第232話:放課後のゲームセンターとSランクたちの遊戯、最強のクレーンゲーム
東京の閑静な住宅街にある中学校に、放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。
「……終わった。なんとか、今日一日を生き延びた……」
二年B組の教室で、如月拓也は、机に突っ伏したまま魂の抜けたような声を漏らした。
第一魔卿バエルが支配する『天空の冥城』での死闘よりも、はるかに精神(胃)をすり減らす一日だった。
窓の外には逆さ吊りで監視する姉(如月三月)。
校庭には竹箒でドッジボールを粉砕する巨漢の清掃員。
屋上にはポーションを勧めてくる配管工(神宮寺)。
魔力を持たないFランク少年の復学初日は、人類最高峰のSランク探索者たちによる「過保護すぎるシークレットサービス」によって、完全に要塞化された異常空間と化していたのである。
「おい如月、何死んだような顔してんだよ。今日から部活もないし、駅前のゲーセンでも寄って帰ろうぜ!」
鞄を肩に引っかけたクラスメイトの健太が、無邪気な笑顔で声をかけてきた。
「ゲーセン……」
その響きに、拓也は少しだけ顔を上げた。
ゲームセンター。それは、十四歳の男子中学生にとって、最も身近で、最も「平和な日常」を象徴する娯楽施設だ。
特異点破壊の極秘ミッションに明け暮れていた数ヶ月間、そんな場所に行く余裕など一秒たりともなかった。
(……行きたい。俺は今、猛烈に『普通の中学生』らしい放課後を過ごしたい!)
「行く! 行くよ健太! 今日は格ゲーでボコボコにしてやるからな!」
拓也は、弾かれたように立ち上がり、学生鞄を掴んだ。
「おっ、言うねえ! 俺の春麗のコンボを見せてやるよ!」
拓也は、窓の外の桜の木をチラリと確認した。
どうやら、三月はすでにいなくなっているようだ。清掃員たちの姿もない。
(よし……! 今のうちに駅前に移動すれば、誰にも邪魔されずに普通の放課後を満喫できるはずだ!)
拓也は、健太と共に意気揚々と教室を後にした。
――三十分後。駅前の大型ゲームセンター。
電子音と派手なネオンの光が交錯する、薄暗くも活気のある店内。
拓也と健太は、対戦型格闘ゲームの筐体に並んで座り、レバーを弾いていた。
「そりゃっ! 波動拳! ……うわっ、また読まれた!」
「甘いよ健太。右手の動きで、次に小パンチが来るか大キックが来るか分かるからね」
拓也は、画面を見つめながら淡々と自分のキャラクターを操作し、健太の攻撃を完璧なガードで凌いでいく。
右眼の『深層言語・限定解析』を使うまでもない。
日常的な思考の並列処理だけでも、拓也の脳は相手の指の動きや視線のブレから「次の一手」を完全に先読みすることができたのだ。
魔王の攻撃すら見切った戦術指揮官にとって、中学生の格ゲーの動きを読むなど造作もないことだった。
「K.O.!」
画面に決着の文字が躍る。
「くっそー! なんで如月、休学前より動きがキレッキレになってんだよ! お前、家でずっとゲームの特訓してたのか!?」
健太が頭を抱えて悔しがる。
「まあ、ちょっと命懸けの特訓をね……」
拓也が苦笑いしながら答えた、その時だった。
『Here Comes A New Challenger!!』
乱入を告げるけたたましいサイレンが鳴り響き、拓也の向かい側の席(対面台)に、誰かが座った気配がした。
「おっ、乱入者だぜ如月。ボコボコにしてやれ!」
健太が囃し立てる。
拓也は画面に向き直り、対戦をスタートさせた。
しかし、ラウンド開始の合図(FIGHT!)が鳴ったコンマ一秒後。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!
「えっ……!?」
拓也のキャラクターが、文字通り「一歩も動く間もなく」、画面の端から端までお手玉のように浮かされ続け、見たこともないような超絶無限コンボを叩き込まれ、瞬殺されてしまった。
あまりの速度に、システムが処理落ちを起こしかけている。
「な、なんだ今のコンボ……!? ツールでも使ってんのか!?」
健太が目を剥く。
拓也は、冷や汗を流しながら、対面台の様子をそっと覗き込んだ。
そこには、黒いトレンチコートに不審なサングラス、そして口元にはどう見ても偽物のカイゼル髭をつけた男が座っていた。
「……ハッ! どんなに戦術が良かろうが、俺の『神速の槍捌き(レバー操作)』には追いつけねえだろうが。出直してきな、若大将」
日本のトップランカーにして、神速の氷槍使いである風間蓮だった。
「か、風間さん……!? なんでゲーセンに……ていうか、Sランクの反射神経で中学生の格ゲーにマジにならないでくださいよ!!」
拓也が小声で抗議する。
「うるせえ。俺たちは今、三月殿の命により『拓也の放課後を不良から守るための極秘パトロール』を実行中なんだよ」
風間がサングラスをずらし、ニヤリと笑う。
「おい如月、知り合いか?」
健太が不思議そうに首を傾げる。
「ううん! 全然! ネットの対戦相手みたいなもん!」
これ以上ここにいてはヤバいと察知した拓也は、健太の腕を引いて格ゲーのコーナーから離脱した。
「次はあっち行こうぜ、如月! パンチングマシーン!」
健太が指差したのは、備え付けられたパッドを殴って筋力を計測するアーケードマシンだった。
「おっしゃ、俺の全力を見せてやるぜ!」
健太が助走をつけてパッドを殴りつける。
『ドガッ!』という音と共に、画面に『85kg』という数字が表示された。
「どうよ! 中学生の平均は超えてるぜ!」
「すごいすごい。俺は腕力ないからパスするよ」
拓也が苦笑していると、彼らの背後に、巨大な山のような影が落ちた。
「Hey、Boyたち。男の『拳』ってやつはな、そうやって腰の入ってねえフニャフニャの軌道で打つもんじゃねえんだよ」
アロハシャツに身を包み、ヤクザも道を譲りそうな強面をサングラスで隠した巨漢――アメリカ最強のSランク、レオン・カーターだった。
「うおっ!? な、なんだこのおっさん……すげえ筋肉……」
健太がビビって一歩後ずさる。
「レオンさん! 何やってるんですか!」
拓也が慌てて小声で突っ込む。
「カッカッカ! 不良から若大将を守るパトロールのついでに、本物のアメリカン・マッスルを教育してやろうと思ってな」
レオンは、パンチングマシーンの前に立つと、サングラスを外してニヤリと笑った。
「安心しな。機械を壊さねえように、出力は0.01パーセントまで絞ってやる」
レオンが、軽く右腕を引く。
魔力は一切込めていない。ただの、極限まで手加減した「デコピン」のようなパンチ。
トンッ。
レオンの巨大な拳が、マシーンのパッドに軽く触れた。
その瞬間。
バアァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
ゲームセンター内に、爆弾が破裂したような轟音が鳴り響いた。
パンチングマシーンの計測パッドが根元からへし折れて壁にめり込み、液晶画面には『9999kg(測定不能)』の文字が表示された直後、ショートして真っ黒な煙を吹き上げ始めたのである。
「あ……」
レオンが、しまったという顔で固まる。
「ひぃぃぃぃぃっ!? マ、マシーンが爆発したぁぁっ!?」
健太が腰を抜かして悲鳴を上げる。
「だから手加減できないならやらないでって言ったのにぃぃっ!!」
拓也は、周囲の客がパニックになりかけているのを見て、完全に胃を抱え込んでうずくまった。
「お、おいカルロス! マズいぞ、若大将に怒られる! ズラかるぜ!」
「なんで俺まで!?」
どこからともなく現れた南米の総司令カルロスと共に、レオンが猛ダッシュでゲームセンターから逃亡していく。
「お客様ーっ!! パンチングマシーンを破壊したお客様ーっ!!」
店員が血相を変えて飛んでくる。
「如月! なんかヤバいから俺たちも逃げるぞ!」
「あ、うん……っ」
健太に手を引かれ、拓也は逃げるようにゲームセンターの奥、クレーンゲームのコーナーへと身を隠した。
「ハァ、ハァ……。ビビったぜ。あのアロハのおっさん、ターミネーターか何かかよ……」
健太が心底怯えたように息を吐く。
「……ごめんね、健太。なんか変な人ばかりで」
拓也は、心の中でレオンへの説教の言葉を五千文字ほどリストアップしながら、乾いた笑いを漏らした。
「まあいいさ。……おっ、このクレーンゲーム、最近流行ってるアニメのぬいぐるみじゃん! 如月、お前の妹だか姉ちゃん、こういうの好きそうじゃね?」
健太が指差したのは、ガラスケースの中に山積みになった、可愛らしいウサギのぬいぐるみの山だった。
「姉さん、こういうの好きかな……」
拓也は、ずっとポッドの中で眠っていて、青春らしい遊びを一切してこなかった三月の顔を思い浮かべた。
お詫びも兼ねて、一つくらいお土産に持って帰ってあげたい。
拓也は百円玉を投入し、クレーンを操作した。
しかし、クレーンのアームは撫でるような弱さで、ぬいぐるみを持ち上げるどころか、ピクリとも動かさずに虚しく元の位置へ戻っていった。
「あーあ、ここのアーム、激弱設定じゃん。これじゃ絶対取れねえよ」
健太が同情するように言う。
「……そうだね。諦めよう」
拓也がため息をついてその場を離れようとした、その時だった。
「拓也が欲しいなら、お姉ちゃんが取ってあげる!」
「えっ!?」
拓也の背後から、セーラー服姿(なぜか着替えていない)の如月三月が、颯爽と現れた。
「ね、ねえさん!? ずっと見てたの!?」
「もちろん! 拓也の通学路からゲーセンまで、半径十メートルの安全を常に確保してたよ!」
「全然安全じゃないよ! パンチングマシーン爆発してたよ!」
三月は拓也のツッコミをスルーし、クレーンゲームの前に立った。
「えっと……如月のお姉さん、ですか? でもこの台、アームが弱すぎて絶対取れないっすよ?」
健太が、三月の圧倒的な美貌に顔を赤くしながら忠告する。
「ふふっ。アームが弱いなら、アームを使わなければいいんだよ」
三月は、百円玉を入れることもなく、クレーンゲームのガラス面に、そっと両手を当てた。
「ねえさん、まさかガラスを叩き割る気じゃ……っ」
拓也が血の気を引かせて止めようとする。
「そんな野蛮なことしないよ。ただ……ちょっとだけ『共鳴』させるだけ」
三月が、ガラス面に当てた手のひらから、極限まで制御された『微弱な魔力の振動』を筐体全体へと流し込んだ。
ブゥゥゥゥゥゥゥン……。
クレーンゲームの機械全体が、目に見えないレベルで超高速振動を始める。
すると、ケースの中に山積みになっていたウサギのぬいぐるみたちが、まるで自らの意志を持ったかのように、ポヨン、ポヨンと跳ね上がり、次々と景品落下口へと雪崩れ込んでいった。
ボトボトボトボトボトボトッ!!!!
「え」
「は?」
拓也と健太が、ポカンと口を開けて固まる。
「はい、拓也! お土産!」
三月は、取り出し口から溢れんばかりのウサギのぬいぐるみを抱え上げ、満面の笑みで拓也に差し出した。
コインを一枚も使わず、アームも動かさず、ただガラスに触れただけで機械の中の景品を根こそぎ落とすという、物理法則を無視した『世界最強のクレーンゲーム』。
「……ねえさん。それ、完全に窃盗だよ……」
「違うよ! これは筐体への物理的なアプローチを最適化した結果だから、セーフだよ!」
「お客様ァァァァッ!! 景品を揺らして落とすのはルール違反ですゥゥゥッ!!」
遠くから、パンチングマシーンの処理を終えた店員が、鬼の形相で走ってくる。
「あ、見つかっちゃった。逃げるよ拓也!」
「うわぁぁぁっ! 健太、ごめん! 今日はもう帰る!!」
拓也は、ぬいぐるみを抱えた姉の手を引き、全速力でゲームセンターから逃げ出した。
「な、なんだあいつら……。嵐みたいな姉弟だな……」
一人取り残された健太は、空っぽになったクレーンゲームのケースを見つめながら、ただただ呆然と呟くことしかできなかった。
夕暮れの道を、姉と手を繋いで走る。
息を切らしながらも、拓也の口元には、自然と笑みがこぼれていた。
普通の中学生の、平和な放課後とは少し(かなり)違ってしまったけれど。
それでも、世界を救った最強の大人たちと、少し過保護な最強の姉に囲まれたこの「騒がしい日常」も、悪くはない。
魔力を持たないFランク少年の胃痛はまだまだ続きそうだが、彼らの平和な日々は、これからも賑やかに続いていくのであった。
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