第233話:如月家の緊急家族会議、そして突発的スタンピード
「――いいですか、皆さん。今日の議題は一つだけです。『俺の平和な中学生ライフをこれ以上邪魔しないこと』。これに尽きます」
週末の土曜日。
如月家のリビングには、異様な光景が広がっていた。
ホワイトボードの前に立ち、腕を組んで教鞭(指し棒)を振るうのは、この家の次男であり、世界を救った少年指揮官・如月拓也。
そして、彼が相対するソファや絨毯の上に正座をしているのは、アメリカ最強のSランクであるレオン、南米の総司令カルロス、そして日本のトップランカーである神宮寺、風間、九条といった『極星』の面々であった。
さらに、彼らの背後には、ニコニコと極上の笑顔を浮かべながらも、背中から底知れぬ威圧感を放っている最恐の姉、如月三月が立ち塞がっている。
「まず、レオンさんとカルロス司令。中学校の用務員や清掃員に変装して潜入するのは禁止です。ドッジボールを竹箒で消し飛ばすなんて、正気の沙汰じゃありません」
「うっ……す、すまねえ、若大将。ボールから殺気を感じたもんで、つい……」
「面目次第もねえ……」
世界最高峰の巨漢二人が、中学生の説教を受けてシュンと肩を落とす。
「神宮寺さんもです。屋上で待ち伏せして、一本百万のポーションを昼休みに飲ませようとしないでください。あと、風間さんもゲーセンでの出待ちと乱入は禁止です」
「む……。しかし拓也くん、育ち盛りには栄養が……」
「俺は、俺の身の丈にあった小遣いの範囲で遊びたいんです!」
拓也はビシッと指し棒でホワイトボードを叩いた。
「皆さんが俺を心配してくれているのは、本当に感謝しています。……でも、特異点はもう消滅したんです。皆さんはそれぞれの国を代表するトップランカーなんですから、そろそろ自国に帰って、残党狩りや本来の任務に戻るべきじゃないですか?」
拓也の真っ当すぎる正論に、大人たちは顔を見合わせた。
確かに、彼らがこの日本にいつまでも滞在しているのは、世界的な戦力バランスを考えても異常事態である。
「……若大将の言う通りだ」
レオンが、ふうと息を吐いて正座を崩した。
「バエルとの戦いが終わって、オレたちは完全に気が抜けてたんだな。……平和になった世界で、お前が普通のガキとして笑ってるのを見るのが、一番の癒やしになっちまってた」
「ああ。だが、このままじゃ俺たちが若大将の『日常の脅威』になっちまう。引き際ってやつだな」
カルロスも、寂しそうに笑いながら頷いた。
「神宮寺さんたちも、日本のトップとして忙しいはずです。……俺の護衛なんてしなくても、俺には最強の姉さんがついてますから」
拓也が、後ろに立つ三月を振り返って笑う。
「ふふん! そうだよ! 拓也には書類上Fランクで世界最強のこの私がついてるんだから、百万人でかかってきても指先一つでダウンさ!」
三月が、得意げにブイッとピースサインを作る。
「……まったくだ。三月殿のあの理不尽な暴力を前にすれば、どんな魔獣も赤子同然だからな」
神宮寺が、先日の『実力テスト』のトラウマを思い出したのか、冷や汗を拭いながら同意した。
会議の空気が、穏やかな納得と別れの予感に包まれかけた、その時だった。
ウィィィィィィンッ! ウィィィィィィンッ!
リビングにいた全員のスマートフォンから、鼓膜をつんざくような不協和音のアラームが一斉に鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
風間が弾かれたように立ち上がり、スマホの画面を確認する。
『緊急警報。緊急警報。東京都第4地区にて、大規模な空間歪曲を観測。ダンジョン・スタンピード(魔獣の暴走)の兆候あり。近隣の住民は直ちに避難し、Bランク以上の探索者は迎撃態勢を――』
「スタンピードだと……!? 特異点が消滅したのに、まだそんな大規模な現象が起きるのか!」
九条が舌打ちをする。
「特異点が消えた反動で、行き場を失った地球上の残留魔力が吹き溜まりになってるんだ。……場所は、ここからたった数キロ先のショッピングモールだ!」
拓也が、瞬時にスマホのマップと警報の座標を照らし合わせて叫ぶ。
「おいおい、土日のショッピングモールなんて、一般人で溢れ返ってるぞ!」
レオンが表情を引き締め、壁に立てかけてあった巨大な魔剣を手に取った。
「雑談は終わりだ。……行くぞ、極星の野郎ども! 世界を救ったついでに、東京の街も救ってやろうぜ!」
「応ッ!!」
カルロス、風間、神宮寺、九条。
先ほどまで説教を受けてシュンとしていた大人たちが、一瞬にして『世界最高峰の探索者』の顔へと切り替わり、強烈な闘気を放ち始める。
「待ってください」
彼らが窓から飛び出そうとした瞬間、拓也が静かに声をかけた。
「若大将? 止めてる暇はねえぞ。スタンピードの魔獣が市街地に溢れたら大惨事だ」
レオンが焦ったように振り返る。
「違います。……ここは俺たちの地元です。わざわざ海外から来たお客さんや、日本のトップの皆さんの手を煩わせるまでもありません」
拓也は、右眼を覆う前髪を少しだけかき上げ、不敵に笑った。
「姉さん、行ける?」
拓也の問いかけに、三月はすでにカーディガンの袖をまくり上げ、準備万端の笑みを浮かべていた。
「もちろん! 拓也の地元を荒らすお行儀の悪い魔獣には、お姉ちゃんがお仕置きしてあげなきゃね!」
「なっ……若大将、いくら三月殿が規格外とはいえ、スタンピードの規模によっては……」
神宮寺が止めに入ろうとするが、拓也と三月の姿は、すでにリビングの窓から外へと飛び出した後だった。
――東京都第4地区、大型ショッピングモール前広場。
空間に走った巨大な黒い亀裂から、おぞましい咆哮と共に無数の魔獣が吐き出されていた。
体長三メートルを超える『鋼甲オーク』の群れや、空を埋め尽くす『ブラッド・ガーゴイル』。
推定BランクからAランクに相当する凶悪な魔獣の軍勢が、パニックに陥り逃げ惑う買い物客たちへ向かって雪崩れ込もうとしている。
「グルルルルォォォォッ!!」
先頭を走る巨大なオークが、逃げ遅れた親子の背中へ向かって、丸太のような棍棒を振り下ろそうとした、その瞬間。
「……姉さん、右前方。オークの群れの中心にいる個体が、群れを統率するリーダー格だ」
ビュォォォォォォッ!!
突如として上空から舞い降りた少年――如月拓也の静かな声が響いた。
彼は、魔力を一切使わずに、敵の陣形と視線の動きだけで瞬時にリーダーを割り出していた。
「了解っ! リーダーを潰せばいいんだね!」
拓也の背後から、淡いグリーンのワンピースを翻しながら、如月三月が神速のステップで飛び出した。
「オラァッ!!」
三月は、棍棒を振り下ろそうとしていたオークの懐に潜り込むと、魔力も纏わない純粋な『回し蹴り』を、オークの腹部へと叩き込んだ。
ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
「ブギィィィッ!?」
ただの蹴り。
しかし、その一撃は空気を圧縮し、巨大な大砲の弾となってオークの巨体を吹き飛ばした。
吹き飛んだオークは、後続の群れを次々とボウリングのピンのように巻き込みながら、広場の端から端までを一直線に削り取り、数十体の魔獣がまとめてひしゃげて絶命した。
「な、なんだ……!?」
逃げ遅れた親子が、ポカンと口を開けてその光景を見上げている。
「空のガーゴイルは邪魔だな。……姉さん、上空の敵の魔力リンクの結節点は、地上から数えて三匹目の赤い個体だ。あれを落とせば、連携が崩れる」
拓也は、自身の右眼の『深層言語・限定解析』をコンマ一秒だけ起動させ、群れの弱点を完璧に視抜いて指示を出す。
バエル戦のように脳を焼き切る必要はない。ほんの一瞬の起動なら、今の拓也には全く負荷はかからない。
「三匹目の赤い子ね! えーいっ!」
三月は、足元の砕けたアスファルトの破片を拾い上げると、それを野球のピッチャーのようなフォームで上空へ向けて全力投球した。
ヒュゴォォォォォォォォォッ!!!!
アスファルトの破片は、大気との摩擦でプラズマのような光を放つ『隕石』と化し、上空のガーゴイルの群れを一直線に貫いた。
狙い違わず赤い個体を粉砕し、そのまま空中の魔獣数十匹を纏めて消し炭に変える。
「……う、嘘だろ」
遅れて現場に到着したレオンや神宮寺たちは、ビルの屋上からその光景を見下ろし、完全に言葉を失っていた。
スタンピード(魔獣の暴走)。
本来であれば、国軍やSランク探索者パーティが総出で何時間もかけて鎮圧するはずの災害。
それが、魔力を持たない十四歳のFランク少年が指示を出し、ワンピース姿のFランク(大嘘)の女性が物理で殴るだけで、開始からわずか数十秒で『完全な更地』と化していくのだ。
「……なあ、カルロス。オレたち、もう本当に世界に必要ねえんじゃねえか?」
レオンが、乾いた笑いを漏らしながら相棒に尋ねる。
「ああ。少なくとも、あの二人がいる日本には、俺たちの出番は一ミリもねえな」
カルロスもまた、肩をすくめて苦笑した。
「フッ。……見事な指揮と、見事な蹂躙だ。これなら、我々も安心して国に帰れるというものだ」
神宮寺が、大盾を下ろし、誇らしげに目を細めた。
かくして、突発的に発生した大規模スタンピードは、一切の民間人の犠牲を出すことなく、如月姉弟という二人のFランク探索者によって瞬く間に鎮圧されたのであった。
「ふぅ! これで全部片付いたね、拓也!」
三月が、一滴の汗もかかずにニコニコと笑いながら戻ってくる。
「うん。お疲れ様、姉さん。……これくらいなら、俺たち二人だけで十分だね」
拓也もまた、満足げに頷いた。
世界を救った大人たちは、最強の姉弟の背中を見つめながら、静かに日本を去る決意を固めていた。
拓也の胃痛の種であった『過保護すぎる護衛』たちは、こうして少しずつ、本来の居場所へと帰っていくのである。
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