者から向けられる「超絶美人と、それに腕を引かれる冴えない中学生」という奇異の視線に耐えながら、深い溜め息を吐いた。
特異点の消滅後、初めて訪れた完全なオフの休日。
今日は、過保護すぎる姉の強い要望により、拓也の『新しい探索者用装備』を新調するためのショッピングデートに連れ出されていたのだ。
「いいのいいの! お姉ちゃん、昔一人で迷宮を更地にしまくってた時の貯金が、一生遊んで暮らせるくらい余ってるんだから! 拓也のためなら、ビルごと買ってもお釣りが来るよ!」
「頼むからビルは買わないでね。……俺は後方で指揮を出すだけだから、そんな高価な装備はいらないって言ったのに」
拓也は、自身が着ている無地のパーカーを見下ろした。
南極や成層圏では鉄山厳が組み上げた特装スーツを着ていたが、あれはあくまで極限環境用の決戦兵器だ。
普段の残党狩りや迷宮探索で着るようなものではない。
「駄目! 拓也は魔力がないんだから、万が一の流れ弾に備えて、世界で一番硬くて軽くてカッコいい服を着なきゃいけないの!」
三月は拓也の抗議を笑顔でスルーし、銀座の一等地にある、一際重厚な店構えのショップへと彼を引っ張っていった。
『ルミナス・ギア銀座本店』。
そこは、Aランク以上のトップ探索者御用達の、超高級ダンジョン装備専門店である。
大理石の床が広がる店内は、武器屋というよりも高級ホテルのロビーのような静謐な空気に包まれていた。
「いらっしゃいませ。……本日は、どのようなお品物をお探しでしょうか?」
二人が入店すると、燕尾服を着た初老のコンシェルジュが、慇懃な態度で声をかけてきた。
しかし、彼の視線は、三月と拓也の胸元に付けられた真新しい『Fランク』のバッジをチラリと捉え、ほんのわずかだけ戸惑いの色を浮かべていた。
(無理もないよな。Fランクが来るような店じゃないし……)
拓也が気まずそうにしていると、三月は堂々と胸を張って答えた。
「この子に着せる、最高級の防魔コートを探してるの。とにかく軽くて、動きやすくて、絶対に傷がつかないやつをお願い!」
「……かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
コンシェルジュは、プロのポーカーフェイスを崩さず、奥の保管庫から一着の黒いロングコートをうやうやしく運んできた。
「こちらは、『飛竜の極上なめし革』を使用した防魔コートでございます。軽量でありながら、Bランク魔獣の爪牙すら弾く強度を誇ります。お値段は、しめて一千万円となっております」
「いっ、いっせんまん!?」
拓也が素っ頓狂な声を上げる。ただの黒いコートが、家を一軒買えるような値段なのだ。
しかし、三月はそのコートを一瞥するなり、不満げに頬を膨らませた。
「えー? ワイバーン? そんなトカゲの皮じゃ、万が一にもAランク魔獣の攻撃が直撃したら破れちゃうじゃない。駄目駄目、もっといいのを出して! 古代竜の逆鱗で編んだセーターとかないの!?」
「こ、古代竜、でございますか……? そ、そのような国宝級の素材は、当店にも流石に……」
コンシェルジュが、額に冷や汗を浮かべて言葉を詰まらせる。
その時だった。
「おいおい。どこの田舎モンかと思えば、Fランクのガキどもじゃねえか。古代竜の素材だと? 寝言はベッドで言えよ」
店内の奥から、派手な魔法銀の鎧に身を包んだ、いかにも柄の悪そうな探索者の男が三人組で歩いてきた。
彼らの胸には、誇らしげに『Bランク』のバッジが輝いている。
「ここは俺たちみたいな一流が来る店だ。Fランクのヒヨッコが、冷やかしで入ってきていい場所じゃねえんだよ」
リーダー格の男が、三月を舐め回すように見ながら下品な笑いを浮かべる。
「お前みたいな上玉なら、俺たちとパーティを組んでやってもいいぜ? 俺の『爆炎剣』の凄さを、特等席で見せてやるよ」
男は、腰に差した真っ赤な刀身の魔法剣を見せびらかすようにポンポンと叩いた。
「……ねえ」
その瞬間、三月の声から、先ほどまでの明るいトーンが完全に消え去った。
深緑色の瞳が、氷のように冷たく細められる。
「私の前で、拓也を馬かねたこと。……どうやって謝ってもらおうか」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
三月の背後から、かつて世界最強へと至った彼女の真のオーラが、物理的な質量を伴って漏れ出し始めた。
店内の大理石の床がピキピキと音を立ててヒビ割れ、並べられた高級ポーションの瓶がカタカタと震え出す。
「ひぃっ!?」
「な、なんだこの尋常じゃねえプレッシャーは……っ!?」
Bランクの男たちが、一瞬にして顔面を蒼白にさせ、後ずさる。
(マズい! このままだと、姉さんが店ごと更地に変えちゃう!)
拓也は、慌てて三月の前に立ち塞がった。
「ねえさん、ストップ! 怒ってくれるのは嬉しいけど、お店の迷惑になるから! 暴力は駄目!」
「で、でも拓也! こいつら、拓也のことを田舎モンって……っ!」
「大丈夫だから。……それに、あの人の剣、そもそも『不良品』だよ」
拓也は、三月を宥めながら、右眼の眼帯の下――極限の並列思考をほんの僅かだけ起動させ、男の腰にある『爆炎剣』を指差した。
バエル戦のような脳を焼き切る解析ではない。ただの知識の引き出しと、表面的な観察だけだ。
「な、なんだと!? ふざけんな、これは五百万円で買った業物だぞ!」
男が強がって叫ぶ。
「剣の柄と刀身を繋ぐ『魔力伝導コア』の接続部が、〇・五ミリずれてる。……その剣、火属性の魔力を限界まで流し込んだら、放出されずに行き場を失って、持ち主の手の中で大爆発を起こすよ」
拓也が、淡々と事実だけを告げる。
「で、出鱈目言ってんじゃねえ! なら、俺の魔力で証明してやるよ!!」
男が逆上し、爆炎剣を鞘から抜いて、自身の魔力を一気に注ぎ込んだ。
刀身が赤熱し、強烈な熱を放ち始める。
「あっ、馬鹿……!」
拓也が声を上げた、その時。
ピシッ……!!
拓也の予告通り、接続部のコアが魔力の負荷に耐えきれず、不吉な亀裂音を立てた。
刀身が限界を超えて膨張し、爆発の臨界点に達しようとしている。
「あ、あれ……? おい、なんか剣が熱い……熱っ、離れねえ!?」
男がパニックに陥り、剣を放り投げようとするが、暴走した魔力が手に吸い付いて離れない。
「ほらね。言った通りでしょ」
三月が、ため息をつきながらスッと右手を伸ばした。
そして、爆発寸前の爆炎剣の刀身を、魔力も纏っていない『素手の指二本』で、軽くピンッと弾いた。
パキィィィィィィィィンッ!!!!
暴走していた魔力ごと、硬度を誇るはずの爆炎剣が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。
爆発のエネルギーは完全に相殺され、男の手には、焼け焦げた柄だけが残された。
「……え?」
男は、自分の手と、床に散らばった破片を交互に見比べ、完全に呆然自失となっている。
「拓也の言うことは絶対なの。……命拾いしたわね。さっさと帰りなさい」
三月が冷たく言い放つと、Bランクの男たちは「ひぃぃぃぃっ!」と悲鳴を上げ、腰を抜かしながら店から逃げ出していった。
「……お見事です。まさか、あの魔力暴走を素手で相殺するとは」
騒ぎが収まった後。
店の奥から、立派な白髭を蓄えた、眼光の鋭い老人がゆっくりと歩み出てきた。
「店長……」
コンシェルジュが頭を下げる。
「騒がせちゃってごめんなさい。弁償はしますから」
拓也が申し訳なさそうに謝罪すると、老人の店長は「いやいや」と首を振った。
「むしろ、不良品を持ち込んだあいつらを追い払っていただき、感謝するくらいです。……それにしても、そちらの少年」
店長は、拓也の眼を興味深そうに覗き込んだ。
「魔力を持たない身でありながら、あの距離からミリ単位の魔力コアのズレを完璧に視抜くとは。……君のその『眼』、相当な場数を踏んできた戦術家のものだ。書類上のランクなど、君たちには何の意味もない飾りのようだ」
「えっと……」
「そんな君たちに、そこらで売っているような『既製品』はふさわしくない」
店長は、コンシェルジュに目配せをし、店の最奥にある厳重な金庫から、一つの桐箱を持ってこさせた。
「これは……かつてこの世界にただ一つしか存在しなかった『始源の迷宮』。私が若い頃、奇跡的にその深層域から持ち帰ることができた『虚無蜘蛛』の極薄の糸で編み上げた、特注品のコートです」
その言葉に、拓也はピクリと眉を動かした。
(……かつて世界に一つしかなかった、あの巨大な迷宮。姉さんが眠りにつく原因となった、あの恐ろしい場所か……)
他の名だたる探索者たちの最高到達記録は、大規模な団体を組んで挑んだ上での『地下三十階層』だった。
それに対し、三月はそのさらに奥深く、前人未到の『三十五階層』まで辿り着いていたのだ。
家族を守り抜くため、自身の固有能力である『魂喰い』を酷使し続けた結果、もともと限界を迎えて壊れかけていた彼女の魂は、さらに強大な魂を喰らったことで耐えきれなくなり、完全な崩壊を起こしてあの長い眠りへと落ちてしまったのである。
「ご存知の通り、あの迷宮は未だに最下層まで辿り着いた者は誰一人としていない、人類にとっての絶対不可侵領域です。……私のような者が深層の素材を持ち帰れたのは、本当に運が良かっただけのこと」
店長は懐かしむように目を細めながら、桐箱の蓋を開けた。
箱の中には、光の加減で漆黒にも銀色にも見える、恐ろしく美しい繊維で編まれたコートが収められていた。
フィルムのような艶を帯びたその布地は、触れずともただならぬ魔導の気配を漂わせている。
「すごい……。これなら、拓也にぴったりだね!」
三月が目を輝かせる。
「ですが、これには一つ『致命的な欠陥』がありましてな」
店長が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「このコートの防魔機能を起動するためには、最初に『規格外の莫大な魔力』を注ぎ込み、素材を限界までチューニングさせる必要があるのです。……私のような老いぼれや、並のSランク探索者の魔力では、この糸はウンともスンとも言いません。故に、長年売れ残っていた代物です」
「なんだ、そんなこと」
三月は、クスッと笑ってそのコートを手に取った。
「私が、ちょっと『本気』を出せばいいだけでしょ?」
三月が、コートを両手で挟み込むように持ち、ふぅっと静かに息を吐いた。
次の瞬間。
ドシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!
銀座の街全体が揺れるほどの、圧倒的で、純粋で、そして底知れぬ深淵のような魔力が、三月の体内からコートへと滝のように注ぎ込まれた。
それは、かつて三十五層という前人未到の深淵まで踏み入らしめ、自らの『魂喰い』の力を振ルい続けてきた彼女の、真の『世界最強』の魔力放出。
「な、おおおおおっ……!?」
店長とコンシェルジュが、あまりのプレッシャーに腰を抜かしてへたり込む。
漆黒だったコートが、三月の魔力に同調し、眩いばかりの白銀の光を放ち始めた。
そして数秒後。魔力の奔流が収まると、そこには、拓也の体格に合わせて完全に形を変え、あらゆる物理と魔法の干渉を弾く『絶対防衛のコート』が完成していた。
「はい、拓也! お姉ちゃん特製の、最強のオーダーメイドだよ!」
三月は、一滴の汗もかかずに、完成したコートを拓也の肩に羽織らせた。
「……す、すごい。本当に羽みたいに軽くて、でも……すごく温かい」
拓也は、自分の身体にピタリと馴染むコートの袖を通し、驚きに目を見開いた。
「うわぁぁぁっ! 拓也、すっごく似合ってる! かっこいい! 世界一かっこいい!」
三月が、自分のスマホを取り出し、店内で周囲の目も憚らずに連写を始める。
「す、素晴らしい……。私の最高傑作が、これほど完璧に仕上がるとは……。お代は結構です。どうか、そのコートを大切に使ってやってください」
腰を抜かしたままの店長が、感涙にむせびながら頭を下げた。
「ありがとうございます、店長さん! ほら拓也、お礼言って!」
「あ、ありがとうございます……!」
かくして。
銀座を震撼させた『Fランク姉弟』のショッピングデートは、こうして幕を閉じた。
夕暮れ時の銀座の街。
拓也は、もらったばかりの最高級コートを羽織り、隣で満面の笑みを浮かべる姉と並んで歩いていた。
「拓也、クレープ食べに行こっか! お姉ちゃん、チョコバナナがいいな!」
「うん。俺はイチゴにするよ」
特異点での死闘を越え、過保護なSランクたちとの別れを経て。
魔力を持たない少年指揮官と、世界最強のブラコン姉の、騒がしくも温かい『本当の日常』。
拓也の胃痛が完全に治まる日はまだ遠そうだが、彼の隣にはいつも、最強で最高の姉が笑っている。
二人のFランク探索者の物語は、これからも平穏と無双を交えながら、どこまでも続いていくのであった。
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